いつもお世話になっております。私は10年ほど前に悪性リンパ腫を患いましたが、抗がん剤が効いて助かりました。しかしその後も、部位は違えどガンを2度も発症したのです。 それでも、運良く助かっているのです。昨年、婚約者はたった3ヶ月の闘病で亡くなり、今年母も旅立ちました。私だけが残された意味とは?生かされたことはありがたく思います、ですが1人残されて悲しくてなかなか前を向くことが出来ません。 毎日、仏壇に話し掛けています。母の49日、納骨も近くなり 遠くへ行ってしまうのですね 喪失感から抜け出せません。 どうしたらよいのでしょう
気のせいだったらすみません。私が行く場所行く場所、海の波が無くなる事がよくあります。岬など勢い良く打ち寄せてた波も無くなってしまう事がよくあります。何故でしょうか??
なぜか、旦那が異動で忙しい時に限って、子供が病気になります。しかも、一つでなく、何個も病気を合併したり怪我したりと、次から次に私がしばらくつきっきりの看病になります。 振り返れば大事な行事や旦那が忙しい時にいつもです。 嵐がすぎるのを待ちますが、私もこれでもかこれでもかと、家族の助けがない中、子供が病気を繰り返すと、いったいなんの祟りなのかと思いはじめます。 何かいい解決はないものでしょうか?
約1か月前、最愛の彼氏が自死しました。 あまりにショックな出来事で、未だに私は受け入れられず、前も向けず、できることなら後を追いたいと思う日々です。 彼が1人で寂しい思いをしてるんじゃないか、彼と色んな話がしたい、彼のそばにいれるなら命なんてくれてやる、と思っています。 しかしその反面、彼氏は傍にいてくれている、絶対にずっと貴方を待っている、急がなくても、何十年でも貴方を待っている と言ってくださった方がいました。 私は、早くしないと彼が転生してしまう、早くしないと会えない、何十年も一人ぼっちになんてできない、と思っていたのですが、待っていてくれるものなのでしょうか。 時間の感覚はこちらと違うともいいますが、何十年も待っていてくれるものなのでしょうか。 生前、「天国で結婚しようね」という話をしたり、「貴方が死んだら後を追う」と何度も話をしたことがあり、なぜ自分は生きているのだろう、約束を破ってしまったと毎日罪悪感で、それもあり強く死にたいと思います。 傍にいてくれているとしても、例えば私がほかの男性と仲良くしたり、後を追ってこない姿を見て生前は好きだったけどその姿を見て嫌いになって離れていく、ということもやはりあるのですか? めちゃくちゃな質問になってしまいましたが、ご回答お待ちしております。
他人と比べるなとはよく言いますが、人より努力が足りなかったことはないと思います。 かつて自分が慢心していたことに気づいて、それを改める努力をしたり、足りない部分は補うように努めてきました。 それでも、世の中や友人だった人たちの中には 己の傲慢さを知ることもなく、改善する気もなくむしろ私や優しい友人をいじめたり加害してその場から去るまで痛めつける人が何人もいて、私は毎度そういう人と巡り合ってしまいます。 生まれた家庭は、父が事実婚のお嫁さんがおり、その人は家族を捨て離婚してきた人 私の母は、その事実婚で同居していた2人の仲を引き裂いて私を産み、いわゆる不倫の末のデキ婚というものです。 幼い頃ずっと、(他人には信じてもらえないので話しませんが)大人の女性の声で「お前のせいだ、お前さえいなければ」という怨念がましい声が聞こえていました。 19歳の頃、父から私の生まれとその女性(もともと父の彼女さんだった人)の話を聞いてからぴたりとその声はなくなりました。 明らかに両親は良くないことをしていると思います。このような場合、私は生まれながらに業を背負っているのでしょうか? どんなに努力しても報われず、女性から酷いいじめを受けたり、味方してくれる男性が出てくるとその人を別な女性に取られることがあまりにも多いです。 もう頑張る気力が尽きてしまいました。 具体的には、いじめ、パワハラ、親からの理不尽な過干渉と管理、再びいじめ、等です。 最近では、インターネットで助けを求めてもなぜか辛く当たられることも増えました。 医療職や専門家の人にも八つ当たりをされます。もう限界です。 どうしたら、頑張りが報われますか。それとも、まだ何か足りないのですか。できるだけ傷つきたくないです。休みたい。そして安心して生きたいだけです。多くは望んでいません。 世の中の人は自然ともっと強欲に見えます。私はその半分も求めていないです。それでも世間の人は幸せそうです。 ようやく生きていきたい、自分の人生だからよくしたいとまた思えるようになったのに、苦しさで潰れそうです
小さいころから、霊の影響を受けやすい体質らしくて困っています。 たとえば、心霊写真などを見ると、そこにうつっている霊が映像を見せてきます。自分の精神に異常があるのかと悩んで、精神科に診察に行きましたが、異常はありませんでした。 知り合いにたのまれて、いわくつきと言われている物件を見たときは、やはりそこには霊がいましたが、自分なりにお払いをすると、その物件には霊が出なくなり、人が住めるようになったりします。 姉が憑依体質らしく、いつもなにかをくっつけてくるので、はらうのがしんどいです。外出すると、たくさん霊が寄ってくるので、外に出るのがめんどうです。 霊能者として活動をしていくつもりはないので、ふつうに生活していくには、どうすればいいですか?
