hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

「老病死」を含む問答(Q&A)一覧

父の死が頭から離れません

はじめまして。 昨年の12月に父がなくなりました。 その日の午前まで一緒に居て、出掛けてその日は帰らず、次の日に電話をしたら出なかったのでどうしたのか、と実家に行ったらお風呂場で倒れている父を発見しました。 一生懸命心臓マッサージをしながら、もしかしたらもしかしたら、と思いながら必死で叫び、冷たくなっている父に何度も声をかけました。 しかし、半日は経っているとその後医師の方から言われ、ショックのまま父を見送りました。 それから半年以上経ちましたが未だにあの時の光景や、自分の行動を思い出して苦しくなります。 夜、フラッシュバックを起こしたり、父が1人で逝ってしまったこと、それを私がさせてしまったこと、、 もう父は戻っては来ないとわかっていても、どうしてあの時、、と思ってしまいます。 そして、あの時のことを思い出すとまた同じようなことが起こるかもしれない、自分も近いうちそうなるかもしれない、という恐怖も感じて押しつぶされそうになります。 父が倒れていたお風呂場にもあまり近づけず、実家に帰りたい気持ちもありますが、あまり前向きにもなれずにいます。 この気持ちはいつか、思い出として、私の中で消化出来る日が来るのでしょうか。 本当に本当に大好きでたまらなかった父がこの世にいない事も現実として受け止められない時もあります。 これからどうしたらいいのでしょうか、、教えてください。

有り難し有り難し 35
回答数回答 1
2022/10/31

父の死がつらいです

こんにちは。こちらで相談させて頂くのは3度目になります。 父親が亡くなり、非常につらいです。 現在私は県外に嫁いでおり、臨月の妊婦です。 親戚よりは「あなたが無事に元気な赤ちゃんを産むことをお父さんも願ってるよ」と言って頂き、大事をとって葬儀などは欠席し、お腹の子に障るといけないとなんとか気を紛らわせて過ごしている状態です。 私と父はどちらかと言うとそこまで良好な関係ではなかったかもしれません。 楽しかった記憶も多いですが、学生時代は父に不快な言葉をぶつけ、激しい言い合いになることが多かったです。 私が大人になり、進学や結婚で実家を出てからは冷静になれ、少しずつ上手く父と関わる事ができるようになっていきました。過去に父と衝突した時の事を今思い出しても、「あれは子供に言う言葉じゃなかったな」などと思う事もあり、父に腹を立てたり恨みもした事もありましたが、 私は母を早くに亡くしており、推測ではありますが父も父親としての自覚が芽生える前に1人で父になったような形で、私との関わり方がわからなかったのかな?父も1人の人間だし、限界があったのだろうと今では思います。 そんな父ですが、同居する両親(私から見て祖父母)との折り合いが悪く、かなりストレスを抱えておりました。 以前相談させて頂きましたが祖父が特にひどい気性の持ち主でよく父と激しい言い争いをしておりました。 父がつらいのをわかっていながら、私はそんな環境に父を残し県外に嫁ぎました。 父にすべてを任せて自分だけ幸せになったのが申し訳なかった。でも父は「自分の居場所が見つかって良かった」と言ってくれました。 父が病気で入院した時、怖くなり過去に酷いことを言ってしまった事を謝り、もっとお父さんと色々話しておけば良かったと謝った時も「そう思ったなら自分の子どもができたらそうしてあげればいいの」と笑っていました。 これから産まれてくる子、夫や親戚、友人に対し後悔のないように感謝をしたりして繋がりを大切に生きていく事が大切なのかなと思います。 ほとんどの人が親と納得のいく別れができるわけではないとは理解していますが、どうしても、「もっと父と話したかった、もっと会いに行けばよかった」と後悔や悲しさが襲ってきます。 今更後悔しても遅すぎる事ですが…。 こんな親不孝な者に対し恐れ入りますが、何かお言葉を頂けますとありがたいです。

有り難し有り難し 34
回答数回答 2
2022/08/01

八聖道によって死の恐怖を消せますか?

