先日、父が急死しました。 倒れた日の朝まで何ごともなく元気だったのに、あっという間でした。 10年前、父より一足先に亡くなった母とはわだかまりがあり、そんな私にとって父はいちばんの理解者でもありました。 大好きな父でした。 私には子どもの頃から長く患っている持病と障害があり、体調の関係で父が行きたいと言っていた旅行にも結局連れて行ってあげられないままでした。 お世話になっている精神科の主治医は 「泣くばかりではなく、良い思い出も思い出してあげないとお父さんも可哀想だ」 と言ってくれましたが、どうしても素直にうなずけずにいます。 父との良い思い出は、確かに私にはたくさんあります。 でも父はどうだっただろうと思ってしまうのです。 持病と障害でろくに仕事も続かず、お金の面でも精神的な面でも父に負担をかけてばかりの娘でした。 父の娘にしてもらえて、私は本当に幸せでした。 世界一幸せな娘だと断言できます。 でもこんな私を娘に持って、父は本当に幸せだったのか。 負担ばかりかけて苦しませて、たくさんのやさしさと愛情をかけてもらったのに私からはろくに返せなくて、つらく苦しいばかりだったんじゃないか。 婦人科系の持病もあったので孫も見せてあげられませんでした。 今回、色んな人が 「持病と障害がある中、よくひとりで父の亡くなった後の葬儀や手続きを頑張ったね」 と声をかけてくれました。 やさしい父もきっと同じことを言ってくれると思います。 頭ではわかっています。 でもどうしてもつらくて寂しくて、父に会いたい、一緒に連れて行ってもらいたい、という気持ちを抑えられずにいます。
その節はありがとうございました。 いつも教えて助けてくれた職場の先輩が急逝しました。 それは二十五年ほど前の冬の週末でした。 切なさが蘇るこの時期、立春を迎えるお店の売場に今年は梅お菓子がずらりと並んで心に飛び込んできます。 先金曜日の朝、お寺の境内に佇むその樹を通り、あらためて向かい合った時「待っていたよ」と心に届きました。「待っててくれたんだ」、涙が溢れました。 涙は喜びからなのか、哀しみなのか…喜んで良いのか、わかりません。 梅の樹は、私を待っていてくれた。私はこれからも、一緒にいてくれることを喜んでいい。一生、絆があるもので、出遇いなおしていけるから大丈夫。寝ても覚めても浮かんでくるときは、ずっと想っていればいい。悲しみに暮れて悩んだり苦しんだりしなくていい。 蕾がたくさん、日を重ねるごとに膨らんで…くっきりと晴れた水色の空に、枝ごと映えています。美しく凛々しい姿が勇気づけてくれるかのようです。 とても力強さを感じ、温かくかすかに微笑みながら見守ってくれている気もします。 その方と同じように、尊敬している上司が誰よりも早く来てノートパソコンに向かう姿を目にすると、梅の木の方と重なって「いつか突然、会えなくなるのでは」 「そうなってほしくない」と、まわりの体調などに敏感になってしまいます。 どうして突然、会えなくなってしまったのだろう 防げるなら防ぎたかった この想いは、一生続いて答えは出ないかもしれません 寂しさの癒える日も、完全に記憶がなくなることはない いつか、目の前にいる人も 急に会えなくなるかもしれない いつかは、いなくなる だから、大切に そして、また遇える みんな一緒に。 今を大切に。 今日も、生かされていることに感謝 先日、住職が朝のおつとめのあと 私の朗読をそのまま聞いていたい声だと 言葉をくださいました 喉仏から出る響きは、母の声に聴こえる時があります 梅の木は本堂の背中から、聞いてくれている そう想ってこれからも、共にお聴聞していきたいと願います 涙がとまりません 南無阿弥陀仏 合掌
