こんにちは。少しメンタルが弱めなので、お手柔らかにお願いします。。 近頃、たくさんの悲惨なニュースがありますよね、戦争とか、人を殺したり、誰かが叩かれたり、自殺したり。。 そしてそこには大抵、被害者と加害者がいて、善人と悪人がいて…第三者も含めて加害者を責める構造が出来上がります。 でも、少し考えると、善人と悪人との違いは唯々、生まれた場所や環境や境遇や、タイミング…だけだと思うのです。 それは誹謗中傷をしている人間さえも事情があることを意味します。つまり…みんな辛い思いをしたくてしてるわけないし、人の性格だって容姿だって思想だって遺伝子と環境が由来する。要するに不可抗力であることが多い…気がします。 だからどれだけ最低な行動をとっても、人間にほんとうの意味での悪者はいないのでは…と考えたいのですが(誰かを許せないような社会の風潮が怖くて…)、お坊さんの貴慮をお伺いしたくなりました。ぼくの考えはやっぱり誤ってますか?回答お待ちしております。
ご覧いただきありがとうございます。 ある病気(癌)の野良猫のことで相談させて下さい。 私の実家は車で20分ほど離れた山あいにあるのですが もともと何年か前から実家近くにオスとメス猫の野良猫がいました。 1週間ほど前にオス猫が日向ぼっこしていたのですが目の下が真っ赤な大きなケロイド状態みたいになっていて心配になり写真に撮って動物病院に聞いたら癌だと言われました。 地域猫団体に相談して捕獲して治したいことを悩んでいると伝えましたが基本は捕獲器は借せるが基本は一人でやってほしいとのことでした。 なんとか捕獲器は借りてここ1週間頑張ってはみたものの野生に近いせいか思い通りにはいきません。 野良猫の表情は驚くほど高潔な感じで苦しいはずなのに堂々と私を遠くから眺めて近づこうとしません。 実家の老親は認知症もあり一緒に手伝うどころか捕獲器をしまいたがってしまいます。 救いたいと強く思っていましたがエネルギーが続かなくなってきました。諦めようかと思います。 しかしもどかしい気持ちでいっぱいです。 お坊さま 教えてください 祈りは通じますか? せめてその野良猫ちゃんの苦しみが少しでも軽くなるよう祈りたいです。 現実的ではないことは分かっていますが私にはもう祈ることしかできないです。 あの子があまり苦しまずに生を全うできるよう祈り方をお教えください。
「今の日本は傾いているから誰かを犠牲にしたい」という感情が蔓延している、ということを声を大にして言いたいのです。だから、私のような無能は人権を放棄しなければなりません。そもそも、労働に縛られている時点で普通に生きられている人間にも人権がないからです。 増税や経済的負担に対する抜本的解決がない以上、「障害者をガス室送りにしなければならない」「生産性のない人間をガス室送りにしなければならない」という思想が蔓延するのは必然です。価値のある人間しか生きることを許されないのです。 社会や世界全体への不信感が強烈で、もうどうにもならなくなっています。けれど生きるには労働しなければなりません。私を傷つけ苦しめ貶め殺すためだけの場所に入っていかなければなりません。そうしないと人権が買えないからです。 自分を殺さないと人権が買えない。けれど人権を買ったところでいつ足元が崩れるかわからない。自殺推奨活動のほうがよっぽど慈悲深く思えてしまうのですが。 こんなクソみたいな世界で、どうして自分を殺してまで生きるしか方法がないのでしょうか。どうして、不幸になるしかないこんな世界がいまだに続いているのでしょうか。この怒りをどうしたらいいのか全くわからないのです。 壁を殴ったらヒビが入る。そういう、自分のアクションに対して当たり前の反応が返ってくる、という経験が薄く、その度に苛立ちが募ります。自分が気にならない、話を聞いても何が悪かったのかよくわからないことで長々と詰められ、こちらの言い分は何一つ聞き入れられない。そういう不公平さの中で生きてきたので、何に対しても「自分を殺せばいいじゃない」としか思えません。だって、人間は自分以外の誰かが犠牲になることを望む生き物ですから。私は誰の犠牲になれば良いですか?私の代わりに誰が犠牲になってくれるのですか? どうせどう生きたって誰かに支配されたまま終わるのです。そうしないと人権が買えないから。現実を見れば見るほど嫌な気持ちだけが募ります。この世界に救いはない。あるのは泥のような絶望だけ。はーあ、努力とかくだらない。今まで言われてきた沢山の言葉に対する恨みが消えない。でも他人から見たら悪いのはぜーんぶ自分。やってられない。どうせ「悪いのは私でした」という反省のポーズしか望んでいないのだからロボトミー手術を受けなければ私はこの世界に生きる権利を与えられない。
