世界で一番大事な人を一週間前に亡くしました。 最期を看取り、通夜、葬儀に参列し、肉体を失うまで見てきました。 ですが、いまだに実感がわかずにいます。ただ、涙はずっと出ています。 まだ、過去形で故人を語ることが出来ません。 そこで質問です。 (1)故人へのこの思いは、故人を現世にとどめてしまうことになってしまうでしょうか? (2)故人の写真を持ち歩いたり、生前頂いたものを身に着けてもよいのでしょうか? (3)生前通り、ついついメールをしてしまいます。(いつもそうしていたので)また、生前頂いた大事なぬいぐるみにも毎日話しかけてしまいます。これも良くないことなのでしょうか。 (4)故人とした会話や行事での音声を毎日聞いてしまいます。これも良くないことでしょうか? (5)故人の匂いや気配を感じると、そちらを向いて話しかけてしまいます。これも良くないことなのでしょうか? (6)この哀しい気持ちを引きずってしまうのは、いつまでしても良いのでしょうか? 故人には解放され、自由になってほしいと思っています。 自分も前を向いていきたいと思っているのです。故人は私が哀しんでいるとへこむと生前仰っていましたし、いろんな思いを私に託してくれたので、それらを糧に頑張りたいと思っています。
はじめまして。みぃころと申します。 夫と1歳半の子どもと3人暮らしです。実は3年前にも妊娠と出産を経験しているのですが、生まれたときに先天性の障害があるとわかり、1年もたない命でしょうと医師から宣告されました。最初は受け入れられず、面会に行けなかったり、早く次の子どもを作らなくてはと焦ったりしました。でも、徐々に受け入れられるようになってきた頃に短い生涯を終えてお空に帰ってしまいました。たった4ヶ月でした。そして今いる子が二人目の子どもで、健康そのもので育っています。 出先で出会う知らない人や、一人目の子どもを亡くしていることを知らない知人など、なにげない会話のなかで「はじめての子ですか?」「一人っ子ですか?」と聞かれたときの返答にとても困ります。一人目の子を亡くしていることを話すと気まずい空気が流れて会話が止まってしまうことがあり、正直に言いたくありません。でも、適当に話を合わせてしまうと、一人目の子の存在をなかったことにしているようで苦しくなります。お空で聞いていたらきっと悲しむだろうと苦しくなります。また、健康な二人目の子どもを羨んで悔しい思いはしていないかと心が痛むときもあります。 つまらないことかもしれませんが、いつも気になってこの話をされたくないなと怯えています。気にしすぎでしょうか? もうひとつ「賽の河原」について知りたいです。親より先に死んだ子どもが、そこで懺悔?の意味を込めて石を積むが、鬼に崩されて一生積み終わらない石を積み続けると。お地蔵さんが時々助けに来てくれると聞きました。私の子どもは障害のため指が曲がって固まっていました。石など積める手ではありません。石を積めないことで、イライラした鬼に意地悪をされたり怒られたりしていないでしょうか?体も小さかったので、助けに来てくれるお地蔵さんに見つけてもらえず、悲しい思いをしていないでしょうか?バカにされるかもしれませんが、そんなことが気になって気になってしかたありません。せめてあの世では辛いことがないようにしてやりたいと願っています。 まとまらない長文で申し訳ありませんが、心が穏やかになれる回答がもらえたら嬉しいです。お願いします。
先日、母が旅たちました。 10年ほど前、検診で初期のガンがみつかったのですが、当初、家族に隠し、積極的な治療も避けていたようです。 一番身近にいたのが娘の私でしたので、母の身体のちょっとした変化に、どこか悪いのでは、病院へ行こう、と話したことも一度ではありません。その都度母は、私の心配を一笑にふし、何もなかったように毎日は続きました。 6年ほど前、いよいよ体調を崩し、やっと病院へ行ってくれた母の診断はステージ4、病院の先生方、母自身も最善を尽くしての6年だったと思います。 母が逝って2週間、母のいない人生に意味が感じられず、想像を超えた喪失感に打ちのめされる毎日です。