父の死が怖い。上の子を妊娠中に父の癌が発覚。既にステージⅣと診断され、昨年秋に「抗がん剤等の治療はしない。来年の今は居ない。」と連絡がありました。先週に病態が急変し緩和病棟へ入院し日に日に弱っていく父を見ていると離れる事が耐え難くなってきました。 母は父にどんな状況なのか伝えないと医者に言ったみたいです。 10年程一緒に仕事が出来たこと誇りに思っています。第2子を昨年夏に出産しお宮参り、お食い初めと親子3代の思い出も少ないですが作れました。元気な内に身に付けていた物も譲ってもらえました。 旅行にも一緒に行きたかった…アレもしたいコレもしたいと後悔が出てきて止まりません。年子で妊娠しなければ旅行も少しは出来たのに…と思っても仕方のなことを考えてしまいます。 また父がしたい治療方針や希望を尊重すると本人にいってます。だからこそ、母が父に状況を伝えない事でやり残した事が出来てしまわないかと心残りです。 自分の死に様まできっちり考えて死に向かっている父を尊敬しています。1日が過ぎていくたびに心が耐えられそうにありません。父が居なくなった後の心のもちようはどうしたらいいでしょうか。
先日大大大好きだったおばあちゃんが亡くなりました。もともとアルツハイマーを患っていたんですが亡くなる3年前に施設に入ったくらいから特に症状が悪化し、亡くなる1年前くらいは私が誰か、自分が何者なのかもわからない状態でした。色々な思い出があって、たくさんの大切な人がいて、色々なことを考えて生きてきたはずなのに、旅立つときにそれを忘れてしまうなんてむごすぎます。 覚悟はできていたつもりですが、もう二度とあの大切な時間が戻らなくて、あの声が聞けないと思うと辛くて耐えられません。 生前はおしゃべりだったおばあちゃんですが、まだ私はおばあちゃんのお仏壇やお墓の前でたくさんお話をしたいです。その時おばあちゃんは私が誰だか分かってくれますか?そもそも私の声は届いてますか?
私は今まで生きてきた中で一番の罪を犯してしまいました。 それは、ペットのインコを自分で殺めてしまったことです。本当に馬鹿なことをしました。 原因は、私がキッチンでお湯を沸かしていたのに目を離し、空焚きにしてしまったせいでテフロンの有毒ガスを発生させてしまったことです。 ワンルームなのでキッチンと居室が仕切られておらず、鳥には少しの量でも有毒なガスで、苦しめて殺してしまいました。 ケージの中で止まり木から落ちてしまったであろう姿を見て、息をしていない姿を見て、とんでもないことをしてしまったと悲しみと後悔でいっぱいです。今すぐにでも時が戻ればいいのにと願わずにいられません。 しかも、そのインコはまだ生まれて3ヶ月。家に迎えてから1週間と少ししか経っておらず、これから老いて年を取るまでたくさん思い出を作りたいと思っていました。 やっと新しい家に慣れてきたのに、とても可愛くて幸せにしたかったのに、、、本当に私は馬鹿です。 祟ってくれたら、夢に出て怒ってくれたらどれほどいいことか。でも死人に口なし。何も分からずに苦しんで死んでしまった小さな命へなんの償いようもありません。 せめてきちんと埋葬と供養をしてあげたく、専門の葬儀屋さんに依頼しましたが、私はこの事実にどう向き合えばいいのか、どうかお坊さんからお言葉をちょうだいできればと存じます。 感情がいっぱいいっぱいで、読みづらい文章でしたら申し訳ございません。 最後までお読みいただきありがとうございます。
何度かご相談させていただいておりました、主人のことです。 闘病していた主人が、昨年11月に亡くなりました。最期の最期まで一生懸命に生きてくれました。もっともっと生きていてほしかった。それが今の想いです。 亡くなってから二度ほど主人の夢を見ました。最初は姿が見えなくて、曇り空の中、一生懸命探して歩く夢でした。どこに行ってもいなくて、私は泣いていて、起きた時も泣いていました。主人は私と会いたくないのかな、もう会えないのかな、と悲しくなりました。 その数日後、また夢を見ました。家族みんなで自宅でワイワイといつも通りの雰囲気で、私が主人に抱き着いたら、抱きしめ返してくれて、頭をなでてくれました。