また新たな戦争が始まりました。明日は我が身でしょうか。 「報道しない日本メディアはダメだ」と言われています。私たちは平和ボケしているのでしょうか。まあ日本が戦争に巻き込まれるのも時間の問題ですね。私たちに未来なんてない。現実なんて汚らしくて残酷なものでしかない。 この世界のシステムに耐えきれなくなった憎悪が世界中で噴出し騒乱を巻き起こしているマクロな事実と、そんな完璧ではない人間という生き物から一方的に「あなたが間違っている」「あなたが変わればうまくいく」と言われ続けたミクロな怒りが混ざり合って何もかもが馬鹿馬鹿しいとしか思えません。だから生きているのが嫌なんだ。 仏教だって結局、生きるも死ぬも理不尽しかないものだから何か納得できるだけの理由をこねくり回した結果でしかないでしょう。「全部私が悪いので悔い改めて、私の全部をこの世界に捧げます」と生きなければこの生命という不愉快極まりないシステムから解放されないのですか。喜んで火の中に飛び込む兎になれと。結局望まれているのは自己犠牲じゃないですか。生き物は、自分のために自分以外のものが犠牲になることを望んでしまうものなのです。 どれだけ努力したところで、自分とは関係ないもっと大きなものによって簡単に潰される。この国のシステムも欠陥だらけで有事に対応できると思えない。いつ殺されるかわからないから、いま生きていることに感謝すべき? そう思うにはこの世界はあまりにも汚らわしすぎます。ずっと言ってきましたよねこの世界は生きるに値しないと。その決定的証拠がまた一つ増えたんですよ。生きるも死ぬも誰かの天秤の上。人権なんて初めからなかった。第三次世界大戦はいつ起こりますか? 私たちは死ぬ準備をしなければなりません。 薄氷の上の平和すら貴重品となってしまった世界で、その平和の中にいながらうまく生きられない罪悪感。自分の在り方を否定され続けてきたが故の「どうせ自分なんていらないんでしょ」という感情と閉塞感。秒読みとなった戦前危機に対する焦り。人間という生き物への困惑。未来に対して絶望視しかできない。こんな世界の中でどう生きろと。けれど何を言われても響きはしない自分自身に対しての苛立ち。今の世界を見ても美しいと言えるでしょうか。 結局、傲慢でなければ生きられない世界。2025年を迎えられるといいですね。きっと無理だろうけど。
性癖の話なのですが。 私は女性ですが、小中学生の女子の裸を見たいと思っています。画像で見たいです。 でも、世の中にはそういうものは絶対ないじゃないですか。なぜなんでしょうか? 何回か見かけたことがあるのですが当然消されてしまっていました。 そういう欲求はどうしたら満たせるのでしょうか? せいぜい高校生くらいに見えるアダルトビデオとかで我慢したらいいのでしょうか。 恥ずかしい質問ですみません。
今までに色々な事がありましたがやはり自分は自分が好きでした。相談というより私の体験談です。私は三年前当時自分が死ぬほど嫌いでした。自殺したいなと思うようになりました。だから神社にお参りして変わりたいとねがいました。するとその日の夜に夢で神様らしき人と出会い笑顔を見せてくれました。そして起きたらアイデンティティが崩壊したみたいな自分が自分ではないみたいな事になりました。特に血や不吉なものが駄目になったり趣味が無くなったりしました。それが7日間続き、その事をおばあちゃんに相談したら、おばあちゃんは優しく接してくれました。そして最後に貴方は恵まれているね。と言われたときにはっとしました。そうだ僕は何て恵まれているんだろうと家族もいておばあちゃんもいる何故そんな簡単な事に気づかなかったのだろう。その瞬間私の見てる全てのものが愛おしく思えるようになりました。何故気づかなかったのだろう自分が障害者と悲観して周りを見てこなかった。縋りつづけてた日々だった。