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hasunoha 問答検索結果 : 「娘 死 心配」
検索結果: 173件

何の為に生きているのか

何の為に生きているのか、わからなくなる時があります。 後継の為に生まれたのか、自分の人生とは何か、眠れなくなるほどです。 何故、後継の話が出てくるのかというと、私の実家はお寺だからです。 特に、ここ数年は私が後継として見られるようになりました。 私には男兄弟がおらず妹が二人だけなので、後継として見られるのは自然なことだと思っており、またそれを受け入れているつもりでした。 そんな中で、私は後継の為だけに生きているのかという思いが出てきました。 理由として、周囲の友人が次々と結婚し出したのもあり、自身の結婚を焦っていること、また、難病を発症してしまい、妊娠・出産できるかわからない身体となったことです。 もし結婚できなかったら、もし子どもが作れなかったらと思うと、後継としての意味が無いのでは?と思い悩んでいます。 それでも、まだ若い妹たち(学生)に実家を任せる訳にはいかず、ましてや実家を手放す気にはなりません。 私は何でお寺に生まれたのかと思う始末です。 これも運命ならば仕方ないのですが、今後をどうしても悲観的に考えてしまいます。 家族には迷惑をかけると思うと相談できず、自分でもこんなことで悩むなんて…と泣けてきてきまいます。 長々と申し訳ありません。 少しでも心を軽くできたらと思い、投稿ささていただきました。 よろしくお願いいたします。

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妻の遺骨を妻の実家のお墓に納骨することになりました・・・

申し訳ありません。これで三度目のお願いです。自死した妻の49日に納骨をすることになったのですが、当初私の菩提寺に納骨をすることになっておりましたが、義父から「実は死ぬ前に電話があり、離婚することになった。私はお母さんのお墓に入りたい。」と最後に電話があったそうです。 過去2回ご質問をさせて頂いた際、最後の晩、私はお酒を飲んでおり妻に「死にたい。」と言われた時、怒ってしまいました。鬱病の事を忘れてしまいました。うかつでした。 しかし、その後離婚をしたいくらいのことは、夫婦喧嘩の時は普通にあるかと思うのですが、その様な話をしました。 ※ これ以外に妻の子供のことの話をしましたが、内容まで殆ど覚えていません。 しかし、離婚話は本気ではありませんし、離婚するつもりもありません。その後の話の内容を本当に覚えていないのです。ですから非常に苦しいのです。 しかし、自死する前に鬱病の薬とお酒(血中アルコール濃度0.80㎜)を飲んで正常な判断ができるとは思えませんが、義父に妻の最後の言葉だから叶えてあげたいと言われました。私もやむを得ずこの話を菩提寺のご住職にお話をし、ご納得を頂きました。 妻の実家のお墓は、一般の宗派不問の霊園です。 妻の実家と宗派が違います。位牌は私が護ります。私が死んだら菩提寺のお墓に入ることになります。この様なケースはあるのでしょうか。 昨晩、義父に「私の菩提寺ではダメですか。」と電話で伝えたのですが、既に親戚に沙汰をしてあるし、いまさら変更できない。それに娘の最後の言葉だから。と言われると言い返せません。妻の納骨先は、仕方ないと思います。 酒を飲んで何を言ったのか覚えていない罰として受け入れるしかないと思っています。ただ、夫婦で同じお墓に入れないのは辛いです。私としては、再び巡り合って一緒になるつもりでいますが、それが叶わなくなってしまうのではと不安になってしまうのです。 妻を愛しています。だから最後の言葉を尊重するしかないと思います。私の質問は、夫婦別々のお墓に入っても、あの世で再び結ばれるのでしょうか?妻にもう一度再会して、謝罪したい。そしてもう一度夫婦になりたいと心から思っているのです。 申し訳ありませんが、あくまでも納骨先を妻の実家のお墓ということでご回答を頂ければと思います。これで3度目の質問で本当に申し訳ありません。

