昨日、母親が病院で肺炎を起こし、集中治療室に入りました。私は仕事中に父親からの電話で知り、最悪の場合意識が戻らないまま延命措置をするか、意識があるまま何もせず送るか家族で決めて欲しいと言われたようです。話し合って延命措置はしないことにしました。 70歳の私の母親は3月ごろから入院しています。 その少し前から熱を出したり下がったりを繰り返していて、家の中で転んで胸部を圧迫骨折したときに精密検査も兼ねて入院させました。 家には両親と兄と私の4人が住んでおり、私は平日、土日ともに仕事で遅いため、平日は父親が午前中で仕事を切り上げて母の見舞いに、土日は兄が行ってくれています。検査と骨折の治療だから心配するな、普段遅くまで働いて休みも少ないんだから休みの日くらいゆっくりしろ、という言葉に甘えて、ほとんど見舞いには行きませんでした。 母親が亡くなるかもしれないという事実に直面して、ついに来てしまったかという気持ちと、何も親孝行出来ていないという後悔を感じています。 20~31歳まで夢を追ってフリーターでフラフラしていて、今の仕事で正社員として働き出したのがわずか3年前です。その間、ちゃんとした仕事に就けとずっと心配していました。 仕事に就いてからも、兄弟ともに独身の我々に結婚はしないのか、自分たちが死んだ後ひとりじゃ寂しいだろう、と折に触れて言っていました。今は結婚すれば寂しくないとは限らない、逆に不幸になることもある、と思っていたので消極的でした。 心配させたまま送ることになるのかな、とか、もっとああしてやれば良かった、などの気持ちがじわじわと出て来ています。 伴侶を亡くすことより悲しいことはない、という話を聞いたことがあるので、父親は大丈夫だろうかとも考えます。 不安や後悔やふがいなさなど、色々なことを考えてしまいます。 長文でまとまりがなくて申し訳ありませんが、ご助言をいただけたらと思います。
大切な大切な大好きな家族である猫が病気になってしまいました。 とても辛いです。 かわりたいです。 どうしてせっかく生まれてきたのに、年をとっていくのか。 どうしていずれ死ぬのに生まれてくるのか。 生まれてきてたくさんいいこともあるし楽しいこともあると思います。 でも、悲しいことや辛いこともたくさんあります。 なんで生きていくんでしょうか。 この世には人数制限があって、新しい命がこの世に誕生するためには、失われる命がないといけないのでしょうか。 愛猫がもしいなくなったら、生きていくかいがありません。 ただ、すぐ私も後を追ったら親が悲しむので、親と愛猫がいなくなったら私も後を追いたいです。 生きていくことは修行だというけれど、それなら死ねたら楽になるのでしょうか。 不健康なことをして緩やかに死んでいけたらと考えてしまいます。 頭で理解しようとしても、心が受け付けません。 悟りを開いたら悲しくなることはないのでしょうか? できることはなんでもしてあげたい。 私と命をわけっこして、同時に最後を迎えたい。 どうして私ではなく愛猫が辛い目にあわなくちやいけないのかわかりません。 試練ばかり与えるのは、神様や仏様が私のことを嫌っているからなのでしょうか。 それとも私が悪いことをして、その報いなのでしょうか。 かわりに私の命をささげれば、悪いことはなくなるのでしょう?