おばあちゃんお母さんがいるから私は産まれたんだ、父さんが働いてるから裕福なんだ。自分のことばかり考えて周りが見えて無かったんです。それから不思議なことに自分以外の声が聞こえてくるようになりました。それはお札や仏壇や墓の前にたち心の声で語りかけたら、返ってきたんです声が。皆幻聴だと言われたけど私は通力だと思います。どうかお話聞かせてください。 私は自分の醜さを知ってます。かつて友達の悪口陰口を何回もしましたし。イジメも少しだけ加担したかもしれません。でもそれも私なんです。どうしようもなく愚かで他人に縋ってる。それが私です。私は声から聞きました。皆そうなんだよと。貴方だけではない皆んなだよ。と その瞬間に気づきました人の醜さそれらは自分が後悔した分だけ自分に返ってくる心の弱さや自分が自分自身を信じ切れない欠点であるとゆうことを。因みにこれは私が思ってる極論なのでありのままに受け取らないでくださいね笑 だからこそ声に励まされたからいいます。私は自分が死ぬほど嫌いだ。でも同時に好きなのだと。
大学受験間近の受験生です。 文には至らない点があるかもしれませんが、ご了承ください。 私の受験が近づいていくにつれて、親も私も不機嫌になったり口論することが増えていきました。その度に毎度「昔(幼少期)に戻りたい。」「祖父母がまだ元気で、仲の良かった親戚たちと定期的に集まっていたあの頃に戻りたい。」など過ぎた温かい記憶に縋ってしまいます。悲しくなって、ふと目に入った私が幼少期の時に母がせっせと作っていたアルバムを見て、大好きな母からの愛を改めて実感しました。しかし、今目の前にいる母親は、私が絡めば絡むほどやっぱり不機嫌になって向こうを向いてしまいます。それがとても悲しいです。私に勉強してほしいのは十分わかっていますし、母も仕事で疲れているのもわかっています。自分の合格が一番の親孝行というのも分かっています。 だらだらと前置き失礼しました。私の最も不安なことは、上手く言えないのですが、時間が自分の周りの環境をゆっくり壊しているような気がする事です。 今までの家族の幸せだった思い出と全く同じ体験はできず、また、これからの人生体験する楽しいことが全て「楽しかった過去」に変わっていくことにひどく虚しさを感じます。 まだ子供のくせにと思われるかもしれませんが、無常というこの世であたりまえであるものが受け入れきれません。 私はやはり考えすぎなのでしょうか? 時間が経つということが怖くて虚しいものだとマイナスな考え方をしてしまいます。 無常観についてどう考えるべきなのでしょうか?
悩みというより疑問なんですが、なぜ、人生は健康で正常だと、楽しいのでしょうか。 友達、仲間を作ったり、恋人を作ったり、家族がいたり。お金で好きなものを買える。 私は鬱だったり昔いじめられてたりしましたが、最近友達が増えてつくづく幸せだなと思っています。 どうして人間の人生は楽しいのでしょうか? この幸せがずっと続けばいいのにと思います。
こんばんは。 先日第二子が産まれたため、マタニティブルーになっている自覚もありますが、どうしても不安が拭えないため、こちらで相談させて下さい。 未来に対しての漠然とした不安感がとにかく強いです。 主に戦争についてです。 幼い時に親から「戦争について学ぶことは大切!」と、戦争体験の絵本などを読まされてきました。 小さい頃の私はとにかくそれが恐ろしく、いつか自分が体験するのではと思い込んでいました。親には言えず、毎日隠れて泣いていました。 その体験を20年以上経った今も引きずっており、「戦争で大切な人を亡くす未来」がとにかく怖いのです。 昨年のウクライナ侵攻からそのようなニュースが増え、目にも入るようになってきました。 意識してニュース断ちをしていましたが、産後家から出られない時期にはついテレビを見てしまい、ニュースが目に入り、関連ニュースをネットで調べ、不安になる…という悪循環の毎日。 どうしてこうなってしまったのでしょう。 毎日不安で眠れないのです。 どのように考え方を変えれば、心穏やかに、子どもに向き合える母親になれるのでしょうか?今の自分の心があまりにもざわついていて、辛いです。 乱文失礼しました。
