2023/06/26一人娘を亡くして生きるのが辛い
7か月ほど前に9歳10か月の一人娘を1年弱の闘病と、3か月の在宅の後に見送りました
直後は布団をかぶったまま動けませんでしたが、『分かち合いの会』を調べては数か所行きました。ほとんどの遺族会はパートナーや親御さんを亡くした方が大半で、子どもの場合は乳幼児や自死が多く、病気で子どもを亡くした親はとても稀でした。その中でも2か所ほどは同じ境遇の親の会なので、今でも参加しています。
年明けからは小学生に勉強を教える団体や、ご縁のあった遺族会でボランティア活動を細々としていました。
しかしこの1ー2か月は直後のように動けなくなりました。日中は『普通の世界』の気配がするだけで落ち込むのでずっと寝ています。昼夜逆転です
グリーフの本などによると、喪失を受け入れる段階に来るとひきこもる傾向がある、とのことなので、その状態なのだろうと思います。
娘はもうこの世にいない、死ぬまでその肉体とは会えないことは理解しています。病気になったことは単なる偶発的なことで、稀ではあるけれども誰にでも起こりえること。誰のせいでもないとは思いますが、やはり自分が産んだ子ですから、健康な体で産んであげられなかったことは今でも申し訳なく思います。
生きる意味、は考えていません。私の考えでは、人は生まれて死ぬ。それだけの事。生まれ落ちた場所を嘆いても仕方がない。草花の種が風に乗って飛び、たまたま落ちた環境が良ければ成長するし、良くなければ枯れる。それと同じ、と考えてはいます。
しかし、娘のいない時間があまりにも辛すぎて、生きるのに疲れました。
私には高齢の実父がいます。娘が産まれたときから同居しており、娘は『じいちゃん』が大好きでした。たった一人の孫を亡くした父の面倒は見なければならないと思っています。父を悲しませるわけにはいきませんから。
ただ、もう疲れてしまいました。母を介護し、看取り、やっと娘だけに時間を使えると思った矢先に発病し、闘病中は付き添いをして、その甲斐なく娘を見送ることになり、父を見送れば私は一人になります。
私も娘もただただ普通に暮らしたかっただけなのに。
今の私には、父を看取ること、私と娘二人の永代供養の場所を決めること、その2つしか生きる目的はありません。が、その目的を果たさなければ、と思う事さえ辛い毎日です。
どのような心構えで日々を送ればよいかご教示ください
有り難し 8
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