hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
問答一覧
検索結果: 648件

生きていることに後ろめたさを感じます

はじめて質問投稿します。 4年前に祖母が亡くなり、おばあちゃんっこだった私は当時大変悲しみました。しかし同時に、そのころから自分が生きていることに後ろめたさを感じるようになったのです。 祖母の亡くなる数年は、介護で本人だけでなく家族もしんどい思いがありました。かくいう私も、あれだけ育ててよくしてもらった祖母に対して苛立ったぞんざいにしたりしてしまった節があります。その後祖母が亡くなり、自分の今までの行いをひどく後悔しました。祖母は自分の楽しみも犠牲にして私を育ててくれたのに、挙句病気で苦しみ死んでしまった、そんな彼女に私はなんてひどい対応をしたのか、もっと優しくはできなかったのかと以来思ってやみません。数年たち、社会人になりましたがあまり仕事は芳しくなく、ここまで育ててくれた先人に顔向けができないとさえ思います。恩を受けるだけ受けてこのざまと思うと生きていることに申し訳なく思います。 こんな私はこれからどんな心でいることが正解なのでしょうか。さらにさもしくも、自分の行ったことが将来自分に降りかかるのに日々おびえています。どうかお智慧をお貸し願えませんでしょうか。

有り難し有り難し 485
回答数回答 4

母の死を受け入れきれません

先日、母が急逝致しました。 自死でした。 親友のような姉妹のような、近い位置にいた 母でなんでも相談したり買い物いったり旅行行ったりしていたのでそんな存在がいなくなったのが 今でも信じきれず、本当はまだ生きてるんじゃないかと思います。 仕事の都合でなかなか家に帰れず、最後にあったのはなくなる三週間前でした。 先々の予定をたくさん立てていて、これこらたくさん色んな所に行こうと話していた矢先でした。 亡くなる当日、帰る予定だったのですが 熱が出て頭が痛く、気分が優れなかったので 別の日に帰るよと言うと、とても怒ってました。 亡くなる直前に私に電話をかけてましたが 寝込んでいた為電話に出れず、もし電話に出ていれば生きていたかもしれないのにと思うと 苦しくてたまりません。 遺書のようなメモ書きには、兼ねてより辛いと言っていた職場のイジメについて 殴り書きされていました。 話しが纏まらず申し訳ありません。 とにかく、未だに母が生きていて 来週も一緒にお出かけするもんだと言う感覚が ずっと付き纏います。 また、どこに出かけても母の面影を感じ 一日中母のことばかり考えてしまいます。 かと思えば、母の分も幸せに生きようと思う瞬間もあります。 気持ちに波がありとてもしんどいです。 どうやって母の死に向き合い、また 自分の気持ちを落ち着けられるのかがわかりません。 どうしたら良いのでしょうか? とても苦しいです。

有り難し有り難し 54
回答数回答 3

南無阿弥陀仏をおとなえする意味について

私の家は浄土宗の檀家です。 浄土宗(浄土真宗も同じだと思います)では、「ただ南無阿弥陀仏を唱えれば、臨終に際して阿弥陀様が現れて浄土に連れて行ってくださり、そこで悟りをひらいて救われる」という思想だと理解しております。 しかし、どうしても心の中にもやもやが残ってしまいます。 といいますのは、「南無阿弥陀仏を唱えれば浄土に連れて行ってもらえ、悟りをひらける(=救われる)」というのを裏を返せば、「南無阿弥陀仏を唱えない人は悟りをひらけない(=救われない)」ということになってしまわないかと思うのです。 「自分に帰依しないもの、信じないものは救わない」などと、阿弥陀様はおっしゃるようには思えないのです。そんな心の狭い方ではないと思うのです。 おそらく「信じるものは救われる、でも信じてない人も救ってあげるよ」とおっしゃると思うのですが、ではそうなると「南無阿弥陀仏」をお唱えするのに果たして意味があるのかどうか、唱えても唱えなくても救われるのであれば、なぜ「南無阿弥陀仏を唱えると良い」とされているのかという疑問がわいてきます。 つまり 「南無阿弥陀仏を唱えないと救われない」→阿弥陀様はそんな心の狭い方だろうか? 「南無阿弥陀仏を唱えなくても救われる」→じゃあなぜ南無阿弥陀仏を唱える必要があるのか? という板ばさみといいますか、ジレンマに陥った気分になるのです。 これについて、お坊さんの見解をお聞きしたく、よろしくお願いします。

有り難し有り難し 712
回答数回答 12

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る

お坊さん33秒法話ピックアップ