子どもの頃、飼い犬に酷いことをしてきました。望んで迎えたくせに年月が経ち世話もせずイライラを犬に当たり蹴ったこともあります。その時のキャイン!という犬の悲鳴が今も記憶にあります。 その後に親がしたこととは言え犬をベランダに出してしまいました。そこで何年も暑さ寒さ、孤独、悲しさ、辛さ、痛み苦しみをあの仔は持って生きていた。誰にも抱っこも撫でてももらえずコンクリの上で。夏も雪が降る冬も、雨の日もどんな日も。トリミングや手入れもしてもらえずボサボサになり毛玉だらけだったのかもしれない。関心持たず放置してた私。それが私の中学、高校時代です。その後、私が実家を出た後に亡くなったことを親から聞きました。 私が二十歳の頃です。 親が仕事から帰宅した夜にベランダで亡くなってたのを発見、と。 病気だったのかなんなのかすら分からず、ただ亡くなってたと。 二十歳の私はその犬に対して、そっかと悲しく涙も出たのですが今ほどの気持ちは無かった。 時が経ちここ数年、当時のその仔を思い後悔と懺悔でふとした時に思い出しては泣いています。小学3年で自分が望んで必死に頼んで迎えたあの仔、中学高校時代の私はあの仔を蹴りベランダに出てからは姿を見ることもなく無関心。実家を19歳で出て二十歳で亡くなったと知って悲しく思うもののそこまで弔うこともなく何もせず今の今まできました。 今後一生この懺悔の気持ちを持ち生きて行くことしかあの仔にしてやることがみつかりません。何かあるのでしょうか。 自分の苦しい気持ちがよく救われたいと思ってましたが、そうではなくあの仔にしてやれることが何か無いものかとお聞きしたくてご相談した次第です。 宜しくお願いいたします。
母は、昼間一人で、家でTVを見たり家事をしたりして過ごしています。 よくないことばかり考えてうつうつしてしまうと毎日言っています。 自分のことはできるくらい体は元気ですし、料理も掃除も洗濯もできるのですが、外に出たり人と会ったりすることがあまりありません。 私が仕事から帰ってくると、余計な心配事や取り越し苦労のような話をします。そういう自分が嫌だと言って、直す方法を知りたいと言いますが、私もどうしようもありません。 普通に生活できていることに感謝して、楽々としていればいいのにと言いますができないと言います。 もう何年も同じ感じです。 どうすればいいのか私もわかりません。 前向きになるお言葉をお願いします。
現在看護師として透析患者さんを治療するスタッフとして働いています。 2年ほど前まで産婦人科で助産師として働いていました。 前の職場では産科で助産師としてお産に関わることもあれば婦人科で看護師として婦人科系のガン患者さんを看る日もありました。 新たにこの世に誕生する命を取り上げ感動する日や、この世に生まれてくることができなかった死産の子を取り上げる悲しい場面に直面する日もあれば、若くしてガンで亡くなられ、看取りをする日など人の生と死に身近で関わることができ命の尊さを学ぶ日々でした。 しかし、今の透析の施設では自身の不摂生が原因での糖尿病、きっと透析になるまで色んな人から生活を見直すよう助言をもらっていたにもかかわらず、透析まで辿り着き、『俺のやり方が正しい、お前らは口出しをするな』というような患者さんがたくさんいます。 看護師に暴言を吐く患者やクレーマーもいます。 生活保護の方も半数ほどいます。私たちが一生懸命働いて納めている税金が、働こうとする努力もせずパチンコやタバコ、ゲームに費やし、今受けている医療や薬をもらえることが当たり前だというような態度です。 もちろん、糖尿病以外で元々腎臓が悪く透析になられた方や、とても大変な透析をしながらも一生懸命働いていて、尊敬する患者さんもいらっしゃいます。 最近は、生活保護で恵まれていることが当たり前だと思っている患者、透析をしながらも頑張って働いて生きている患者、新たに産まれてくる命、若くしてこの世を去る命、これらの命の重さは平等なんかじゃ無いと思うようになりました。 正直税金で生きるのが当たり前、自分で身銭を切らないから欲しい薬や治療を受けてもらって当たり前、看護師や医者は自分の言うことを聞いて当たり前というような患者に『税金の無駄だ。はやく死ねばいいのに』と思ってしまう私がいます。その度にこんなこと思ったら医療従事者として失格だ、人としてダメだと思うのです。 まとまりのない長い文章になってしまって申し訳ありません。
お世話になります。 「中絶からの立ち直り方」と「水子供養の方法」についてアドバイスを頂ければと思い、御質問させて頂きます。 私は6年程前に中絶を行ってしました。 その頃、供養も行ってはおりましたが、平均そのお寺で供養するのは3年程で供養を終わらす方が多いと聞いたので、私も命日に1年に1度足を運んだきり3回行いその後放置しておりました。 そして当たり前ですが、年々、その自分のした罪の重さに、周りの友達が出産や子育てをしていく中で改めて取り返しのつかないことをした、親としての生きていく価値のなさ、この命の重さを年々理解し苦しくて苦しくて耐えきることができません。体が鉛のように重く、全身の硬直、手の震え、口から我が子の手が出てくるのではないかと思うほどの気持ちの悪さ、息苦しさ、怖さに押しつぶされだんだんと気力がなくなってまいりました。本当に闇の底にいるため、この世の人との差を感じまるで別世界で生きている気がしません。 安産祈願で有名な近所のお寺(中絶当初と同じところ)に再び足を運んでみましたが、夫婦仲良く妊婦姿、また子連れの家族の幸せそうなの中恥ずかしくく、また子供も違う所の方が喜ぶこではないか?水子さんが仲良くみんなで過ごせるお寺さんの方が良いのではないか?と思いもう一箇所別のお寺で供養を行っていただいてしまいました。 ところが「オンカカカビサンマエイソワカ」と唱えれば良いとお教え頂いたのですが、我が家は浄土真宗なのに何か違和感を感じる、先祖と違うところに行ってしまうのではないか…また我が子の霊は2箇所で供養もしてもらいさ迷っているのではないか…再びただただ罪を重ねているだけの自分に苦しく…また浄土真宗は三回忌すぎているし過去帳にも記載することができない…今後一体どうすれば良いのだろうか… 我が子の命の分までと精一杯人一倍生きなければと保育を勉強し試験を受けたりと、人の何十倍何百倍は努力して生きていこうと思い頑張ってきましたが、人間の体はやはり正直でもう気力がありません。死んでも償うことのできない罪を前にどのように前に進めばよいのか、立ち直り方がわかりません。自業自得ですが立ち直ることができません。 長々と本当に申し訳ございません。 またお忙しいところ申し訳ございませんが、お手隙の際にご回答頂ければ幸いにございます。 よろしくお願い致します。