よしよし、頑張ったな、という雰囲気がありました。顔もふっくらして、病気をする前の顔をしていました。その夢を見てから、もう病気も治ったんだ、よかったな、と、そして、主人はこの家にいて、今も私たちを見守ってくれていると、とても安心しました。 もうすぐ主人の四十九日です。最近あるお話で、人は亡くなって四十九日がたつと、この世での記憶が薄れていくと聞きました。成仏して空に行くにはこの世の記憶を消さなければならない、と。それは本当なのでしょうか?その話を聞いてから、なんだか、自分から主人が離れていく(引きはがされる)ように感じてしまい、より悲しみが増してきてしまいました。主人の夢を見た後だったので、よけいも辛く感じているのかもしれません。 用事を足しに出掛けるのも辛く感じるようになり、家から出ることが怖く感じるようになりました。 主人にはこれからも幸せであって欲しいと願っています。そのために私はどんな気持ちを持てばよいか、できることはなにか、教えていただけたらと思っています。
相談失礼します。 数ヶ月前に、母親が病気で亡くなりました。亡くなるには早すぎる年齢だと思います。 母親は、なくなる数日前から、入院していました。 私は、一人暮らしなので、その頃の母親の様子について知りませんでした。入院したことは聞いていましたが、他の親族から「母親は検査入院した。心配しなくていい!」と言われていました。 また、その親族は、母親に「あとで〇〇(私)も来るよ」と言ったらしいです。先ほど書いたように、私は「検査入院」と聞かされていて、お見舞いの話なんて話題に上がっていませんでした。 この嘘をついたことについて、親族は「〇〇(私)に心配をかけたくなかった」だの「〇〇が来ると伝えて、母親を励ましたかった」だの言っています。 しかし、母親からしたら「来ると言っていた娘が来ない」状態のまま、死んでしまったわけです。それって、すごくひどいことだと思います。母親は、私に絶望して死んだんじゃないかと思っています。 ずっとこのことを考えてしんどいです。嘘をついた親族や、亡くなった母親のこと、どう考えたらいいんですか。
10月に祖父が亡くなったのがきっかけなのか分かりませんが、家族の死が今までにないくらいに恐ろしく思うようになりました。 特に寝室が同じである母は、先に寝ていると寝息を確認してからでないと落ち着かない、不安になってしまいます。別件で心療内科から処方された睡眠薬で無理やり寝る時もあります。 時間が経てば落ち着くようになれるのでしょうか。寝ている母が隣にいる今も息苦しくてどうしようもないです。少しでも気が楽になるにはどうしたらいいのでしょうか。
96歳の祖母のことでご相談させてください。 祖母は今年の夏頃までは会話もでき、歩くこともできていましたが、施設入所をきっかけに体調と認知状態が急激に悪化し、現在は入院中で、長くないのではと感じています。 今、私の心を一番苦しめているのは、もっと何かしてあげられたのではないか、あの時こうしていれば違ったのではないか、という後悔の気持ちです。 会いに行ったり、感謝の気持ちは伝えてきたつもりですが、それでも、もっとそばにいればよかった、施設に入れずに別の選択はなかったのか、元気なうちに、もっと一緒に過ごせたのでは、という思いが次々に浮かんできて、心が休まりません。 祖母がこの世を離れる時を前にして、この「してあげられなかった」という思いを、私はどのように受け止め、どのように手放していけばよいのでしょうか。 仏教の教えの中で、 後悔や執着の気持ちとどう向き合えばよいのか、祖母への思いをどのように心の中で大切にしていけばよいのか、お言葉をいただけましたら幸いです。
