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検索結果: 327件

繰り上げ初七日について

こんにちは。初めまして。 先日、最愛の祖父が亡くなりました。 突然の別れで心の整理がついておりません。 今まで、人の死にあまり直面したことがなく 恥ずかしながら、お葬式や四十九日法要等にどんな意味があるのかもぼんやりとしか知らず 祖父が亡くなってから自分で調べて詳しく知りました。 そこで気になったことがあります。 祖父はお葬式当日に繰り上げ初七日というものを上げて頂きました。 本来であれば、亡くなった日を含めた七日目に行うものだそうですが 今は生きている人の都合に合わせ、繰り上げるのも一般的と目にしました。 ですが、四十九日の意味合いを調べた中で 七日ごとの節目に中陰で故人の裁判を行い 最終的な四十九日の日に故人がどの道へ進むかが決まり、かつ天に召されると書いてあり (四十九日法要で残された側がお経を読むことで、万が一、故人に罪があっても軽くなるので四十九日法要は大切ともありました) その場合、繰り上げ初七日をしたので 数えの四十九日ではなく、7日早く裁判があったり 天に召されるのが早くなったりということになるのでしょうか? もしそうであれば 今まで、自分自身が仏教の教えを忠実としてなかったのにおかしいかもしれませんが 大好きな祖父が少しでも天国で穏やかに暮らせるように 定められた日付を守り、お経を上げ、見送って上げたいのです。 言葉が拙くて申し訳ないのですが ご教示頂けますと幸いです。

有り難し有り難し 35
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2022/05/30

既婚女性と両思いかもしれない

既婚女性と両思いかもしれない はじめまして。 悩みがありますが一人で考えても答えが出ず、悩みが苦しみにも近くなってきているため、ご意見頂きたく投稿させて頂きました。 現在、職場の既婚女性の先輩と仲が良いです。 最初は職場で話が合い、おしゃべりをする程度の間柄でしたが、最近はプライベートでも2人でドライブするなどして遊んでいます。 人に見られてはいけないようなことは何もしていません。 歳が近く、複数の趣味が合い、価値観も合うところがあるためとても居心地が良いです。 プライベートで遊ぶことは旦那さんにも了解を貰った上で遊んでいます。 先輩は旦那さんとは元々お互いに距離は近くない関係性のようで、深く干渉しない同士のようです。 ただ一緒にいる時間が増えるにつれて、本気で先輩を好きになっている自分がいます。 先輩は「自分(相談者の私です)に対してなら何でも話せる」「一緒にいる時間がとても大切」と話してくれるため、そのことの影響もあるかもしれません。 自分とあるいは先輩も含めて、気持ちの通じ合うこの関係、状況に対してお互いがのぼせ上がっているようにも感じています。 ただ本気で好意を持ってしまっている自分の心のもやもやが晴れません。 できるのなら先輩とずっと一緒にいたいとも思い考えてしまいます。 それが倫理的に社会的にどのような意味になるのかも想像はできています。 そのため現実的な考えではないとも思います。 それでも先輩のことを頭で考えてしまいます。 端から見ればくだらない悩みかもしれませんが、頭のもやもやが晴れず、日々先輩のことを考えてしまうのが辛くなってきています。 こんな状況での心の持ちよう、気持の辛さをなくす考え方等ご意見頂きたく存じます。

有り難し有り難し 62
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憎しみと同情心の板挟みで苦しいです

私は最近とある出来事がきっかけで父親を憎むようになりました。 きっと私は父親というものに夢を見過ぎていたのだと思います。 いかに父親といえど唯の人間に過ぎず、間違わない人間などいないように間違わない父親などいないのだと分かっているつもりでした。 20年間正しいと信じていた父親に失望してしまい、あまりのショックにどうしたらいいか分からなくなってしまいました。 事のあらましを書くと大変長くなってしまいますので割愛しますが、要は、家族に対しての暴言・暴力、封建的で自己中心的な考え方。それにより父は度々家族を苦しめます。 幼い頃は疑問に思わなかったのですが、大人になった今、誰がなんと言おうと、「私の父親はクズである」と断言できます。私は父を、家庭の癌、仇、法で裁けない犯罪者だと思っています。それらの認識はこれから一生改まる事はないと思います。両親は離婚が難しいというので、父が死ぬか私が死ぬか、そのどちらかでしか解決しないと確信しております。 一生、許しません。 しかしながら、私の中にわずかに残っている父への情がさらに私を苦しめます。 父は父であり、今どんなにゴミのような存在であろうと、過去に私を育ててくれた事実は変わりようがなく、完全に悪い人であったわけではないので、かすかに同情してしまう部分があります。 父だって婿養子という立場上苦労もしただろう。大病を患い大変な思いをしているだろう。自業自得とはいえ、空気の悪い家に母と祖母と3人暮らすのは居心地が悪かろう。家族に味方がいないのは辛かろう。そんな事を思ってしまうのです。 父が憎くて許せないという気持ちは揺るぎません。 しかし父が哀れだと思う気持ちも本当です。 あんな人間を哀れんでいる自分すら憎く思えてきます。 母のため祖母のため、私は一生父を許す事はないでしょうが、こんな気持ちを抱えて生きていくのは辛いです。 私はどうしたらいいですか?

有り難し有り難し 40
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なぜ人は人を殺してはいけないのか。餓死による自殺について。

 社会や宗教はよく、「人は人を殺してはならない」と説きます。しかし、僕はこの問いに対して自らの内に納得できる答えを出すことが未だできていません。  決して僕自身は人を殺したいとは思いませんが、僕は別に人を殺したいなら殺してもいいと思うし、殺してしまったらならそれは仕方がないと思っております。  よく、自分が殺されたくないなら人を殺すな、だから人を殺してはならない、という回答を散見します。しかし僕はこれに納得していません。その相手が憎くて「殺されてもいいから、殺してやる」と思う場合、人を殺してもいい、ということになってしまうからです。  僕は度々報道される殺人事件のニュースを見ると悲しくなってしまうのです。「なぜ人は人を殺してはならないのか。」この問いに対する真実の答えがこの世のすべての人に知れ渡れば、殺人事件や戦争などという悲しい出来事がなくなると思うし、自殺もなくなると思うのです。  僕は決して殺人を犯した人がいなくなればいいなどとは思いません。殺人を犯してしまった人も、この地球に生まれ落ちた我らが同胞であり、兄弟であり、愛すべき存在だと僕は信じているからです。  そして、僕は生きる苦しみから逃れたい、自殺したいと思っていた時期がありました。自殺も、つまるところ「人(自分)が人(自分)を殺す」という事象に当たると思っています。自殺もいけないことだと真っ向から否定してほしいのです。  僕は生きる悦びを手にし、その生きる悦びを愛しているので自殺することはないと思います。しかし、この地球上に生まれ落ちた愛すべき存在を、殺人や自殺などといった形で失うことを、僕はただただ悲しいと思うことしかできないのです。  また、自殺の方法として餓死を選んだ場合、人は生きる苦しみから解放されるのでしょうか?一般的に自殺は生きる苦しみからの逃げ、だと僕は思っています。自殺の方法として餓死を選んだ場合、それは生きる苦しみと真っ向から向き合うことだと考えています。  近い将来、自分が餓死による自殺をしてしまうのではないか、と不安になる時があります。

有り難し有り難し 32
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