hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

「身近な人の死」を含む問答(Q&A)一覧

弟が自殺しました。

初めましてこんばんは。 12月21日、弟を自殺で亡くしました。 昨日火葬が終わりましたが、心が落ち着かずここで相談させていただきたいと思います。 弟は精神を病んでおり、治療のために病院に入院、通院をしていましたが、何度も失敗していました。そんな時、父から「お前は弱い人間だ。入院を辞めたら家から追い出す。帰ってくるな」と言われた事で、弟は「こんな家は居心地が悪い。皆が僕を責めているのが分かる」と言っていました。 父は「弟が奮起して欲しくて言ってしまった。応援しているし、頑張ってくれると思ってキツい言い方をした」と話していました。 弟が以前から悩んでいることは家族も知っていました。両親は「家でゆっくりしているだけで良いよ」と言っていました。しかし、それ以上の事は言わなかったため、弟も疑心暗鬼になっていたのです。その後は直ぐに和解し、次の入院の時は父に「付き添いで来て欲しい」と言っていたことや、銭湯に誘うと本当に嬉しそうについてきてくれたり、本当は父の事が好きだったのだと母は話していました。 そんな矢先、突然この世を去ると言う選択をした弟の死を前に両親は悲しみに暮れて居ます。 「もっとコミュニケーションを取ればよかった」「弟のことを理解できていなかった」「自殺をさせたのは自分達のせいだ」と両親は自分のことを責めています。私もそんな両親の姿を見ていて辛いですし、父は今でもあの時、弟に強く言った言葉に特に後悔の念を持っている様で、毎日懺悔をしていますが、その姿に胸が締め付けられるようで本当に辛いです。 同時に、27歳でこの世を去った弟の思いはどんなに辛かったか、怖かったか、自殺を選択した弟の心情を思うと毎晩寝られません。 出来ることならこの苦しみを何とかして克服したいです。 亡くなった弟はどのような思いであの世に旅立ったのでしょうか。 亡くなった弟はどんな風に私たちを見ているのでしょうか。 また、この苦しみと一生向き合うことの恐怖や、ふとしたことで、心が不安に駆られてしまいます。 私も29歳ですが、この先の事や、気持ちの整理ができずにいます。 乱筆・乱文ですみませんが、どうか、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

母の死から立ち直れません

今月、母が亡くなりました。今年に入ってから離れて暮らしはじめたので、仕事帰りに、毎日電話をかけるのが日課でした。自分では出られない母に父が電話を繋いでくれて、具合が良い日も悪い日も、声は聞けたのに。もう、それができないということが、苦しくて、苦しくてたまりません。実家に帰っても、母の着ていた服、使っていたものが、あの日からすべて遺品と言われるのにも、改めて母が他界してしまったのだと感じてしまい、辛くて仕方ありません。皮肉にも、遺影は素敵な笑顔でほほえんでいて、見るたび、もう楽になれたかな、痛みから解放されたかな、良かったのかな、、と思っては、そこから明るく話す声が聞こえず、亡くなったあの日の、まだ少しあたたかかった肌のぬくもりを思い出し、涙が止まらなくなってしまいます。決して高いものではなくとも、残された指輪やネックレス、これはどこで買ったものなの?誰に貰ったものなの?写真に一緒に写っているこの人は誰?生前気にもならなかった小さな事が沢山積み重なり、本人しか答えを知らない情報を、生きているうちに聞いておかなかった自分を責めて苦しくなります。頭では、そんなことを言ったところで生き返るわけでもなく、答えてくれるわけでもないと知りながら、やはりこの現実とのギャップに胸が潰れてしまいそうです。昔から、割と信心深い方でしたので、人が亡くなった後はこうなる、ああなる、等死後の世界のお話は全て信じていました。今も勿論信じてはいるのです。でも、母が亡くなってしまってから、心のどこかではなんだか全てが綺麗事としてしか捉えられなくなってしまい、遺影を見ながらお経を唱え、実際には食べれるわけでもない、飲めるわけでもない、母の好きだったものを仏壇に備えながら、私はいま、何をしてるんだ?と考えてしまうことが多くなってきてしまいました。スーパーに行けば、母の好きだったお菓子を手に取っては悲しくなり、昔一緒に行った店に行っては、母とこんな話をしたなと思い出して悲しくなり、お母さんと並んで歩く子供と街中ですれ違っては、心を引き裂かれたような気持ちになってしまいます。まわりの方は、優しく声をかけてくださいます。自分が精一杯生き抜くことが最高の供養だ、母が必ず見守ってくれているのだと言われても、今、とても、とても苦しいのです。呼びかけても母が返事をしてくれない現実に、頭がおかしくなりそうです。