この2年間で、両親を相次いで亡くしました 遠方に住んでいることもありますし、近年はコロナ禍であったことも手伝い、年老いた両親を放っておいた結果、日常生活がままならなくなり、母親が倒れました そのタイミングで父親も老人介護施設に入所させ、結果2人から無理やり棲家を奪うことになりました その後、母が亡くなり、父親もその1年後に亡くなりました 父の最後の半年間は私も仕事と子育てでへとへとだったこともあり、あまり会いにも行かず、寂しい思いをさせました そして、父を一人で逝かせてしまいました 葬儀等も全て、実兄のお嫁さんが手配しその後の相続なども義理の姉が片付けてくれました 私は何もせず、親を看取ることもせず、幾ばくかの財産をもらいました あまりの無責任さに、我ながら反吐が出そうです 二人の写真を見ることもできません ただ、申し訳ないという気持ちと両親が深く傷ついたであろうと思うと、怖くて二人の顔を見るのが怖いです この状態から抜け出したい、でも許されることではない気もするし、わたしは罰せられるべきなのではなど、自分でもそれは違うだろうという感情に振り回されてしまっています いつか心が穏やかになる日は来るのでしょうか
昨日、母が亡くなりました。 1年半程前から末期肝硬変と言われていたのですが2週間程前に悪化してしまい、そのまま亡くなりました。 私は何故か母がまだ死なないと思い込んでおり、やり残した事がたくさんで後悔しかありません。 最後の面会の日もあまり話せず「また明日も来るね」と言って帰ってしまいました。 どうして感謝の気持ちや大好きだったこと等伝えなかったのだろう。 どうして最後に抱きしめてもらわなかったのだろう。 そういう後悔でいっぱいです。 母は今年に入ってから旅行に行きたいとずっと話しており、私は来年の暖かい季節になったら行こうと話していました。 理由としては私が妊娠し8月に出産を控えていたので落ち着いてから行こうと思ったのと、母が寒い時期が苦手なので暖かくなってから行きたいと考えていました。 出産後すぐに行けば最後の思い出が作れたかもしれないのに。 また、面会の時に入院期間中に1度だけ10分間のみなら私の子供を連れて面会をしても良いと言われました。(子供が3歳と0歳なので感染予防等の観点から本当は中学生未満の面会は禁止でした。) 母は体調が良い時に連れて来てほしいから今日は連れて来ないで、と毎日言っていて結局会わせてあげられませんでした。 母は入院中毎日上の子が夢に出てくると言っていました。 母の言葉を無視して連れて行けば少しは話をさせてあげられたかもしれないのに、と後悔でいっぱいです。 今すぐ私が死ねば母に会えるのではないかと考えてしまいます。 子供がいるのに無責任だと周りに言われましたが、それでもどうしても母に会いたいです。 たくさん迷惑掛けてごめんね、ずっと育ててくれてありがとうって。大好きだって。 伝えたいです。抱きしめてもらいたいです。 母がいない人生どう生きていけばいいのかわかりません。 私も母が死んだら一緒に死のうと考えていたので死にたくて堪らないです。 母がいない世界で生きていけません。
気持ちの持ち方を教えてください 自分でどう消化したらいいのか分からず、本当につらいです 私の父には弟がいるんですが、定職に就かず、ふらふら自由に生きてきました 悪い人ではありません 穏やかで優しい人だったと思います 幼い頃の自分たち兄弟を可愛がってくれました ですが、父とは40年近く没交渉であり、私もそれくらいの期間、叔父とは会っていません 最後に会ったのは私がまだ幼いときでした 記憶の中の叔父は20代の青年で、今の私よりもずっと若い姿です その叔父が最近亡くなりました 最後は生活保護を受けていて、自治体の福祉事務所から父に連絡があったようです もう火葬まで済んでいるようで、父は叔父のことを良くは思っていないものの、遺骨は引き取るようです 私の兄や祖父母の眠る墓に入れるんだと思います 40年近く会っていませんが、自分でも意外なほどつらいです 幼いころに一緒に遊んでもらった思い出が溢れてきます 最後に会ったのは多分6歳くらいだったと思いますが、楽しかったことだけはよく覚えています その場に居たのは祖父母と一つ上の兄、そして私です 思い出して、今生きているのは私だけって考えると涙が止まりません 父と叔父は仲が悪いわけではなく、「好きの反対は嫌いではなく無関心」を地でいってる感じです 本当に無関心というか、関わりたくないって思ってるようでした 2人が話をしているのを見たことがありません 家族には、疎遠になっていた叔父の死を私が悲しむのが理解できないようです 共感を得られないことが苦しいです 助けてください