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恋人が飛び降りて亡くなりました。

8年お付き合いしていた恋人が亡くなりました。 私の自宅付近の橋から飛び降りたらしいです。(事件の可能性もあると捜査がされているそうです) 彼は、自宅に帰らず車上生活をしていました。少々複雑な家庭でした。時々は自宅に行き、自分宛の手紙を回収したり、母親と話をしていたと、生前彼から聞いていました。 元々は仕事時間や職場が重なっていたので、極力一緒にいるようにしていました。ほぼ毎日会って、生活もできるだけ重なるようにしていたつもりです。 2019年に私の父が事故で入院し、年末に私が仕事を辞めたことで生活サイクルがずれました。後に私は昼間の仕事に就き、彼は夜勤の仕事を続けていました。 一緒にいる時間が減り、会ってもずっと一緒にいることが難しくなりました。 昨年の秋に、彼が仕事を辞めました。 身体が動かなくなってきて、今まで出来ていたことを続けるのが難しくなってしまったこと。それに伴い勤務時間を短縮され、給与が減ってしまうこと。時間短縮の結果、社会保険が適用されなくなること。 などが主な理由でした。辞めること自体はわたしも聞いており、理解していました。次の仕事は探していたと思いますが、具体的に行動はしていなかったようです。 今年に入ってから、更にすれ違いが増えました。 娘のこと、両親の介護のことで私がしなければいけないことが増えてしまったことで、彼まで気を回せなくなってしまったのです。 飛び降りた日の5日位前に偶然会いました。 いつも通りの様子でした。 先月末から彼の携帯は止まっており、ほぼ連絡が取れなくなっていました。いつも車を止めている場所は知っていたので、私が急ぎ帰宅せねばならなかったこともあり、少し話をして別れました。 その2日後から全く連絡が取れなくなりました。 車も見当たらなくなりました。 あのときにちゃんと話をしていたら、一緒に食事にでも行っていたら。 手持ちがないのも推察できたのに、少しでもお金を渡していたら。 もっと探していたら。 なにも言わずに彼は居なくなってしまいました。 どうしてちゃんと話さなかったのか、すぐ会いに行かなかったのか。 もっとどうにか出来たかもしれなかったのに。 亡くなったと聞いてからずっとどうしたらよかったのかと頭の中が纏まらないです。苦しいです。 ごめんなさい、うまく言えないし何を相談したいのかも良くわからない内容です。

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老いること

こんにちは。宜しく御教授お願いします。 父の死後、九州で一人暮らしを続けていた80歳の母が身体的にも介助が必要になり、認知症らしい言動も出てきている為独居は限界と判断。私も兄も関東に住んでいる為、関東の施設入所して貰う事になりました。 離れている為、近くにいてもらった方がいいと思ったからです。 受診、入所先探し、転居の手続き、親戚への挨拶、荷物の送付、入居準備全て私が行いました。 後は、住んでいた九州の実家の片付けがあるのですが、かなり家財道具がある為大変です。 兄に相談しましたが、手伝ってくれる気は無さそうで、当然私がやるものと思っています。 その事で、喧嘩もしました。私は充分やったし、これ以上の負担は身体的、精神的に無理です。 母の認知症は、まだまだ軽い方ですが、以前と違う母といることがとてもつらく、ストレスを感じます。 冷たい娘とお思いになるかもしれませんが。 母は本当はずっと、生まれ育った町で暮らしたいようです。私達の為に、入所してくれるんだと思います。 そんな母を見ていると、本当にこれで良かったんだろうか?と思ってしまいます。兄弟で揉める姿も、見せたくはないです。 私はケアマネの仕事をしていますが、自分の親の介護については考えていませんでした。敢えて、考える事から逃げていたとも言えるかも知れません。利用者さんの御家族が、介護の負担分担で揉める姿を散々見て、悲しい気持ちになっていました。まさか、自分がこんなことになるとは。お恥ずかしい限りです。 私は 子供が出来ない身体ですが、たとえ子供がいても老後は決して安泰ではないのですね。 人は生まれて、それぞれ一生懸命その人の人生を生きて、老いていく。 やっと、ゆっくりと人生の最期の時のためにのんびりと穏やかに暮らせる時間が来たのに、子供たちは世話のなすり付け合い、生まれ故郷から離れての生活。 老いることは悲しい事でしょうか。 私達は、人生の最期の時期をお手伝いする仕事ですが、どんな人にも最後は幸せでいて欲しいと願って仕事をしています。御坊様は、本当の最期のお見送りをするお仕事だとおもわれますが、人の老いについてどのような考えをお持ちでしょうか。 私事の相談のはずが、話が大きくなってしまい申し訳ありません。

