はじめまして。 10年5ヶ月の間、一緒に過ごしてきた愛犬が2日前に亡くなりました。 名前はちろるです。 ちーは私が20歳の頃に出会い彼や私の母を中心に大切に育て我が子の様な存在でした。 ちーと私と彼とでいつも通りお顔や体を撫でたりお喋りをして足元に寝に行った数分後に突然の痙攣が起こりました。 声をかけ続けましたが何もしてやれず痙攣が治ると意識のない中、何度か息をしたのを最後に反応をしてくれなくりました。 病院へ急いで連れて行きましたが戻っては来てくれませんでした。 翌日、私と彼と私の家族が見守る中、お空へ送ってあげ遺骨を持ってお家へ帰りました。 今は彼や母や周りの方に支えられなんとか精神を保つのがいっぱいです。 ちーの為にも少しづつ前を向かなければいけないと頭では思っていても涙が止まりません。 あまりに突然の別れで何もしてあげられなかった後悔の気持ちや喪失感が強くこれからどの様に生きていけばいいのかわかりません。 あの子が苦しまず極楽浄土に行く事が良いと思っていてもずっと傍にいて欲しいとも正直思ってしまいます。 思い出がある物はそのままにしておきたく納骨も今は考える事が出来ません。 私のエゴや今の状態ではあの子は苦しんでしまうのでしょうか? この先どの様な心を持てば前を向けるのでしょうか? 彼も母も同じ悲しみを背負いながら私の苦しみを深く理解してくれています。 うまくお伝え出来ているかわかりませんが何かご返答頂けましたら幸いです。 よろしくお願い致します。
2月~ 傷病手当で、仕事を休んでいます 当初は、てんかんって診断だったのです 自宅の階段から転倒したり、通勤中に倒れたり 意識を失ったり 医療センターで、脳波モニタリングや投薬治療と週一回の通院で様子を見ていました 途中から、歩行がおかしいってなり 神経内科も一緒に受診になりましたが 骨髄注射 MRI等をやるもこれと言った 原因や病名が決まらないまま 今に至ります 6月7日の受診で、会社の所長同伴で行きましたが 先生が脚気の棒で両手両足を診察して、ちょっと歩いてと言われて 診察室を歩いて この前より、悪いねと言われて てんかんでは、無いとなりましたが薬は減量して 経過観察になりましたが、自律神経と下肢の失調症が考えられ 脳外科的にも、遣ることが無いらしいですが現場仕事は、許可は先生と所長2人共に出せないのが、現状です 次の7月の診察まで、無駄に時間を過ごすのもイヤな気持ちになりましたのですが 整体で、右足の突っ張りを矯正してもらおうかと思案中です 2月~あまり外出してないし 僕の好きな事を封じられてるから 変に、ストレスが掛かり始め 仕事を出来ない焦りが知らず知らず これも、ストレスになっているのかもと 思います 7月14日~休職になる焦りもあり 保険料を納めていれば、籍はありますが またまた、迷い道にさまよった漢字になりました ご教授していただいたら、嬉しいです
こんばんは。 今はまだ気持ちの整理がつかない為、こちらで文字にして落ち着ければと思っています。 昨日の未明に、祖母が旅立ちました。 職場のスタッフの協力もあり、まだ本人の意識があるうちに会うことも出来、着いた時に痛い痛いと言いながらも鎮静かけるとみんなが分からなくなるから頑張ると言って痛みに耐えた我慢強く意思の強い祖母が、日付が変わる頃に眠るように旅立ちました。 亡くなる1日前にもお見舞いに行き、普通に話が出来て良かった、今日も元気だなと思っていた翌日だったので中々現実を受け入れられませんでした。腫瘍のあった肝臓から出血してしまったのが原因とのことでした。耐え難いであろう痛みを耐え、最期までみんなの顔を見ていたいと思ってきっと我慢したんだろうと思います。 祖父の時は鎮静をかけてもぅ意識朦朧としたまま何も会話も出来ず亡くなったのを見ていたからだと思います。 祖母にまたね、と言ってお別れしました。今週末に通夜、告別式があります。きっとまた泣いてしまうと思います。 いつまでも泣いていたら祖母は悲しむでしょうか?今はまだすぐに泣いてしまいますが、いつかまた笑顔で祖父母に会える日があればいいなと思います。 たまに泣いても祖父母に心配はかからないでしょうか。それが気掛かりです。