はじめまして、はじめて質問させてもらいます。 私は今36歳です 去年2回妊娠して、2回とも初期の流産で子供をなくしてしまいました。 すごく絶望感でいっぱいでした。 去年から茨城にお嫁にきて、結婚してまもない妊娠だったので早く子供をもてると喜んでいたのに。 義理母から聞いた話しで、義理の母の友人の知り合いみたいで人の事を占う事ができる人がいると、ちょうど私達これから義理父が考えてくれてる二世帯住宅を建てる事で建てる前にその人に一度相談しに行ったと聞きました、そしたら家の話しだけを相談しにいっただけなのに私の水子のことを話したと言ってました お嫁さん(私)には亡くなった水子がついていると、その子が浮かばれなくてずっと私にしがみついているから今からでも遅くないからコップに水をやり毎日朝晩と手を合わせお詫びしなさいと 流産を何回か繰り返してるのも水子が私についてるからだとか、新しい命を授かって産まれてきたとしてもその子にきっとなんらかの障害があって産まれてくる可能性があると言っていたそうです。 私はそれを義理母から聞いて驚きました 実は20代後半に遊びで勝手に子供を作ってしまい育てられないとあきらめて中絶してしまった子がいたのです。 それも義理母に伝えました、義理の母も私に水子がいるという話しを聞いた時は私に伝えるか悩んでたそうです、本当なのかわからなかったからと、でも私自身何回も流産してて義理母もわかってたので私の事を思って伝えてくれたんだと思います ちなみに水子の子は男の子だそうです 名前をつけて毎日欠かさずお詫びしなさいと、そうすれば赤ちゃんきっとまた授かると言ってました その事をきいてずっと朝に水を取り換え毎日朝晩と流産してしまった2人の子たちもいっしょにお詫びしてます。 それから、また今妊娠してるのですが またもしかしたら流産の可能性があるかもしれなくて、毎日お詫びはしてるしこの間鹿嶋神宮にもいってお参りもして、おみくじも大吉で出産のところは安しと書いてあったのに男の子ともかいてありました またダメなのかなと思うとあの時の絶望感がまたくるのかと思うとショックでたまりません。 私は一生子供を産む事ができないのでしょうか?
