3ヶ月前から同棲をしています。 彼は前からお酒には弱く、2次会くらいまでいると連絡がとれなくなり、電車なども乗り過ごしてしまうほどです。 家で飲む分には、そこまで酔いません。 昨日、わたしの体調が悪く、はやく帰ってきてほしいと連絡したにも関わらず帰ってきたのは深夜2:00。 それも酔っ払いの後輩をつれて。わたしはあまりに自分勝手な行動に家には入れませんでした。 いつもは優しく、楽しい彼ですが、飲み会の帰りや飲み会になると本当に困ったことになります。 彼が連絡をくれたり、しっかり家に帰ってこれるようにするにはどうしたらいいでしょうか? こんなしょうがない質問で申し訳ございません。彼の飲み会について本当に悩んでいます。 よろしくお願いいたします。
お釈迦様の時代のインドでも宇宙については盛んに語られていたと聞きます。 お坊さんの皆様にとっての宇宙とは何でしょうか? 自由気ままにお話をお聞かせ頂けると嬉しいです。
私は強迫性障害と呼ばれる精神障害者です。例を挙げるなら手洗いを何回もやらないと気が済まない、外出の際、家の玄関の鍵を何度も確認してしまう等です。今一番苦労しているのが、車を運転する際、極度の加害恐怖症のようになってしまい安全運転を心がけているにもかかわらず本来なら楽しいはずの運転がとても、苦になってしまっている事です。 毎日、毎日この繰り返しで正直、本当に生き苦しい毎日です。ちなみに余計な事かもしれませんが心療内科には通い続けています。
ご質問させて頂きますハルソラと申します。 先日、祖母のお葬式がありまして、お坊さんが何のお経を読むのか興味深く聴いておりました。 私はお寺に参拝すると過去に四国遍路をした慣習で読経します。 (開経偈、懺悔文、三帰、般若心経、観音経、ご真言など) しかしお葬式のお坊さんの読経の半分くらいは聞いたことが無くあまり分かりませんでした。 お坊さんが唱えていたお経の名称が知りたいです。またお葬式用の経典を一般の人が手に入れる事は出来ますか? ちなみに今回のお葬式は曹洞宗でしたが、親戚には臨済宗と真言宗の方もいるので、どれか一つに関する事で構いませんのでご回答頂けると有り難いです。 よろしくお願い致します。
明けましておめでとうございます。 全ての皆様にとって、健やかな一年となることを祈念いたします。 * 「足るを知る」と「向上心」をどうバランスさせるかについて質問です。 ■質問の内容 ・人間の煩悩はキリがありません ・煩悩とうまく付き合うために「知足」が重要との理解です ・一方で、より良い生を営むには、「向上心」が必要です ・しかし「知足」「向上心」は、ときに相容れないように思われます ・そこで、両者の使い分けについて、ご意見を頂戴したかったもの ■質問の背景 ・私は肉体や精神、能力等の向上(=欲求を満たせる自分に成長すること)を目標として努力してきました ・結果、自分自身や周りの人の幸せを実現できると考えてきたためです ・しかしある時、幸福度は上昇していないことに気付きました ・そんな時に「知足」の重要性に気付き、「向上心」との折り合わせについて強い興味を抱いたものです ・両者の使い分け方法について、下記2パターン考えました ■仮説① 行為の目的(相手のため/自分のため)で、以下の通り使い分けるべき 【良さそうな例】 A「相手のため」×「向上心」 (例)より喜ばれる仕事をしたい B「自分のため」×「知 足」 (例)菜食で十分 【悪そうな例】 C「相手のため」×「知 足」 (例)今の仕事の質で十分 D「自分のため」×「向上心」 (例)より美味しい食事をしたい ■仮説② ・「知足」と「向上心」のバランスを考える必要は無い。 ・自らの欲求を満たせる自分に成長する「向上心」が重要である ・逆説的だが、向上心(欲望)を満たした経験により「足るライン」を把握できるようになる ・肥大する向上心(欲望)を実現した経験が、「自らを満たさない、長く続かない」ことを体感させる ・知足は、頭で理解するものではない。体得させる必要がある (例)お金をもっと稼ぎ、食事にお金をかける。結果、最高級の焼肉もファミチキも両方美味しいし、どっちも幸せで、(実は)どっちも大差ないことを体感する。 しかしずっと貧しいままだと、どうしてもやせ我慢での知足となる。「知足の習得」には、欲求を満たして「こんなもんか」という体験が必要不可欠。 お釈迦様が王子の頃に豊かだったことは、悟るための必須条件。。? 少し漠然とした問いで申し訳ございません。 どうぞよろしくお願い致します。
