2023/11/23現代社会と本来の豊かさについて
悩みというよりは漠然と考えてしまうことがあります。
私は会社を起業し10年ほどになります。
会社とは何か?という本を設立当初に読み、
そこには『社会に必要とされているもの。人の役に立っているから存続が出来、人の役に立たない会社はなくなっていく』と書かれていました。
右も左も分からない中での起業でしたが、自身にそのような志が強くありましたし、その本に書いてある言葉に納得し、一生懸命頑張ってきました。
設立前から準備していたことや、業界を分かっていたこともあり、心身の苦しさや辛さはありながらも、経営は順調に右肩上がりで伸びていきました。
しかし、何処かでとても苦しさのような葛藤がずっとあります。
社会がいかに利益追求型の仕組みで弱肉強食であることを肌で感じること、それでも日々闘い続けねば生き抜けない。
競争社会、資本主義社会という中では当たり前のことだと理解すればするほど。
中小企業の社長さん達も皆んな日々闘い続けているんだなぁと思いながら。
そういう渦中で、自分の心身はいつも振り回され乱れるばかり疲弊する日々が数年続き、
自身を見つめ直したり心を丈夫にする為に色々と模索してきました。
そうした中で見つけたものは、お釈迦さまの教えや禅的な考え方でした。
日本では宗教にハマると聞くと直ぐに悪い意味で捉えられることが多いですが、
何か目印になるような共感できたり学べるような考え方というものに救われることに有り難さが溢れてきて泣きそうになります。
自身が人の為になることを〜と思い起業しましたが、会社を通して社会を知り、そこに向き合った今の時点で想定もしていなかった答えがあったように感じています。
知り合いに若いお坊さんがいますが、もっと遊びましょう、もっと休んでください、自分は人生遊んで過ごします。とよく仰っています。実際夜遅くまで飲みに行ったりしていて、誘ってくることも多いです。(行きませんが)
そのお話しも極端に思えて、私には失礼ながら浮世離れしすぎていてついていけません。
長くなってしまいました。
文章がまとまっておらず伝わっているか不安ですが、
お坊さん達は今の資本主義社会と仏教の教えに乖離を感じますか?
感じられる方はどうバランスを取られていますか?
有り難し 3
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