2人目不妊でもう高齢です。 5年前に思い描いていたのは、3歳違いぐらいで子供が2人いて、10年近く住んだ馴染みの駅の近くに家を買って、お金もなんとか将来子供に迷惑がかからないくらいある未来。 5年でなんて遠くに来たんだろう。 引っ越した頃から望んだことは全く叶わなくなりました。 こんなはずじゃなかったのに こんな未来じゃなかったはずなのに 思い描いていた自分と違う今になった時、どう今の自分と環境を受け入れればいいのでしょうか? 今あるもの、授かったものを大切にできればいいのに、頭の中は自分が持っていないものでいっぱいです。
一年付き合っている彼氏がいます。あと一年でうまくいけばお互い一緒に東京に移ります。しかし、東京に住んで、環境が変わったとき自分が捨てられてしまうのではないかと不安です。 もともと女好きな人だったので環境が変わって新しい出会いがあればおそらく心移りをしてしまうと思います。とても不安です。でも好きで好きで仕方ないのでどうしても別れたくないです。 どうすれば彼の浮気心を抑えることができるのでしょうか。
あきらめないようにするには、どうしたらいいのでしょうか? 何度も何度も、同じ事で挫折を繰り返しているのに、学ぶことができません 頭が悪いのが原因です。 目標を決めて、一生懸命、頑張って生きてきたのですが もう、どうすることもできません・・・・ 生きてきて大半、病院で過ごしてきました。 楽しい思い出なんか、ありません・・・ 家族もいなく身寄りもいません・・・ 助言をください よろしくお願い致します。
運命の人とはいつ出会えますか?
凡夫の浅はかな疑問で有りますが、皆さんのお知恵を拝借させて頂いても宜しいでしょうか? 釈尊は「人間が認識出来る範囲の世界に於いては、一切が諸行無常であり、恒常不変なるアートマンは見当たら無い」 と仰られただけで、 人間には認識出来無い、凡そ形而上学的な範疇(死後の世界)に於けるアートマンを否定された訳ではない、 というのは本当なのでしょうか? 確かに釈尊は霊的な事物に関して肯定も否定もされておらず、さながらヴィトゲンシュタインのように 「語りえぬ物には沈黙を守る」という態度を一貫されていらっしゃいます。 その事も踏まえると、釈尊が「ātmanを肯定も否定もされていない。」と云う説には一理あるように思えるのです。 ここで一つの疑問が小生の頭に沸いて出てきたのであります。 後世の仏教(中観派)に於いては明確に「全てが無相であり、何処の世界にもātmanは存在しない。」と定義されております。 龍樹は「無我は釈尊の教えである」という前提に従って、 形而上学的な存在の実在を説いてきた仏教の各宗派をことごとく論破されていきました。 畏れ多い事でありますが、小生には龍樹が「語り得ぬものには沈黙を守る」という釈尊の態度に反しているように見えます。 もちろん形而上学的な不変の存在を仮定した当時の仏教は、なおさら釈尊の態度から逸脱しておりますが、 はたして龍樹の「中観思想」が釈尊の考えから逸脱しているのかどうかは、小生のような凡夫にとって図り難い問題であります。 そこで皆様に質問させて頂きます。 形而上学的な範囲におけるātmanに対して釈尊が不可知説の態度を取られていた場合、 形而上学的な範囲におけるātmanを否定された龍樹の思想は、果たして釈尊の教えから逸脱しているのでしょうか? それとも補完しているのでしょうか? 宜しくお願い致します。
休日はよく神社仏閣をめぐります。 もともと仏教には全く興味がありませんでしたが、 仏様に手を合わせるうちに仏教についてだんだんと知りたくなってきました。 私自身接客業をしてますので、仏教でいうおもいやりの気持ちは大変共感できるものがあります。 ただ、最近某山口県のお寺に参拝した時のことです。 拝顔するのに隣の売店でチケットを買うのですが、売店のお坊さんが愛想が悪いというか、威圧感のある言い方をする人で大変不快な思いをしました。 お坊さんも仏様じゃなくて人間ですので、色々な人がいるのは理解できますが、もう少し下界の人達にも優しく接してほしいものです。 お店じゃないのでクレームもいえませんが、 そういうことがあって私の足がお寺から遠のくのも仏縁だと最近考えるようになりました。 やはりお寺は修行の場であり、全てのお坊さんが人にやさしいと思うことは間違いなのでしょうか?
七月に幼稚園の時両思いだった男性と 18年ぶりに再会し食事に行きました 帰り家まで送ってもらい(^^;;車内で三十分位お話しました。(^.^) 楽しかったです。 その後 二回程LINEしてたのですが 既読スルー。 忙しいのもあると思いますが、(^^;; 最近その人の事を考えないようにしてたのですが先日夢に出てきました 夢に出てきから会いたくなりましたし、 私はその人の事が好きです どうしたら良いでしょうか?