以前よりお世話になっております。毎回真摯なご回答を頂き、本当にありがとうございます。 今回お聞きしたいことは、八聖道によって死の恐怖が消せるのかということです。以下、詳細な私の現状です。 私は「死んだ後自分がどうなるかわからないことへの恐怖」と、「自分と世界が存在している(五感で感じ取れる)ことの恐怖」を常に抱えています。 そこで仏教を自分なりに勉強した結果、四諦と八聖道を知りました。恐怖克服のため、ぜひ八聖道を実践しようと思いました。 現在は在家で修行がしたいと思っています。正思、正語、正業、正命、正精進、正念は、日常生活の中でなんとなく「これに気をつけて生活すべきなんだな」という具体的な実践が思いつきます(といっても、素人の浅知恵で、悪口を言わないなどの程度です。ここに関しても今後もっと勉強していきます)。 しかし、正見と正定は、瞑想(座禅)などを行なって会得するものだと拝見しました。 私は禅宗(臨済宗や曹洞宗など)の教えも好きなので、座禅を日常に取り入れたいと考えています。ですが、禅で有名な一休さんでさえ、「死にとうない」と言って死んでいったと聞き、正直とても怖くなりました。 座禅を含め、八聖道を実践していっても、死や存在の恐怖は克服できず、怯えたまま生きて死ぬしかないのか?と不安です。 hasunohaでは、座禅の中で悟りのような経験をされている方や、「実践を伴って初めて仏教がわかる」とご回答されている方をよくお見受けします。そのため、知識を学ぶだけではダメで、具体的な実践をして初めて、疑り深い私でも「仏教を知識だけでなく心で納得する」ことができるのだと考え、八聖道を実践しようと思いました。 長々とすみません。以上の流れから、 1.八聖道(座禅含む)を実践していったら、死と存在の恐怖を消すことができるのか? 2.もし出来ないなら、私は今後どうしていったら良いのか?(恐怖に苛まれるのは本当につらいので、なにか解決策があればご教示頂きたいです) の2点をお伺いしたいです。 また、私の現状の中でも、間違ってる行動や考えがありましたら、ご指摘頂ければと思います。 長文になってしまい申し訳ございません。お時間ある時で構いませんので、ご教示頂けますと幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 34
回答数回答 3

地獄はないと思っているのに、怖いです。

地獄が怖いです。考えるだけで手汗が出てきて、時には体が震えたり、ちょっと泣きそうにもなります。 矛盾していますが、私は地獄はないと思います。人によってたとえ同じ文化の中で生きていてもちょっとずつ善悪の考えは違っていると思うからです。その中で「この人は天国、地獄」と決めるのは難しいのではないかと思います。だから、死後の世界があるとすれば現世と同じような感じだと思います。そこで何年か過ごして、生まれ変わるんじゃないかと思います。 そう思っているのに、何故か地獄が怖いです。きっと、自分が今まで色々してきたことへの罪悪感が原因だと思います。 臨死体験者の方の中にも地獄があるとおっしゃっている方がおられると知りました。もし地獄があれば、私は確実に地獄行きだと思います。日々嘘をついていますし、食材への感謝を忘れてただただ貪って食べてしまうこともよくあります。人も自分もたくさん傷つけてしまいます。虚栄心も強いです。ここには書ききれないぐらい悪いことをしていると思います。 せめて、少しでもいいことをしよう。少しでも毎日生きれていることに感謝して生きていこう。そう思って、少し人に優しく接せるようになった気がします。時々「でも毎日生きてる。生かされてる。ありがたいなぁ」と考えられるようにもなりました。 それでも、時々怖くなります。こんな私が死後地獄に行きたくないというのは傲慢なのかもしれません。それでも地獄に行きたくないです。落ちるまでに何年もかかる地獄があるとも知りました。そこに落ちながら「あぁ、あの時ああしとけばなぁ」と後悔している自分なんて、想像しただけでも辛いです。どうすれば、地獄について深く考えなくても済むようになるでしょうか。 拙い文章で申し訳ありません。ご教示頂けますと幸いです。

有り難し有り難し 34
回答数回答 3

迷惑をかけずに死にたいです。

死にたい気持ちはあるのに死ぬことができません。 それは死ぬことによって誰かに迷惑をかけるからです。 両親は私のことを心配してくれているからきっと大変なショックをうけるでしょう。そして自分を責めてしまうと思うのです。友人は話題のネタにする人もいれば、本当に悔やむ人もいるでしょう。職場ではお世話になった方々が責められ白い目で見られるかもしれません。私が悪いのに。 ただでさえ現状職場や家族にも迷惑や心配をかけてるのに、死ぬことでさらに迷惑かけるなんて考えただけで胃が痛いです。 それでも、もうこれ以上誰にも迷惑かけたくなくて、楽になりたくて、死にたくなるのです。 そして1番死ねない理由は、お金です。私が死ぬと、この20年間私に両親が投資してきたお金(食費や塾の費用、一人暮らしの仕送り)これらが全て水の泡になるのです。自分たちの老後もあるのにこんなダメ人間なんかにお金かけて。 いつかお金持ちになって、自分にかかった費用全て返済してから死のう。 そう考えて生きてきました。 でも世の中そんな甘くないですね。お金は貯まらないし、死にたいの気持ちは増していくばかり。葛藤がしんどいです。 答えが見えないです。どうしたらよいのでしょうか。 支離滅裂で申し訳ございません。