労働がただの苦役でしかないから虐待や虐めがなくならない。だから世を恨むことしかできない不幸な人間が量産され続ける。でもそういう不幸な人間を救いたいと思うような余裕のある人間はもうこの国にはいないし、不幸な人間が本当に救われるには「誰とも関わらなくていいくらいの金銭を労働なしに受け取る」しかないのである。不幸な人間にとって、自分以外の他者と関わることそれ自体が毒である。 普通に生きていられる人間だって労働に囚われている時点で不幸にしかならない。将来の安定もなく、ただただ自分以外の気持ち悪い人間に時間も労力も金銭も吸い取られる。不幸のエネルギーがこの世界を支配している。この世界の空気が猛毒。現実なんて毒でしかない。 労働が不幸の種でしかない。だから生きている人間はみーんな不幸。つぶやき欄にヒビ寄せられる呪詛、本当に見てます? 「この世界から去る権利」はどうして得られないのですか? でもどうせ私はこの世界から「死ね」と言われるような無能で呪詛の塊なのでだーれも見向きしてくれない。結局は選民思想。綺麗な人間だけに生きてほしい、汚い人間には死んで欲しい市民感情が何よりも力を持っている世の中。自分よりも楽をしている人間はずるい。誰もがそう思ってるから足を引っ張る発想しかできない。あーやだやだ。人間って本当に気持ち悪い。生きているって本当に反吐が出る。 いいですか、世界がこんなことになってしまった以上、自殺できる人間のほうがずっと賢いんですよ。「生きることは害悪でしかない」という真実を実行できたのだから。働けなくなった人間に人権なんてない。働いている人間の人権すら保障されていないのだから。 こんな世界にポジティブな感情を持つ方が難しい。でもこの世界を美しいと讃え、生きていることを喜べと言う。生きていることを望まれた人間とそうでない人間には決して埋められない溝がある。自分じゃない、もっと綺麗で理想的な何かになることを強要され、辛い時にはいつも「あなたが悪い」で片付けられた。だから世界への恨みがいつまで経っても消えない。でもそういう人間は傍目から見ると気持ち悪いから誰もが遠ざかる。でもその人にとっては孤独な方がずっと楽。自分以外の人間は敵だから。 この世界に人権なんてない。そもそも、生まれた時点で争いに巻き込まれる。だから今の奇跡に感謝しろったって、将来がないのだからどうしようもない
やりたいことをやるって必要ですか? よく最近耳にする言葉です。 周りの人、インフルエンサー よく言います。 しかし現実、日々やるべきことの連続で、やりたいことなんて見つかりません。 見つかったら幸せかもしれませんが、見つけるまで大変だし、 やりたいことを見つけて、それをやるって必要なのでしょうか?
私は、正直可愛い方です。それをありがたいと思っています。 でも、自分より可愛い子や同じように可愛い子はたくさんいて、それが嫌で納得がいきません。 十歳以上も年下の子に妬いてしまいます。 また、可愛くなくても愛されるのでしょうか。 どうしたらそういう嫉妬心はなくなるでしょうか?
「何をしたところで、自分の命など他人次第でしかない」「結局は圧倒的な力で簡単に殺される」という事実に無力感を抱いています。 官僚もメディアも利益重視なので日本はもう沈むだけですし、今は救命ボートに誰を乗せるか、誰を蹴落とすかの時代です。だから、生き物が元々持っている「価値の無いものへの差別的感情」が抑えきれません。労働が「ただの苦役」でしかないから誰もが最低限の仕事しかできず、終わりゆくこの国を救う革新的な方法を誰も編み出せません。私を含め、誰もが、「自分が被害者だから救って欲しい」としか言えないからです。 現実を見れば見るほど「ものすごいスピードで進む、いつ先がなくなるかわからない、けれど先がなくなることだけは確定しているトロッコに乗せられているだけ」という感覚が強くなるため、自分の生活に集中したくなります。しかし、それでは逃げるタイミングが見極められずに沈んでしまいそうで恐ろしくもあります。 私よりもずっと賢くて優秀なはずのたくさんの人が「もう日本は終わりだ」「戦争は避けられない」と言っていて、誰も解決策を見出せていないのだからきっとそうなのでしょう。私は、他者を害しなければ生存を保つことができない「生き物」そのものに強い不信感を抱いているため、どれほど恵まれようと、一生働かなくてもいい程の富を持っていようと、漠然とした絶望感を抱き続けるのだと思います。