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検索結果: 9968件

仏様っている?

以前、何度か質問させていただきました。 私は信仰心が強く、仏様を信じています。 でも、祈って病気が治るならみんな死なない と言うようなご回答をいただきました。 ごもっともだと思い、見返りを求めていた 自分を反省しました!そして私は心配性です。 別の質問をしたとき、仏様を信じているから このままではいけないと、仏様がハスノハへ 導いてくださったのです。とご回答を いただきました。携帯を変えたので質問が 残っているかは確認してません。 このハスノハでたくさんのことを勉強 させていただきましたが、結局物事は なるようにしてなり、起こるべくして起こり、 現実をどう受け止めるか。なのかなと。 仏様を信仰しているのはただ人が仏様を 信仰することでいいことをした気分になり 救われるような気がするからで、 その後いいことや悪いことが怒っても 仏様の力でもなんでもなく、ただ起こるべく して起こっただけなのかなと思うようになりました。私は祖母に小さい時から仏様に 手を合わせなさい、朝起きたら朝日に向かって 手を合わせ世の中の人の平和を祈りなさい、 そうすると心が穏やかになるんよと 言われて、できるときはそうしてきました。 小学生でひいおばあちゃんが亡くなり、 ショックで落ち込んでいると般若心経を 覚えなさいと言われ、毎日写経しました。 何年か経ち、私が祖母の部屋でなんとなく 写経していると、もう1人のひいおばあちゃんが 亡くなったと連絡がきました。 私が写経している間に眠るように亡くなった そうで、祖母が、ひ孫のお経で逝ったんやね と言っていました。他にも亡くなった人や 仏様との結びつきを強く感じることが 小さいころからたくさんありました。 その度に私は感謝し、手を合わせました。 つらいことが怒っても仏様なんかいない! とは思ったことはなく、どう乗り越えるか 私が強くなるための試練を与えて下さってる と信じて超えてきました。 でもハスノハで仏教のことを いろいろ教えていただきましたが、 現実を見せられた気持ちになりました。 仏様なんか!とかではありません。 私が信じてきた仏様はいないのですか? 人が勝手に仏様と結びつけているだけで。 そう思うと、手を合わせる意味がわからなくなってしまいました。仏様なんか!とかそうではなく、純粋に混乱しています笑 複数ご回答いただけると嬉しいです!

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母親失格 息子への接し方がわからない。

先日は、悩みに答えて頂きありがとうございました。 今回 息子への接し方についてお答え頂けたら幸いです。 私には、9歳6歳の二人の息子がいます。 長男は、今は反抗期に入ったのか私の言う事は、全くきいてくれません。そればかりか、うるせー!だまれ!ママなんか消えろ!死ね!うざい!などと酷い言葉を吐きます。 私がガミガミ言い過ぎてしまう事もあるかもしれません。二人の息子は主人が仕事で居ない日は天国なのか 戦いゴッコを始め 夜でも ドタバタ騒ぐため、近所迷惑だからと 叱り 注意をしますが、馬耳東風 馬の耳に念仏 そんな、息子に手を挙げてしまう事もしばしば。 しかし、息子は、そんなの全く どこふく風 私の言葉など 少しも届きません。 主人の言う事は、ちゃんと聞きます。 なので、主人から注意をしてもらおうとしますが 子供の躾は母親の仕事だろ。 自分でなんとかしろ。 と言われてしまいます。 おまえの言葉には、刺があるから、余計反発するんだ。 だから、もっとしっかりやれ。と言われ 確かに、子供に 苛々させられ 子供を傷つけてしまう事を 言ってしまいった事もあり その度に 後悔 寝顔に謝る しかし、翌日はまた繰り返す。 そんな、自分は母親失格だ。こんな私に育てられて 息子は幸せなのか?私をふかく恨むのではないか? もっと愛してあげたい。愛している気持ちをわかって欲しい 気持ちと、息子に苛々する気持ちが錯誤してしまい 結果 怒りが勝ってしまい 息子を怒鳴ってしまう。こんな大声出したくない こんなキツい言葉言いたくない 反発し、生意気な口を聞 少も言う事を聞かない息子に 結局 怒り 手が出てしまう。 怒るではなく叱る。私のしている事は怒り。 ただ苛々したストレスを息子に発散しているだけなのは わかっています。 息子に今後 どう接すべきなのでしょうか? 悪ふざけをすり息子 汚い言葉 特に死ね!と言う息子をどうに、諭したらいいのでしょうか?叱り方は? 長文ですみません。良いアドバイスお願いします。

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死後の世界観

 初めまして。  私は、横浜で会社員をしている伊藤と申します。先日、テレビでこちらのサイトが紹介されていまして、仏教の教理に関して長年疑問に思っていたことがありましたので、質問させて頂こうと思い書き込みを致しました。  私は、大学生のころから仏教に興味を持っておりまして、仏教に関する本をいくつか読み、修行の真似事もさせて頂いたことがあります。仏教との出会いは、私の人生の中で非常に貴重なものでした。これからも、修行を重ねていきたいと思っています。  ただ、その中で未だに釈然としないことがあります。それは仏教の説く「死後の世界観」がなぜ宗派によってここまで大きく異なるのか、ということです。  仏教では、もともと「輪廻からの解脱」が一番の目的であったと聞いています。それが、現代の仏教では死後の世界観について「極楽浄土で仏弟子となる」といった立場や、「死後のことなど考えず、今を生きる」といった立場など、様々に分かれています。  私は、どうしても理屈っぽいので、このように死後の考え方が異なっていることに疑問を感じてしまいます。例えば、「極楽浄土に行けるなら、今は努力せず楽をしていた方が良いではないか。」と思うこともありますし、「死後の輪廻転生を否定するなら、そもそも修行する必要さえないのではないか」と思うこともあります。  先日、上座部仏教のお坊さんの著書を拝読して、私の考えに近いことが書いてあって共感を覚えました。そのお坊さんは、「死んですぐ極楽浄土に行けるのなら、どうして早く自殺しないのでしょうか。」といったことや、「輪廻転生が無いなら、どうして修行する必要があるのでしょう」といったことを述べておられました。  もし、輪廻転生があるのであれば、私もなるべく善行をしようと努力すると思います。逆に、輪廻転生がないと考えると、やる気を削がれ厭世的な気分になってしまいます。  人間がこのような気分になることを見越して、お釈迦様は死後の輪廻を説かれたのかもしれません。しかし、今の私にはそれ抜きで前向きに生きる心構えを持つこともまた難しいです。また、死後の輪廻を否定するならば、自殺を否定することもまた難しくなるのではないでしょうか。  こういった点を、お坊さんはどう考えているのか、どうしても気になったので質問させて頂きました。失礼なことを伺ってしまい申し訳ありません。

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