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「身近な人の死」を含む問答(Q&A)一覧

大好きな祖父の死

12月に風邪をこじらせ入院していた祖父が、昨日亡くなりました。 お通夜も告別式もまだ終わっていない状況ですが、気持ちを吐き出させていただくことをお許しください。 入院するまで元気いっぱいで過ごしていた祖父が、どんどん衰えていくのを見るのがつらく、お見舞いの帰りには泣いてばかりでした。しかし、こちらでも質問させていただき、後悔のないように時間のある限り病院へ足を運び、だんだん意思疎通ができなくなっても、手を握り話しかけ、後悔のないように過ごしてきました。 死に目には間に合いませんでしたが、苦しみもなく眠るようにゆっくり旅立っていったそうで、少し安心した気持ちにもなりました。 しかし、一晩明けて、やはりどうにも悲しく、気が緩むと涙が込み上げて仕方ありません。 入院中、もうこれで最後になるかもと思いながら、今までの感謝の気持ちを伝えることができませんでした。今までありがとうと言ったら、本当にお別れになってしまう気がしていました。 もっとしっかり感謝の気持ちを伝えて、元気なとき、あれもしてあげればよかった、これもしてあげればよかった、と考えます。 実家で、結婚するまでずっと一緒に暮らし、本当に可愛がってもらったので、思い出がありすぎ、あとからあとから在りし日の祖父の姿が浮かび涙が止まりません。 この世界でもう二度と祖父に会えない、話すことができないという現実に押しつぶされそうになります。 小さな息子がいるので、なるべく気丈でいたいのに、お通夜も告別式も号泣してしまいそうです。 亡くなった瞬間よりどんどん悲しみが増している気がします。気持ちの整理のつけ方を教えてください。

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63歳の母の死

約1年前に白血病前段階のような不治の病が発覚。 今年の12月に入り主治医から年内は難しいと言われ個室に入ったが極度の怖がりであること、心細さ、気を使う人なので看護師さんにお手洗いの付き添い、お下の世話を頼むのも難しいだろうと思い、また最期まで人として尊厳が保てる生活を送って欲しかったので(排泄をおむつにためたままになったりしないよう)、病院に泊まり込みで付き添い看護をしました。 人に体を触られたり、心配されたりするのがあまり得意ではない人柄の母が12月に入ってからは私にお手洗いの付き添い、おむつの交換、ポータブルトイレの清掃、をさせてくれました。 痛いときには「痛い痛い」と言ってくれました。介護する私に「最期は楽な方(鎮静剤で眠ったまま最期を迎える)選ぶけどごめんな」と言った、死にたくなるほど痛いのにそんな中でまで私を気遣った母。 お通夜お葬式はひと目をはばかることもできず参列者の前で泣き崩れ「おかあさんー」と叫びました。 今でも母の死を受け入れることができません。子供二人の前で夜な夜な泣き崩れベランダから「おかあさんー」と大声で叫ぶ始末です。 結婚して離れて住んでいたので、頻繁に会える仲ではありませんでした。今でもただ会えないだけ、と思い生きている体で、日々を過ごすのは良くないのでしょうか?母は、いまどこにいるのでしょうか?母は、今何をしているのでしょうか?どうすれば母と話ができるのでしょうか?私は、また母と同じステージで会うことがでるのでしょうか?間もなく引っ越しを控えているのですが、お盆等に母は、迷わず私の新居に来れるでしょうか?私の新居を楽しみにしておりました。母は、私の新居を見ることができるのでしょうか?実家ではもちろん炊きますが私の家でもおがらを炊いて母を迎えても良いのでしょうか?自分が何を思いたいのかどうしたいのかもわかりません。。食道楽で美味しい物が大好きでした。最後の1ヶ月は殆ど食べる事もできませんでした。今はお腹いっぱい食べれているでしょうか?今でも「▲▲食べに行こうや」と連絡が来るんじゃないかと思っています。○○ちゃん(長女)にイチゴ買うたって、お肉買うたって、クリスマスプレゼント何しよ。○○君(長男)また虫取り?と連絡が来るような気がしてなりません。母にはこれから楽しい事がたくさん待ち受けていたはずです。 母と話がしたいです。会いたいです。

