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検索結果: 109件

お布施をお渡しする気持ちがわきません

先日、祖母が亡くなりました。 葬儀会社は決まっていたので葬儀の予定は滞りなく決まったのですが、菩提寺にお渡しするお布施が高く、どうしたらいいのかと悩んでいます。 自宅は千葉、お寺は東京にあるので、電話でお話をしました。 失礼かと思いましたがどのくらいお布施をお渡ししたらよいか分からなかったのでお伺いしたところ135万円と言われました。 思っていた金額よりかなり上でした。 こちらに余裕がある生活をしていればご縁もあってのことですしそのままお願いするかもしれませんが、お恥ずかしい話そのような経済状況ではないもので、そのむね事情を伝えさせて頂き、一括でのお支払はできませんが何度かに分けてなどはできないものかとご相談もしたのですが、今まで分割で支払いをうけたこともないしこれが最低ラインです、と。 どうぞ135万円お包み頂いてお越し下さい、と言われました。 それくらいだすのが当然ですよと、言わんばかりの雰囲気でした。 高額なのとお寺の電話での話ぶりと、気持ちがつりあわなくて、こんなことを思う私が悪いのか、でもどうにも金額が高いのではないのかと、そんなことばかり考えてしまって元々の祖母をきちんと送りだしたい気持ちよりお金の事が頭をしめてしまっています。 ちなみにもし自宅の方で火葬まですませて、戒名だけとなったらいかがでしょうかと尋ねたら、それでも同じ金額です、とおっしゃっていました。 なんとかその金額を準備しても、葬儀代も納骨もまだいろいろあります。正直生活がままならなくなってしまいます。 お布施とはそんな気持ちで納めるものなのかと。 なにもお渡ししないまま戒名をつけて頂きたいなんてそんな事は思ってはいません。できるところまでは感謝の気持ちでお布施できればと考えています。 ですがご提示の金額は高すぎるのではないかと。 その金額は相談できないものなのでしょうか? 戒名だけつけて頂くのも同じ金額とは、そのようなものなのでしょうか? わざわざ東京から来て頂いかなくてよい分お布施の金額をおさえてお渡しすることは失礼でしょうか?それはこちらの勝手な言い分なのでしょうか? 長文、乱文で申し訳ありません。 ですが、どこで、どなたに相談したらよいものかもわからずネットで検索していたところこちらを見つけて、もうここしかないと… よろしくお願いします。

有り難し有り難し 143
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死後みんな仏さまになって同じ世界に生きるのでしょうか

私の父は僧侶をしていました。 真宗の小さなお寺で、職業とは別で兼業していました。 でも、父は酔うと人に暴言を吐いたり、よそで女の人つくったり、言えないくらい、家族に迷惑ばかりかけていました。 私は母と家を出て、今は嫁いで家庭を持っています。 そんな父が急に亡くなりました。 僧をしていたので、父は「仕事」としてお経はあげていました。 悪人正機というのは、悪人であることを自分で認めた凡夫だからこそ救われると聞きました。 悪人であることを最後まで認めなかった父も、救われて仏さまになっているのでしょうか。 でも『地獄と極楽』という絵本を小さい頃読みました。 あの絵本では、生前ひどい人は地獄で苦しんでいました。 もう一つ、仏さまになったとして、その後どのように生活?するのでしょうか。 よく、私たちを見守って導いてくださる、と言いますが、この世でのつながりが深かった人のところに行き導くのでしょうか。 もし私が往生したら、父と同じ世界に行き、また娘としてくらすことになるのでしょうか。 とりとめなくすみません。 父の死も、生前の行いも、もう昔のこととして受け入れていますが、仏教の教えでは、このあとどのように生きているのか気になりました。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 61
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ANESTHESIOLOGIST

麻酔科医の主な仕事は、「体の痛み」を取り除くこと。 お坊さまの主な仕事は、「心の痛み」を取り除くこと。 患者様に寄り添う仕事。 救いを求める人たちに寄り添う仕事。 ほぼ同じようなもの。 もし互いに協力し合えれば、もっとたくさんの人たちを救うことが出来るのではないでしょうか? でも、何だか今、非常に高い「壁」を感じています。 「どちらかだけの世界」として存在しているように感じています。 私は、そんな「偏った世界」や「無意味な壁」を取り除きたい。 「誰でもいらっしゃい!」と人を招いておきながら、互いの中に「分け隔てる壁」を持ってしまっているのではないでしょうか? 窮屈です。 息苦しいです。 全然、開放的ではない。 閉鎖的です。 この「壁」は、これからもずっとずーっと無くならないものなのでしょうか? それだと、せっかくの「ビハーラ活動」もなかなか広まらないのではないでしょうか? こっちはこっち、あっちはあっち。 そんな状態、良いとは思えません。 これは「喜怒哀楽」で言うならば、私にとって「怒」ではなく「哀」です。 このままだと、ここに私のいる意味など無くなってしまいそうです。 助け合いの精神とは…? 「助けたい」 これも「欲」の「煩悩」なのでしょうか? ここhasunohaに来て1か月が経ちました。 去るべきかどうか迷っています。 hasunohaは、とても心地よく素晴らしい場所です。 しかし、何だか… うまく言葉に出来ませんが… 迷っています… 消えた方がラクなのでしょうか…

有り難し有り難し 445
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哲学専攻の友達に論破されてしまいました。

