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「仏教・お坊さん」を含む問答(Q&A)一覧

2023/01/11

続・経木塔婆の名前が間違っていました

11月に『経木塔婆の名前が間違っていました』というご相談をさせていただいた続きです。 前の相談を簡単にまとめますと、昨年9月の彼岸より1か月のミニ塔婆の供養を近所のお坊さんにお願いしました。 11月を過ぎてからその経木塔婆が配送されてきたのですが、頼んだものすべてで名前が間違っておりました。 その旨連絡したところ、すぐに新しく作り直して送りなおしますとのことでした。 名前を間違えた古い塔婆はゴミとして捨てて構わないという回答や、問い合わせ時の対応が威圧的だったこと、加えてTwitterやyoutube、他SNSを毎日何度も更新しているのにどれもこれも供養の文字すら確認しないでやっていたのか・・・ということで、不信感が生まれました。 とはいえこれ以上揉めるのも嫌でしたので、我慢して送付してくださるのを今日まで待っておりました。 ところが、それから2か月近くたった年を明けた今日、お寺さんから封筒が届いたものを確認すると、新規のお札の申し込み書や、頼んでいない紙のお札が入っていました。 一瞬目が点になりました。 12月は師走でお坊さんは忙しいかと思い、連絡も控えておりましたが、すぐ送るとは・・・なんだったのでしょうか、と。 本日までこれ以外の連絡はございません。 前回も書いたのですが、ここまで供養の気持ちを踏みつけられると悲しさが勝ります。 本来昨年10月末には発送予定の塔婆です。 クレーマーになりたいわけではないのですが、どう伝えていいのかわかりません。 こんな気持ちで供養する方の塔婆は手元に置いておきたくないです。 かといってお金を返してとも思わないですが、こんな中途半端な供養を私が頼んだと思いたくありません。 見たくはないのでブロックしていますが、こちらのお坊さん、週に何度も長時間録画の人生相談等のyoutubeがあがり、毎日幾度となく更新した複数のアカウントのTwitter、テレビに出ました等の自己顕示系の内容ばかりが風のうわさで届きます。 仏様の教えの通り、諦観の気持ちをもって、他のお寺さんに経木塔婆のお焚き上げをお願いするしかないのでしょうか。 もう新しい経木塔婆は欲しくないです。

有り難し有り難し 8
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2023/01/11

年が明けても何も変わらない・・・

いつも大変お世話になっております。 私にとって大好きな大切な父が他界してからもうすぐ9か月、悲しく寂しく辛く日々が過ぎていきます。 年明けから夢には良く出てきてくれて、今まで通りに自分の名前を呼んでくれて旅にも連れて行ってくれます。 ただ目が覚めると父の部屋に行っても寝室に行っても父がいない・・・ 私自身36歳です。よく悲しみは時間が癒してくれると聞きますが、むしろ逆でどんどん辛さ・悲しさが増している気がします。と同時になぜあの時にあのようなことを父に言ってしまったんだろう・・・など後悔もいろいろ(後悔がいろいろと出てきてしまうなんて、本当に自分自身最低だなと思います)・・・ 毎日父の骨壺に頬を合わせて「1日に数分だけでも良いから戻ってきて!それが無理なら1週間に1回、1か月に1回、何か月かに1回でもよいから切実に戻ってきて!」と涙が出そうになるのを堪えながら伝えたりしています・・・周りに誰もいないのを確認しながら歩きながら父に向って「お願いだから戻ってきて!」と言葉に出す時もしばしばです・・・ 南無阿弥陀仏、倶会一処と毎日起きた時、夕食前、寝る前と唱えていますが・・・ 夢の中でも今までと変わらず旅に連れて行ってくれる父、思い起こせば「今度日光東照宮にでも行こうか?」なんて話していて横浜からどう行くのが良いのかな?と話していた日がついこの前の出来事のような感覚です。 いつも夏場に有楽町へウナギを食べに連れて行ってくれて、それも楽しみでしたがその後の父とのショートトリップで川越や葛飾柴又、北千住などへ行ったあの時も本当に楽しかったし幸せでした。 でもそんな楽しくて幸せな時を当たり前と思ってしまうダメすぎる自分に本当に何と言い表せば良いのか・・・という感じです。 本当に一生のお願いで何か一つだけ叶うなら・・・父にとにかく戻ってきてほしいです!そしてまた母と3人で暮らしたいです。それが叶えば他に何も望むことなんてないです。それが無理なら母と早く父のところへ行って父と3人で暮らしたいです。大好きな父がいない世の中を生きていて心から楽しいこと、幸せなことなんて有り得ないです・・・ 全くまとまりのない文章で恐縮です。

有り難し有り難し 7
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2023/01/07

運動に執着していいか

釈尊は自己の体は虚しいものだし生老病死は必ず来るものですし執着する価値がないといってるように解釈しております。 また私は今1日8時間程度用事を作ったりして意識的に体を動かすなどをしています。 釈尊がいっているように執着で運動したところでいつかは病気になるんだし無意味だとしても出来るだけ医学が推奨するように執着的な健康な行動(ウォーキングや食事、プログラム的に体を動かす)などをしていったほうが単純に得ではないでしょうか。 お坊様方のような清い心を持っていれば運動も食事も自然に健康的になるとおもいますが、今!人格的に未熟で運動ができないため、執着的な運動をしてでも奇病や早期的病気や腰痛足痛などを予防することを釈尊は実際どう仰っていますでしょうか。 人格が未熟で運動できないのが原因で病気になったとしても気にとめないということでしょうか。 ブッダの言葉(どこかの記事でブッダの言葉で体を動かすことにかまけないことと見たことがあります。)や一部動画ででてるような説法を聞いてもいまいち理解できていない状況です。 そもそもの私の解釈の違いなどがあればぜひともお教え頂ければと思います。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 7
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2023/01/04