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亡くなった父に会いたいです

先日ガンで父を亡くしました。55歳でした。 辛い闘病生活の後でしたのでそれなりに覚悟はありましたし、亡くなった直後は「やっと楽になれたね、良かったね」と思っていたのですが、 やはりとても寂しく辛い思いでいっぱいで、毎日遺影の前に座っては泣き、父の使っていた食器や布団を見ては泣き、父が好きだったテレビ番組を見ては泣いています。こうして文章を打っている今も涙が止まりません。 「いつまでも悲しんでいてはお父さんが成仏できないよ」とか、「乗り越えて強くなりなさい」とか、葬儀の時親戚の人に言われました。自分でもそんなことぐらいよく分かっているのです。 それでも、(こんな事を言うと怒られると思いますが)成仏なんかしないでいつまでも私と母の側にいてほしいとさえ思ってしまいます。 父も私も無口で口下手なため、元からお互い交わす会話は多くなく、私が働き始めてからは同じ家にこそ住んでいるものの関わりはあまりありませんでした。 そこにこのような出来事があり、私はこんなに父の事が好きだったのかと自覚しました。それならもっと話しておけば良かった、こんなことになるなんてとまた泣いてしまいます。 私も勿論辛いですが、最愛のパートナーを亡くした母はもっともっと辛そうで、私がいなければ後を追っていたかもしれないと思うほど悲しんでいました。そんな母を見ていると私も悲しくなってしまいます。 父の死を乗り越えるにはどうすれば良いでしょうか。時間が癒してくれるのを待つしかありませんか?

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故人のお母様とのお付き合い

以前もこちらで質問をさせて頂きました。 今回は自死をした彼のお母様との今後の付き合い方についてご相談させてください。 彼が自死で亡くなってから約3ヶ月、前を向いて生活することが彼の供養になるだろうという想いから毎日仕事に励んでいます。1人になると寂しく思うこともありますが友人、家族、職場の上司にも恵まれ笑って過ごせる日が続いています。 しかし、ふと彼のお母様のことを考えてしまうのです。 彼の最後を最初に見つけたのはお母様でした。そしてお母様には通夜で始めてお会いしました。 自死で原因不明の場合は交際者が責められることも多いと伺っていましたが、本当に優しく気を遣ってくださり家族葬にも呼んでいただけました。ありがたいことです。 私は直接的な現場は見ておらず、綺麗にして頂いてからの対面でした。(縊死でした。) ただ、大切に育てた息子の最後をそのように発見した辛さは私なんかでは計り知れないものと思っております。 葬儀後には「納骨が済んで落ち着いたらまた連絡します。一緒にお墓参りにいつかいきましょうね。どうか今回のことは気にせず、幸せになっていただければと思います。」と声をかけて頂き別れました。その後は一切連絡を取っていません。 初七日、四十九日は心の中で彼を思って過ごしました。今の今まで彼のことを思わなかった日はありません。お墓参りにいつかいきたいと思っていますが、お墓に行くよりも気持ちが大切なのだろうと思い過ごしています。 ただ、お母様の気持ちを考えると何かできないものかとも思ってしまうのです。 例えば大人になってからの彼の生前の写真をあまりお持ちではないと思うので、アルバムを作って渡そうかとも考えました。 しかし、そこまでするのはでしゃばりすぎかな…とか。自死をしたことに関して怒りの気持ちを抱いているとしたら顔も見たくない段階なのかな…とか。そもそも私が何かできると思ってることがおこがましいな…など、色々と考えてしまいます。 こういった場合はどのように関わっていくのが正しいのでしょうか。もしくは私は私で彼の供養を願い毎日を過ごすことでいつか、解決する問題なのでしょうか。よろしくお願いいたします。

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夫が亡くなって3年たっても辛い

12月15日で夫が脳出血で突然亡くなって3年たちますが、変わらずほとんど毎日いろんなことを思い出したり、考えたり会いたくて会いたくて、 夢でもいいから会いたいのに、夢にすらてでくれずないています。 転勤族なのですが、建売を買うことになり買ってその年になくなりなした。でもそのおかげで偶然にも私の居場所できました。しかし、実家は隣の県 身内もだれも頼りになる人がいません。 頼りにしてた息子も大学になり、ひとりになってしまいました。 子供達はそれぞれの人生がある、夫のこともどうにもならない。それはわかっているからだれにもなにもいえない。 自分の事は自分で決めるしかないとおもっていますが、こころがぐちゃぐちゃになって死んだ方が楽だ 辛いです。 喧嘩して大嫌いだと言われたこともありました。 死ぬ前にも何を考えてるかわからないひとでした。でもなんでもできて、たよりにしてたのに 私は世界いち大切な人を亡くして、これからどうしていけばいいのかまだわかりません。 パパは私の事なんかなんとも思ってないから、夢にさえてでこないのでしょうか? パパに会いたい!なんか言ってほしい!です。 助けてください