2ヶ月前に北朝鮮情勢が緊迫してから将来に不安を抱くようになりました。当初は北朝鮮の核ミサイルのみを恐れていましたが、それをきっかけに、北朝鮮情勢が少し落ち着いてくると今度は「自分が生きているうちにいずれ戦争が起きるのではないか?核兵器が使われてしまうのではないか?」などの理由から、自分が戦争のせいで天寿を全うできないのではないか、という杞憂といえるような恐怖を常に感じるようになってしまいました。 そのことばかりに気を取られている事も多く、浪人生であるためこのままではいけないと思っていますし、何より苦しいです。 医師にかかる事も考えていますが、仏教に死の恐怖から逃れる事が教えとしてあると知り、自分が今抱えている恐怖から逃れる考え方を教えていただきたいと思い、投稿させていただきました。 答えにくい質問と稚拙な文章で申し訳ないですが、よろしくお願いいたします
前回の相談ではまだ答えようのない不安に対し親身になって頂きありがとうございました。 手術後徐々にですが回復し、本日からお粥ではなく白米に切り替わりチューブも抜けました。 なんとかスマホを触れるまでになりましたので取り急ぎご報告までに投稿します。 手術前はおかげさまで安定していたものの、術後すぐは痛みが酷く頭を上げることもままなりませんでした。今は病食のほかにこっそり抹茶アイスを食べているくらい元気になり、老人に抜かされる程度の速度で徘徊しています。 卵巣の結果はしばらく先になりますが他の細胞が陰性なので、癌だとしても初期と診断が付きホッとしている次第です。 身近に不安を吐露するタイプではないので、こういう場に吐き出せてあの時は本当に助かりました。ありがとうございました。 また良い報告と、術前間際とのことで結局佐野に行きそびれたのでラーメン食べた報告がしたいです。
この前父はちょっとしたことで私に火をふいたように どなって今はよそに畑仕事へいってます。 今回は母のことです。 あまりに祖母がかわいそうに思ったので お坊さんに聞いてもらおうと思って書きました。 ばばは若い頃から足の爪に水虫があって、 痛いというので水虫の薬を 書いておいておいてたら、ぼけてないとき一度目薬と間違えて 目に挿して水で洗って大慌てでかかっていた眼科へ両親がつれて いきました。 そのときのことを母は覚えていて そんなとこおいといたらばば挿しよるねんって怒って 全部母が世話せんなんっていって怒ります。 痛がるから一日一回挿したら戸棚へ戻しといてねと言いました。 そんなことだけでも怒る母に これからのばばの介護が出来るのか 不安がよぎります。 ケアマネは頼りないしね、聞いてくれないしね。 病気を一杯抱えてる私が一日一回水虫の薬をもって いくことになるのか母どうせしないだろうな。 母はちょっと介護したらしたしたとおおげさなんですよね。 ばばがかわいそうですね。 娘に介護嫌がられたらね。 だからわたしにしか言えないだねばばは。 私も車運転できなくなってばばをクリニックに連れていって あげれなくなってしまったし、たくさん病気や痛みあるしで これ以上の世話はしてあげられそうにもないな。 ごめんねばば。 優しく話は出来るけど、車運転できなくてね でも優しいばばはそんなこと思ってないと思います。 いつも私はばばが祖母でよかったよといいますと 祖母は私が孫でよかったよといいます。 あの世にいっても私のこと守るよっていってくれてます。
昨日、母親が病院で肺炎を起こし、集中治療室に入りました。私は仕事中に父親からの電話で知り、最悪の場合意識が戻らないまま延命措置をするか、意識があるまま何もせず送るか家族で決めて欲しいと言われたようです。話し合って延命措置はしないことにしました。 70歳の私の母親は3月ごろから入院しています。 その少し前から熱を出したり下がったりを繰り返していて、家の中で転んで胸部を圧迫骨折したときに精密検査も兼ねて入院させました。 家には両親と兄と私の4人が住んでおり、私は平日、土日ともに仕事で遅いため、平日は父親が午前中で仕事を切り上げて母の見舞いに、土日は兄が行ってくれています。検査と骨折の治療だから心配するな、普段遅くまで働いて休みも少ないんだから休みの日くらいゆっくりしろ、という言葉に甘えて、ほとんど見舞いには行きませんでした。 母親が亡くなるかもしれないという事実に直面して、ついに来てしまったかという気持ちと、何も親孝行出来ていないという後悔を感じています。 