最愛の息子が自死してから1年になりますが、未だに散骨する(息子の願い)踏ん切りもつかず息子に執着しているダメな親です。息子を苦しみから救い出すことも、自ら命を断つことも止められなかった情けない親です。 毎日、息子の苦しみからの解放を願い、謝罪を続けています。早く息子のところへいって直接謝りたいです。赦してもらえない気がします。 お坊さんに、今の人生は前世でした行いで決まっている。だから次の人生をいいものにするには今世で徳を積まなければならないと聞かされて育ちました。私は前世で悪い事をしたから罰を受けているのでしょうか? 幼い頃の父の死、兄弟の精神疾患罹患、母の裏切り、娘の病気、息子の死とまだまだ続くのでしょうか? 私の前世のせいで息子は巻き込まれて苦しんだのでしょうか。私はどうやって息子に償えばいいのでしょうか?私の周りのひとを不幸にしない為にはどうしたらいいのでしょうか?次は何が起こるのか考えると怖くて仕方ありません。 息子に恨まれてますよね?でも、彼を手放せないんです。どうしたらいいですか?
高校生の息子が自死してしまいました。もともと繊細な子供で、不安症などもありましたが、なぜ助けてあげられなかったのか毎日胸が苦しく、これから生きていく自信がありません。 なぜ相談してくれなかったのか。頼りない親だったのでしょう。朝は普通に行ってらっしゃいをしてくれ、仕事から帰ったら亡くなっていました。夏休み明け前で、少しからかってくるお子さんなどもいたため、学校が怖くて衝動的にしてしまったのでしょうか? 止められなかった親が悪いのはわかっているのですが、自傷行為や行き渋りなどもなく突然だったので、若くして自死するのは運命や意味があるのだろうか?と毎日気持ちの整理がつかず苦しいです。息子の苦しみのほうがもっと辛かっただろうと思うと、今すぐそばに行きたいと思うほど、つらいです。
いつも親身にお言葉を選んでくださり、ありがとうございます。 大切に想う人が、先にお墓に入ることになったら…私は、「その離苦の哀しみに耐えられないだろう」と思う出来事がありました。私が心から慕うその方が、もし病に伏して長く患い、今の素敵な姿を全うできない辛さを思うと、まだ私が先に往生したほうが、何倍も楽だとさえ思いました。 もちろん、今日その方はご健在ですし、誰よりも朝早くから夜遅くまで高いバイタリティでご活躍なさっていて、表向きは健康上の心配も全くありません。ただただ私自身「いろいろと結びつけて考えるな」「未来を思い煩うな」の一言に尽きるのに、とめどなく悲しくて… お寺に来ると毎日のように、生まれたら必ず・・・、始まりには終わりが、出会いには別れが、すべてその時がくる。その方がお持ちのお墓や、御本尊様の近くで毎朝晩手を合わせる中で、ご葬儀や法要を前に、どんなに頑張っても「娑婆の縁尽きて、力なくしておわるとき」が来る、そう意識する機会、やがて人生の果てに辿り着く姿が当たり前になる。 その別れをいつかは受け入れる。頭では愛別離苦をわかったつもりでも…他人事なら平気でそう答えが浮かんでしまうような自分と、実際に喪失に面したら、私には「その人がいない」状態で生きるなんて、そんなのは無理だと、こみ上げてきた止まらない涙をすすっていました。 歩いたその先に見上げると、目が合ったお寺の聖人様の像から、「必ず、あちらの地でまた会える。だから安心して道を往き、今を大切に生きるように」そんなお声が胸の奥に湧きました。 