有り難し有り難し 16
回答数回答 1

若くして亡くなった同級生…

ダンス講師をしています。 私がダンサー修行中の時期に芸人をしていた中学の同級生が、2018年に亡くなっていたことを最近(数日前)知り、ショックを受けています。 その芸人の同級生とは中学時代は 「面白い奴だな~」 と思うだけの仲でしたが、2000年代になってからmixiで再会し、お互い売れないダンサーと芸人ということで色々なやり取りをしていました。 正直、今となっては私ばかりが励まされていたようにも思えます。 そんな彼は2015年に芸人を引退し、全く違う仕事に就職したと聞きました。 その後、彼の行動に「あれっ?」と不審に思ったことが1度ありましたが、まあ元気にやっているんだろうと思っていた矢先の訃報でした。 芸人仲間からの情報によれば、自殺などではなく、以前(2018年以前)から体調を崩していたということ。 彼にしては不審な行動があった時には、既に体の具合が悪かったのかもしれません。 2年も何も知らなかっただけに、ショックを受けています。 また、もし彼の早逝の原因が芸人時代の酷い生活(1日1食、カップラーメンのみなど)だったなら、それを知っていた私には家で食事を振る舞うなど、何か助けられたのではないか? 体調不良ゆえに彼にしては不審な行動を取っていたなら、それを批判しなければよかった… など、過去を振り返って後悔ばかりしてしまいます。 彼の実家は何年も前に離れた県に引っ越し済みで、現在のご住所も分からないため、いくら後悔しても、もう何もできません。 彼から元気をもらい、励まされるばかりで何もしてあげられなかった私にできることは、何なのでしょうか?

有り難し有り難し 13
回答数回答 1

なぜこうなったのでしょうか

以前、海外に住んでいました。 2、3年に一度くらいしか日本に帰ってくることが出来なかったのですが、ある年、久しぶりに帰ってきて、大好きなおばあちゃんの家に行く約束をしました。約束の日の何日か前に、おばあちゃんと住んでいたおばさんから電話があり、何が食べたいかなど聞かれました。電話の最後に、今おばあちゃんが隣にいるから話す?と聞かれたのですが、会った時に話すからいいよと電話を切りました。おばあちゃんはその2日後に亡くなりました。数年ぶりに会えるはずだった日の、ほんの2日前でした。おばあちゃんとは本当に仲が良かったです。本当に可愛がってくれました。大好きなおばあちゃんだったのに…なぜあの時電話で話さなかったのか。後悔で苦しみました。海外に戻った時、仕事の後にお酒をがぶ飲みして、大声で泣いて、床を転げ回るほど感情をぶちまけました。 おばあちゃんの死から1ヶ月くらいした時に、おばあちゃんが夢に出てきて、おばあちゃんを抱きしめた夢を見ました。夢の途中でも実際に自分が泣いていたのがわかりました。その日から、なんとなく後悔から立ち直り始めました。 数年前、家の事情で日本に旦那と来ました。今年の初めには子供もでき、心配していた両親に初孫を見せることができました。そんな中、父親が亡くなりました。何年も前に胃癌で胃を全摘していたのですが、腸閉塞になり、入院をして経過観察の後、手術をしたのですが、翌日、突然亡くなりました。本当に突然。入院するまで本当に元気だったのに…コロナでろくに面会も出来ず、孫には入院してから一度も会えずでした。 私はというと…父が心配で実家に戻っていたのに、手術が決まった前日に母と喧嘩をして、自分が住む家に帰ってしまっていたのです。帰る前に、父の顔だけでも見に行こうかなと、本当にその時に思ったのに、『また次に来たら会えるからいいや』と、帰ったのです。最後に会える機会を、話を出来る機会を、また、自分から捨てたのです。 私は父が大好きでした。父は素晴らしい人でした。人並みの失敗もあっただろうけど、家族を一番に大切にした、本当に素晴らしい人でした。 おばあちゃんの時も、父の時も、私は最後に話せる、会える機会を無駄にしました。なぜ?父の死から半年が経ちますが、未だに突然苦しくなって涙が止まりません。夢にも出てきてくれない。どうしたら、これを乗り越えられるのでしょうか

有り難し有り難し 19
回答数回答 1

友人の突然の死 どう受け入れたらいい?

