よろしくお願いします。 「世の中、お金がすべてじゃない」という言葉をよく耳にします。 「しかし、この世の中、いい大学を出て、大きな会社で働いて、お給料をたくさんもらって不自由のない生活をするのが幸せ」 というような雰囲気を感じています。 特に自分のように、まともに社会に出たこともない人間にはそのような雰囲気や考え方はとてもつらく、むなしくなります。 その考え方は間違っているとは100%言い返せません。
宗教とは何ですか? 宗教とは何を目指しているのでしょうか?宗教の目的がよくわかりません。 祖父母の法事等で、宗教行事に触れる機会はあるのですが、この私の人生にどういう意味があるのかが、わかりません。 宗教の目的はなんでしょうか? お坊様がたの信仰されている宗教について、その宗教とは何か?その宗教の目的とはなにか? を教えていただけたら幸いです。 宜しくお願い致します。
仏教と言ってもいろんな宗派があるようですが、それぞれどう違うのですか?難しいことはわからないので、一言で特徴を教えてください。 例えば浄土真宗だと「他力本願」ですか?
こんにちわ。 今年も残り僅かとなりましたね。寒くなってまいりましたが皆様体調崩されてないですか? 質問ですがお釈迦様のお言葉で善き人と交れ、悪き人とは交わるなというお言葉がありますがこの善き人と悪き人をどう解釈すれば良いのか考えているのですが分からない状態でいます。 自分の中では十善戒を守りながら自分で改善しながら生きている人だったり、目標に向かって突き進んでいる人だったりと思いますが、自分中心で生きてる人や十善戒を守らず目先の快楽ばかり求め生きている人の中でも良い所はありますし、そうすると全員善き人になってしまいます。逆に目標に突き進んでいるような人でも道徳心に外れてしまう人もいたり、ますます分からなくなってしまいます。 完璧な人はいないと思いますが仏道の中で判断基準のようなものがあるのでしょうか? 自分が今後どれぐらいの人とのお出逢いが頂けるかわかりませんがその中でせっかく善き人とお出逢い頂いたのに自分がそれに気づかないままでは残念です。 お忙しい所、恐れ入りますがアドバイス頂けたら幸いです。
私には子供がおりません。 供養してくれる人がいません(たぶん) 私は、火葬と納骨までしてもらえれば、それで良いと 考えております。 自然の摂理に沿って、最後は潔く死に、 そして、誰からも供養してもらわなくとも、 自力で成仏したいのです。 死後、お線香をあげてくれる人がいなくても、 一周忌や三回忌の法要がなくても、 自分の意志で成仏できますか?
混沌とした世の中で暮らしていくのが辛く苦しい、この閉塞感の中で平和でもない中オリンピックなど開催しウイグル地区の人達への人権侵害で政府関係者のボイコットなどしても何の意味もなく国の威信をかけての見せかけの平和の祭典に連日お祭りのように報道するマスコミにもコロナ禍とし場当たり的な対応する政府にも嘘が見え隠れし心を保って生活するのが難しく感じています。 ミャンマーのロヒンギャ難民の人達の悲惨さも軍事政権の横暴さにも胸が痛くなります。ミャンマーの人達の解放のためにNPO法人などで助けになろうとされている知人もいます。私も自分の出来ることはと寄付や募金などしていますが、出来ることは少なく苦しい思いです。自分が今あるところで自分の出来ることをして日々生活していくしかないと思いますが、理不尽なことがいつまでまかり通るのかと心が壊れそうです。 都市部は情報が多く心が惑わされることが多いのかもしれません、都市部で働いて都市部で生活するのに疲れました。都市部から離れて自然と共に生活して自給自足までは難しいとしても自然の営みの中での生活をしたいと思います。報道番組はなるべく見ないようにしていますが、連日のコロナ騒動の話題が辛いです。自分の与えられている環境に家族もいて仕事もあることに感謝はしていますが、心のざわめきが抑えられません。どうしたら心を整えて生活していくことが出来るでしょうか、このままでは心が壊れてしまいそうです。