20~31歳まで夢を追ってフリーターでフラフラしていて、今の仕事で正社員として働き出したのがわずか3年前です。その間、ちゃんとした仕事に就けとずっと心配していました。 仕事に就いてからも、兄弟ともに独身の我々に結婚はしないのか、自分たちが死んだ後ひとりじゃ寂しいだろう、と折に触れて言っていました。今は結婚すれば寂しくないとは限らない、逆に不幸になることもある、と思っていたので消極的でした。 心配させたまま送ることになるのかな、とか、もっとああしてやれば良かった、などの気持ちがじわじわと出て来ています。 伴侶を亡くすことより悲しいことはない、という話を聞いたことがあるので、父親は大丈夫だろうかとも考えます。 不安や後悔やふがいなさなど、色々なことを考えてしまいます。 長文でまとまりがなくて申し訳ありませんが、ご助言をいただけたらと思います。
大切な大切な大好きな家族である猫が病気になってしまいました。 とても辛いです。 かわりたいです。 どうしてせっかく生まれてきたのに、年をとっていくのか。 どうしていずれ死ぬのに生まれてくるのか。 生まれてきてたくさんいいこともあるし楽しいこともあると思います。 でも、悲しいことや辛いこともたくさんあります。 なんで生きていくんでしょうか。 この世には人数制限があって、新しい命がこの世に誕生するためには、失われる命がないといけないのでしょうか。 愛猫がもしいなくなったら、生きていくかいがありません。 ただ、すぐ私も後を追ったら親が悲しむので、親と愛猫がいなくなったら私も後を追いたいです。 生きていくことは修行だというけれど、それなら死ねたら楽になるのでしょうか。 不健康なことをして緩やかに死んでいけたらと考えてしまいます。 頭で理解しようとしても、心が受け付けません。 悟りを開いたら悲しくなることはないのでしょうか? できることはなんでもしてあげたい。 私と命をわけっこして、同時に最後を迎えたい。 どうして私ではなく愛猫が辛い目にあわなくちやいけないのかわかりません。 試練ばかり与えるのは、神様や仏様が私のことを嫌っているからなのでしょうか。 それとも私が悪いことをして、その報いなのでしょうか。 かわりに私の命をささげれば、悪いことはなくなるのでしょう?
以前も何回か相談させていただいていますが、今回もよろしくお願いします。 母が亡くなってから、母の供養のためと思い、お経を唱えるようにしています。 何が書かれているのか意味も分からずに読んでいるのですが、これは意味のないことなのでしょうか? 今は少しでも何が書かれているのか理解して行いたいと、関係する書物を読みはじめたばかりですが、理解して行えるようになるまでには、まだまだ暫くかかりそうです。
母が重い脳出血後半身不随で介護度4で介護施設におります。 両親はまだ73歳で、突然の病気であったため、父はショックが大きく。介護が始まり一年で父が自殺未遂をしたこともあり、母と一緒の介護施設に入っていました。すると父が母に手を上げていることがわかり。今度はまた違う施設に母を移すことに。 脳性の認知症も患っており。私か父が常にそばにいないと騒ぎ、暴れ、探し回るのです。 私も父も母が不憫で、常に付き添っていてあげたいですが、私は家庭と仕事があり、父は精神が弱っていて、追い詰められてしまうためにそれは叶いません。ですが、母が幼子のように嘆き悲しむ姿を見ると、身が切られるような気がします。 兄は母が騒いで周りに迷惑がかかるので、薬物治療を行おうと言います。薬で母を大人しくさせようと。私もそれは仕方がないことなのか、と思うのですが、しかし、同じ人間にそんなことをしても良いのか、という強い罪悪感に苛まれます。 どうしたらいいのか、ご意見を賜ればと思います。
旦那が自殺したいそうです。今夜も、死ぬと騒いでました。風味障害で医者に通っても治らないからだそうです。カウンセリングや治療などしていますが、一向に良くならないので、自殺したいそうです。 病院で癌のチェックはしました。舌癌とか脳腫瘍ではありません。 私も、話を聞いたり、心配したり、あれこれ自殺防止を考えるのも疲れてきました。 なぜ死にたいか話をじっくり聞くのが、一番いいことかと思って続けてきましたが、無理みたいです。毎日のように、死にたいという旦那が分かりません。 もう仕方ないのかなと、諦めと、自殺なんて此の人には無理だろうという気持ちがごちゃごちゃしています。 