そして、現代はその絶望感を煽る事実ばかりが蔓延する時代です。 頑張らなければ生きられないのに、頑張ったところで生きられるとも限らない。結局、他人に対して「自分を生かす価値」を証明できるかどうか。そして、それさえ押し流す国家間戦争や自然の強大な力だってある。「殺される」という気持ちばかりが強くなっています。 「生きない」ことが最善で、全生命が同時に安楽に死滅するのが最も賢く幸せだという思いは10年近く変わってはいませんし、きっと一生変わりはしません。私自身がまともに働いて生きるという当然のことができない人間なので、子供を持つつもりは一切ありません。自分に安楽な老後があるとは一切思っていません。ただ、希望のないこの世界が続いていくのがどうしても腹立たしくて許せなくて仕方ありません。死んでもどうせまた生存競争の中に放り込まれる。やがては太陽と共に死滅する。そこらの塵でしかない自分を惜しんでしまうのが嫌なのかも。
僕は閉塞感感じます。日本に住んでいますが生きていて閉塞感感じます。僕にとっては住みづらいです。明光義塾北巽教室は賑やかで盛り上がっている感じがしたのにそれが辛いです。心が貧しいです。 今行ってる井上クリニックも閉塞感感じ心があまりスッとしません。 自民党のせいで日本の経済悪いのでかなり閉塞感があるなと思います。 自立訓練生活訓練に通ってますがなかなか同じような人の感じばかりで閉塞感感じます。僕の寂しさの原因は日本の閉塞感が原因かもしれません。お金貯めて早くアメリカ移住したいです。 なぜか日本は地味にいいところもありますがやっぱり日本人の幸福度なぜこんなに低いのかも知りたいです。僕も生きてて日本の閉塞感よく感じるので辛いです。 日本24年間住んでますが日本では同調圧力すごすぎて辛いです。 どうすれば日本の閉塞感から抜け出せますか?
最近、沢山の人と関わるようになりました。 そこで、愛想の悪い人や、挨拶をしてくれない人、グループで遊んでいても無視したり仲良くしてくれない人、同じ空間にいても一言も喋ってくれない人がいて、気になります。 全員と仲良くなれないことくらいはわかっています。仲良い人が何人もいるのもありがたいと思います。 ですが、仲良くしてくれない人というのはどうしているのでしょうか? 思い出して避けたくなったり嫌な気持ちになったりします。どうしたら気にならなくなるでしょうか。明るくて仲良い人がいるから比べてしまいます。
よろしくお願いします。 私は不安に思っても仕方ない事ばかり不安になり辛くなってしまいます。 私は動物が好きなのですが、外を歩けば野良猫が気になってしまいます。今なら猛暑で暑くて大丈夫かな?水は飲めてるかな?熱中症になっていないかな?とか、台風が来れば雨風から凌げる場所はあるかな?と色んな事が心配になります。またペットショップに行けば良い家族に巡りあえるかな?と心配になるし、真夏に犬が散歩しているとアスファルト熱くて大丈夫かな?と普通の人が心配する以上に心配になり1日考えてしまいます。気にしないようにしてるのですがどうしても…どうやって心を保ったら良いでしょうか? ↑とは関係ないのですが、私飛行機が苦手です。統計では墜落する事は確率は低いと言われますが搭乗する時はドキドキ前日から寝れません。これも考えても仕方ない事に不安になり情緒が乱れてしまいます。強くなりたい。
以前、結婚を考えていた方に裏切られご相談させていただいてから一年ほど経ちました、その節は大変お世話になりありがとうございました。 あの人は新しい相手を作ったり楽しんでるようですが、私はとうとうおかしくなりさまざまな精神病を発症してしまいました。 それからというもの色々なモノへの恨みであったりネガティブな感情が膨れ上がる状態になったのですが この一年毎日のように空を見上げ写真を取ったり物思いに耽ったりとなにかと空を見上げるようになりました。 そして空と雲と見ているうちに心が安らぐといいますかなんというか少しだけ温かい気持ちになるのです。 そこで変な質問にはなってしまうのですが、 空や雲といったものにはヒトに対して不思議な力というものを与えてくれるものなのでしょうか。