以前も何回か相談させていただいていますが、今回もよろしくお願いします。 母が亡くなってから、母の供養のためと思い、お経を唱えるようにしています。 何が書かれているのか意味も分からずに読んでいるのですが、これは意味のないことなのでしょうか? 今は少しでも何が書かれているのか理解して行いたいと、関係する書物を読みはじめたばかりですが、理解して行えるようになるまでには、まだまだ暫くかかりそうです。
母が重い脳出血後半身不随で介護度4で介護施設におります。 両親はまだ73歳で、突然の病気であったため、父はショックが大きく。介護が始まり一年で父が自殺未遂をしたこともあり、母と一緒の介護施設に入っていました。すると父が母に手を上げていることがわかり。今度はまた違う施設に母を移すことに。 脳性の認知症も患っており。私か父が常にそばにいないと騒ぎ、暴れ、探し回るのです。 私も父も母が不憫で、常に付き添っていてあげたいですが、私は家庭と仕事があり、父は精神が弱っていて、追い詰められてしまうためにそれは叶いません。ですが、母が幼子のように嘆き悲しむ姿を見ると、身が切られるような気がします。 兄は母が騒いで周りに迷惑がかかるので、薬物治療を行おうと言います。薬で母を大人しくさせようと。私もそれは仕方がないことなのか、と思うのですが、しかし、同じ人間にそんなことをしても良いのか、という強い罪悪感に苛まれます。 どうしたらいいのか、ご意見を賜ればと思います。
旦那が自殺したいそうです。今夜も、死ぬと騒いでました。風味障害で医者に通っても治らないからだそうです。カウンセリングや治療などしていますが、一向に良くならないので、自殺したいそうです。 病院で癌のチェックはしました。舌癌とか脳腫瘍ではありません。 私も、話を聞いたり、心配したり、あれこれ自殺防止を考えるのも疲れてきました。 なぜ死にたいか話をじっくり聞くのが、一番いいことかと思って続けてきましたが、無理みたいです。毎日のように、死にたいという旦那が分かりません。 もう仕方ないのかなと、諦めと、自殺なんて此の人には無理だろうという気持ちがごちゃごちゃしています。 もっと重い病気で苦痛を戦っている人が世の中には沢山いるのに、味ぐらいで死ぬのかと。本人にとっては、人生で重大な問題だそうです。 残された家族とかどうなるのかと聞いたら、「再婚すればいい」そうです。自己中もほどほどにしろと言いたかったですが、悪循環になりそうなんで、「もうババアだから、再婚相手なんて見つからないよ」と返しました。 味のことに取り憑かれて、旦那はおかしくなっているし、そんなに苦痛なら、もしかして死んでしまうのかなと心配です。そんなことで命をと私は思うのですが、旦那にとって味はお金や家族や命より大切みたいです。馬鹿みたいですが、本人にとっては深刻らしいです。私にはまったく理解できません。精神科にみてもらおうと言っても、死にたいぐらいなら救急車呼んで入院しようといっても、やめろといいます。 こんなことで自殺か、勿体無いと思うんですが、これがこの人の寿命なのかなと思うようになってきました。 耳鼻科でも治るかもしれないし、どうなるか分からないと言われて。近々大きな病院でも診てもらうことになってます。 旦那は「たぶんもう治らない」と言っていて、自殺すると騒いでます。 正直、私にはどうすることもできず、自殺してしまったら、寿命だったと割り切ろうと思っています。 色々言っても無理、話聞いても無理、料理を工夫しても無理、何しても無理。私も、疲れてきたし、「味」が生死をかけることなのかとどうでもよくなってきました。 自殺を止めるのは無理ですか? 寿命だったと納得するしかないのでしょうか? もしもの事態を想定して心の準備を進めています。旦那が先に逝っても、私は這いつくばってでも、お迎えが来るまで必死に生きます。
親と婚約者に迷惑を掛けるのが心苦しい。 先週、17cmもの卵巣のう腫が見つかりました。便秘か肥満かと思っていた我が身にいつの間にか“癌疑惑”がかかり、医者に顔を曇らせる始末。まだ判然としないも悪性の可能性あり即座に手術の日程を組んだのですが、そのため周囲への説明も急がねばならず電話で両親を驚かせてしまいました。 27歳結婚も子どももまだ。現在10歳の妹の世話はしていたといえ自分の赤ん坊も抱かずに世を去る可能性と、迷惑ばかりかけて孝行もできない両親・結婚を前提に転職に向け動き出した婚約者への申し訳なさでいたたまれません。 特に、電話口で父が思わずもらした「何でもっと早く見つからなかったたんだ..」の言葉が重くのしかかります。冷静でいてくれようとしたのがわかったからこそ心痛が伝わってくる声色でした。 何も得ないまま三十路を迎える恐怖こそあれ周囲に恵まれた生活だったため、急に事が起こるとまわりにどう振る舞おうか悩んでしまいます。 切除後に悪性だと断定された場合、腹水こそないもののかなりの大きさの腫瘍ですので予後は楽観できません。 掛かる金銭や手間を考えると今から心が塞ぎます。癌患者のブログを読んでいた時期があったのですが、あの治療・あの心労が自他に降り掛かるかと思うと不安もあります。 医師の見立てでは境界悪性か悪性か、と良性ではないだろうという判断なのであながち杞憂でもないと思っています。なので、病気の家族や遺族からの相談も多いであろう皆さまに今後の過ごし方や家族への対応など教えて頂きたいです。 手術は5月30日。良性であったならば卵巣の片側を切除して終了です。
毎日心が苦しくすがる思いです。実は3年ほど、既婚者の方(40代)と不倫をしています。お互い家庭がありながらも、本気で好き合っています。そんな彼に先日ガンが見つかり、1年もつかどうかと言われました。職場が一緒で、私以外その事を知る人はおらず、バレないよう明るく振る舞っている彼を見るのが心苦しいです。日々、体の変化もあり、いつ倒れてもおかしくなく、情緒も不安定な状態です。彼自身も、事実をなかなか受け入れられず苦しんでいるようです。奥さんとの仲は、前から上手くいっていないようですが、子どもの事が気がかりのようです。 そんな彼に、既婚者の私がしてあげられる事なんて何もなく、でも唯一苦しい思いを話せるのが私しかいないようで、毎日仕事や連絡を取りながら話を聞いています。 彼の話や姿を見ると、とてもやるせない思いです。 まず、不倫という最低な事をしているのは分かっています。ただ1人の人間として、彼にかけてあげられる言葉、してあげられることは無いでしょうか?
