ときおり、人間は所詮一人だなと思うことがあります。いつかは一人で死にゆくものだと。家族や友達と楽しい時間を過ごしたあとでもです。 悩みを聞いてくれる友人もいるのですが、心底から自分以外の人と分かり合うのは難しいな、と、感じます。 こんな無常観に苛まれたとき、和尚様方はどうやってそこから、抜け出られておられますか。 それでも生きていくための仏教の知恵があれば、教えていただけるとうれしいです。
父が末期ガンになり、最近人が死ぬということを身近に感じとても怖くなりました。 また私は今まで人間関係が不安定で沢山人を傷つけ自己中心的な考え方で生きてきて、私みたいな人間は絶対地獄に落ちてしまうと思うととても怖くて夜も眠れません。 また過去の過ちや自分の考え方などそのその都度反省しますが同じことを繰り返したり、いつまでも成長しない自分に辛くなり、このまま生きていてどんどん罪を重ねていくのも怖いです。 今の自分と一生懸命向き合うしかないのは理解していますがどうしてもいろんな恐怖が先行して毎日つらいです。 どうしたら毎日前向きに過ごせるようになるのでしょうか?
こんにちは。宜しく御教授お願いします。 父の死後、九州で一人暮らしを続けていた80歳の母が身体的にも介助が必要になり、認知症らしい言動も出てきている為独居は限界と判断。私も兄も関東に住んでいる為、関東の施設入所して貰う事になりました。 離れている為、近くにいてもらった方がいいと思ったからです。 受診、入所先探し、転居の手続き、親戚への挨拶、荷物の送付、入居準備全て私が行いました。 後は、住んでいた九州の実家の片付けがあるのですが、かなり家財道具がある為大変です。 兄に相談しましたが、手伝ってくれる気は無さそうで、当然私がやるものと思っています。 その事で、喧嘩もしました。私は充分やったし、これ以上の負担は身体的、精神的に無理です。 母の認知症は、まだまだ軽い方ですが、以前と違う母といることがとてもつらく、ストレスを感じます。 冷たい娘とお思いになるかもしれませんが。 母は本当はずっと、生まれ育った町で暮らしたいようです。私達の為に、入所してくれるんだと思います。 そんな母を見ていると、本当にこれで良かったんだろうか?と思ってしまいます。兄弟で揉める姿も、見せたくはないです。 私はケアマネの仕事をしていますが、自分の親の介護については考えていませんでした。敢えて、考える事から逃げていたとも言えるかも知れません。利用者さんの御家族が、介護の負担分担で揉める姿を散々見て、悲しい気持ちになっていました。まさか、自分がこんなことになるとは。お恥ずかしい限りです。 私は 子供が出来ない身体ですが、たとえ子供がいても老後は決して安泰ではないのですね。 人は生まれて、それぞれ一生懸命その人の人生を生きて、老いていく。 やっと、ゆっくりと人生の最期の時のためにのんびりと穏やかに暮らせる時間が来たのに、子供たちは世話のなすり付け合い、生まれ故郷から離れての生活。 老いることは悲しい事でしょうか。 私達は、人生の最期の時期をお手伝いする仕事ですが、どんな人にも最後は幸せでいて欲しいと願って仕事をしています。御坊様は、本当の最期のお見送りをするお仕事だとおもわれますが、人の老いについてどのような考えをお持ちでしょうか。 私事の相談のはずが、話が大きくなってしまい申し訳ありません。
生きる意味について考えることに疲れました。 どうすれば、こんなことを考えないでいられるのでしょうか? 生きることに意味なんてない。 もしくは、それは死ぬ間際に人生を振り返って知ることであって、今分かるようなことではない。 そんなことは分かっています。理解しているんです。 論理的に「生きる意味」を見つけることは不可能です。それができたら、世の哲学者なりがとっくに結論を出しています。 なのに、「生きる意味」「物事の意味」について考えることをやめられません。 何をしていても、「こんなことに意味はない」「どうせ人類滅びれば何をやっていても同じ」というような諦念が頭をよぎり、心の底から楽しむことができません。 二十年と少し、今までの生きてきた中で色々なことをしてきました。 勉強をしたり、友人と遊んだり、趣味に邁進したり、進路に悩んだり。 そういったことをしている間中、ずっと頭の片隅に「こんなことに意味があるのか?」という疑問がつきまとって離れませんでした。 何をしていても、どうせ何にもならないという無力感が肩に腰を下ろしているんです。それが、少しずつ私を蝕んでいるんです。小中学生辺りから、ずっと。 そんな積もり積もった負荷が、就活をきっかけに爆発してしまいました。 どんな将来を思い描いても、「そんなことをしてもどうせ意味なんてない」「人類滅びればみな一緒だ」などという言葉が頭を揺らすんです。 そしてすぐに、「何のために生きているんだろう」「どうせ意味なんてないのに」というようなことを考えてしまいます。 そんなことに、もう疲れてしまいました。 最近、よく死にたいと考えてしまいます。もう悩み続けていたくない、と。 散歩中に苔むした石灯籠を見かけ、羨ましいと思ってしまいました。 心療内科にも行きましたが、訳もなく涙が出ることを抑えることもできず。 筋トレなども始めてみましたが、鬱々とした日は簡単な運動にすら手が着きません。 近頃では、ギャグマンガを読んでいても空しさで吐きそうになってくるほどです。 どうすれば、こんなどうでもいいことを考えないでいられるのでしょうか? 坐禅や瞑想を取り入れてみるといいのでしょうか? 身体が硬くて長時間座れませんが……。 もう、考えるのに疲れました。 何も考えず、もっと能天気に生きたいです。
10数年前に24歳年上の主人と再婚(お互いに)しました。 私には子供はおりませんが、主人には一男ニ女の成人した子供がいます。 今年になって長男夫婦に待望の跡継ぎが産まれ、子宝祈願を今迄一緒にやってきてよかったと思った矢先、私が心のコントロールができない状態になってしまいました。 主人は元々、家やお墓とかを大事に思うタイプなのですが、度が過ぎるというのか、江戸時代の人間か?と感じる程でしたが、跡継ぎの孫が産まれてからの言動は再婚で子供を産んでいない私には辛く、今迄の努力はなんだったのかと生きる意味さえも失いかけています。 今は仏壇を世話することも、お墓参りに行くことも気持ちの中では嫌で、先祖からもうあんたの役目は終わったから!と言われているような気さえします。 気持ちのよりどころのアドレスをいただければ幸いです。