有り難し有り難し 34
回答数回答 1

自死について

私は難病に罹患しており毎日その症状と向かいあっております。 『治療法は残念ながらありません』とドクターに言われても痛みに耐えられないので何度も病院に行き、せめて症状を緩和する方法や薬などないかドクターに聞くと。 『だから難病なんですよ』と言われてしまいました。 口腔内の痛み 鼻の痛み 喉の痛み 舌の痛み 気道の痛み 呼吸をするたびにドライヤーの風を吹き付けられているような症状等々。 痛み止めは効かないです。 痛みと苦しみがエンドレスで半永久的な辛さで少しずつ進行しております。 気が遠くなるような長い闘いですが頑張ってきました。 毎日24時間続く痛みを緩和する方法はないか自分なりに試行錯誤して工夫して来ました。 西洋医学だけでなく東洋医学も試しました。 この難病を受け入れて上手く付き合っていこう。と夫と子供達にも励まされ一日一日を頑張って生きてきました。 現代の医学をもっても『この痛みを緩和する方法はない』と言われても、私はあきらめず自分自身で色々な事を試しましたが痛みを緩和する事ができませんでした。 自ら命を経つのは良くない事だとは分かっています。だからこそ家族の為にも今まで病気と向き合いながら生きてきました。 私も本心は家族と別れたくはありません。ずっと一緒に居たいです。 しかし最近はあまりの痛みに、死んだらこの永遠に続く痛みから解放されるのかもしれない。痛みのない所に行きたいのです。 家族と一緒に居たい自分がいるのに、痛みの支配が大きくて痛みには勝てません。 自ら命を経てば阿弥陀如来さまに地獄に落とされますか? 現世では難病でこのような日々を過ごし。 来世もまた地獄に行きますか? どうかお教え下さい。

有り難し有り難し 34
回答数回答 2

大好きな祖母が危篤になりました。

少し遠くに住んでいる祖母が、昨日急に危篤になりました。腰の手術のために入院していたところ、病院食を喉につまらせて窒息、一時心肺停止、その後心臓は動きましたが、自発呼吸ができない状態が続き、現在人工呼吸器をつけてICUにいます。意識は戻っていません。 もともと元気な人で、腰の手術のために入院していたので、家族全員「まさか」という気持ちです。お医者さんの話では、このまま意識が戻らず、心臓が再び止まってしまうかもしれないとのことでした。もちろん、徐々に回復する可能性もありますが、年齢的に覚悟も必要だろうと言われました。 今は祖母の回復を信じて待っていますが、祖母が頑張っているときに、普通に日常生活を送っていることも焦燥感に駆られてしまいます。昨日病院に駆けつけた時に、人工呼吸器につながれている祖母も見ました。反応はなくとも声もかけました。でもどこか心の中で実感がありません。「わかっているのに、わかっていない」状態です。でもすごく別れが怖いです。 大好きで大切な人がこの世からいなくなってしまうのではないか、と考えた時に、私はどうしたらよいのでしょうか。祖母は私を本当に大切に想ってくれました。私は宝物だとよく言ってくれました。私に会いたがっていることも電話で伝わってきましたし、時間を見つけて会いに行っていました。でもまだまだ、これからも会いたかったです。まだ、祖母は頑張っています。 そんな祖母に、私にできることはあるのでしょうか?また、どのような心でいればよいのでしょうか? お忙しいところ申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 34
回答数回答 2

