修行をするとは?
この一年、私の病気のこと、私の労働環境について考えました。
結論は、「私が考えても改善策が見つからない」ということです。社会の1つ改善すると、別のところが負荷がかかり、そこを改善すると新たな分野に負荷がかかる。そして、スタートに戻ってくるのです。だから、解決は難しいと考えています。
では、なぜこのような苦しい状況になったのかと考えてみましたが、「楽したい」という欲や「自分で守るべきところまで人にさせ、いいところだけ自分のものにしたい」という欲が大きくなってきているのかなと思いました。
この点で欲を持ちすぎるといけないのかなと思いました。何か、世も末だなと思います。人に対してどうすることはできませんが、私自身はこれからの生活を見直していこうと思っています。
現在、精神的な問題で仕事を休んでいます。
精神的に不安定になったり、身体面で入院したりしましたが、本を読む時間はたくさんできたので本を読んでいました。
病気を薬に頼らなくても済むように、これまでの原因は根本的に解消したいと思い、症状に関する情報も集め、実践してきました。
私は、「過剰適応の適応障害」と言われました。適応できなかったのではなく、頑張りすぎちゃったようです。でも、これでも、与えられた仕事は、6割ぐらいに抑えていました。このような働き方を改善できないかと考えていました。
でも、私は、暗い気持ちにもなっていません。趣味を作ろうといろいろチャレンジしてきました。そのうちの1つにゴスペルを始めました。私は、英語が苦手なので、歌詞をあまり理解できませんでしたが、この前、レッスンで歌っていて歌詞の意味が理解できました。家に帰ってきて、歌いましたが、いい英語の歌詞だなと思いました。
それで、ふと思ったのです。修行として、日常的にお経をあげると、お経の内容も理解できるようになるのかなと思ったのです。もしかしたら、お経(歌)に向かう姿勢も大切なのかなと思いました。念仏を唱える修行をしているうちに、突然に世の中の道理が分かるようになるという仮説をたてました。これが分かるようになるのは、いつか分かりませんが。
お経をあげていると、内容が分かるようになりますか?
有り難し 8
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