幸せになることと、真実を知るということ
真実を知る!ということと、幸せになれる!は必ずしも一致しないと思います。
何故なら幸せとは不幸せと裏表のような関係であり、どちらか一方のみでは成り立たないからです。毎日が幸せだとしたら、それは幸せではなく当たり前に。^_^
真実とはなにか、と言ったときに、それはあまりにも平凡で何も高尚なことはない、そのままの剥き出しのままのこと。。幸せとか不幸とかの判断もそこには介入しません。介入したとしても、それもまたよしですが。
真実を知ること=幸せになることだったら素晴らしいとは思いますが、イコールではないと私は思います。
これを綺麗すぎる言葉であたかもイコールしているかのように言ってしまうとスピリチュアルな探求へ陥ります。
(真実を知ることが愛であり究極の幸せだ、、みたいな)
そして別に衆生はそれ(真理)を求めていないと思います。
もっと、単純に、幸せになりたい。ただこれ一点かと。
そこのところ皆様はどのような視点をお持ちですか?
楽になりたいのなら沢山の手段があります。セラピーでもカウンセリングでもヒーリングでも。
思い込みを外すワークや、思考を客観視するワークなどなど。。
仏教はそういったアプローチも含んでいるように感じているのですが違いますか?
癒しと真理探求は逆のベクトルを指しているように感じたので疑問が湧きました。
どうぞよろしくお願いいたします(*^_^*)
有り難し 11
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