もっと重い病気で苦痛を戦っている人が世の中には沢山いるのに、味ぐらいで死ぬのかと。本人にとっては、人生で重大な問題だそうです。 残された家族とかどうなるのかと聞いたら、「再婚すればいい」そうです。自己中もほどほどにしろと言いたかったですが、悪循環になりそうなんで、「もうババアだから、再婚相手なんて見つからないよ」と返しました。 味のことに取り憑かれて、旦那はおかしくなっているし、そんなに苦痛なら、もしかして死んでしまうのかなと心配です。そんなことで命をと私は思うのですが、旦那にとって味はお金や家族や命より大切みたいです。馬鹿みたいですが、本人にとっては深刻らしいです。私にはまったく理解できません。精神科にみてもらおうと言っても、死にたいぐらいなら救急車呼んで入院しようといっても、やめろといいます。 こんなことで自殺か、勿体無いと思うんですが、これがこの人の寿命なのかなと思うようになってきました。 耳鼻科でも治るかもしれないし、どうなるか分からないと言われて。近々大きな病院でも診てもらうことになってます。 旦那は「たぶんもう治らない」と言っていて、自殺すると騒いでます。 正直、私にはどうすることもできず、自殺してしまったら、寿命だったと割り切ろうと思っています。 色々言っても無理、話聞いても無理、料理を工夫しても無理、何しても無理。私も、疲れてきたし、「味」が生死をかけることなのかとどうでもよくなってきました。 自殺を止めるのは無理ですか? 寿命だったと納得するしかないのでしょうか? もしもの事態を想定して心の準備を進めています。旦那が先に逝っても、私は這いつくばってでも、お迎えが来るまで必死に生きます。
親と婚約者に迷惑を掛けるのが心苦しい。 先週、17cmもの卵巣のう腫が見つかりました。便秘か肥満かと思っていた我が身にいつの間にか“癌疑惑”がかかり、医者に顔を曇らせる始末。まだ判然としないも悪性の可能性あり即座に手術の日程を組んだのですが、そのため周囲への説明も急がねばならず電話で両親を驚かせてしまいました。 27歳結婚も子どももまだ。現在10歳の妹の世話はしていたといえ自分の赤ん坊も抱かずに世を去る可能性と、迷惑ばかりかけて孝行もできない両親・結婚を前提に転職に向け動き出した婚約者への申し訳なさでいたたまれません。 特に、電話口で父が思わずもらした「何でもっと早く見つからなかったたんだ..」の言葉が重くのしかかります。冷静でいてくれようとしたのがわかったからこそ心痛が伝わってくる声色でした。 何も得ないまま三十路を迎える恐怖こそあれ周囲に恵まれた生活だったため、急に事が起こるとまわりにどう振る舞おうか悩んでしまいます。 切除後に悪性だと断定された場合、腹水こそないもののかなりの大きさの腫瘍ですので予後は楽観できません。 掛かる金銭や手間を考えると今から心が塞ぎます。癌患者のブログを読んでいた時期があったのですが、あの治療・あの心労が自他に降り掛かるかと思うと不安もあります。 医師の見立てでは境界悪性か悪性か、と良性ではないだろうという判断なのであながち杞憂でもないと思っています。なので、病気の家族や遺族からの相談も多いであろう皆さまに今後の過ごし方や家族への対応など教えて頂きたいです。 手術は5月30日。良性であったならば卵巣の片側を切除して終了です。
毎日心が苦しくすがる思いです。実は3年ほど、既婚者の方(40代)と不倫をしています。お互い家庭がありながらも、本気で好き合っています。そんな彼に先日ガンが見つかり、1年もつかどうかと言われました。職場が一緒で、私以外その事を知る人はおらず、バレないよう明るく振る舞っている彼を見るのが心苦しいです。日々、体の変化もあり、いつ倒れてもおかしくなく、情緒も不安定な状態です。彼自身も、事実をなかなか受け入れられず苦しんでいるようです。奥さんとの仲は、前から上手くいっていないようですが、子どもの事が気がかりのようです。 そんな彼に、既婚者の私がしてあげられる事なんて何もなく、でも唯一苦しい思いを話せるのが私しかいないようで、毎日仕事や連絡を取りながら話を聞いています。 彼の話や姿を見ると、とてもやるせない思いです。 まず、不倫という最低な事をしているのは分かっています。ただ1人の人間として、彼にかけてあげられる言葉、してあげられることは無いでしょうか?