そばにいた私が10年前の初期の段階で病院へ連れて行けなかったことへの自責の念や、親友のような母に、ガンであることをたった一人で抱えさせていたことへの不甲斐なさに潰されそうです。 過去は取り戻せない、そう思おうとしても、後悔ばかりがわいてきて、涙がとまりません。いつも精一杯私を愛し応援してくれていた母の一大事に何もできなかった、助けることができなかった、そのことはもう取り返しがつかない。10年前の自分を殴り飛ばしたいとさえ思います。 亡くなる前、とびきりの笑顔で「ありがとう」といった母の顔と声を思い出すと、もう若くもないのに泣き叫びたくもなります。この思いをどう乗り越えたらいいのか、もしおこたえがいただけましたら幸いです。
頑張ったけど、幸せになれない。 死にたいです。
初めて投稿させて頂きます タイトル通り、たまに無性に死ぬのが怖くなる時があります 以前、働いていた職場によくご住職がいらして居たので、人間は死んだ後どうなるのですか? と聞いたことがあります そのご住職は、「生きている間の行いによって、何に生まれ変わるかが決まる。良い行いをすればまた人間になるかもしれない。悪い行いをすれば一週間しか生きられない蝉になるかもしれない。」と、仰っていました。 でも、やはり無性に死が怖くなる時があります。 自分が死ぬときはどんな風に死ぬのだろう 苦しみながら死ぬのだろうか 死んだ後、体は火葬して骨だけになりますね でも、今のこの気持ちや感情はどうなるのだろう そんな、誰にも分からない事が怖くてたまらない時があります 自分が死ぬ時の事を考えると怖くて眠れなくなったりもします それは今が幸せだからなんだなって、常に思っています 二児の母でありながらこんな質問をしてお恥ずかしいのですが、まだ分からない死への恐怖の取り除き方や死んだ後の自分の気持ちはどうなるのか 明確ではなくていいので、知りたいです
いつもお世話になっております。私はPMSというやつが酷い です。幸い、多くの女性陣とちがい身体には来ません。 10日も前になると、イライライライラ…😡😡😡😡 いざ始まると酷い時には、「びゃぁ”ぁ”あ”あ”いだひぃぃいい”」 起き上がることができなくなる時があります。 温めるとましにはなります。出血も、もっとも張り切るのは 初日、2日めは量は多いもののどんどん減っていきます。 * おそらく今回もPMSかもしれません。でも確実にやばいので 何とかしたいと思います。 便秘と生理だけは医者いらずで済ませたいです!まして私は 朝5時起き、30分で支度して出発しなければいけないので、 どげんかせんといかんと思った次第です。 なにしろイライラが一番きついです。 * 試しにいつもの沈香を焚いてもおさまりません。 なにかお知恵を貸していただければと存じます。
父が8月に46歳で脳幹出血に倒れそのまま亡くなりました。先々週に百か日を迎えました。 お坊さんから「百か日はこれまでの悲しみを乗り越えて普通の生活をするための節目」だと聞きました。 私は今の今まで父が死んだなんてことは実感しておらず長い長い出張に行っている感覚でした。いつ作業着で帰ってくるんだろう、と、そんな気持ちで待っている自分がいたんです。だから、倒れた時の父の顔を思い出したり写真を見れば涙は出ますが、普段悲しいと心の底から思ったことがありませんでした。 でも昨日、たまたま寄ったパン屋さんで流れていた曲が昔父と二人美味しいと言いながら食べたラーメン屋さんで流れていた曲で、その時初めて「あ、父は亡くなったんだ。もう一生あのラーメンを父と一緒に食べられないんだ」と実感しました。 昨日はたくさん泣きました。 いないと思えば思うほど涙が出て今も少し思い出すだけで涙が出そうになります。 今まで頑張って1位を取っていた定期試験もなぜか頑張るのが怖くなってしまいました。 褒めて欲しい人がもういないんです。 乗り越えたいなんて思えません。でも乗り越えないといけないのは痛いほどわかります。 私が今しなければならないことはなんですか? 父が今私にして欲しいことや私にして欲しい生き方がわかりません。私が今したいことは父とまた会話することです。おはようだけでもありがとうだけでも父に言って「なんもだよ」って言われたいだけなんです。
