2023/09/09いつか死んだ子に会いたい
我が子を自死で亡くしました。死後、いくつも心の闇を抱えていたことを知りました。その内容は裏切りでもあり、哀しみでもありました。
以来、想像を絶する悲嘆と悲しみに苦しむ日々です。
私自身、寺に生まれ寺で育ちました。懐疑的な性格であったので、熱心な仏教徒ではありません。
我が子の死と向かい合わなくてはならなくなった今、仏教やキリスト教で何かが救われるかと言うと、やはりまだそこに至っていません。
辛くてメンタルクリニックにも行きましたが、薬が欲しかったのではなく、あの子に会いたい、この苦しい気持ちをどうすればよいのか?という問いに医師は薬を勧めるだけでした。(当然ですよね…。)
あの子に会いたい。話したい。抱きしめたい。あの子はどこにいるのか、自分が死んだら会えるのか、と日々問い続けています。
あの子が自分の周囲を彷徨っているのなら、声が聞きたいとイタコにすがろうかと思った時期もありました。霊感を説く宗教にはまってしまう人の気持ちがわかるようにもなりました。イタコや変な宗教には何もコンタクトは取っていませんが、辛い気持ちは何も癒されません。
最近、知人の医療従事者が、私に「自死した人はあの世に行けないんだよ」と言ってきたのは、さらに私を打ちのめしました。
私はいつか会いたい、その気持ちだけのためになんとか生きています。
あの世があるのか?そこで会えるのか?
誰もがわからないその問いでしょうが、
これからこの悲しみにどう気持ちをもっていけばよいのでしょうか。
愛別離苦の辛さだけでも、心が悲しみで爆発しそうです。
倶絵一処というのは、自死した子とは願ってはいけないのでしょうか。あの世があるのであれば、死に方次第でそんなに区別されるものなのでしょうか。
会いたい、会いたい。こう願う気持ちはおさまることを知りません。
体調のことがあって止められていた飲酒をするようになりました。長生きしたくないからです。それでも日々、仕事やボランティア等できることは無理してやっています。時々涙が出てきます。
自死したあの子と会いたいと、ひたすら願いながら。
けれどもだんだん疲れてきました。
自死した子と浄土で会えないならば、何に縋って生きていけばよいのでしょうか。
有り難し 68
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