2024/08/17僕の仏道を見つけたかもしれない
家の宗派に捉われず、自分個人の考えに合う仏教宗派を求めてグルグルと何周も思考の旅だったり実際にあちこちに足を運ぶ物理的な旅だったりを繰り返してきました。
基本的には僕は称名念仏の徒ですが、それだけで本当にいいのだろうかという疑いのような気持ちがあって、でも禅や密教などできる気もしなくて、それらのスピリットを念仏の中に包含した総合仏教みたいなオールインワン念仏を説く宗派はないかなと思っていました。その候補として浄土宗西山派、時宗、天台真盛宗など考えました。
ただ、ふと思ったのです。仏教宗派はよく登山道に例えられますが、それを一人で網羅する必要はないんじゃないか。オールインワン念仏でなくても、自分の道が称名念仏であるなら他の道を通る時の景色は絶対に見なきゃいけないということはないんじゃないか。
伝教大師が好きなのですが、例え天台宗に入っても法華や禅や密教を自分でやるとは思えず、やっぱり天台宗内の念仏行者にしかならないと思います。じゃあ浄土宗(鎮西義・知恩院)でいいんじゃないのか。
ただ、浄土宗は生きている間の生き方への教えが弱いかなと思うのです。
「現世を過ぐべきようは、念仏の申されん方によりて過ぐべし」ぐらいしか無いように思いますが、平安鎌倉の時代は良くても現代人にはこれだけでは生き方指南としては弱過ぎはしないか。
この点が浄土宗の弱点だとずっと思っていましたが、そこで好意を持っている伝教大師の教えを援用するということを思い付きました。そう、あの有名な「一隅を照らす」。
仏道修行としては浄土宗の念仏しかしませんが、人間としての生き方としては「一隅を照らす」を座右の銘とする。浄土・天台の併修と言えるほど本格的なものではありませんが、この両宗派を菩提宗とした僕の尊敬する徳川家康公のお心にも叶うかと思うのです。
僕が見つけたこの仏道、お坊様方から見てどうでしょうか? なにぶん素人の横好きからの考えですので、未徹在な点があればご指摘ください。
有り難し 9
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