2月~ 脳外科と神経内科を通院してますが、 5月10日に脳外科の主治医の先生からは、仕事OKの許可をいただきましたが、神経内科の主治医の先生は、まだ仕事OKも出ないし 会社的には、右足の突っ張りと左手関節から指先までの痛み(最近は、良い日と悪い日があって不安定です) 左手の痛みがあるときは、決まって 体が怠く 吐き気もします 会社の事業所の所長は、瀕死で右足、左手は治る見込みがあるのかと言って来ます 転職も、遠回しに話してきました😵 7月14日から会社の規定で休職になりますが 保険料を納めて入れば保険証と籍はあります 傷病手当は、12月まではあります 僕的には、仕事をしたいですし13年勤めて来た仕事を辞めたくありません 色々考えてたら、ストレスでまたおかしくなりそうです 妻や会社からは、ストレス無いでしょうと言われるし 僕の好きな事が出来ず ただ家に入るだけって感じでツライです 仕事をして 休みの時は、子供と遊んだり好きなプラモを作ったり、したいです 僕の収入が無いから、小遣いももらえず 辛い毎日を過ごしています どうすれば、元に戻れるかわからずじまいです
心の病気をもっていますので 優しいコメントお願いします。 母はご飯つくるだけであまり祖母の世話しないのに気になって怒るのだけは一人前です。 本当に器小さい母ですね。 祖母がいつまで生きれるかわからないのに好きな編み物させてあげたらいいのに 「腰が曲がってる体操してから編み物せい」とばばには怒られたように聞こえたようですね。 今日も今ペインから帰ってばばのところへいくと 母に編み物してると怒られるからどうしようと言ってます。 父は私にまた祖母のお茶が少なかったからいれてあげてっていったら火をふいたように 「まだあるやないか飲んでからにせい」と怒っています。 私は朝散髪屋さんに行って疲れていたので、すぐ昼食べて自分の部屋へいったんですが 祖母が机のものをこぼしたそうです。 それならふいたらいいのに母は「私にふいた後なのにこんなんなったふけといいます」ふかなかったけどね。 一番つらかったのは皮膚の潰瘍ができたとき皮膚科で 2時間まったとき 病気せんといて、医大の薬いらんの減らせといわれた 言葉でした。 本当にかなしかったです。好きで病気になったのではない のに人の痛みわからない人なんですね。 それをばばに行ったらばばに甘えてればいいから 私は悪いことをしてたくさん病気したんじゃないよって 励ましてくれました。 それに今日は痛むところを背中さすってくれました。 ばば優しい言葉いつもありがとうね。 大好きだよ。 私はいつでもばばの味方だよ。 ばばが編み物しても怒らないでほしいな。 母には、これからの時間が大事だってわからないのかな。 器小さいから無理ないかな。私の方が大きいものね。
最近、ネットが普及し、自死者に関することで色々と閲覧することができる。こちらのサイトのお坊さんは、自死遺族の気持ちを察して頂き自死者も必ず成仏するとご回答を頂きます。 しかし、他のサイトで真言宗の修行僧と称する者が、自死者は永遠に苦しむと書き込んでいます。同じ仏教徒でこんなに違うのでしょうか?本当に可笑しく思います。あるスピリチュアルでは、自死者は反省の部屋に入り、自分で納得すればガイドに従って成仏できると言っています。テレビで出ていた江原は違いますが 私は、なんとなくこのスピチュアルが主張する自死者の死後のあり様が自然に受け入れることができます。 要は、誰もが死んだ経験がありません。死後の世界なんかわかる訳がないと思います。昔は自死者は、地獄で永遠に苦しむと言われていましたが、ここ最近は自死遺族の苦悩を和らげるためか、成仏できるとお答えを頂きます。僧侶によっては、地縛霊のことは教えられていないと言っている者もいます。 キリスト教なんかは最悪です。よくもここまで豹変できるのかと思います。 こちらの僧侶の方は、本当に心の優しい方だと思います。カルトの様な馬鹿な話は信じません。しかし、本当のところはどうなのでしょうか?自死した者の霊は、安らかに成仏できるのか? 