前にも似た様な質問を行いましたが、また、その時の恐怖が出てきました。 仏教では輪廻転生の教えがありますよね。死後に自分の行いや業によって六道のどれかに落ちるという。 前に仏教は今をどう生きるかを説いている、死後の事は分からないというお答えを貰いました。 だけど、折角お答えを貰ったのにまた生まれ変わりに対して恐怖が出てきたのです。 私はまだまだ自分の人生を生ききっていない二十代の小娘です。 だけど、来世を恐れ、来世を心配するという考えに取りつかれています。 来世が動物や虫になってしまったら、どうしよう。それで酷い目に会ったらどうしよう。怖い目にあったらどうしよう。 運よく人間に生まれ変わっても、今の様に平凡だけど幸せな環境のようば場所じゃなくてテレビいえ、私が知れないだけで想像も絶するような場所に生まれたらどうしよう。 もし、そこで酷い目に会ったらどうしよう、非人道的な扱いを受けたらどうしよう、誰かに殺されたらどうしよう。悪人になってしまったらどうしようという考えが頭の中をぐるぐると回り、自分が酷い目にあっている所まで想像してしまいます・・。 別にそんな目にあいたくないですし、本当に嫌です。 こんな事を考えても仕方ないし、今の心配をしろよですし、来世だから今の私の自我があるかどうかも分かりません。だけど、こんな目にあいたくないという気持ちが強く出ているのです。未来の私かもしれないという考えがあるのかもしません。 こんな目にあいたくない。こんな目に合う位なら死にたくない。 死後の地獄も嫌。死んでも自分が消えるのも嫌。 死んだらもう、この世に生まれ変わりたくない。人間にも動物にも虫にもなりたくない。死後の世界があるのならただ穏やかでありたい 嫌だ!嫌だ!嫌だ!とか心の中で叫んだり あれ?私はこんなに信心深い方だったけ?私は何の為に生まれたの? この世は魂の修行場だと聞いたけれど、そんなの誰が決めたんだ、苦しいのは一回きりで十分なのに、という考えが自分の中になってそれで体調が悪くなったり気分が沈み胃が荒れている状態です。 もしくは引きこもっているから、こんな事を考えてしまうのか、精神的にはおかしくなっているのでは・・と思います。 折角頂いたお答えもあるのにどうにかしたいけれど、またこんな調子になってしまい解決策が見出せない状態です・・。
混沌とした世の中で暮らしていくのが辛く苦しい、この閉塞感の中で平和でもない中オリンピックなど開催しウイグル地区の人達への人権侵害で政府関係者のボイコットなどしても何の意味もなく国の威信をかけての見せかけの平和の祭典に連日お祭りのように報道するマスコミにもコロナ禍とし場当たり的な対応する政府にも嘘が見え隠れし心を保って生活するのが難しく感じています。 ミャンマーのロヒンギャ難民の人達の悲惨さも軍事政権の横暴さにも胸が痛くなります。ミャンマーの人達の解放のためにNPO法人などで助けになろうとされている知人もいます。私も自分の出来ることはと寄付や募金などしていますが、出来ることは少なく苦しい思いです。自分が今あるところで自分の出来ることをして日々生活していくしかないと思いますが、理不尽なことがいつまでまかり通るのかと心が壊れそうです。 都市部は情報が多く心が惑わされることが多いのかもしれません、都市部で働いて都市部で生活するのに疲れました。都市部から離れて自然と共に生活して自給自足までは難しいとしても自然の営みの中での生活をしたいと思います。報道番組はなるべく見ないようにしていますが、連日のコロナ騒動の話題が辛いです。自分の与えられている環境に家族もいて仕事もあることに感謝はしていますが、心のざわめきが抑えられません。どうしたら心を整えて生活していくことが出来るでしょうか、このままでは心が壊れてしまいそうです。
いいこと何もなし