すみません、変な質問で…… 前職では会社勤務で鬱病になり、退職し現在個人事業主で仕事をしている者です。 現在、仕事の人間関係などのしがらみから解放されストレスフリーで在宅で仕事をしています。なんなら今が一番楽しいし、 精神も安定している状態だと思います。 ただ、ふとした瞬間に『あ、死んだ方が良かったなぁ』や『死んだ方が楽になるんじゃないか?』という今までに考えたことのないことが頭によぎることがあります。 それは一瞬ですのでそこまで引きずることはないのですが、会社員時代、どん底になるまで鬱拗らせていた私でも『死にたい』と思ったことが一度もないのです。 フリーランスになりある程度収入面では不安はありますが、さすがに『死ぬ』という選択肢までは出ないです。 元々、私が霊的に変なものがやってくる体質だったり生き霊に影響されやすい体質な部分があるので、もしかしたらそれのせいかな…?と個人的に思っております。 モノによってはお祓いも考えております。 お坊さん方のお知恵をお借りしたいです、よろしくお願いいたします。
最近大好きな彼氏に振られ、藁にもすがるような思いで愛染明王様の真言をほぼ毎日寝る前に唱えておりました。 彼とは連絡も取り合っておりますし唱える前からあまり関係は変わっておりません。 ですが唱え始めてから私自身の体調、飼っている猫の体調があまり良くなく 自身の私利私欲のために無闇矢鱈真言唱えてしまったせいで何か悪いもの呼び寄せてしまったのか もしくは愛染明王様のお怒りをかってしまったのでは無いのかと考えてしまい気が気でなりません。 今考えると愚かなことだと思いますが1度だけ印を結んだことがございます。 私は愛染明王様のお怒りをかってしまったのでしょうか?それとも何か悪いものを呼び寄せたのでしょうか? 体調不良が偶然であったとしても愛染明王様に謝罪をしたく思っております。 その場合、愛染明王様お祭りしている神社等に謝罪に行けば良いのでしょうか?
私が生まれる前の宇宙や地球で、命が成立するすべての条件が揃い、満を持して私がこの時代の日本で両親から生まれてきたことが、不思議でなりません。 最近では、試練と思えることでさえ私にとって都合のよい出来事のように感じてきました。あらゆることが私にとって都合が良すぎませんか。 この世界は何なのでしょう。例えば、さっき食べたナッツは、遠い外国の土地で太陽と地球が作った作物が、農家やバイヤーや運送の方々の協力を得て、結果的に私の身体の一部となりました。 また、それを購入したお金というシステムも、私の手元に来るまでのその背景(お金の成り立ちという歴史も含め)に見えない無数のご縁があるように感じます。 なぜ、この宇宙は、こんなにも私の生にとって都合のよい世界を提供するのか、どう解釈すればよいのか、何かヒントとなるお話などがあるなら教えていただきたいです。
15年前に引っ越した場所の近くに常駐のいない小さな稲荷神社があります。 その頃は小学校高学年の頃でしたが、なんでか分からない恐怖で参拝にも近くによることもなかったと思います。 定期的にふと思い出したり頭から離れなくなったりして、オカルトは信用していないのですが流石に呼ばれているのかと思うときがあります。 限ってそういうときは何かしら不幸があったり、運のないことが立て続けに起こったり、原因不明の頭痛や背中が痛くなったりします。 一度、耐えられなくて泣くほど背中が痛くなって病院に行きましたが、検査をしても仮病を疑われるほどなにもなかったです。 とにかく昔からいいことがないのですが、しばらくすると収まったり、有名なお寺に参ったあとは忘れるくらい良くなったり… 3年前に別の土地へ引っ越しましたが、最近ここ数ヶ月のことですが、急になにしてもうまく行かず、職も失い、転職先では求人詐欺に会い、体調は優れず寝てばかりです。 そしたらふと忘れかけてた小さな稲荷神社を思い出しまして、怖くなりました。 妄想かもしれないし、鬱になってるのかもしれないんですけど、また呼ばれているのかと思って…。 あまり覚えていないのですが、これが初めてのことじゃない気がします。 決まってなんでもないときに、ふと思い出します。参拝しに行くべきなのか、それとも有名なお寺に再度お参り行くべきなのか。 どこに参拝するべきでしょうか? おかしいことを言ってるかもしれないんですけど、良くないことが続くのもいやなのでご相談させていただきました。 すみませんが、宜しくお願いいたします。
仏教には、達磨大師など偏屈で冷淡な高僧が多い印象があります。自称霊能者の類にも、優しくない人がいっぱい居ます。悟りや天国に、優しさは必要ないのだろうかと非常に悔しく思います。それはきっと、私がなんの取り柄もない代わりに、「こんな優しい人を初めて見た」とよく言われるような人間だからだと思います。そう、まるで自分の唯一の強みが、天国へ行くために必要ないと世界から言われているような悲しさを味わったのです。ちなみに優しくない人とて地獄に落ちていいとは思いません、人類も動物もみんなで一緒に天国へ行くのが私の望みです。ですが、私は聡明で冷淡な人よりも、鈍重でも優しい人こそより高い天国へ行ってほしいという感想があります。ですがブッダを含めた高僧の多くが王族の出身であったりと、天国に行く人はヒンドゥー教でもカーストがあるように人柄ではなく家柄で決まるのだろうか、とも。 酷く冷淡な自称霊能者に突き放されて酷く傷ついたことも先日あったので、天国に行くために優しさが必要不可欠となるイスラム教に、2駅くらい先の寺院へ行って改宗しようかさえ思いました。ちなみに、「浄土教ならあなたも高僧以上の悟りに辿り着けるよ」と広報運動をしている人は居ました。 (実家は浄土真宗です) などなどについて、何かのアドバイスをいただけたら幸いです。これを見てくださっている優しいあなたにも幸福がありますように。
昨年、今年と二度も身内の不幸にあい、ひとりきりになってしまいました。他者の占いなどで故人の魂は、いつもそばにいると聞かされたりしましたが、いずれ魂は、お浄土へ向かわれるのですよね?。1人残され、1日のうち、何度も泣いてしまいます。辛くて人と会うことも避け、この先が不安で生きる事が怖いのです。短い間に2人も大切な人を亡くした自分の運命が不安でなりません。 どうしたらよいでしょうか?