この夏の連日の猛暑でメンタルヘルスが悪化しています。 世界中の異常気象、地球温暖化がとても怖いです。 もう大人の私は良いのですが、 まだ戦争も地球温暖化も何も知らない 4歳と0歳の子供の笑顔を見るたびに申し訳なく涙が止まらなくなります。 今朝も動機と涙が止まらず、 そんな母に驚いて4歳の子供も泣いてしまいました。 本当に情けないです。 これから子供たちが辛く悲しい世界を生きなくてはいけないと思うと とても不安で辛くなります。 温かい家庭、美味しいご飯をいつまで与える事が出来るのだろう。。 ネットで温暖化の事を調べると あと10年も無く世の中は終末的な状況になりそうです。 下の子が小学校で地球温暖化の事を知る頃には もう後戻りできないなんて教えられるのでしょうか? 辛すぎます。悲しすぎます。 将来を悲観して最近は苦しくて不眠状態です。 どうすれば、心健やかに過ごせるようになるでしょうか? ご教授宜しくお願い致します。
拙い文章になりますが、聞いていただきたいです。地球温暖化で将来の地球環境が心配です。今の子どもたちが安心して暮らせる世の中はあるのでしょうか。もちろん、いつの時代も戦争や自然災害はあって、いつも不安の中を人は生きているとは思うのですが…。昨今の、異常気象や自然災害、猛暑等のニュースを聞くたびに、私たちは生きていけるのだろうかと、子どもたちは生きていけるのだろうかと、怖くなります。 気温が上がると作物にも影響が出て食料難の問題、未知の感染症なども出てくるし、子どもの未来を本気で心配しています。私たちは生きていけるのでしょうか。子育ての悩みと違って、相談する先がありません。今を楽しもうと思っても、地球温暖化が心配になります。私個人が心配したところで、問題は何も変わらないのはわかります。 でも、この生き苦しい世の中を、いかに心身ともに健やかに生きていけるか、また子どもたちにいかに未来を残せるのか、どなたか教えが欲しいです。 どうかどうぞ、よろしくお願いします。
戦争、災害、温暖化による気候変動で近々地球は人間の住めない星になります。 少子化対策予算がサッカーの試合観戦の優先権に使われるなど、見当違いな政策ばかりが乱立し、生活は苦しくなります。 普通に働くより生活保護を受けたほうがマシな時代です。誰もが嫌々働いているから、誰かをいじめないと社会が成立しなくなっています。みんな、自分の不幸を誰かのせいにしたいとしか思えなくなっています。 貧困に対する意見が「ウインナーより普通の肉の方が安いのに」とか「節約レシピ!」とか、この国には困窮者を助けようとする気持ちが一切ありはしません。 人間が動物であるという事実に嫌気が募る日々です。どれだけ自分を削って世界に合わせても、まだ足りないと言われるだけの人生。世界は私のことを考えてなんてくれないのに、どうして私は世界のことを考えなくてはならないの?我慢しなさいと言うだけなのに、どうして私の話を聞く我慢はしないの?帰ってくる答えはいつも「お前が悪い」「お前の考え方に問題がある」なるほど私が全部悪くて世界が全部正しい。じゃあなんでこの世界はこんなに不幸なんですか? 機械的に振る舞って社会的な動物を演じて、でも世界はそんなの関係ないとばかりに破滅への道を転がり落ちてゆくばかり。誰にもこれを止められない。人類をまとめて抹殺するしかもう道はない。地球のためには一刻も早く人間は死滅するべきなのに、のうのうと生きていていいのか不安になります。 自分の人生があまりにも辛いから未来への希望を持たないように生きていたら、本当にそんな世界になってしまいました。こんなこと言ったって仕方ないのに、自分一人で抱えるには辛すぎました。解決策なんてないから黙っていたほうがいいことなのに。 「自分以外の人間が幸福で、自分が不幸を見て見ぬふりすれば、この世界から不幸はなくなる」今までの人生の中で、世の中から求められているのはこういうことだと学びました。お前の不幸なんて知ったこっちゃない、お前の心なんて知ったこっちゃない、ただ世界のための奴隷になれ。そう求められてきました。 まあ、それでも生きていられることに感謝すべきなのでしょうね。誰も私が生きていることに感謝してくれないのに。「ありがとうございます」「申し訳ございません」しか言えない機械にならなきゃ生きられないんです。だから生きているのが嫌いです。