40代を半ばも過ぎ、あちこちにガタがきはじめたようです。 高血圧の内服治療をはじめました。 定期的な経過観察の必要な、いづれ癌化する可能性のあるものを複数抱えています(おかげで、早期発見の可能性が高いのでありがたし)。 平均寿命還暦前後とあまり長生きではない家系なのもあり、死を意識することも増えました。 こうやってあちこちの不具合を通して、自分の老いや死を受け入れる準備を整えていくのでしょうか。 hasunohaのお坊様方は、ご自分の体の変化やご病気をどのような心持で受けれておられるのでしょうか? 胸がざわつくことが多くなり、辛い心地に陥ることもあります。 お坊様方はどのように心の平安を保っておられるのか、教えていただけないでしょうか。
松来未祐さんという声優であり、ラジオパーソナリティをされていた女性が一昨年、病気で亡くなられました。 穏やかな人柄でよく笑い、笑顔が素敵な可愛らしい女性でした。 私は松来未祐さんのファンだったのですが、彼女が亡くなられてから暫くは、その実感がありませんでした。 ですが、松来未祐さんの声を聴きたくて、彼女ののこした楽曲やラジオ番組を聴いていくうちに、もう彼女の言葉を聴くことは出来ないのだ、彼女にしてあげられることは何も無いのだという実感がこみあがって、とても哀しい気持ちになっております。 私は、この気持ちをどこに向かわせれば良いのでしょうか。 ご教示お願いいたします。
母が先日56歳で亡くなりました。 突然のことで、脳出血で倒れ、そのまま意識が戻らず1週間の入院の末亡くなりました。倒れていたところをすぐに見つけ、すぐに救急車を呼び、すぐ近くの病院が受け入れてくださり、最善の治療を施して頂けたと思っています。祖父母も駆けつけ、遠方からの友人も、伯父も駆けつけて、もちろん家族は病院に詰めていて、入院している間は病院の方も家族も最善を尽くせたと信じています。 無宗教で、戒名はいらない、私のお葬式ではみんな可愛い格好して骨は粉にして海に撒いてちょうだい、と常日頃から笑って言っていた母ですが、妹の幼稚園などでお世話になっていたお寺さんに葬儀をお願いしました。家族葬で静かに行う予定でしたが、お花を贈ってくださる方が多く、花に囲まれた立派な式だったと思います。綺麗な戒名もつけていただきました。遺影の笑顔も本当に綺麗です。明るく華やかな母の笑顔です。出棺もご住職様にお見送りいただき、お骨は綺麗に焼いていただき、今は綺麗な骨壷と葬儀社の方が丁寧に作ってくださった祭壇の上に乗せられ、家に戻りました。 まだ実感が湧きません。明るい母が、今にも玄関を開けて買い物袋と一緒に帰ってくるように思います。コタツで寝ているように思えます。病室での顔も安らかで、本当に家で寝ている時と同じ顔でした。私は社会人ですが、3人いる妹はまだ大学生、一番下の妹はまだ成人もしていません。今帰ってきた妹が明るい声でママただいま!と遺影に声をかけました。父は実家と疎遠で、頼れる人はいません。母の両親はもう83歳で、こんな悲しみを味あわせていいはずはありません。我が家の要です。働かせすぎたのだと思います。朝起きて、洗濯をし、朝食を作り、ゴミを出し、弁当を持たせ、出勤し、帰宅し、買い物をし、掃除し、食事を作り、洗濯をし、誰よりも遅く寝て、誰よりも早く起き、誰よりも働き、誰よりも早く旅立ちました。 娘4人全員マザコンで、日頃から母には好き、大好きと伝え、母との予定は最優先にしてきました。私たち娘たちからの母への気持ちは伝えられていたと思っているし、母からの愛情を疑ったことはありません。ただ、母の友人、兄、祖母から「〇〇くんと結婚していたらなあ」「あれじゃ(母)ちゃんが可哀想」と言われるのを聞きました。母はかわいそうだったのでしょうか。大好きな母がかわいそうなのはとても悲しいです。