2月~ 脳外科と神経内科を通院してますが、 5月10日に脳外科の主治医の先生からは、仕事OKの許可をいただきましたが、神経内科の主治医の先生は、まだ仕事OKも出ないし 会社的には、右足の突っ張りと左手関節から指先までの痛み(最近は、良い日と悪い日があって不安定です) 左手の痛みがあるときは、決まって 体が怠く 吐き気もします 会社の事業所の所長は、瀕死で右足、左手は治る見込みがあるのかと言って来ます 転職も、遠回しに話してきました😵 7月14日から会社の規定で休職になりますが 保険料を納めて入れば保険証と籍はあります 傷病手当は、12月まではあります 僕的には、仕事をしたいですし13年勤めて来た仕事を辞めたくありません 色々考えてたら、ストレスでまたおかしくなりそうです 妻や会社からは、ストレス無いでしょうと言われるし 僕の好きな事が出来ず ただ家に入るだけって感じでツライです 仕事をして 休みの時は、子供と遊んだり好きなプラモを作ったり、したいです 僕の収入が無いから、小遣いももらえず 辛い毎日を過ごしています どうすれば、元に戻れるかわからずじまいです
心の病気をもっていますので 優しいコメントお願いします。 母はご飯つくるだけであまり祖母の世話しないのに気になって怒るのだけは一人前です。 本当に器小さい母ですね。 祖母がいつまで生きれるかわからないのに好きな編み物させてあげたらいいのに 「腰が曲がってる体操してから編み物せい」とばばには怒られたように聞こえたようですね。 今日も今ペインから帰ってばばのところへいくと 母に編み物してると怒られるからどうしようと言ってます。 父は私にまた祖母のお茶が少なかったからいれてあげてっていったら火をふいたように 「まだあるやないか飲んでからにせい」と怒っています。 私は朝散髪屋さんに行って疲れていたので、すぐ昼食べて自分の部屋へいったんですが 祖母が机のものをこぼしたそうです。 それならふいたらいいのに母は「私にふいた後なのにこんなんなったふけといいます」ふかなかったけどね。 一番つらかったのは皮膚の潰瘍ができたとき皮膚科で 2時間まったとき 病気せんといて、医大の薬いらんの減らせといわれた 言葉でした。 本当にかなしかったです。好きで病気になったのではない のに人の痛みわからない人なんですね。 それをばばに行ったらばばに甘えてればいいから 私は悪いことをしてたくさん病気したんじゃないよって 励ましてくれました。 それに今日は痛むところを背中さすってくれました。 ばば優しい言葉いつもありがとうね。 大好きだよ。 私はいつでもばばの味方だよ。 ばばが編み物しても怒らないでほしいな。 母には、これからの時間が大事だってわからないのかな。 器小さいから無理ないかな。私の方が大きいものね。
最近、ネットが普及し、自死者に関することで色々と閲覧することができる。こちらのサイトのお坊さんは、自死遺族の気持ちを察して頂き自死者も必ず成仏するとご回答を頂きます。 しかし、他のサイトで真言宗の修行僧と称する者が、自死者は永遠に苦しむと書き込んでいます。同じ仏教徒でこんなに違うのでしょうか?本当に可笑しく思います。あるスピリチュアルでは、自死者は反省の部屋に入り、自分で納得すればガイドに従って成仏できると言っています。テレビで出ていた江原は違いますが 私は、なんとなくこのスピチュアルが主張する自死者の死後のあり様が自然に受け入れることができます。 要は、誰もが死んだ経験がありません。死後の世界なんかわかる訳がないと思います。昔は自死者は、地獄で永遠に苦しむと言われていましたが、ここ最近は自死遺族の苦悩を和らげるためか、成仏できるとお答えを頂きます。僧侶によっては、地縛霊のことは教えられていないと言っている者もいます。 キリスト教なんかは最悪です。よくもここまで豹変できるのかと思います。 こちらの僧侶の方は、本当に心の優しい方だと思います。カルトの様な馬鹿な話は信じません。しかし、本当のところはどうなのでしょうか?自死した者の霊は、安らかに成仏できるのか? 