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亡くなった次女はどうしてるのでしょうか

はじめまして。 今年女の子の双子を出産し、生後3ヶ月で1人を亡くしました。 妊娠中から様々なトラブルに見舞われ、緊急帝王切開で早く産まざるを得ませんでした。 かなりの早産だったため、2人とも1000g満たない小さな赤ちゃんでした。 出産直後は誕生してくれた喜びよりも、こんなに小さく産んでしまった自分を責め、この子達は無事に大きくなれるのだろうかという不安でいっぱいでした。 2人ともNICUでしばらくお世話になったのですが、長女はすくすくと大きくなり2ヶ月ほどで退院することができました。 次女はなかなか思うように大きくなれず、手術も何回も繰り返し、結局NICUを出ることなく亡くなってしまいました。 次女が亡くなった直後は、生きている長女のためにも頑張らなくちゃという気持ちで無理をしていたのかもしれません。 しかし、四十九日を過ぎたあたりから実感が湧き始め、慰めのつもりでかけられる言葉が胸を突き刺さるようになりました。 今では人に会うことが怖くなり、外に出ることもできなくなってしまいました。 元気に育ってくれている長女のためにも、一生懸命生き抜いた次女のためにも、私はしっかりとこの世を全うするつもりです。 しかし、毎日次女を思っては涙が止まらないんです。 何で他の赤ちゃんではなく次女だったのか。 私には2人を育てる器量がなかったのだろうか。 何でもっとお腹で大きく育ててあげれなかったのか。 一人で寂しくしていたらどうしよう。 いつも私たちと一緒にいてくれてるのだろうか。 また会えるのだろうか。 こんなことばかり考えてます。 次女を亡くした悲しみを乗り越えるつもりはありません。 乗り越えたいとも思いません。 ただ次女がどうしているか知りたいんです。 お願いします。

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つまり私は普通じゃない

容姿などの見た目で判断されることにコンプレックスを感じ悲観的になっている人は結構いるみたいだけれど 世の中には見た目で判断出来ない人もたくさんいるのであまり自信を無くさないで欲しいなぁと思う 私は近視だけど見えない訳ではない 見えているので見た目もそれなりに分かる でも人には目判断や耳判断があり 私は後者の方 見た目で人を判断するのが苦手 ほとんど声で人を判別している なので「百聞は一見にしかず」じゃなく 「百見は一聞にしかず」となる 大変失礼ながら せっかくお坊さま方が写真を掲載されているけれど 正直みんな同じに見える 一生懸命みんなの特徴を探して覚えようとしてはいる でも正直みんな同じに見える 大して変わらない みんなお坊さまだ 多分お坊さまだ 少数派かも知れないけれど 多分そういう人もいっぱいいると思うから 必要以上に見た目にコンプレックスを感じなくても大丈夫なんじゃないかなと思っている 磨くならやっぱり中身 私も中身には全然自信は無いけれど なんとかせにゃならん!といつも思っている せっかくいただいたアドバイスは大切にしたいし 出来る範囲内にはなるけれど精一杯努力したい あ"~!!!とか思うこともあるけれど それでもまた私はhasunohaのお坊さまに会いに来る ここでは耳判断は役に立たないし 目判断も出来ない そういう面では不便だけれども いろんな考えのお坊さまがhasunohaには揃っているだろうと信じているから またあきらめもせずめげることなくやって来る 私は不完全な人間です 完璧にはなれません 目指せ普通!です でも普通にもなれないみたいです 『普通って何なのでしょうか?』 それが質問になります みんな持っているものさしは違うはずなのに 親に「もっと普通にして!」と言われてしまいます 『普通って何なのでしょうか?』

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「心を込めた行動」とは?

最近、知人と議論しているのですが、結論が出ませんのでご意見お願いします。 毎朝のお勤めとして、「仏壇にご飯・お茶・お経をあげています。 それは母の代わりであり、ご先祖様への感謝とかの心を込めての行動ではなく、義務的なことです。 知人いわく、 「心が入っていない義務的な行動ならば、悪縁を結ぶことになり、やらない方が良い」と言います。 何かの法話で、 「多くの寄付もしているし、これだけ信心深い私には、どれだけのご利益があるのか?」と質問した人に対して、お坊さんは「無い」と応えた。 と聞いたことがあります。 私としては、その法話も納得だし、義務的なお勤めに何かのご利益とか功徳とかを期待もしていないし、望んでもいません。 ただ単に、「母がやりたいけど出来ずにいるストレス」を軽減するためだけです。「今日もちゃんと仏壇にお供えしたよ」って言うためだけの行動です。 しかし、利益・功徳などのプラス効果は期待していませんが、「悪縁を結ぶ」「罰が当たる」などのマイナス効果になるとまで言われると、気になります。 理想的なのは、「心を込めた行動」でしょうが、「行動しない」よりは、「心が入っていない行動」が良いと思うのは、間違いなのでしょうか?

有り難し有り難し 31
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