あまり聞くのはよろしくないのでしょうがよろしくお願いします。 自殺の際に、周りに迷惑をかけないようにする為にしなければならない事を教えて下さい。 あと、今までの感謝を伝えるべきでしょうか? 言葉を残す方が印象を与えてしまうきがします。前向きな質問ではありませんがよろしくお願いします。
今年初夏に父が突然亡くなりました。朝「行ってくるよ」と出かけた途中の道で倒れていたところを救急車で搬送され私たちが駆け付けた時は意識不明。亡くなるのを待つしかない状況でした。私は父にとても大事にされたくさんの愛情で過保護なくらい甘やかされて育ちました。私が仕事で成功することが父の楽しみだったのに、一度は事業部のトップになったにもかかわらず能力不足で左遷され、転属した先の男性上司にとことんいじめられ、悩んだ末、退職しました。さぞや父は落胆したのではないかと思います。両親の願いだった結婚もせず、仕事の道を選んだ末路でした。その後両親と暮らし父には親孝行といえることもできたと思っています。ただ、父がいなくなったことが悲しくつらく、残された母のショックも深くこののち母もなくなってしまうことがあると私は一人きり。どうやって生きていけばよいのか悲観的になってこころにずーんと思い鉛を抱え毎日不安なまま仕事に行っています。できれば仕事もやめてずっと母のそばにいたい。けれども働かないと生活できない。どうしてこうなってしまったのか、いずれ両親と別れがあるのはわかっていたのに突然で何が何かわからないまま日が過ぎています。毎日生きている事に感謝して生活しなければならない事はわかっていますが気持ちが沈んで気持ちがおかしくなりそうです。どうかこれから生きていく指針をお教え下さい。
私は見た目に症状が出る病気を抱えています。 原因不明で、治療法も確立されていません。病院を転々とし、手応えもなく1年が経とうとしています。 症状は顔に出ます。日差しや寒暖差等により悪化し、食事だけでも酷くなる場合があります。 命には関わりませんが、見た目的にも感覚的(顔に火をつけられた様な熱感、赤み、痛み)にも辛いです。 まず、化粧ができなくなりました。化粧で誤魔化したい思いはありましたが、それで悪化することがあり、怖くてできませんでした。 整った顔立ちでもなく、化粧もできなくなり、外に出ることが嫌になりました。 外は、綺麗な人ばかり。せめて口紅だけでもと思っていた矢先、口唇にも別の病気の症状が出て、叶いませんでした。 そもそもこの病気の症状が出た頃、結婚を機に引越しが決まっており、仕事を辞める決意をしていました。 当時、一人の上司が傍若無人で、周囲の人は大変迷惑していました。 職場を去る私に出来ることはこれだと、会議を開き、問題の上司に意見し、自分なりに職場を良くしたい思いで動きました。 当時の同僚からはとても感謝されましたが、その上司からは、お前のせいで病気になったと診断書を突き付けられたことをよく覚えています。 この頃から、病気の症状は酷くなっていきました。 引っ越し、結婚後、新たに就職。しかし、環境の変化でしょうか、症状はどんどん悪化しました。外に出ることも多く、日差しを浴びることが辛く、休みがちになり休職。先月末、辞めて欲しいと言われ、退職… 現在は仕事をしていませんが、来年からはパートでもいいから仕事を見つけないとと焦っています。 治らないかもしれず、顔だから隠すこともできない(マスクでも悪化)、女性の身だしなみとして化粧もできない。 そんなことでと思うかもしれませんが、生き地獄です。食事も減り、体重もかなり減り、このまま死んでゆくのなら、それでもいいと思うようになりました。むしろ、今死ねば、楽になれるとも思います。 この病気を受入れられず、何もせず家にこもる自分が情けなく、役立たずだと思います。 あの時、上司にたてついたことが悪かったのか、前世で罪人だったのか、私が何か悪いことをしたから、こんな病気がやってきたのでしょうか。 この先、不安しかなく、こんな役立たずは居なくなった方がいいと思います。 今、生きることが辛く、希望が何一つ見えません…
助けてください。
