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hasunoha 問答検索結果 : 「 人生 どうしたらいい」
検索結果: 9931件

結婚で彼が家族と私の板ばさみになっている

こんにちは。近々長年お付き合いした彼と入籍したいと思っているのですが、本人たち同士ではどうにもならない大きな壁にぶち当たっておりましてご相談させて頂きます。彼の家族に結婚を反対されています。彼は両親と姉の末っ子長男で、女性が強い家庭で育った優しい人なのですが、幼い頃から親や姉からの干渉がとても強く、何を決めるにしても自立を阻み自分の意志で動こうとすると罵倒されるので家が心地よいものでは全くなかったと言っています。18歳で一人暮らしを始めてからは家族と距離を置いてきました。カウンセリングでは、アダルトチルドレンの気質があると言われました。 そんな彼の家族のいびつさを私も初めてお会いした時から感じていました。相手を支配下に置きたがり、思いやりが全く感じられないのです。私の事も大切にしてくれる所か「離婚している家庭の子供はね〜」などと直接言われ大変傷つきました。それからは私が精神的に会うのが辛くなり、結婚の話し合いの場には彼1人で行かせると、彼も理不尽に反対されるのでいつもボロボロになって帰ってきてその後数日間寝込んでしまいます。彼から話し合いの報告を受け内容を知っていくうちに私は適応障害とパニック障害を起こし、彼の家族の話になると発作が起きるようになりました。そして彼も自分の家族と私との板ばさみになって、家族には自分の意見を全く聞き入れてもらえず鬱病を再発しました(以前も家族が原因です)。 それから私は彼に「家族と縁を切らないのであれば結婚できない」と伝え今に至ります。しばらく考えさせて欲しいと言われています。お互い精神的に安定していないこともあってか最近は言い合いが増えてしまいました。彼は彼で家族と縁を切ることには葛藤があるので「りえに俺の気持ちはわからないよ、縁を切るなんて簡単に言わないでよ」と言います。私も本当は縁を切らせたくはないのですが、黙っていると本当に何から何まで干渉支配してくる相手なので致し方ないのです。それは彼もわかっています。お互い愛する者同士で、せっかく気持ちが固まり結婚に向かって準備している所なのに2人とも笑顔が減って全然幸せではありません。私は彼を苦しい家庭環境から救い出してあげたいのに、自分のしている事が正しいのかわからなくなってきて葛藤しています。2人で共倒れしてしまっています。今後歩むべき道筋を教えていただきたいです。

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お坊様方、改めて教えに向き合ってみませんか?

報いきれるほどの恩ではない。この世でどのようなことをしても、お坊さんの大恩に及ばないのです。私の参じたお方に報いきれないのです。 大概の僧侶志望の方は、僧侶という型枠に収まり、呆けた顔をしたいだけでしょう。(違う人も当然、いるでしょうけど) このhasunohaに南伝仏教の本を勧めるお坊さんがいました。 なぜ浄土宗門徒ならば一心に念仏を唱えよ。と言われないのか? そうでないなら、この宗派は貴方の要求に応対できないと、 宣伝して回っているようなものである。師の恥だ。 煩悩を滅するのが道であるなら、すぐに南伝へ飛び出して出家すべきでしょう。 命はいつ果てるとも知れず、呑気に書き込む時間などないはずである。 一宗派の門徒ならば、師から伝えられた安心を絞り出し、絞り出して、 与えるべきである。南伝なんぞの教えは不要でしょう。 青白い顔をして訪ねてきた人に、この本を読んでみろと言うのか? 崖に捕まって、落ちそうな人間にこの本を読めと言うのか? 本を勧めるのが悪いのではなくて、相手の心に真に向き合うべきでしょう。 頑張る気力が湧かないと嘆いて苦しんでいる人間に、 「努力にこそ価値がある」と答えを返した僧侶はいないだろうか? 砂漠のど真ん中にいて、飢えて苦しんでいる人間に、 雑巾を絞って、絞って、ひねり出した一滴を捧げるが如く、 求むる者に注ぐべきである。 真に苦しむものは雑巾の水でも礼拝して飲む。 例え地球に宇宙人が攻め込んで、インデペンデンスデイの如く、 飛行機で宇宙船に突っ込み、地球の危機を救っても、 お坊様の恩に報いきれるものではない。 未来永劫に輪廻して善行善業を積み続けても、報いきれるものではない。 hasunohaで答える程に頑張っているお坊様がこの程度(すみません、ごめんなさい)なので、現状の日本仏教界の内実を察するに十分ですよ…すいません。 意識の低いものが跋扈し、仏を貶めるだろう。 正法は、ロウソクの火のように弱ってこのまま絶えるのではないかと、 心配するばかりです。 門徒の恥は師僧の恥であり、師僧の恥は宗祖の恥だと思います。 碌な返答も出来ず惑わすようであるならば、黙していた方がマシです。 偉そうに説教みたくなってごめんなさい。 ただ反省はいくらしても、一円も掛からないので損はしないと思うのです。 私も道の途中ですので、頑張ります!合掌