出会いは、私が東京に上京して1年目の頃。元々は、SNSで知り合った子に紹介されて出会った子(女子会)。お酒を飲む事、話が合う事でいつの間にか2人で合う事の方が多くなった友人がいました。悩みやすい私の話を聞いて、いつも励まして、褒めてくれる唯一の存在。何かあると連絡する関係。そんな友人が亡くなりました。会う約束をしていたのですが、会う数日前から連絡が取れず、紹介してくれた友人とも連絡が取れず(後に、LINEのアカウントを新しくしていたと判明)。別の共通の知り合いにも、協力して連絡してもらうも既読にならない。共通の知り合いは、近日にあったりしていない事もあり、私と考えること、緊迫感のの温度差がありました。ですが、亡くなったかもという曖昧な返信がその子の繋がりからあり、住所を知っていたその子が元同僚と一緒に、その子の家に行ってくれる事になりました。 すると、その子の部屋を片付けるご両親と初めに知り合った友人がいたそうです。そして、連絡が取れなかった友人は骨となり、遺影が飾られていたそうです。 ご両親に話を伺うと、病死で亡くなったとの事。ですが、はっきりした病名は言わず、何か濁すような言い方に感じたそうです。また、必要ない限り周りに言わないでほしいとお母さんがおっしゃっていたそうです。 その話を聞き真実がわかったものの、現実味もなく、話を聞いただけで、現実味のあるものを直接目にしていない私は、現実を受け止められずにいます。 コロナ禍で、ご実家に伺うことも出来ない。また、亡くなった子の最後を、片付けを手伝っていた友人に聞いていいのかどうか。今まで親族を見送ってきましたが、友人は初めて。そして、お通夜もお葬式というものがなく、その子の最後の姿のを見ることもなく死を実感できない。 心でその子に話しかけたり、いろんな思い出を振り返ったりしようとしても、他ごとに逃げてしまう。食欲も睡眠欲もある。でも、ずっと頭の中で、どういうこと?が離れない…私は、その子の為に何が出来るのでしょうか。そして、その子の死を真実として、自分に言い聞かせるにはどうしたらいいのか、教えて頂きたいです。まとまらない文章で、すみません。

有り難し有り難し 24
回答数回答 2

母の気持ちが知りたいです

私の母は明るくて人望も厚く、太陽のような人でした。 ですが60代で骨折を繰り返し、杖の生活に。その後、糖尿病で脚も壊死して、片足を切断。最後の1年は、ベッドの上で過ごしていました。 持病でたくさん薬を飲んでおり、骨折と切断した脚の痛み、薬の副作用などで、常に痛みや気持ち悪さに苦しみ、ここ数年は入院も頻繁にしていました。 今年の3月に白内障の手術をした際に体調を崩し、意志疎通ができないまま、その3ヶ月後に71歳で亡くなりました。 あんなにアクティブだった人が、晩年は体調が優れる日はあまりなく、行きたいところへも行けずベッドの上での生活。その上コロナでお見舞いも1度しかできず、寂しい・つらい気持ちで亡くなったのではないかと思うと、胸が痛みます。 私の姉の子ども(2人)は、母が元気だった時(50代)に産まれましたが、両家の折り合いが悪く、1歳頃から高校まで、母は孫に会うことができませんでした。 母が70歳の去年の夏に、私の第一子が産まれ、母も抱っこをしたりミルクを飲ませたりしてくれました。 姉の分も孫と過ごさせてあげたい、ベッドの上での生活なので孫を見ることが生き甲斐になればと思っていた矢先でした。 旦那の両親や祖父母が私の子どもを可愛がるのを見ると、有難いと思う反面、母ももっと孫と遊びたかっただろうな、成長を見たかっただろうなと涙して、やるせない気持ちになります。 特に、母より長生きしている祖父母が遊んでいる姿を見ると、この人たちの為に産んだんじゃない、母の笑顔や喜ぶ姿が見たかったのにと、妬みの感情で涙してしまいます。母も元気で長生きしたかっただろうなとか、祖父母はひ孫まで見て楽しそうに暮らしてるのに、母は孫さえ充分に過ごせなかったとか、色々な感情が混ざっているのだと思います。 日が経つにつれ徐々に気持ちの整理がついてきて、少しずつ涙の時間も減りましたが、その反面、普通に生活している自分が申し訳なくなります。 子どもの成長を喜んだり、旅行や美味しいものを食べて幸せを感じた時、母もそうした時間をもっと過ごしたかっただろうなと、切なくてまた涙です。 母は空から子どもの成長や、私たちのことを見守ってくれているでしょうか? 私が笑顔で人生を楽しむことを、喜んでくれているでしょうか? そして、自分の天寿を全うしたら、また母に会えるでしょうか? ご意見、お聞かせください。