はじめまして つい先日副業にしておりますクラブで禅宗の僧侶の方と知り合いました その方はとても明るく親しみやすい性格の方で、堅苦しいイメージを持っていた私はその方のことがとても気になりました その方は私の住まいの2つ隣の県のお寺にお勤めで、私のお店にはお仕事でたまたま来ていただきました もともと私は神社仏閣で観光、朱印集めや年間行事の参加を趣味にしていたこともあり、またとないご縁だと感じました その方も私をそのまま指名してくださりその日に連絡先を交換して、機会があればお食事を話していたのですが、かなりお忙しいようでなかなかお会いする機会に恵まれません 徳を積まれた僧侶の方が携帯電話に張り付いている様子も想像しづらいので(笑)仕方のないことだと諦めずに連絡をしています その方もお仕事の都合で女性との出会いが無いこと、ご自身が40歳代だということで悩んでおられました、ケラっと笑っておいででしたが(笑) そこで僧侶の方にお訊ねしたいのですが、所謂キャバ嬢と本気のお付き合いってありますか?アリですか? その人のお人柄に惚れてしまったので是非お付き合いしたいと考えています ですがその方と私は社会的に釣り合わないと感じています… 実名でご回答いただく関係上お答え難いことかと存じますが、どうぞお話しをお聞かせください
自分は二十歳を迎えて以来、月日が経つのが早いと思うようになり死というものが怖いと感じるようになりました。 死ぬまでの痛みとか苦しみに対してではなく、死んだあとのことや、本当に大切な家族や友達と永遠に会えなくなると思うとすごく不安になります。 こんなこといくら考えても解決しないとは充分わかっているのですが死というものが怖くなくなる、不安にならなくなる方法や考え方はありますか? よろしくお願いします。
こんばんわ。現在41才サラリーマンです。身内の生き死にや、仕事の迷いなどから僧侶を目指したいという気持ちになっています。 私は仏教系の大学を卒業し、基礎的な学びはしております。 人生の転機としてそれが可能なのか、プロセスなどを知りたくメールしました。ただいまそういう志があるのです。 どうか教えてください。
私のワガママで子どもが居ません。 最近お墓参りに行き、やっと気づきました。大きな過ちをしたのではないかと。 やはり子どもを作らなかったことはご先祖さまたちへの罪ですか?
私の彼氏はアイドルファンです。 付き合う前から知ってはいましたがあまり気にしていませんでした。 ただ、月に何度も握手会に行ったり家にはグッズがダンボールに何箱もあったり、CDも50枚くらい買っていたりアイドルの子の情報をとても嬉しそうに話したりそこまで深くはまっていることを受け付ける事ができません。対象が女の子だからだと思います。電車とかだったら平気です。 そして、私が嫌がる事を知ってから飲みに行くとか、寝ていたとか、出張に行くたびに飲みに行くと言っては嘘をついてアイドルのライブに行っていたことが分かりました。 アイドルは浮気ではないですし、本人も趣味と言います。 でもかわいいと思って観に行くのですしその気持ちが浮気と同じと思ってしまいます。まだ仕事の人とキャバクラに行く、という方が普通の男性として健全と思ってしまいます。 いちど、アイドルはやめた、もう二度とイベントには行かないと言ってくれたので信じていました。そしたらやっぱり嘘ついて行っていました。信じたのに裏切られました。 それでもなぜか私も別れることができずまだ付き合っていますが、あるアイドルの卒業をきっかけにほんとにアイドルを辞めるといってグッズも捨ててくれました。イベントにも行かないといっています。 でもあの時嘘つかれたことがトラウマになって信用することができません。 飲みに行ってくるや、出張の時など特にまたメールで嘘をつかれているんじゃないのかと疑ってしまって信じることができません。 別れれば解決なのに別れることができなくて自分で苦しい現実を作っています。 嘘つきの人が近くにいるのは何か教えられているのか、自分が何かに気付けと言われているような気がして考えていますがわかりません。私が考え方を変えるべきでしょうか。 私が彼を信用できる現実は作り出すことができるのでしょうか。 長くなりましたがよろしくお願いいます。
わたしは人をいじめたことも人からいじめられたこともあります。 普通ならいじめられてイヤな思いをしたら相手にもしないって 考えるのが普通なのに 私は「私だってイヤな思いをしたんだから他の人だってするべきだ」って考えました。 もうバカの極みです、自分がやり返せないのを関係ない子にぶつけて ほんと情けないです。 結局いじめたことでまたそれが返ってきていじめがダメなんだなって 気づきました。 いじめられたこと いじめたこと 両方が頭にこびりついて離れません。 よかったらこんなバカにアドバイスください。
