親の言う通りに努力したら失敗
私はオールAの成績を取っても親から「学校のレベルが低いのに何、もっと頑張りなさい」
90点でも「10点たりない」
コンクールで日本一になっても「ただの学生レベルにすぎない」と言われてきたのが印象に強く残っています。
常に「二度と間違えないようにしなさい」
「再発防止策を考えて紙に書け」
「改善策を考えて紙に書け」
と言われて、言う通りに努力しました。
「人の生きる道を教えるのが親の仕事であり、それでないと子どもは犯罪者になる」と言われてきました。
ただ、間違いの起こさない人間などいなかったようで、全ての悩みに改善策を書き出そうと、図書館に通い文献に当たりながら、子どもなりに最善を尽くしましたが、考えすぎて、脳疲労で幻聴が聞こえるまでになり、それで薬を飲まされると、眠くなるし、体も動かなくなり、10年以上半分寝たきりです。
問題を二度と起こさないようにしようとするのをやめる、
対策を立てないのが対策だったのでしょうか?
悩みは解決しなければならない決まりは無かったのでしょうか?
もしかして、成長しようとするのをやめたら、考え事のしすぎで脳が疲れるのは治るのではと思います。
幸せの青い鳥は、青い鳥を探す必要などなく、最初からここにあったのだという結論です。
マインドフルネス瞑想をしているのですが、思考によって解決するのではなく、思考により答えを探し求めなくとも最初から安らぎはここにあったのではないかと感じるようになりました。
10代半ばから半分寝たきりのため、一般教養がありません。
私はずっと、自分を適性のある仕事につけて、成長させ、失敗しないよう努力するとか、人間や社会や自然の仕組みを知ればもう困らないのではないかとか…そう考えてきました。
適性は見つかってきました。
ただ、教養をやり直すかと考えた時、こんな調子で、中年になっても老人になっても改善策のため努力するより、何も知らない自分、人間も社会もわからない自分のまま、再発防止策の探究に没頭するのをやめ、周りの事も見たら、トラブルも減るのではと思っています。
自分の世界に入り込んで常に考えるのをやめれば、教養の勉強にまたのめり込むよりいいですよね?
もしかして幸せの青い鳥は勉強の先にあるのではなく、最初からここにあったのではないかと思うのですが…
有り難し 30
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