直近の仏教に通じた先生とお話しできる会でも、「どうしたら、離苦の悲しみ・辛さを乗り越えられるか」お尋ねしたところ、「耐えられない、と決めつけないこと」と御教示くださいました。 わたしにとって大切なその方はとても、自他に厳しく優しい方です。周りを甘やかさない一方で、本当に困って助けてほしい時に1000文字の手紙で申し出れば、私と同じ立場に目線を合わせて1000文字のボリュームでアドバイスをくれたり、陰で誰よりも努力し、誰よりも鋭く、隙なく、速く的確に物事を判断します。慈悲や思いやりに溢れ、賢明で人徳もあり、間違ったら潔く謝り、人を頼った時は小さなことでも必ず感謝してくださる御恩は臍帯血の様です 浄土の母が繋いでくれた縁、生かされていることに感謝しつつ、別れの切なさが募ります
最愛の母を1週間前に突然の病気で亡くしました。 どうしても現実に思えなくて毎日母の姿を探してしまいます。 昔から母には心配ばかりかけ、結婚してからも甘えて愚痴ばかりこぼしていました。 その度に母は、それは困ったねー。と優しく笑いながら私の気持ちに寄り添ってくれ頭を撫でてくれました。 母が生きていてくれたから今までやってこれたと言ってもいいくらい母が頼りで大好きでした。 子供達の前では泣かないようにしていますが、1人になると泣いてばかりいます。 母が亡くなって日が浅いので、まだ乗り越えられなくて当然だと言う人もいますが、何年経ったとしても乗り越えられる自信が私には全くありません。 実家で一人暮らしになってしまった父も同じように母の死を受け入れられないでいます。 母が倒れてから亡くなるまでの半月程の間に1日だけ母としっかり会話をすることができた日があります。 その時の会話の中で忘れられないものがあるのですが、それは母が眠っている間、閻魔大王が出てきてお前は死んだら地獄に行けと言われ、怖い怖いって言っていたと言うのです。 その時は、もう大丈夫だから安心してね。と伝えたのですが、本当に出てきたんだ。と言う母の顔が忘れられません。 私の宗派では、亡くなるとすぐに極楽浄土に導いていただけると聞きました。 その教えの通り、母は今極楽浄土で安らかでなんの苦しみもないと信じていいのでしょうか? 先に逝った祖父母が迎えにきてくれて、安心して導かれたんでしょうか? 亡くなる1週間前くらいからは毎日病院に通い、身体をさすり、ありがとうと大好きを言い続けた私の声は母に届いていたのでしょうか? もちろん今も母には、ありがとうと大好きを伝えています。 どこかで聞きながら見守ってくれてますか? 私が天寿を全うしたらまた母に会えますか? でも本当は今すぐにでも母に会って声が聞きたいです。
こんばんは。 以前こちらで相談させていただきましたが、5ヶ月前に愛兎が亡くなりました。 埋葬してから毎日お墓に挨拶をして1日を迎えています。 毎日泣き暮らしているわけではありませんが、ふとした時に思いがけず涙が溢れて眠れなくなります。 一度だけ夢に出てきてくれましたが、その時の姿は元気だった頃と変わらず、好きにご飯を食べてゴロゴロして愛おしい限りでした。 思い出す姿も夢の中と同様に元気に駆け回る様子ばかりなのに、思い浮かぶ言葉は看取れなかった懺悔や後悔ばかりです。 こんな風な言葉を向けられ続けるのは本人も望んではいないだろうと分かっているのですが、会いたい気持ちが積もり続けて後を追ってしまいたい気持ちも途絶えてくれません。 私の中であの子以上に他の誰かを愛せる自信も無いので、次の子のことは考えられません。 ただこうも後悔を引きずって泣いてばかりいるのも、心配させてしまう気がします。 あの子と過した時間を忘れないまま、ペットロスを乗り越えるにはどうしたらいいのでしょうか。