元から寂しがりやではありましたが、最近それがひどく増してきています。 父が五年前に他界しました。とても尊敬していて大好きな父でした。私にとっての父親はその人だけで、私にとっての本当の家族は父と母と私と弟だけだと思っていました。しかし、二年ほど前に母には大切な人ができました。 ずっとふさぎ込んでいた母に大切な人ができたことはうれしいことだと思います。私と弟に優しくしてくれるいい人だと思っています。しかし、どうしてもその人を受け入れることができずにいます。そしてそれが表に出てしまい、母は私のこの態度に対して憤っていると感じます。弟は母の大切な人によく懐いているため、母とその人と弟で旅行に行くことがよくあります。そのたびに自分の好きだった家族はもういないんだ、と思ってしまいます。 母の大切な人を大切にできない自分が嫌いでどうしようもなく、大切にできないくせに寂しいと思ってしまう自分が嫌です。でも毎晩毎晩どうしようもなく寂しくなって涙がとまりません。 このどうしようもない孤独感はどうすれば消えるのでしょうか。
私は、毎日のように学生時代の卒業アルバムを開いたり、自分で書いた過去の日記を振り返ってみては涙してしまっています。なぜかと言うと、今の時代と自分が学生時代の頃の世の中が変わりすぎているからです。 私が一番戻りたいのは大学時代です。大学時代は、同じ学科の仲間や、先生達など素晴らしい人達に恵まれ、充実の大学生活を送ることができました。あの頃は、今の時代みたいに放射能を気にしたり、安保法案で戦争の心配だとかがなかったことが、私の中で凄く大きいです。そんな心配がなかったおかげで、特に大きな悩みもなく、日々を過ごすことが出来ました。 ところが、今の時代は違います。毎日不安ばかりです。 私にはまだ小学生やそれ以下の親戚が何人かいます。こないだ、小学生の親戚と話していた時、こんな小さい子供をこんな世の中に放り投げているような状態に罪悪感を感じ、涙が止まりませんでした。 日本より恵まれない国が沢山あることは知っています。私は、せめて日本の子供達には自分が子供の頃のような今より平和な時代を生きて欲しいです。 私はもう過去の楽しかった記憶も全部忘れて、大人もそうですが特に子供達が生き辛い世の中も認め、現実を受け入れた方がいいのでしょうか。 是非、お坊さんの意見をお聞きしたいです。
私は自分が何故生きなければならないのか理由が分かりません 生物の本能として、と言うのならば人間は増え続けて自分たちの住んでいる地球まで壊し、それでも尚増殖を続けています なら少しくらい減っても良いと私は思います 今回私が言いたいのはそんなことではなく 日々生活をしていると漠然と、「何故私は生きているのか」と言う疑問に駆られます。 人にそのことを話したところ「そう思ったときは寝るのが一番」と言われ、言われた通りに寝ましたが何度寝ても何度起きても心は虚無感でいっぱいです やりたいことも幾つかあり、やってみたりもしましたがそれが私の心を埋めてくれることはなく、何故か更に虚無感の穴は大きくなる一方で頭の中には「死」の文字だけが浮かびます。 「生きることはそれだけで素晴らしく尊い事だ」と言うのを見た事がありますがそれは人間なのでしょうか、それは人間でなくても出来る事なのではないのでしょうか、では私が人間として生きる意味など無いのではないでしょうか。 生きる目的も見いだせずにいる私の生きる意味とは、何なのでしょうか。
私の実母は本当に手に負えません。 娘が嫁いでも子離れできず。自分の考えややり方を押し付けて来ます。 実母からすれば義実家と旦那は娘を取った憎い憎い相手で一般的な親戚付き合いや孫に対しても何もしてくれません。 することは娘が居づらくなるような行動ばかり、たしかに寂しいのでしょうね。 非常識な行動や義実家や旦那が嫌いでも社交辞令的に最低限付き合ってくれれば、義両親とも旦那とも私ともうまく行くのに、母のやる事ですべて壊しました。 最近はエスカレートしすぎで義実家への非通知電話や電話で義母に攻撃してきたり、旦那には坊さんができなくなるように東京別院へ相談する。など話して脅迫まがいな発言をしてきたりと、(別院には、そういう変な人が行くかもと話しておきました。)ほとほと困り去年と引き継ぎ警察に相談しました。 警察の相談員さえ、呆れてしまい。相談に乗り切れないし解決策が思い当たらない。となり、ひとつは手として親戚の人に話してもらうのも手だと言われ話してもらいましたが、いかにも自分が被害者よ!的な発言で親戚のおばさんもあまりに非常識だし、なぜそんなことをするのかわからない、引き継ぎ母を見守る。事になりました。 旦那も義両親も私もほとほと困ってます。私としても困ってます。関わらなければ夫婦喧嘩もなく幸せなんです。母からの嫌がらせがこのまま続くと夫婦関係もいずれ壊れてしまいます。 母にわからせるにはどうしたらよいでしょうか? 追記 それぞれの考えはあると思いますが、合に行けば合に従えで、それなりにおとなしく付き合ってくれればいいと思います。 母は会いたがっているようですが、義両親も旦那も私も会いたくありません。 妊娠の話もしていなく、する必要がないので!会えば、話がめちゃくちゃになるし、義両親も旦那もよく思いません。ヘタしてら離婚になります。 それくらいに嫌がられているのがわからない人なんです。