私は、元々心配症である上に発達障害があります。それが原因なのか最近ある事を心配しています。 それは、「いつか罪を犯したりしないか」ということです。 例えば、以下の事などをいつかやったりしないか心配しています。 ・車を運転している時に人をはねて死なせ たりしないか ・親と口論になってカッとなり、親を殺害 したりしないか ・イライラして自宅に放火したりしないか もし、罪を犯した時は、私なりに何らかの方法で償いはするつもりです。 しかし、罪を犯したら死んだ後に地獄に行って一生苦しむことになると考えると生きるのが怖くなってきました。 罪を犯す前に自殺した方がよいのではと本気で考えています。 罪を犯しても一生懸命償いをすれば、死んだ後に地獄に行っても少しは苦しみが軽減されるのでしょうか?
私は周りから見たら、外見才能知能、そんなに恵まれてたら何もかもがイージーだろと言われるように産まれました。 しかしそんな人間は周りから見るといるだけで「ずるい」許せない存在であり、あらゆる人(家族友人教師)から酷い迫害に遭い幼少期からストレスで病気だらけ、頼る人もいず、彼氏も友達(養育環境による鬱で)も自殺し義務教育すら終えられず11年も引きこもりまともな就労経験もなく15年もうつで餓死寸前で入院、差別され続け何で生きているのか分りません。 大人になっても外見のせいで異性にとんでもない目に遭わされ同性には嫉妬、やっと結婚し昨年息子を産み激しいトラウマの末、家族と夫にまで虐待されていた事を40年経って気付き絶縁し自分は悪くなかったと知り一瞬で鬱が治りました。 姉二人は普通の人生です。親戚に誰も似ていない才能があり美しい私「だけ」家族中から虐待され、三歳で殴られ死ねと言われ去年生きている間にと改名しました。 唯一優しかったのは祖母であり、その長女が「この子は産まれてきて良かったという顔をしている」と言い、彼女には何か不思議な力があったらしく私に純白のドレスを小学校入学式に贈ってくれたりもしました。 その通り私は不思議なものを見たり聞いたり奇跡的に助けられたりを何度もしました。物理的にあり得ないことが起き周りの人の方がそれを見、知っていました。 妄想などと診断された事もなく、大抵のスピリチュアルには懐疑的で幽霊や恐ろしいものを見たことは一度も無いのです。一番強烈な体験を信頼できるお坊さんに話したら「私はそんな体験はないけれど真実だと思います」と逆に驚かれました。 親は身近で知りうる限り最も愚かで尊敬できる所のない人間でした。私はたった一人ボコボコにされながら家族を助けてきました。もう十分だろうと思います。彼らが罪を悔い改める時間が残されているといいですが。 神仏がおられるのなら(私は確信しましたが何の神かは分かりません)真に救われるべきは自らの弱さに対峙せず、それを抗えぬ幼い我が子にぶつけた彼らの方だと思います。 夫は酷いモラハラを大変反省してくれ何もかもこれからだと思いましたが、夫はおそらく軽い自閉症であり息子は遺伝したのかもっと重く知的障害も併せ持っているようです。 私の人生よりも、生きる力をくれた息子を不幸にした事が許せません。 運命とは一体何なのでしょう?