 僕は日々陰鬱に生きていて、変わらなければならい節目を迎えた時、生きる意味について考えるキッカケを授かりました。生きる意味というか、今、生きているということに納得する理由がほしくて。僕はその理由をなんとなく自分の中に見出しました。  それは「人は善を為そうとし、真に為し得ない。優しくあろうとし、真に優しくあれない。愛そうとし、真に愛せない。」その善を為そうと、優しくあろうと、愛そうと努力することこそが生きる悦びだと、僕はそう納得していました。そしてその「生きる意味」を職業(カウンセラー、精神科医、臨床心理士、お坊さんなど)にしようと、大学を入り直すことさえ考えました。  しかし、その友達は、僕の生きる理由を「現実を決済する」こと、僕が信じる「美しいものを美しいものだと感じる心そのもの」を妄想と否定し、浄土、成仏の存在を真っ向から否定しました。  僕は、その友達の考えを否定することはできませんでした。かといって僕の本来持っていた考えを否定する気を起こそうとも思いませんでした。  またある人は「誰かがあなたに、本音や弱音を告白しているときに絶対に言ってはいけないことがある。正論です。」と言いました。  浄土、仏性、成仏は、そして仏教は、自己満足させるためだけの嘘なのでしょうか?美しいものを美しいものだと感じる僕のこの心は妄想でしかないのでしょうか?  それは僕が在る、と考えれば在る、のだと信じておりますが、僕はこの途方もないやるせない気持ちをどうにかしたいのです。  僕は恐らくこの(実存哲学?という)正論を信じると一生不幸だと思い、しかも僕はそれに対してどうしようとすることもできないのです。  僕は、仏様から授かった自分の寿命を全うするために死ぬまで生きようと思っておりましたが、その考えが不安定にならざるを得ないのです。  僕はこの儚い気持ちにどう向き合えば良いのでしょうか?お智慧をお貸しください。  長く稚拙な文章となってしまい申し訳ありません。また仏教思想を自分勝手な解釈で捉えております。それは違うというところ、誤解があれば、感謝と敬意をもってお説教を受け賜わります。 便宜的に、思想的に、僕はその人を友達だと書きましたが、本当はツイッター内において、フォローフォロワーの関係にすらなっていない、赤の他人です。 (´・ω・`)...

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坊さんなのにこれからの将来が見えない

実家が寺で、仏教系の大学に通っている僧侶見習いです。 僧侶が社会システムにおいて必要とされる意義が「人に仮初の夢を見せて心のケアをする」以外しか見いだせなくてこれからの将来に絶望しています。 僧侶は、昔みたいに医者の代わりや教員の代わりをする訳でもなく、月回向や葬儀関連で人々の心を慰めるくらいしかしていません。 僧侶が利益(りえき)を得ることを人々は否定します。実際、聖職であるが故に本来は金銭を対価に何かをするというのはあまりに俗に塗れているような気がします。布施はそれ自体が神聖なものであることは分かっています。 しかし結局のところ、(観光という商売をしている寺は除いて)寺やそこにある僧侶という存在は「嘘をついて金を檀家さんや信者さんから貰う」ものに過ぎないのではないか?と思ってしまっているのです。 道徳を説くならそれはカウンセラーでも哲学者でも構わないわけです。 では僧侶が持つ他とは違うアイデンティティとは何かと言ってしまえば「仏教という仏になる為の指針」なのですが、結局のところ今の今まで人の身で完全に釈尊(応身)と同じステージに立った者もいない訳で。 本当に仏となることが出来るかも分からない教え、しかも数多の偽典があるであろう経典の内容を引いてきて、悩める人々に滔々とそれを説く。自分の中ではこれから自分がなる僧侶という職は、そんなもののように思えてしまいます。 私よりも遥かに経験を積み、たくさんの経典を読んだここにいらっしゃるお坊さんの方々に、私の悩みをただ、聞いて欲しいです。そして願わくは、自分の中の仏教に対する、僧侶に対する悪感情を解く何かを教えて欲しいです。 散文的になってしまい、申し訳ありません。宜しくお願いします。

有り難し有り難し 109
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日本の宗教に対する意識と新興宗教について

日本には、なんとなく政治と宗教な話は、親しい間でも話しにくいような風潮があると思います。例えば私自身家族の中でも応援している政党が違ったりするとなんとなく気詰まりな感じがします。そういう宗教や政治の話がなかなか気軽にしにくい日本の風潮にお坊さんはどう思いますか? 話は違いますが、うちは曹洞宗ですが、遠くに住んでいる親戚の叔父が韓国の方が教祖のキリスト系の新興宗教を信仰しています。叔父さんはとても元気でタフで明るくて面白くて好きですが、宗教の話をしている時に進化論を否定していることに驚きました。たしかに進化論が正しいかは、私自身教科書でしか教えられておらず、自分で確かめたことはないので、確証や証拠で反駁することはできないのですが。 あと人間だけ霊界があるというその宗教の教えに対しては、全ての生き物が限られた生を命の限り全うするということは同じな世界で、人間にしか霊界が用意されていないという考えがしっくりきませんでした。当然信仰の自由があるので何を信じるかの選択の余地は一人一人あり、全く否定する気はありませんが。その対話をしている時の母がもううんざりといった言動でもう終わりにしてほしいというオーラが全身から漂っていて、とりあえず途中で私が引き下がりました。(こういうところでも宗教の違いを対話するのを嫌がる日本の風潮を感じました。) 比較的歴史の洗礼に耐えて伝統を長く受け継ぐ仏教の宗派のお坊さんは、新興宗教と呼ばれている宗教の特徴や教えについてどういうお考えをお持ちなのか、気になりまります。 お手すきの時にお返事頂けたら嬉しいです。

有り難し有り難し 75
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