有り難し有り難し 21
回答数回答 1

母に振りかかった突然の病

先日、母に癌が見つかりました。 風邪一つせず、生活習慣も健康そのものだった母にそのような重い病が見つかったことはまさに青天の霹靂でした。 かなりたちの悪いものであるらしく、さらに転移の可能性もあるということで、今まで意識もしなかった母の死と言う現実を眼前に突き付けられ、目の前が真っ暗になったような気持ちです。 母の命の灯火がいつ消えるのかはまだ分かりません。1年後かもしれないし、もしかしたら治療が上手く行ってまだまだ生きてくれるかもしれません。 しかし一度意識してしまうと、様々な思いが頭をよぎってしまいます。私は良い息子ではありませんでした、まだ学生で進路も決まってなく、親孝行もろくにしないうちに母がこの世を去ってしまうかもしれないと思うと胸が痛みます。 人の命に限りがあることは分かっているつもりでした。それでもいざ近しい人間に、しかもこんなにも早くそれが訪れると思うとやりきれない気持ちでいっぱいです、 日々悪化する診断結果にショックを受け、涙を流すほど辛いのに私の事ばかり気遣う母を見ていると、なぜこの人が、という理不尽さに対する怒りすら湧いてきてしまいます。 この気持ちにどう整理をつければ良いのでしょうか、何か道標になるようなものを教えていただければ幸いです。

有り難し有り難し 27
回答数回答 2

会ってない父が死に色々考えてしまいます

3年ほど会っていなかった父が亡くなりました。いい父親というわけではありませんでしたが彼なりに子供思いの父でした。 最後に会った時は私の離婚騒動で、再構築するにあたり迷惑をかけたお詫びに行った時です。 そのあとは2、3ヶ月に1回父から「大丈夫か?優しくしてもらってるか?」などの電話が来て少し話す程度でした。 神奈川と埼玉、遠いいけど会えない距離じゃない、いつでも会える、と思い次は会おう来年は会いに行こう、などとずるずる時間が立ってしまい会えずじまいでした。 祖母が入院して、世話をしながら1人で耐えられずお酒に逃げた父を思うととても申し訳なく辛くなります。安らかな死ではなかったです。 いつも私を思っていてくれたのに、私は自分の生活で父のことなんてあまり考えてはいませんでした。 あの時あっていれば、電話していれば、ずっと考えてしまいます。時間が経てば幸せな記憶と一緒にたまに笑顔を思い出し安らげる日が来るとは思いますが、今は後悔ばかりです。 いい娘ではなかったし迷惑や心配をかけっぱなしでした。 声が聞きたいし顔が見たい。 いつか記憶の顔が朧げになるのが怖い。 親不孝ばかりした私を嫌いになってしまわないか。いつか会えるのか不安でたまりません。