前住職の横領行為について

前住職夫婦の横領行為について 住職ですが、お寺から少し離れたところに住んでいます。   これまでの住職が高齢になり、身内に後継ができなかったことから、新しい住職夫婦として他のところから来ました。 寺の掃除も、一生懸命やっています。汚かった寺もきれいになったと、檀家様からお声がけ頂けたときは嬉しいです。   しかし、前住職夫妻はずっと寺に居座っていて、新しい住職夫妻は1年以上、マンションから通わされています。   ただ、最近前住職夫妻が急に引っ越しをしたため、お寺に行っては、前住職が残していった粗大ゴミを処分したり、、と、本来の寺の寺務もできない程に酷い惨状で、通いながらなので心がつらくなってきました。。お陰様で前に比べ、少しずつお寺もきれいになってきて、檀家様達からはありがとうと言って頂けていることが唯一の救いです。   問題は、他の檀家仲間の間でも既に噂になってしまっているようなのですが、前住職夫婦が引っ越しをした際に、お寺の運営や経理に関わる檀家さんのリストや、パソコンのデータ、会計の元帳等も昨年の分から過去の分何十年分と、全て処分して立ち去ったようです。   もちろん、年会費や寄付金など、年間300万くらいの寄付金がお寺には残っていません。つけるべきものを会計につけず、自分の懐に入れていたようです。在任期間で計算すると1億円以上は無申告の脱税、着服、といった横領をしていたことになります。何度も税務署も入り、重加算税を課せられてます。   いくら高齢とはいえ、失望しかありません。   真面目にやろうとしても、お供物やお賽銭が消え、とてもやりづらいです。   前住職が決めた総代?達はいまだに前住職寄りで、前住職には1億円近い多額の退職金も支払ったそうですが、引退した前住職には今後も固定給を出すようにと、新しい住職に言って困らせています。   今後のお寺を守るためにと一生懸命やっめいますが、もう辞めた方が良いのではないかとすら思えてきます。私自身は力もなく、何もできずですが、住職である夫にはどうしてあげるのが良いのでしょうか。   他のお寺さんでもこの様な事例はありますか?お寺の世界ではこれがふつうなんですか?横領、脱税、隠蔽をした場合のお咎めはないのでしょうか?

有り難し有り難し 51
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2022/12/24

お坊様は過去の後悔は昇華できていますか?

言葉選びが下手で、うまく伝えられず、失礼があったら申し訳ありません。 わたしは一年近く前、自分のせいで愛犬を苦しめ、死なせてしまいました。 私が直接殺したようなものです。 決して殺意や困らせようとしたわけではないのですが、ただただ私の無知、怠慢、愚かさによるものです。 愛犬は数週間苦痛な思いをし、結果亡くなってしまいました。 何故最期に穏やかに逝かせてあげなかったのか、 毎日自分を責め、精神科の薬とお酒を乱用してしまう日々です。 こんな取り返しのつかない罪を犯した私が普通に生きているなんて許されないし、わずかでも愛犬のためになにかできないかと、ハスノハにたどり着きました。 たくさんの質問に真摯に答えてくれるお坊様方の回答、毎日熟読しております。 様々な意見を拝見していると、お坊様方も過去の後悔や抱えているものがあると仰られている方もいます。 仏教の道で修行することで、乗り越えられる、昇華できるのでしょうか? 修行をすれば愛犬に償えるのでしょうか? お坊様や、仏教の道を軽視しているわけでは決してありません。 ただただ、日々苦しく(本当に苦しかったのは私が殺めてしまったあの仔ですが)救いを求めてしまいます。 あの仔のためにできることを知りたいです。 どうかよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 11
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2022/12/17

美、芸術を愛する心

私は十年以上前でしょうか、ずいぶんとこじらせニヒリズムにずっと苦しめられました。 生い立ちから、何でもかんでも疑って、ここにいる私の存在もよくわからなくなって頭の中ぐるぐる。 そんなあるときアメリカの芸術家が孤独に地下室でつくり続けた一連の作品と、その作品に捧げられたオマージュの詩の美しさに心を鷲づかみにされ、 この美があれば孤独で、否定されどおしだった人生も、たとえ人間存在に意味がなくてもいい、救われる、という思いを抱き支えになりました。 私自身、小説をはじめとした文学を学ぶ大学の創作コースで研鑽し、自分を、誰かを救えないかと思っていました。 そんななか、スマナサーラ師の動画を拝見していて師が文化、芸術の意味を問われて、私にとってはそれらは子供のおもちゃみたいなものという趣旨のことをおっしゃられました。 美にしても一つの執着、ということなのでしょうか? 芸術も、短期的に、ということなのかもしれないのですがその他の苦を紛らわすというか、得られない愛とか得られない社会的成功とかを相対化してそれらからの苦しみからは解き放ってくれるのでそこに固執しなければ歩いてゆく杖になるのではとも思うんですがどう考えたらよいのでしょうか。

有り難し有り難し 22
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