hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
問答一覧
検索結果: 1791件
2023/01/21

神仏の経済的な消費について

お尋ねして良いものか悩みましたが、本職の方のご意見をお聞かせ願いたいと思い投稿しました。 お寺や神社への関心が経済的に消費されていることがどうしても受け入れられません。 とても嫌な言い方になってしまいますが、 パワースポットだ何だと聖域を土足で踏み荒らし、信仰するつもりもないのにその恩恵だけは受けたい利己的な人々。 スタンプラリーのように自己の収集欲を満たすためだけに御朱印を集めてまわる人々。 過度に美化された歴史上の人物や神々のキャラクター化。 大河ドラマなどに代表されるような、経済効果ばかりに目が眩む自治体や企業。 大多数の人はそんな事気にしないでしょう。これは私の認識の問題であって、自分が一方的なものの捉え方をしている事は理解しています。 でも、歴史って、信仰って、人の生きた証って、そんなふうに扱って良いものなのでしょうか。まるで見世物の様に経済的に消費されている様に感じてしまいます。 需要があるから供給されているという事はわかります。お寺や神社に多くの人に来てもらえるように所有する文化財や偉人との関わりを宣伝、アピールしていらっしゃる事も重々承知しております。拝観料などは支払って当然とも思っています。 そう言った事ではなく、自己の欲望のために喧伝・消費するような行動に、嫌悪感を覚えるのです。 法隆寺に参拝した際、夢殿にてご老人が何やら怒鳴っていました。 「救世観音が見られないとはどういう事だ!その為にカネを払ってるんだぞ!カネ返せ!」と。 何処かの檀家さんなのでしょうか、そのご老人は輪袈裟のような物を身につけていました。ある程度日本のお寺に詳しければ、救世観音像が秘仏である事は知っている筈です。知らずとも、金を返せと怒鳴り散らすなど言語道断です。 この時感じた猛烈な嫌悪感が、ずっと心に刺さっています。 このご老人を責めたいわけではありません。ただ、大げさとは思いますが、この出来事が信仰のある人にとって神聖なものや、歴史的価値のある物に対する、今の日本人の扱いの縮図に思えてなりません。 繰り返しになりますが、これは私の認識の問題です。苦しみの発生源は私自身の心です。いわゆる"無宗教"の一個人の考え程度に受け取って頂いて構いません。 誰も悪くありません。誰も間違っていません。ただどうしてもやるせなく、哀しいのです。自身の狭量に恥じ入るばかりです。

有り難し有り難し 23
回答数回答 3

恋愛に対する不安と因果応報について。

初めて、質問をさせて頂きます。空回り小僧と申します。 私は現在30歳で、遠距離恋愛をしております。相手は22歳の大学生。年は離れてはいますが、将来は結婚を約束しており(口約束ですが…)、半年の付き合いです。その彼女は非常に明るくて活発なタイプで、同性異性を問わず友人も多く、活動的な子です。私もそこに惹かれて、お付き合いをさせていただいております。 ところが最近、彼女の友人の一人「A君」と彼女の関係が不安になっています。A君と彼女は非常に仲が良く、いつも一緒に行動しており、二人だけで遊びに行く、旅行に行く、同じ布団に寝る、酔ったらキスをせがんでしまう…。など、「友達以上恋人未満」の関係の二人であることを知らされました。(←彼女自身がこう言いました。けれでも、今まで一度も肉体関係はないそうです。) 私は彼女には色んな経験をしてもらって、視野を広くもった人になって欲しいと思っているので、束縛はしたくありませんが、この関係は正直不安です。ただ、彼女の恋愛観は「彼氏よりもA君が大事」といっており、言えば私たちの関係は終わります。彼女に対して、「A君と付き合う選択肢は今まで無かったの?」と聞いてみたところ、「付き合うという気持ちはない。今の関係が一番良い」と言います。4月には二人が社会人になり環境も変われば、関係も変わるかと期待して、それまで辛抱して様子を見ることも考えています。それでも時々、彼女の倫理観や貞操観念を疑ってしまい、信じることが出来なくなりそうです。毎日がどうしようも無く不安だけれども、彼女にはこの思いをぶつけることは出来ない…。彼女は今まで出遇った女性の中で、初めて自分から結婚したいと思っているほど好きなのです。どんなことがあっても別れたくはありません。 私はどんな心持ちをすれば良いのでしょうか?どんな考えを持てばいいのでしょうか? また、彼女には私という彼氏がいることはA君も知っています。その私が、聞けば悲しむような行動を軽々しくするA君の考えが理解出来ません。 「人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んでしまえ」ではありませんが、彼の行動に対しての因果応報として、罰は下ることはあるのでしょうか?というか、罰を下して欲しいと願うのは間違っているのでしょうか? 仏教の教えは、一切皆苦。これをありのまま受け入れろとは、厳しすぎます…。

有り難し有り難し 141
回答数回答 5

死後の世界観

 初めまして。  私は、横浜で会社員をしている伊藤と申します。先日、テレビでこちらのサイトが紹介されていまして、仏教の教理に関して長年疑問に思っていたことがありましたので、質問させて頂こうと思い書き込みを致しました。  私は、大学生のころから仏教に興味を持っておりまして、仏教に関する本をいくつか読み、修行の真似事もさせて頂いたことがあります。仏教との出会いは、私の人生の中で非常に貴重なものでした。これからも、修行を重ねていきたいと思っています。  ただ、その中で未だに釈然としないことがあります。それは仏教の説く「死後の世界観」がなぜ宗派によってここまで大きく異なるのか、ということです。  仏教では、もともと「輪廻からの解脱」が一番の目的であったと聞いています。それが、現代の仏教では死後の世界観について「極楽浄土で仏弟子となる」といった立場や、「死後のことなど考えず、今を生きる」といった立場など、様々に分かれています。  私は、どうしても理屈っぽいので、このように死後の考え方が異なっていることに疑問を感じてしまいます。例えば、「極楽浄土に行けるなら、今は努力せず楽をしていた方が良いではないか。」と思うこともありますし、「死後の輪廻転生を否定するなら、そもそも修行する必要さえないのではないか」と思うこともあります。  先日、上座部仏教のお坊さんの著書を拝読して、私の考えに近いことが書いてあって共感を覚えました。そのお坊さんは、「死んですぐ極楽浄土に行けるのなら、どうして早く自殺しないのでしょうか。」といったことや、「輪廻転生が無いなら、どうして修行する必要があるのでしょう」といったことを述べておられました。  もし、輪廻転生があるのであれば、私もなるべく善行をしようと努力すると思います。逆に、輪廻転生がないと考えると、やる気を削がれ厭世的な気分になってしまいます。  人間がこのような気分になることを見越して、お釈迦様は死後の輪廻を説かれたのかもしれません。しかし、今の私にはそれ抜きで前向きに生きる心構えを持つこともまた難しいです。また、死後の輪廻を否定するならば、自殺を否定することもまた難しくなるのではないでしょうか。  こういった点を、お坊さんはどう考えているのか、どうしても気になったので質問させて頂きました。失礼なことを伺ってしまい申し訳ありません。

有り難し有り難し 73
回答数回答 5

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る

お坊さん33秒法話ピックアップ