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

子供の死を宣告され滅入る

大学生子供の長らくの整形依存や様々な依存で長年悩み続け、本人が行かないので、親の私が精神科や心理内科の相談も少しですが受けました。 過干渉になっていた私自身の育て方、家庭の不和環境から、本人の生まれつきの性質。と言われ自身も理解できました。 治療は愛情はわかる様表現し、衝突しても、自殺未遂しても手を離す等、断腸の思いで実行してきましたが、私がまだまだ甘いとは思いますが、あまり変化なく、更に状況が悪くなっているように感じ、知人の通う霊媒師?占い師を訪れました、所詮占いの予言だから全てを信じない、指針を立てる目安だけにと知人も自分も念を押しましたが、娘は後数ヶ月で死ぬ。何も救えない。人間のクズどうしようもない。この年齢で死ぬ宿命もあるし、これ以上無理に生きながらえてもダメ人間以下だからすぐ死ぬ。と言われ。その後私が前向きに生きられるお話を沢山頂き、お叱りも沢山頂き、自分が甘い人間で私自身の不出来が周りを苦しめた結果と再認識しました。 数ヶ月で死は無いと思う。と主人や知人も言ってくれますが、衝撃的でなかなか心が立て直せません。 きっともう手の施しがないほど娘の心も性質もねじ曲がり精神治療もできないほどで死ぬしか無い、死んだような生き方を、かえれないと言われたと思いますが、何とか精神を少しでも元に戻せる手立てを、親としてしてあげられる事はないのか。 死までの期間黙って温かく見守るしかないと言われましたが、数ヶ月と宣告されてしまった事、手の施しようがないと言われた事にわかるのですが、諦めがつかず、立ち上がらないとと思いながら、自分がどんどん滅入っています。 やはり自分の甘い人間の不出来が娘の不幸を招いたと落ち込み完全に悪循環で支離滅裂です。 正直親として娘を救いたい。幸せになってほしい。ただそれだけの思いですが、私はどうすれば良いのでしょうか。 乱文でうまく伝わっていないかとも思いますが、お言葉頂けましたら幸いな思いで相談させて頂きました。宜しくお願い致します

有り難し有り難し 53
回答数回答 2

人生最愛の彼の自死

タイトルの通り、4年半お付き合いし、お互いに運命の相手と信じていた同い歳の彼が先日自死致しました。 運命など簡単に信じるような歳でもありませんが、出会い、このとてつもなく大きな力で引き寄せられる感覚や様々な出来事、そして相手を想う果てしなく大きな気持ちも、全て今まで経験してきたこととは比べ物にならず、人生で1番大切にしておりましたし、して頂きました。 彼はとても複雑な家庭に生まれ育ち、信じていた人達からの度重なる裏切りや、相手の不貞による離婚や病気など、辛いことの多い人生を送っていた人でした。 周りに弱音は吐かず、全て自分で背負い込み、自分の中で解決・消化してからやっと、笑い話に変えて人に話すような強い人でした。いつも明るく笑顔で、常に人の為に生きている、そんな彼でした。 自死の原因は、恐らく親や兄弟が原因かと思います。彼からそれらの悩みがあると伝えられたのは10月の後半、亡くなる2週間ほど前でした。 かなり深刻そうなのは彼の口ぶりや、日に日に思い詰めていく様子などから感じてはおりましたが、「家族のことなので、あまり詳しくは話したくない」という彼の意向により、何があったのかまでは分かりません。 「死のうかと思っている」「生きてはいたい」こんなことを言っていました。 お互いに仕事もあり、また彼は休みの度に実家へ顔を出すようになり、最後に会ったのは10月の半ばでした。 最後になるとは知らず連絡を取った日、全くそんな素振りは見せず、いつも通りおやすみと言い合い、翌日から連絡が取れなくなりました。 連絡が取れない間、私は定期的に連絡を入れておりましたが、10日ほど経った頃、彼と同じ職場の知人から亡くなったことを聞きました。 私と最後に連絡を取った翌日でした。 遺書は携帯の中に残っていた様で家族しか見れず、通夜も葬儀も家族のみで行われた様で、参加すら出来ませんでした。 彼の部屋へ行ってみましたが、既に部屋は空っぽで、思い出も物も、お揃いの食器も、全て無くなっておりました。 それから私の心は死んだも同然で、信じることも出来ず、ただ泣き叫び、助けられなかった自分を責め、何故何も言わずに逝ってしまったのかと相手を責めます。 会いたい、触れたい、声が聞きたい。 一生一緒に居るはずだった人。私の全てでした。どうやって彼の居ない世界を生きていけば良いか分からず、苦しいです。