何度も申し訳ございません。御回答頂ければで結構です。 甘えた発言ですが、もう人生に疲れてしまいました。 自分の成した悪があまりに多すぎて、また期間も長すぎて今後、善をどれだけ成しても、もう追いつかない程、今まで悪を成してしまいました。 「仏の顔も三度まで」と言うので、当たり前の事なのですが、一体何故このような人生になってしまったのか、どこから歯車が狂ってしまったのか、なぜ抜け出すことができずにこの様な、情けない人生を送ることになってしっているのだろうか。 仏様にもさすがにもうしらん!と見放されている感覚で、もう手遅れ…という言葉が頭から離れず気がつけば、何をしているのだろうか…と泣くことしかでかません。 働くこともせず、30歳を前にし派遣で2年程しか働いたこともなく、転職を繰り返し、一体今まで何をしていたのだろうか、人生が一体どうなっているのだろうかと…と悔やみ、責めるばかりで出口が見えません。 甘えてばかりいてはいけない!甘ったれていてはいけない!!と思うのですが、もう手遅れ…という言葉が頭から離れず、その気力ももたず、だんだんと死を連想してしまうようになりました。 もういつの頃からか、自分の人生をしっかりと歩んでいるという感覚もなく、頭と心とからだが常にバラバラで、自分の人生なのに、自分でもどうすればよいのかわからなく、受け入れることも出来ません。 ただただ今までの人生を振り替えって、吐き気がするだけで、これから頑張らないと!と思ってももう遅い、手遅れだ…と気力が持ちません。どうすれば頑張り続けることが出来るのでしょうか。 仏様からも見放されているし、本当に生きていけないのではないか…死にたくはなかったけど、死ぬしかないのではないか…行き止まりではないか…と頭から離れず自分でもうどうしていいかわからないので、情けないのですが投稿させて頂きました。 お忙しい中申し訳ございませんが、御回答出来ましたらどうぞよろしくお願い致します。
実母(70歳、関西在住)は専業主婦で、私(39歳)のことをとても大切に育ててくれました。私が国際的な仕事をするのが夢だったので、海外留学や、大学院へも進学させてくれました。おかげで某国際機関に就職することができ、上京して現在に至ります。ここまでは母の夢でもあったので、母も喜んで自慢の娘として仲良くやってきました。 私は昨年結婚しました。夫は中央官庁に勤める国家公務員です。しかし、結婚するに際して母の猛反対がありました。 理由は彼の年収(5-600万)が少ないこと。あと実家が田舎の兼業農家であること。ちなみに母が望んでいた結婚相手像は、ご実家が裕福なもっとハイスペックな方だそうです。 あと、両家顔合わせをした時に、夫の父親が母の気に入らない事を言ったためです。その場は何とか母も抑えましたが、その後、母は烈火のごとく怒りました。 それでも私達の意思は変わらなかったので、最終的には結婚を許してもらえました。初めは母も落ち着いてよかったのですが、最近また荒れるようになりました。 私が結婚してみじめになっているのを見るのがつらく毎日苦しいから、自殺するだの、夫にも直接、お前なんかと結婚するはずじゃなかった、甲斐性なしだの罵詈雑言を叫んでました。 どうしてもあの父親が許せない、そんなところに嫁に行った私のことも許せないと激怒しています。 そして、私をこんなところに嫁にやるために留学させたり大学院に進学させたんじゃないから、それにかかった費用500万円を返還しろ、縁を切ると言ってきました。 今までは親の反対を押し切って結婚したのだから、全て自分の責任だと受け入れてきましたが、ここまでひどく追いつめられると、私も夫も参ってしまいます。夫は私を大事にしてくれるしとても幸せですが、いくらそう言っても母は理解しません。 私の両親は姉夫婦と孫2人と関西で同居しており、最悪、縁を切ることになっても、両親には姉夫婦が付いていてくれます。もしそうなったら、遺産放棄して全面的に姉夫婦に譲るつもりです。 親と縁をきるなんて、こんな親不孝なことはないと思います。 どうしたらいいのかと思い悩み、相談させていただきました。よろしくお願いします。
現在まで、酷い虐めに遭ってきました。 人を許すにはどうしたらいいでしょうか? フラッシュバックで眠れません。 気持ちが落ち着く、助言がほしいです。 ご伝授よろしくお願い致します。