先日、母が病期の為に亡くなりました。 入院したときから覚悟はしており、面会に行く度に手を握ったりこれまでの感謝や母に対する思いを伝えたりはできる限りしていたのですが、やはり辛く悲しいことには変わりありませんでした。 よく親や身近な人の死を受け入れられないという話を聞くことがあります。 自分が、母の死を受け入れられているのかそれともまだ受け入れられていないのか自分ではよくわからず、他の方から見てどう思うかを聞きたくなりました。 先程も書いた通り、覚悟はしており亡くなった瞬間も「この日が来たんだな。お母さんお疲れ様」と最初に考えましたし。その後、通夜や告別式等があり度々悲しみの波が押し寄せてきて涙が溢れることもありました。 しかし、「もう一度会いたいと全く思わない」と言えば嘘になりますが、そこまで強く会いたいとは思わず、私が生きている限りもう会えないことは理解し、母にはあの世でゆっくりしながら、残った家族のことを見守っていてね。私はこの先もちゃんと生きていくからね、と素直に思っています。 これは母の死を受け入れられているのでしょうか? 難しい質問になったかもしれませんが、回答いただけると幸いです。
お坊様方には毎回相談と言いますか話を聞いて頂き感謝しております あれから親友が亡くなって3カ月以上経ちました 心の傷は癒えませんが時の流れは早いなと感じております 親友の家を通る度に未だに親友が生前乗っていた車が残されており 携帯に電話すると親友が2階から何時ものように私の名前を呼んでくれて 手を振ってくれたりすれば良いのになと思って家の前を通り過ぎます また家の前を通る度にずっと辛い治療をしてきたからゆっくり休めよと言ったり 俺は○○と出会えて幸せだったから本当に有難うと言ってます 緩和ケアでは3日間面会出来てもまともに話せたのは1日だけでした 親友には生前緩和ケアでの面会で姿が見えなくなっても 俺の心の中では生き続けてるから永遠に死ぬことは無いよと言っておりますが やっぱり声が聴けなかったり顔が見れないと寂しいものです 就寝時には音楽の曲で夢で逢えたらを思い出して 貴方に会えるまで眠り続けたいと思いながらも夢に1回も出て来てくれません きっと親友が夢の中に出てきたら俺も一緒に連れて行ってくれと言うからかなと 就寝時や家の前を通る度に親友には感謝の言葉を 心の中で沢山言っておりますがお坊様方は親友に対して 私の気持ちが届いていると思いますか? 親友のお墓の場所は知りませんし親友の親には 私自身良く思われていなくて交流が一切ないので
お世話になります どうぞ宜しくお願い申し上げます 先月最愛の母が亡くなりました 施設内コロナ感染に伴う誤嚥性肺炎による急死でした 感染前は全く元気でした 施設内感染者が出ても「お母様は大丈夫です お元気ですから」言われた矢先の事でした そんな元気な母でしたのでまだまだ何年も長生きしてくれると信じておりました 突然の別れに日がたつにつれて寂しさと同時に施設に対して強い不信感と怒りを感じるようになりました 施設内感染対策の不充分さと同時に重篤になった高齢の母を施設内で時間を経過させてしまっていたこと等 今まで一生懸命生きてきた母がこの様に最期苦しんで亡くなってしまったことを思うと残念でなりません この様な最期だけは避けたかったと 何故もっと早く病院に連れて行ってくれなかったか、そもそも感染がさえしなければこんな事にならなかったのに、まだまだ長生してもらえたのに等・・ 考えても戻らない母の事を考えてしまいます 退所時の施設の説明は淡々と経過を語るのみで誠意が少しも感じられなかった事が一層悔しさを増している要因になっています (施設には責任の一旦はあると思います) 今はその様な施設を選んだ自分自身も悔やまれています 人を恨んでも仕方ないとは思うのですが、自分の心の整理がつかずに悲しみより恨みの様な感情が強く我ながら情けなく思います 自分自身を治める術が見つからず混乱しています どうぞご意見ご教授頂ければ幸いでございます 長文お付き合い頂きありがとうございました 宜しくお願い申し上げます