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パワーストーンや運勢についてです。

以前悩みを相談させて頂き、解決に至りました事、お礼を申し上げます。本当にありがとうございました。 相談の内容は全く変わるのですが、今回の質問は「人には持って生まれた運勢があるのか。パワーストーンは本当に効き目があるものなのか。」という事です。 先日知人によく効くと評判で自分に合ったパワーストーンを、姓名判断・生年月日出生時間・生まれた県・現住所等から占い(風水的な考え方から)選んでくれるというお店に連れて行ってもらいました。 占いの結果「運には大きく分けて5つの運があり、貴方には持って生まれた素の運の内、これとこれの運はありますがこの運がありません」「正し素の運は変わらないがそれにプラスして1年ごとと、大きな転換としては10年ごとに運気が変わる」「貴方の持っている運のうち、持ってはいるが少なくて、他の強く持っている運とのバランスが悪くなってしまうのを補う為のオススメのパワーストーンはこれです。」等と説明を受けました。 そういえば、お寺さんや神社にも数珠やパワーストーンを置いている所があるなと思いましてして、疑問に思ったのでお尋ねしたいです。 元々八百万の神様等はいたら楽しいなと思い信じているのですが、人が持って生まれた運等もやっぱりあるのでしょうか? お店の説明では、そのお守りとしてパワーストーンがあるとの事ですが、あまり物を増やしたり、依存したくありません。 運に本当に影響があるなら、お守りとして信じて一個購入してもいいかもしれないとは思いましたが、 例えば人間関係の運を上げたいと思っても元々その運が無い人が人間関係が上昇する石を持っても意味が無いそうで、元の持って生まれた運をもうちょっと上げたい時に手助けするのがパワーストーンだと言うので、なんかそれだとあまり夢が無い気がして悲しくなりました。 お坊さんの腕にもパワーストーン(数珠)をつけている方をよく見かけますが、それは自分が好きな石をつけているのか、それともこんな運が上がれば良いな~と意味を調べて身につけているのか、若しくはお寺で僧侶はこの石を身につけるとよいされている石があるのかも気になります。 是非教えて頂きたいです。宜しくお願い致します。

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霊魂の存在を否定されるお坊さまへのご質問

 こんにちは。先日は私の拙い質問にご回答頂き、誠にありがとうございました。また、こちらで何度もご質問させて頂いておりますが、その度毎に丁寧なご回答を頂いておりまして、大変感謝しております。本日は、多少突っ込んだ質問になってしまいますが、自分の中でどうしても整理がつかない点があり、それを質問できるような場が他にありませんでしたので、この場を借りて質問させて頂きたいと思います。どうぞよろしくお願いします。  こちらのサイトを拝見しておりますと、「霊は存在しない」と回答しておられるお坊さまが何人かいらっしゃいます。お坊さまの中でも意見が分かれる問題なのだと思いますが、私は霊魂の存在を信じており、また輪廻転生もあるのではないかと考えております。霊魂の存在を否定されるお坊さまは、霊感商法やカルト教団への対応など、現実的な対策の観点から、またお坊さま個人の世界認識から、そのような発言をされているのだと思います。しかし、素人の私から見ると「悟り」や「阿弥陀仏の救い」を前提としてお話をされているお坊さまが、「霊魂」の存在を否定されることが、どうしても理解できないのです。  素人の私から見ると、「悟り」も「阿弥陀仏の救い」も、それが一体何であるのか分かりません。そのため、お坊さまが「悟り」や「阿弥陀仏の救い」をお話されることは、「霊魂」や「輪廻転生」のお話をされることと同じくらい荒唐無稽なもののように感じてしまうのです。唯物論者の方が霊魂の存在を否定されるのは理解できるのですが、お坊さまが否定されることは、私にはどうしても理解できません。霊魂の存在については、「分からない」とおっしゃることが最も妥当なのではないでしょうか。  実際に、現代には様々な宗教がありますが「霊魂」や「輪廻転生」の存在などを説いている宗教も数多くあります。もし、お坊さまが霊魂は存在しないと考えておられるのであれば、それらの宗教についてはどう理解されているのでしょうか。  このような突っ込んだ質問をして、誠に申し訳ありませんが、霊魂を否定されるお坊さまのお考えをどうしても伺いたいと思いました。ご回答頂ければ幸いです。どうぞよろしくお願いします。

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仏教の今後

仏教は日本人の死生観に深く根を下ろして文化として素晴らしいものがあると思います。 しかし、こんな歳になるまで不勉強で恥ずかしいのですが、大乗非仏説を初めて知りました。 そして原始仏教と日本の仏教はかなり異なる事、律蔵があまり重視されなかったので、日本の僧侶は在家と変わらない事を知りました。 よく、キリスト教徒が進化論や地動説を信じないのを不思議に思ってきましたが、日本の仏教は実は(全てではないでしょうが)偽経だったと分かってどのように折り合いをつけているんでしょうか? 釈尊は口伝でしか伝えなかったから、全ての経蔵は直説でないとか、全て仏の御心から方便として出た物だとか、あまりに苦しい言い訳に見えます。また鰯の頭も信心からと言いますが、信心とは受け容れる事から始まるから信心はそこを問題にしないと言うのもそこに身を捧げる者としては辛い選択ではないでしょうか。 大乗非仏説は新しい概念ではないですが、時代を経るに従って消えることもないでしょう。今後、このまま伝統を重んじて変わらない事を良しとしていくのか、それとも時代と共に新しい研究成果を反映して変化していくのか、どのように考えられてますか?

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