人生は自分で切り開くものだとよく言いますが、その切り開いたものこそが、決まっていた運命だとするならば、死ぬ運命も、変えられないという事なんでしょうか? 例えば、この日、交通事故に遭い死亡するとか、誰かに殺されるとか、天災に巻き込まれて死亡するとか、病気によって死亡するとか色々ありますが、、(勿論自殺は原則は論外です)
私もそうなのですが hasunohaでは「亡くなった人に会いたい」と言う相談も多数あるようです。 たとえば 忠臣蔵 (ここでは史実はどうかより 歌舞伎に基づいた話をします) 浅野内匠頭が吉良上野介に苛められてた結果、松の廊下で斬りかかって 内匠頭は切腹、浅野家取り潰し、上野介はお咎めなし そして城代家老、大石内蔵助を始めとする遺臣(赤穂義士)たちが吉良上野介を討ち果たし 泉岳寺の墓前に吉良の首を添えて感泣する。江戸の町民は拍手喝采。そして最後は義士達も切腹。 切腹の時に 大石内蔵助は言います「一足先に殿のもとに参る。あちらで皆を待っておるぞ」 これは、霊魂が存在し、内匠頭の霊魂の思いがどこにあるか明確になってこそ成立する話で この前提なければ虚しい話になります。 「ばかみたい。喜んでくれる人もいないのに妄想に凝り固まったあげくに多くのもの(命も家族も)を喪っただけじゃねーか」 ともなりかねません。 松の廊下の事件直後も紆余曲折があり 赤穂城では すぐ上野介を討てと言う者、弟を擁立した浅野家再興の活動を主張する者、幕府に抗議して城で皆で切腹を主張する者、籠城抗戦を主張する者、おとなしく開城して新たな生活を考える者 いろいろ割れました 割れた原因は内匠頭の霊魂と対話できる人が誰もいなかったから。 もし本物の霊能者が存在して 内匠頭の霊と対話できていれば赤穂藩家臣で新たな対立や憎しみを生むことはなかったはず。 たとえば 今でこそフグ料理はある程度確立されており調理には特別な免許が必要で飲食店で死亡事故は聞きませんが 昔の試行錯誤をしていた時代に「おいしいフグ料理を作るぞ」と意欲を燃やして毒にあたって死んだ料理人がいて遺言も何も残さなかったとします。 もしあの世や霊魂があるならばその人は子や弟子に遺志を継いでほしいと思っているのか、危ないからやめろと思っているのか? 親 又は師匠の意向に沿いたいと思っているならば、霊魂やあの世の存在を知りたいと思うことは当然だと思います。 人によって動機はいろいろだと思います 能力もないのに金をだまし取るニセ霊能者・詐欺師だらけなのも分かっているつもりです。 そのため なかなか行動に移せないのですが 自分の生き方を探すために 慎重に、本物の霊能者を探してみたいというのはおかしな発想でしょうか?
今まで来世・霊魂・輪廻転生について質問しました ご丁寧な回答ありがとうございます 回答を頂いた内容だけでなく、他の質問に対する回答も読むようにしております。 そこで新たに知りたいことが出てきたので 日本になじみのないチベット仏教について質問します。 【質問 その1】 チベットのダライ・ラマ法王とは日本の僧侶から見てどんな立場の方なのでしょうか? ①日本に存在するカトリック教会から見たローマ法王のように頂点に立つ人物である認識ですか? ②日本の仏教界から疎遠にみられているのでしょうか? ③昔の院政をしていた皇族(白河法皇など)のように高貴な身分の人と言う認識でしょうか? (②ならば キリスト教における カトリックとプロテスタントの関係、イスラム教のスンニ派とシーア派の関係のようなもの) (③ならば人の道を説く宗教家と言うより権謀術数を駆使した政治家) 【質問 その2】 チベットの ダライ・ラマで検索すると 以下のような話が出てきました https://diamond.jp/articles/-/34724?page=2 上記サイトから転載 輪廻転生、前世の存在については、現在まで多数の文献等に報告されています。 また、チベットのダライ・ラマ法王は何度も転生を繰り返しているとされ、その位の継承は、代々転生者(生まれ変わり)を探し出すことでなされています。法王が亡くなると、次に生まれ変わってくる方角などが予言され、数年後、それにあてはまる幼児を探し出すと、先代の遺品を選ばせたり、先代の身近にいた人物を見分けさせるなどして前世の記憶を試すのです。現法王も幼少時に、先代ダライ・ラマ13世の愛用していた数珠を見分け、側近の名を迷わず言い当てたと言います。 この話は信憑性の高い話なのでしょうか? 【質問 その3】 上のURLは 東大病院で責任のある地位にいた医師が書いたものです。 ここでは 前世の記憶がある人の話が出たり、 霊媒師を通して自分の亡母と会話をした話が出ています Yahoo 知恵袋ではこのようなQ&Aもありました https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14270511814 これを読んで お坊様はどのような感想を持たれますでしょうか?
