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「仏教」を含む問答(Q&A)一覧

2024/05/09

住職の妻は寺の嫁?

初めてご相談させていただきます。 禅寺の住職と結婚し、数年の内に寺族安名式と寺族研修を修めております。 ですが私の性格上(向き不向き)、どうしても寺の嫁として期待される作務で日々を過ごす・働くのは窮屈に感じてしまいます。 一般企業で就職し、会社の駒でいるほうがずっと働きがいを感じられます。 ですが、結婚を機に引っ越したお寺は田舎で周りに会社が少なく、また菩提寺として檀家さんからのお布施でつつましくも兼業が必要のない所です。 なので周囲も義家族も夫も私に対して「あなたは当然お庫裏さんでしょう」の感覚を当たり前のように押し付けてきます。 もちろん結婚前に夫の言う「大丈夫、難しいことなんてないよ。できるよ」を深慮せずに、大好きな人との結婚に舞いあがってた私に責任が無いとは言いません。 ですが在家のイメージと寺育ちのイメージの乖離にお互いが気付くには、結婚前だと中々難しいものがあると思います。 檀家さんとお寺を護っていこうとする夫や義両親の姿勢は尊敬していますが、結婚して一緒に過ごせば過ごすほど私にはできない、したくない、寺族としては関わりたくないという気持ちが、強く固まってきています。 もちろん人付き合いはしますが寺の嫁と見られますし、狭い田舎なのでとにかく身元が筒抜けなのも気持ち悪いです。日常の買い物ですら監視されている気分ですし、大げさに言えば清く正しく慎ましくあって当然、すばらしい義母に導かれ良き寺嫁になってくださいね。と重圧すら感じます。 婚姻届に寺族の誓約書でも付いていたっけ?と思うほどに信教と職業選択の自由を奪われています。 夫が住職なんだから当たり前でしょ、と言われますが、例えば自衛官の妻に国防の意識を強制しますか…? 仏教だから疑問に思われにくいだけで、義家族と夫の行う宗教マインドに染まりましょう、というのは私からすれば新興宗教の勧誘と変わりないのではと思うようになりました。 頼まれた時に手が空いていれば留守番や片付けくらいはします。ただ毎朝本堂へ手を合わせに来いだとか、夕方の鐘をつく役割をしてほしいとか、寺族の勤めを促してくるのはやめてほしいです。 長くなりましたが私だけは、在家・OLのように過ごしたいと思っていることを どのように伝えればいいでしょうか。相手の人生を否定する気はないのですが、私の❲生きやすさ❳は否定されそうで悩んでいます。

有り難し有り難し 40
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2024/04/16

故人の魂はどこに?

先日大好きな妻が亡くなりました。妻は本当に僕の全てで大事な大事な宝物でした。 子供もおらず、独りぼっちになってしまい、今は絶望しています。生きる目的、意味が全く無くなりました。 僕の唯一つの願いは最愛の妻の魂にずっとずっとすぐそばにいてもらい(お骨も手元に)、自分が亡くなるときに一緒のお墓に一緒に納骨してもらい、そしてあの世でまた会えることだけです。 質問なのですが、49日に審判され遠くへ行ってしまい最終的に極楽浄土を目指すという理解をしているのですが、疑問があります。 白木の御位牌から本位牌となり、魂を入れて頂くと思うのですが、位牌に魂が宿るとするならば、極楽浄土などに魂は向かうのに、魂はいったいどこにいるのでしょうか? 魂は分割され2か所にいるのでしょうか? また、お盆には年に一回戻って来るという話しも子供の頃から聞いており、迎え火で迎え送り火で送り帰って行くということでした。帰ってしまったらいないということなのでしょうか? 極楽浄土等、御位牌、お盆、魂の居場所をわかりやすくご説明頂けますと幸いです。 僕は妻にずっとそばにいて欲しい、遠くへ行って欲しくないと考えております、魂の居場所によっては仏教と考えが合わないのでしょうか? 実はそのように悩んでいる間に49日が過ぎてしまいました、49日の法要は過ぎては良くないと聞きますが今から行って頂くことは難しいのでしょうか? どうぞ宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 17
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2024/04/11

伝統と原理主義の境。不幸=神仏の怒り?