わんこの死がただただ悲しいです。

先日、15年一緒に居たわんこが亡くなりました。あと少しで16歳でした。 妹のような姉のような存在で私の人生の半分以上を一緒に居てくれました。 3年前、お腹の半分ほどの腫瘍ができて危ない状態だったにもかかわらず大きな手術を3回頑張って回復し先日まで側に居てくれました。 当時は毎週、血液検査があり足に痛々しい注射痕が沢山出来てとても痛かっただろうに頑張り屋さんでした。 私に似て食い意地が張っていたのにさいごの方は食べる事ができなくなり、それでも私がお芋を食べていると側にきて一緒に少し食べてくれました。 家でも職場でも、何をしてなくてもただ生きてるだけで涙が出てきて仕方ないです。 周りの人はとても心配してくださってます。 夜中に「朝までもたないかもしれない」と母に起こされた時のこと。その24時間後に、母とわんこと3人でリビングで寝てた時に「もうだめだ」と母に起こされた時のこと。その時すでに居なくなってしまっていたけどまだ温かかったことが忘れられないです。何回もフラッシュバックします。 最後に抱っこした時、とても軽くて「もうあと少ししか居られない」と悟ってしまった時の事も忘れられないです。 私の家庭環境はあまりよくなく、両親は喧嘩ばかりしているしその際父は物を投げたり壊したりするのでわんこはよく怖がっていました。それでも私が泣いていると側に駆けつけてくれる優しい子でした。 3年前のもしかしたら死んでしまうかもという状態の時も「こんな家に引き取られて、わんこは幸せだったのだろうか」と一人部屋でドアを閉めて静かに泣いていたところ、ドアを開けて駆けつけてくれた本当に優しい子です。 さいごらへんは立つのもやっとだったのに私の仕事のお見送りは欠かさずふらふらと玄関まで来てくれました。 最後の日は身体が動けなくなってしまいましたが、母に抱っこされてお見送りしてくれました。 急変した前日は休みの日で、私は1日家にいたのに用事があり部屋に引きこもって一緒に居られなかったことを悔やんでいます。 その用事は必ずしもその日でなくても良かったのに。 いつのまにか私の部屋で我が物顔で寝るようになったわんこはもういないです。お風呂から出ても私の部屋にいないし、私が寝る時一緒に部屋にも来てくれないです。 もう私が泣いていても側には居ないです。 いい加減に涙が止まってほしいのです。

有り難し有り難し 34
回答数回答 2

老いに対する恐怖

こんにちは。現在中学3年生の者です。 タイトル通り、自分は老いが怖いです。 よく、老いることと一緒に質問される「死」についてはあまり怖くありません。 もし生まれ変わりというものがあるならば、そのまま悪行を行わないようにして、また生まれ変わり、一方でもしないのであればそれを認識する術もないわけですから、特に恐怖というものは出てきません。 しかし、老いることだけはどうしても怖いんです。 僕は2004年生まれなので、もし80歳まで生きれるとしたら その時は2084年です。僕はその時、おそらくこの時代の中学生や高校生の「若さ」を羨望するでしょう。 一つ目の質問ですが、皆さんは10年前,20年前の自分、もしくはその年齢の人を「若さ」で羨むことはあるのでしょうか。 そして、二つ目の質問に関してですが、1年前、国語の授業で 「無常観」について習いました。 自然を対象とした無常観というのは、非常に美しく素晴らしい考え方だと思いました。しかし、人間関係や自分の老いに関する無常観は「儚い」という一言で表せると思ったのですが、 その「儚い」が怖いんです。 例えば、今は両親や祖父母が生きていますが、いずれ、どの順番かはわかりませんが、亡くなり、お別れが来ます。 また、今自分は「若い」という部類に入り、体力もある時期なので基本いろんなことができます。しかし、そんな自分もいつかは衰え、できることが少なくなると思うとどうしてもなんともいえない気持ちになります。 二つ目の質問なのですが、皆さんはこの「老い」についてどう思いますか、またはどう考えますか。そして、もし仏教にそれに関する教えがあるのでしたら、教えてくださると幸いです。  

有り難し有り難し 34
回答数回答 2

夫の死ぬ死ぬ騒ぎに疲れました

味覚障害なので死ぬそうです。 警察、病院、医師などに相談したのですが、夫の自殺をとめるにはどうすればいいでしょうか? 警察にもお世話になりました。自殺すると飛び出していったので、警察に連絡して保護してもらいました。 なんどもお坊さんにも相談しましたが、「味覚障害で自殺」という心理が私には理解できないのです。 自分も子供のころ風邪をひいて味覚障害に1か月ぐらいなった記憶があります。 そのうち治るという言葉を信じていたらそのうち治りました。ケーキの味が苦くて悲しかった記憶はありますが、死にたいとは思わなかったです。 舌癌、さらなる癌、でも闘病がんばっている女優さんもいるのに、うちの夫は味覚障害で死ぬ死ぬと毎日うるさい。 何件も病院に行きましたが、お医者さんも「はいはいはい」という対応です。 きっと医者も困っているんですね。 上顎洞がんかもしれないので、医者に内視鏡で診ますからと言われても、内視鏡は痛いからやだ。 もしも癌でほかに移転したら、死ぬほど痛いんじゃないかと思うんですが。 それも耐えられないほどの痛みで血もでるんじゃないかと。 夫は仕事も辞めてしまいました。 ほとほと疲れました。 そんなに自分の母親のいるところに逝きたいのでしょうか? ほんとう姑に申し訳ないです。せっかく育ててた息子が自殺で命落とすとは、姑も成仏できないと思います。 そう正しても夫はわからないみたいです。 今日も、いつもの死ぬ死ぬ騒ぎ発動で(私が)医者に電話したり、早退して会社から戻ってきました。

有り難し有り難し 34
回答数回答 2