私の父方の宗派が浄土真宗です。私は浄土真宗の教えをよく、「これは心改めた死刑囚に対して最も有効な教えかもしれない」と思うことがあります。他の宗派では、仏性には思考・言葉・行動の全てが揃っていなくてはならないなら、せいぜい世界の幸福を祈るという「思考」しかできない檻の中の死刑囚に救いは無い…というような見捨てにも解釈できる説法をされたことがあります。私は身内に死刑囚が居るわけじゃないのですが、「心改めた檻の中の死刑囚でも罪を償う方法があるかどうか?」が、それが本物の宗教かどうかをジャッジできると本能的に予想したのだと思います。 さて、阿弥陀様はよく他の宗派では悪者扱いされています。「あのお方はあの世の管轄者だからこの世のことは救ってくれない、功徳も利益もない、阿弥陀様にすがることはただの来世に託した人生の諦めでしかない」などと言われます。 阿弥陀様は、この世でも大衆を救ってくださる方なのでしょうか? 無量寿経などの聖典にはなんと書いてあるのでしょう? 回答よろしくお願い申し上げます
お坊さんは霊魂や命の見解についてどこまで確信や信念を持っていますか? いろいろ疑問に思うところあり質問します。 たとえば女性の妊娠の場合 いつから魂が宿っている と明言できるのでしょうか? 法的には 中絶手術ができるのは 21週6日目まで だそうですが その法律を作ったのは 神仏でもなんてもないただの人間です。 「21週6日目までの中絶は 赤ちゃんの命を奪ったことにはならない」と断言できないはずです。 その前から魂が宿っていて「殺さないで」と声にならない叫びをしているかもしれない。 「どんなことがあっても中絶は絶対にダメ」とアドバイスするなら話は別ですが 単に法令に基づいて「中絶していいよ」とアドバイスする人がいたとしたら 後々「自分は人を殺めたかもしれない」と恐怖にかられることはないのでしょうか? 逆に亡くなってしまった人の霊魂の有無についても 自信を持って見解を言えるでしょうか? 私は 仏壇や神棚に祭っている霊魂は ミカンとかお酒とか 何か欲しがっているのに その声を聞き取ることができないために無視している可能性を考えたりします。 また、霊魂(ご先祖様)はこの世の自分に対して 金持ちにさえなれば目的のためには手段を選ばずでよいと願っているのか? あるいは貧困でもいいから人の役に立つ生き方をしてほしいと思っているのか? それもわかりません。 そもそも霊魂なんて存在しないという人もいます。 メディアで取り上げる霊能者を ボロクソに叩く人もいますが 自称霊能者を否定することと霊魂を否定することは違うはずです。 霊魂の有無について何の根拠もなく言及することは 私には 既に魂が宿っているかもしれない状態で中絶を容認することと同様、とても恐ろしいことに思えます。 胎児にしても 既に亡くなった人についても どこまでが命なのか? 霊魂はあるのか 分からないから それが分かる人を知りたい 見つけたい と感じている人は少なからずいると思うのですが 仏教もそれ以外の宗教関係者も、現在生きている人の人生相談に乗る人は多い一方、ここまで私が書いたような内容については考えていない人ばかりに思えてなりません。 私が書いたような内容を追求している人物で信頼できる人がいれば教えてほしいです (金儲け目的のニセ霊能者には引っかかりたくないので)