本当は、人間世界で何十年、何百年と苦しむのか?噓を言われて心を和ませたくありません。本当は、自死者が、一人で永遠に苦しむのであれば私が自死をして、妻を救いに行きます。私の魂は、あくまでも妻を救出のため。自身の我儘で自死するのとは違います。 イスラム教で言えば聖戦です。自死者の魂の行先は、僧侶や所謂霊能者と言われる人によっては行き先が二分されていると思います。地獄か極楽浄土へ行くか・・・ 言われていることがおかしいです?お釈迦様は、自死について良いとも悪いとも言っていないと今は言われているというか無理にその様に解釈をしているのでしょうが、本当はどうなんですか? 慰めで極楽浄土へ行くと言われると心が少し和みますが、自死遺族のために止むを得ず真実と違うことを言われるのは、返って罪なことだと思います。実際に真言宗の僧侶が永遠の地獄に行くとネットに平然と書いている。本当のことが私は知りたいのです。永遠の地獄に行くというのであれば私は、自死(救出のため)して地獄から妻を救い出す覚悟です。お答えをお願い致します。
人は亡くなったらどのようなところに行くのでしょうか?元気に楽しく暮らせるのでしょうか? また、お墓も仏壇も近くにないのですが、このような場合どうすればいいのか教えて頂けますか? 先日祖父が亡くなりました。24年生きてきましたが、初めて人の死に直面しました。 最初は、冷たくなった祖父に触れても、火葬や葬式を終えても祖父の死を実感できずにいました。 どうせまた会えるだろうというか絶対会えると思っていました。 しかし、初7日を終えたあたりから、急に祖父に会えないという現実を受け入れはじめてきて、涙が止まりません。外に居ても涙が溢れてきます。
はじめまして。 今年の1月に母が敗血症という病気で60歳で急死してしまいました。 母は昔に患った病気があり、持病はありましたが日常生活には支障もなく過ごしていました。 私は結婚をしているため一緒には暮らしていませんでしたが、普段から比較的会っており、亡くなってしまった1週間後も旅行に行く約束をしていたくらいでした。 そのため風邪をひいたので行けないようだと連絡があり電話で話したのが最後になってしまいました。 思ってもみない出来事だったので、どう自分の気持ちを整理させたら良いのか...こんなに急で辛く悲しい別れがあるのかと自問し、涙が溢れ、母が居ないことを認識して部屋で1人悲しむ自分。 反対に悲しいけれど、冷静に考え目の前の通夜、葬儀を行い、その後は仕事も通常に行き、父も支えたいから実家の手伝いをして日常をしっかり過ごさなくてはならないと思う自分。誰かの前では普通に振る舞い泣けません。 そんな時、気持ちのギャップに自分でも戸惑います。 あまりに突然だったので、母の気持ちを聞きたいところですが叶わないので、母が喜ぶ事を想像しながら日々暮らしています。 よい供養はありますか?
こんにちは。今回お聞きしたいのは、ふとした時にやってくる老いや将来にたいする、何とも言えないがとても大きな不安や怖さについてです。 今の私は人間関係に悩みながらもなんとか仕事をして、家族四人元気に過ごして、娘たちの成長を見ながらそれに感動したり充実しています。 ですが月に何回かこういった不安や怖さに囚われ気分が落ち込んでしまいます。 その原因は自分や妻が老いていって病気をしてしまうかもしれないとか、このまま時が止まって小さな娘たちといつまでも過ごしたい。と言った気持ちからこのような不安や怖さを覚えるのかもしれない。 と考えましたが、はっきりした答えはわかりません。子供が生まれてからこのような不安や怖さを覚えるようになりました。 上の子が3才で下の子が0才です。 このような漠然とした、しかし大きな不安や怖さに対処して穏やかな心に戻す方法を知りたいのです。
主人が急死して一か月経ちました。世の中には、同じような方が沢山いて、毎日つらい思いをしている方がいて、自分も生きていかなくてはいけないとおもうのですが、更につらくなってきました…早く側に連れていってください…とお祈りする毎日です…