本当は、人間世界で何十年、何百年と苦しむのか?噓を言われて心を和ませたくありません。本当は、自死者が、一人で永遠に苦しむのであれば私が自死をして、妻を救いに行きます。私の魂は、あくまでも妻を救出のため。自身の我儘で自死するのとは違います。 イスラム教で言えば聖戦です。自死者の魂の行先は、僧侶や所謂霊能者と言われる人によっては行き先が二分されていると思います。地獄か極楽浄土へ行くか・・・ 言われていることがおかしいです?お釈迦様は、自死について良いとも悪いとも言っていないと今は言われているというか無理にその様に解釈をしているのでしょうが、本当はどうなんですか? 慰めで極楽浄土へ行くと言われると心が少し和みますが、自死遺族のために止むを得ず真実と違うことを言われるのは、返って罪なことだと思います。実際に真言宗の僧侶が永遠の地獄に行くとネットに平然と書いている。本当のことが私は知りたいのです。永遠の地獄に行くというのであれば私は、自死(救出のため)して地獄から妻を救い出す覚悟です。お答えをお願い致します。
人は亡くなったらどのようなところに行くのでしょうか?元気に楽しく暮らせるのでしょうか? また、お墓も仏壇も近くにないのですが、このような場合どうすればいいのか教えて頂けますか? 先日祖父が亡くなりました。24年生きてきましたが、初めて人の死に直面しました。 最初は、冷たくなった祖父に触れても、火葬や葬式を終えても祖父の死を実感できずにいました。 どうせまた会えるだろうというか絶対会えると思っていました。 しかし、初7日を終えたあたりから、急に祖父に会えないという現実を受け入れはじめてきて、涙が止まりません。外に居ても涙が溢れてきます。
はじめまして。 今年の1月に母が敗血症という病気で60歳で急死してしまいました。 母は昔に患った病気があり、持病はありましたが日常生活には支障もなく過ごしていました。 私は結婚をしているため一緒には暮らしていませんでしたが、普段から比較的会っており、亡くなってしまった1週間後も旅行に行く約束をしていたくらいでした。 そのため風邪をひいたので行けないようだと連絡があり電話で話したのが最後になってしまいました。 思ってもみない出来事だったので、どう自分の気持ちを整理させたら良いのか...こんなに急で辛く悲しい別れがあるのかと自問し、涙が溢れ、母が居ないことを認識して部屋で1人悲しむ自分。 反対に悲しいけれど、冷静に考え目の前の通夜、葬儀を行い、その後は仕事も通常に行き、父も支えたいから実家の手伝いをして日常をしっかり過ごさなくてはならないと思う自分。誰かの前では普通に振る舞い泣けません。 そんな時、気持ちのギャップに自分でも戸惑います。 あまりに突然だったので、母の気持ちを聞きたいところですが叶わないので、母が喜ぶ事を想像しながら日々暮らしています。 よい供養はありますか?
こんにちは。今回お聞きしたいのは、ふとした時にやってくる老いや将来にたいする、何とも言えないがとても大きな不安や怖さについてです。 今の私は人間関係に悩みながらもなんとか仕事をして、家族四人元気に過ごして、娘たちの成長を見ながらそれに感動したり充実しています。 ですが月に何回かこういった不安や怖さに囚われ気分が落ち込んでしまいます。 その原因は自分や妻が老いていって病気をしてしまうかもしれないとか、このまま時が止まって小さな娘たちといつまでも過ごしたい。と言った気持ちからこのような不安や怖さを覚えるのかもしれない。 と考えましたが、はっきりした答えはわかりません。子供が生まれてからこのような不安や怖さを覚えるようになりました。 上の子が3才で下の子が0才です。 このような漠然とした、しかし大きな不安や怖さに対処して穏やかな心に戻す方法を知りたいのです。
主人が急死して一か月経ちました。世の中には、同じような方が沢山いて、毎日つらい思いをしている方がいて、自分も生きていかなくてはいけないとおもうのですが、更につらくなってきました…早く側に連れていってください…とお祈りする毎日です…