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

死期を早めてしまった罪

神経難病で体が動かなくなる病気の父親を見送りました。 長い闘病でしたが、泣き言も言わず黙って耐える強くて立派な父でした。 病気も末期になり誤嚥性肺炎で入院したのですが、 嚥下障害が進み、どろどろにした物しか口に入らなくなりました。 病院から許可された、缶コーヒーにトロミ剤を入れて飲むのが唯一の楽しみでした。 全身の機能が低下していると医者に告げられ、かなり悪くなっていることを感じた頃、そんな父親に何ができるか、と考えて、 大好きなインスタントコーヒーをポットに入れて、病室に持っていくことにしました。看護師長さんにはその許可を得て、父親も喜んで飲んでいたので、 私は愚かにも自分がいいことをしているような気になっていました。 その日も仕事が終わって、夕食介助をした後、持参した甘いインスタントコーヒーを飲ませました。 父親はその日は特に喜んで、「あぁ、コーヒーはやっぱり美味いなぁ」 と出なくなっていた声が急にはっきりして言いました。 よかったね、と私は満足して病室を後にしました。 次の日の昼に父親は腹痛を訴え、夜になって吐血しました。 結局そこから回復出来ずに、1か月後に他界しました。 胃カメラも入れられない状態だったので、ハッキリしたことはわからないままですが、胃潰瘍だったのではないかと思います。 私が愚かにもせっせと病室に運んだコーヒーが悪化の原因ではないかと亡くなってから気づきました。 末期ではありましたが、父親には生きることへの意欲が残っていました。 一日でも長く生きて欲しかったのに、愚かな私の行為で父親の死期を早めてしまいました。 許される罪ではありません。 しかし、父が息を引き取る時、残された母の面倒は見るから心配しないで、と約束したので、何としてもそれだけは守らねばなりません。 ただ、自責の念に苛まれ、毎日が非常に苦しいです。 償えるはずもありませんが、私はこの罪とどう向き合えばいいのでしょうか。

有り難し有り難し 28
回答数回答 1

亡くなった祖父に別れを告げられない

こんにちは。 つい先日、祖父が急逝しました。 あまりにも突然のことで、私を含め家族みんな、はじめは信じられませんでした。 私は遠方(海外)に住んでおり、通夜にも葬式にも出席することができません。 タイミング的なこともあり、いくら急いでもいくらお金をつんでも叶いません。 最後に顔を見る事も、残されたみんなと一緒にちゃんとお別れをすることもできないのです。 祖父には小さい頃からお世話になった思い出と感謝があります。 大人になってからはあまり頻繁に訪ねることもできませんでしたが、たまに行くといつも玄関で優しい笑顔で出迎えてくれました。 いつもは恥ずかしくて気持ちを伝えることもほぼありませんでしたが、家族を大切にする、尊敬できる、大好きな祖父でした。 そんな祖父に、ひとり最後のお別れをすることが叶わず、強い無力感を覚えます。 手を合わせ、少しでも気持ちを伝えようとはしましたが、やはり一人異国の地でそんなことをしても虚しいばかりです。 日本にいる家族は現在進行中の葬儀にバタバタしており、私は蚊帳の外という感覚です。 こんな状況で働くことなど考えられず、ここ数日は仕事も休んでしまっています。 また、同じことが両親や他の大切な人にも起こるかもしれないと思うと、こちらでの仕事を辞めて日本へ完全帰国し、また一から新たに生活を始めたいと真剣に考えてしまいます。そしてそのことばかりが頭に巡ります。 お通夜やお葬式は残された人のためのものである、というのをどこかで目にしましたが、まさにそれを実感しています。ちゃんとお別れを告げる機会が持てないことがこんなにつらい事だとは思いもしませんでした。遠く離れた地を動かず、食べて寝るほか何もできない自分がとても不孝者に感じ、いたたまれません。親を亡くした自分の親を近くで支えてあげる事すらできません。 この事実、辛さや非力さを、どのように受け止め、処理すればいいのか分かりません。どうか、皆様のお知恵を貸していただけませんでしょうか。 乱文にて失礼いたしました。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1