 いつもお世話になっております。  私が尊敬する情報科学の先生がXで、 「未だに、天災や気象現象を『神仏の怒り』と考える人は多く いる。しかも議員になれてしまうほど支持率が高い。なんでも かんでも『神仏のせい』にすれば、自力で考えなくて済むから。 だから自分は、宗教の原理主義的なものは嫌いだ」 とおっしゃっていました。  私は、宗教は「生活規範」「安心と励ましを与えてくれるもの」 と捉えています。  昔の人は、不幸な事…災害の発生や疫病の流行が起きると、 「仏様神様がお怒りになっている」 と捉えたと聞きます。  しかし、私は、 「地震だ!身を守れ!備蓄はあるか?火は出ていないか?神仏が見守って くれている。頑張って知恵絞って、みんなで力を合わせて乗り越えよう」 と捉えています。  私は、原理主義…つまりそのまま文字通りに経典等を捉えることは、 思考停止、理解が浅いと思っています。理解の浅さや霊感商法にも 繋がると思っています。  私は、宗教とは、経典を生活規範としつつ、いかに世渡りをして いくかを説いてくれているものだという認識です。  「宗教やってる奴なんて狂人」とネットで言っている人がいました。 私は、昨今のゆがんだ宗教観が原因でそういった認識も広まったと 思っています。霊のせい、神仏のせい、墓があるせい、方角が… お告げが…  お告げに至っては、現代ではメスカリン、アヤワスカの作用や 精神疾患が原因と分かっています。  また、ある工学の先生は、 「自分の感覚では、宗教は『頼る人』と『信じる人』に分かれると 思う。頼る人は、自己分析不足で盲信的、信じる人は客観的な 自己分析ができ、自分の非力さを理解したうえで、足りないところを 宗教の裏付けで上手くバランスをとっている印象がある」 とおっしゃっていました。  私は原理主義者、「頼る人」ではなく、伝統墨守、「信じる人」と いう立場でいたいです。原理主義者にならず、伝統を守りつつ、 世渡りをしていくにはどうしたらよいでしょうか。

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2024/04/08

教えがうまくできないときは

お世話になっております。 何度かこちらに投稿させていただいたり、ネットや本で仏教のことを知るたびに、仏教の教えが自分に必要なこと、訓練しなければならないことということを知りました。 今は、お坊さんのように上手にはできないけれど、できるだけ煩悩に流されずに生きたいと思っています。 ですが、やっぱり中々うまく出来ずに「自分はダメだ」と落ちこんでしまいます。 こういうとき、僧侶の方はどのように自己否定感と向き合っているのでしょうか。 特に、自分が手放したいけど手放せない煩悩は「怒り」です。母と姉への強い怒りがあり、それを隠そうと思っても、顔を見た瞬間に怒りと憎しみの気持ちがムクムク溢れてきて、止まらなくなります。 母と姉を「許す」ための取り組みも試みましたが、未熟な私にはまだ無理のようです。 煩悩(強い怒り)に勝ち平穏に生きるために、僧侶の方がされていること、また仏教的にしたらよい取り組みがあればご教示いただきたく、よろしくお願いいたします。 (ちなみに先程イライラして、ストレス発散のためにまたコンビニで無駄買いしてしまいました。自由と安寧にはほど遠いです…。)

有り難し有り難し 3
回答数回答 1
2024/04/05

亡くなった父が救われて欲しいです

10日ほど前に父親が亡くなりました。葬儀は浄土真宗のお坊さんにお願いしました。実家には高齢の母親が1人で住んでいるため、1人でいるときに火を使うのは危ないと思い、お線香をあげないようにお願いしてしまいました。しかし、四十九日まではお線香を絶やさないように、といったものを見るとほんとうにそれでよかったのか悩んでいます。お茶や、ご飯、生前好きだったお酒などお供えして手を合わせることでも大丈夫でしょうか。またそれらを母が毎日しなくても大丈夫でしょうか。 ろうそくも危ないので、蝋燭灯を買い求めつけてくれています。 離れて暮らしている私も手を合わせることで供養になりますか。その時お念仏を唱えるのか、父に話しかけたらよいのか、どのようにしたらよいでしょうか。 父親は、生前お念仏を唱えたり、信仰があったわけではありませんが、それでも救われますでしょうか。お酒好きでわがままなところもあり、怒りやすく人に迷惑もかけたこともあったと思いますが、優しく愛情もある人だったと思います。 間違った行いをしたこともあると思いますが、それを反省したのかはわかりません。 父がどこにいくのか確かめようがありませんが、救われて欲しいと願っています。 質問が複数になってしまいすみません。どうぞよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 9
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2024/04/02

病む人は嫌がられ…私のこと?

 いつもお世話になっております。朝からネットで法話を聴いて いました。 「老いた人は邪魔にされ、病む人は嫌がられ。これが人生。 仏教の教えに通じる」 とお坊さんが言っていました。  老いることは止められない。病むこともどうしようもない。  私は発達障害があり、体にも影響が出てしまうので、ヘルプ マークを付けています。満員電車など、「座らせていただけませんか」 とお願いすることも多々あります。  私の主治医の先生や支援者さんは、 「差別的、排除的な考えを持つ人は、世の中でも一部だよ」 「障害、病気だからみんなから攻撃されるという考え方は、 とても損」 と言います。  私が尊敬するくられ先生も、 「人は、不健康な人を見ると恐怖を感じるように進化してきた」 と言っていました。  しかし、 「障害を負っている人たち。確かに、周りの人は違和感を抱く。 でも、勉強している人や知っている人は、理解してくれる」 と続けました。  くられ先生は、毒物学や生化学に詳しい科学ライターの先生です。  しかし、お坊さんはその法話で、 「檀家の90歳のおばあさんは、いつも笑顔で『おかげさま』『ありが とう』が口癖の人。そのため、町内でも人気」 と言っていました。  私も、席を譲ってくださった方には、飴玉を勧めるように しています。断られてしまいますが、お礼の気持ちです。  私は、周りの人を怖がらせている、不快にさせているの でしょうか?どうすれば、病んでいても老いていても、邪魔にされない 嫌がられない存在でいられるでしょうか?

有り難し有り難し 21
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