質問させていただきます。 回答しづらければ、スルーでお願いします。 母の四十九日法要の和尚さんの法話でのことです。 「亡くなった人はどこへ行くか?」と和尚さんは私の甥に尋ねました。 小学生の甥は、「心の中」と答えました。 それは、亡くなった母が教えたことです。 母は「自分が死んでも、いつも見守ってるから」という意味で、生前、そのように話したのだと思います。 が、その和尚さんは、それを完全否定しました。 人は死んだら「無」になる、と。 何もなくなる、心の中ということはない、と。 実際に仏教でどのように考えられているかは知りません。 和尚さんが仰ることが正しいのかもしれません。 ですが、そこはあえて否定する必要があるのでしょうか? マチガイハ タダスベキということですか? 甥だって大人になるにつれ、母の言葉の意味は理解するだろうし、何より母の法要で母を否定されたような気がして、何とも言えない気持ちになりました。(「黙れクソ坊主がっ!」と思ったことは内緒です) また、その話の流れで、ホームレスは人間のクズだから地獄に堕ちるという話をされました。 いや、ちょっと待て! 人は死んだら無になるんじゃなかったのか? 無になったら、地獄も何もないのではないか? それとも、ソレとコレとは違うとでも言うのだろうか? それより、ホームレスが人間のクズとはどういうことなのか!? それが仏教なのか? 和尚さんの偏見ではないのか? 和尚さんに対しての怒りの感情と、母に対して申し訳ない思いと… お前が地獄に堕ちろ!とマジ思いました… ホームレスの方達に炊き出しをするボランティアをしていたので、色々と思うところがありました。 もう数年前のことですし、そのことを引きずって悩んでいる訳ではありません。 過去のことに上書きすることはできませんし、それはソレで、そういう事実があった、でよいです。 ただ、その本当のところが知りたいです。 数年前のことを、なぜ今、このタイミングで?と思われるかもしれませんが、今まで聞く人がいなかったからです。 hasunohaのサイトを最近知りました。(遅っ!) よろしくお願いいたします。
結婚したいですが、なかなかお相手に巡り合えません。 「この人かも」と思っても、長く生活することを考えると相手の欠点が気になり別れることを繰り返してしまっています。 どうすれば良いのでしょうか。
初めまして。 私は、横浜で会社員をしている伊藤と申します。先日、テレビでこちらのサイトが紹介されていまして、仏教の教理に関して長年疑問に思っていたことがありましたので、質問させて頂こうと思い書き込みを致しました。 私は、大学生のころから仏教に興味を持っておりまして、仏教に関する本をいくつか読み、修行の真似事もさせて頂いたことがあります。仏教との出会いは、私の人生の中で非常に貴重なものでした。これからも、修行を重ねていきたいと思っています。 ただ、その中で未だに釈然としないことがあります。それは仏教の説く「死後の世界観」がなぜ宗派によってここまで大きく異なるのか、ということです。 仏教では、もともと「輪廻からの解脱」が一番の目的であったと聞いています。それが、現代の仏教では死後の世界観について「極楽浄土で仏弟子となる」といった立場や、「死後のことなど考えず、今を生きる」といった立場など、様々に分かれています。 私は、どうしても理屈っぽいので、このように死後の考え方が異なっていることに疑問を感じてしまいます。例えば、「極楽浄土に行けるなら、今は努力せず楽をしていた方が良いではないか。」と思うこともありますし、「死後の輪廻転生を否定するなら、そもそも修行する必要さえないのではないか」と思うこともあります。 先日、上座部仏教のお坊さんの著書を拝読して、私の考えに近いことが書いてあって共感を覚えました。そのお坊さんは、「死んですぐ極楽浄土に行けるのなら、どうして早く自殺しないのでしょうか。」といったことや、「輪廻転生が無いなら、どうして修行する必要があるのでしょう」といったことを述べておられました。 もし、輪廻転生があるのであれば、私もなるべく善行をしようと努力すると思います。逆に、輪廻転生がないと考えると、やる気を削がれ厭世的な気分になってしまいます。 人間がこのような気分になることを見越して、お釈迦様は死後の輪廻を説かれたのかもしれません。しかし、今の私にはそれ抜きで前向きに生きる心構えを持つこともまた難しいです。また、死後の輪廻を否定するならば、自殺を否定することもまた難しくなるのではないでしょうか。 こういった点を、お坊さんはどう考えているのか、どうしても気になったので質問させて頂きました。失礼なことを伺ってしまい申し訳ありません。
私はよく自殺についてネットで検索をしてるのですが、 自殺をすると地獄に落ちますよ! という投稿をしばしば見かけます。 自殺=自分を殺すことと同じ、つまり人を殺したも同然なので地獄へ行くというのです。 特に知恵袋などで多い気がします。 それで自殺防止になるならいいのかもしれないけれど... でも病気などで自殺する人もいるじゃないですか。 私は統合失調症ですが、幻聴に耐えられずその声に従って自殺したというケースもあるみたいです。 それで地獄に落ちるなんて可哀想だと思います。 自殺したら地獄に落ちるのですか?