これってつまるところ自分が「いつまで生きるかわからない」という所から来る不安ではないか、と思います。 しかし私は死と向かい合えるほど強くありません。いつ死ぬかわからないからこそ生きていられるというところがあると思います。 それはそうなのですが死ぬまでに(お金が)いくらかかるかわからない。生きているうちにすっかり預貯金を使い果たすのではないかという言ってみれば「餓死」のイメージから来る不安があるのです。 ではそれほど金欠なのかというとそうでもありません。 預貯金は同世代と比較すれば多い方だと思いますし、好きとまでは言いませんが仕事も体が続く限りは続けようと考えています。 現在バイト生活で収入はそれほど多くありませんがそれでも日々の生活に貯金を取り崩すといった事態には至っておりません。 しかしこの漠然とした不安が消えないのです。 ひょっとして「もっともっと」の餓鬼道に落ちてしまっているのでしょうか。 強い不安ではありませんがこういう心配から解放され、楽しい生活を送りたいです。 よろしくお願いします。
幸先が見えずに、死にたくなります。先のことは誰にもわからない、それはわかります。今日、死にたくなり、明日は、わかりません。しかし、全体的に、考えると死にたくなります。なんとなく自死しないで流されていきます。そんなことで寿命を全うしたくないです。今を生きて明日、昨日のことを忘れていたら、いいのですが、そういうわけもいかず苦しいのです。何かお考えがあるでしょうか、、、
主人が52歳で脳出血で急に亡くなりました。 単身赴任7年我慢しました、EDで病院にいくようにもお願いしましたが、ネットで買って嘘でした、出会い系も行っていないというのを信じ我慢しましたが、死んだあと、箱につかったもの3個と空の薬が箱にあったのを見つけショックで、 許せないでも会いたくて、もどにもどりたくて毎日泣いています。 カウセリング、精神科にも行っていますが、変わらず辛くてどうしたらよいかわかりません どう考えれば良いのか教えてください
この前、臓器移植に関する資料を貰い、家族と考えてみました。 私は死ぬのが怖いです。なので、脳死でもそれを死とは考えられないし、親がそんな状況になっても絶対に死んだとは認めないし、できる限りの延命治療をすると思います。 しかし、臓器移植を待つ方の立場になって考えてみると、それはもう死んでいるのに等しいから、脳死状態でしか手に入らない心臓なんかを譲ってほしいと考えてしまいます。 どっちの立場に立って考えるのもつらくて、頭がいっぱいになってそれ以上考えることができません。死にたくないから、誰かの心臓として生き続けるのもいいし、もしかしたら脳死から回復するかもしれない万一の可能性を信じて、心臓が止まるまで待つのもいい。自分がどうしたらいいのか分かりません。 なんか、脳死とか、死についての捉え方を変えたら自分が納得できる選択肢を選べるのでしょうか。 仏教ではどう死や脳死について捉えているのか、教えてください。
愛する人を亡くしました。 進行の早い病気で、でも希望を捨てたくなかったので、治療がうまくいく前提でしか話をしていませんでしたが、結局は…。 こんなことになるなら、もっと彼に対する感謝の気持ちを伝えたかったという後悔の思いばかりです。 私は、魂とか輪廻転生というようなことを信じています。 人は亡くなった後、49日までは魂がこの世にいるのですよね。だとしたら彼の魂は家族のところにいるのでしょうか? 私は彼の家族ではありません。 彼は天国に行けるでしょうか。 家族を大切にしている人でしたが裏切っていたことには変わりないので、それは“悪いこと”であり、天国には行けないのでしょうか…。 また、愛する人の死を“乗り越える”とはどういうことなのでしょうか。 彼が亡くなって以来、頭ではわかっているものの、気持ちがついていけません。それでも私は普通の生活を送るしかなく、自分は何をしているのだろうという気持ちになったりして、どうしたらいいのかわかりません。
おはようございます。 犯罪の被害者や事故死と、病死や老衰で亡くなられた方の御葬式は違いがあるのでしょうか? よろしくお願いいたします。