2023/08/28大勢に流されるだけの無力な塵
「何をしたところで、自分の命など他人次第でしかない」「結局は圧倒的な力で簡単に殺される」という事実に無力感を抱いています。
官僚もメディアも利益重視なので日本はもう沈むだけですし、今は救命ボートに誰を乗せるか、誰を蹴落とすかの時代です。だから、生き物が元々持っている「価値の無いものへの差別的感情」が抑えきれません。労働が「ただの苦役」でしかないから誰もが最低限の仕事しかできず、終わりゆくこの国を救う革新的な方法を誰も編み出せません。私を含め、誰もが、「自分が被害者だから救って欲しい」としか言えないからです。
現実を見れば見るほど「ものすごいスピードで進む、いつ先がなくなるかわからない、けれど先がなくなることだけは確定しているトロッコに乗せられているだけ」という感覚が強くなるため、自分の生活に集中したくなります。しかし、それでは逃げるタイミングが見極められずに沈んでしまいそうで恐ろしくもあります。
私よりもずっと賢くて優秀なはずのたくさんの人が「もう日本は終わりだ」「戦争は避けられない」と言っていて、誰も解決策を見出せていないのだからきっとそうなのでしょう。私は、他者を害しなければ生存を保つことができない「生き物」そのものに強い不信感を抱いているため、どれほど恵まれようと、一生働かなくてもいい程の富を持っていようと、漠然とした絶望感を抱き続けるのだと思います。そして、現代はその絶望感を煽る事実ばかりが蔓延する時代です。
頑張らなければ生きられないのに、頑張ったところで生きられるとも限らない。結局、他人に対して「自分を生かす価値」を証明できるかどうか。そして、それさえ押し流す国家間戦争や自然の強大な力だってある。「殺される」という気持ちばかりが強くなっています。
「生きない」ことが最善で、全生命が同時に安楽に死滅するのが最も賢く幸せだという思いは10年近く変わってはいませんし、きっと一生変わりはしません。私自身がまともに働いて生きるという当然のことができない人間なので、子供を持つつもりは一切ありません。自分に安楽な老後があるとは一切思っていません。ただ、希望のないこの世界が続いていくのがどうしても腹立たしくて許せなくて仕方ありません。死んでもどうせまた生存競争の中に放り込まれる。やがては太陽と共に死滅する。そこらの塵でしかない自分を惜しんでしまうのが嫌なのかも。
有り難し 2
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