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祖母について

はじめまして。考えてばかりいて居ても立っても居られずこちらで質問をさせていただきます。 祖母が今年の夏頃から急激に体調を崩し、入退院を繰り返しております。先ほど姉から連絡が来て、今年いっぱいどうなるか、という具合になっているそうです。 現在も入院をしているのですが、5、6年ほど地元を離れて暮らしているもので、小学生の頃はほとんど毎日祖母の家へと行っていたはずなのに、今となっては祖母とどんな話をしたらいいものか、生と死の間際なのになんだか気恥ずかしい思いが先立ってしまいます。また、今思い出すと小学生の時に何をそんなに話していたのか、姉と比べると口数が多くはないもので なにも思い出せず、祖母には世話になりっぱなしなのに情けないです。 先日帰省した際、母と一緒にお見舞いに行ったのですが、すっかり弱ってしまった祖母を見て涙が出てしまって止まらなくなり、病室に入ってすぐそのまま席を外してしまいました。帰り際に祖母の手を握ったら、祖母の手の冷たさにまた涙が出てきてしまって、私の体温をどうやったらあげられるかだろうと思っておりました。そんな私を見て祖母が死期を悟るといいますか、祖母の前では笑顔でいたいのにそうなれません。 こちらのサイトで仏様のお教えや皆さまのお考えを拝見しまして、後悔する前に行動することが一番だと思い、次の休みは祖母の元へ行こうと考えております。しかし、初めて母や姉と一緒ではなく1人で行く予定なので、どんな顔をしてどんな話をしたらいいものか悩んでいます。 今もずっと涙が止まらなくて、泣いたまま会ってもいいのでしょうか?いま祖母に会ったら、ばか正直におばあちゃんがいなくなったら悲しいと泣きこんでしまいそうです。 なにかアドバイスをいただけたら幸いです。長文乱文失礼いたしました。

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彼が自死。幸せとは。

1年以上付き合った彼が9月、自死を選びこの世を去りました。本当に突然の出来事でした。詳しい理由もわからず、気持ちの整理がつかずにいます。 私宛の1枚の手紙が最後に残っていました。 私は何も悪くないこと。全部自分の問題だという事。付き合って過ごした毎日は楽しく幸せって感じることが多かったという事。本当はもっともっとたくさん思い出を作りたかった事。私の幸せな将来を心から願っているという事。 手紙からたくさん愛されていたことを感じ、四十九日も過ぎましたが涙が未だに止まりません。 なぜ彼は自死を選ばずにいられなかったのか。こんなにも大切にしてもらったのに、私は彼に何もできなかったんじゃないか、もっと彼を思っていたら心の苦しみに気づいてあげられたんじゃないか、答えも出ないのに1人になると同じことを考えてしまいます。 何も考えたくなくて、この2ヶ月仕事に無我夢中で取り組みました。事情もごく少数の人にしか話していないので、何も伝えていない同僚、友達の前では常に笑顔で過ごしています。 ただ、ふと我にかえると「なんで私こんなに頑張っているんだろう。」と思えてしまい、仕事も辛くなってきました。 もし、今以上にぷっつりと糸が切れてしまった時本当に何もできなくなってしまうような気がしています。 いつまでもこんな鬱々とした状態では彼の供養にならないことは重々承知です。 彼も死を考える気持ちの中、最後の最後に私の幸せを願ってくれたからこそ幸せになりたいです。彼と付き合っていた頃のような前向きでポジティブな自分に戻りたいです。 しかし、幸せがわからなくなってしまいました。どう生きていけばいいかわからなくなってしまいました。私はこれからどのように考え、過ごしていけばいいのでしょうか。

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まだ生きている気がする

先日大伯母が亡くなりました。 98歳という大往生でした。 通夜と葬式を昨日終えたところです。 晩年は認知症で私の事は忘れたようで「どちら様ですか?」と言われました。 それでも私は大伯母の事が大好きでした。 大正時代から生きて、結婚への圧力は凄かったでしょう。それでも生涯独身を貫き一人で雑貨屋を営んでいました。 実家から徒歩2分ほどの場所に住んでいたので、小さい頃から料理を作ったら届けに行くのが日課でした。 いつも笑顔で接してくれて、何歳になっても背筋が真っ直ぐでした。 就職にともない実家を離れてからは会う機会が月に1回、半年に1回と少しずつ減りました。 最後の日も母から「午前から血圧が高くなってるらしいの、またお見舞いにいってやって」 と言われ 「分かった、じゃあまた今度の休みに行くよ」 そのまま午後に大伯母は亡くなりました。 なぜ「また今度来るね」という状況を作れなかったのか、それは未だに悔やまれますが 大伯母は棺桶の中の姿があまりにも綺麗で、死化粧も素敵に施していただけました。 葬儀場の椅子が足りなくなるほどの人に囲まれ、顔が見えなくなるほどの花に囲まれ焼かれていきました。 私は、出棺の時に棺を持ち上げても、大伯母がわずかばかりの真白な骨に変わっても、その骨を箸で掴んでも、なんだかピンとこないまま今日を迎えてしまいました。 涙は出ないままでした。 むしろ誕生日をお祝いするように穏やかな気持ちのままなんです。 現実逃避をしているのかもしれません。 今もどこか大伯母が生きているようで、一人暮らししていたあの家にいるような気がしてなりません。 あずきサンドが好きで、熱いお湯で淹れたお茶が好きで 今日も電子レンジでご飯を温めすぎて「嫌な熱さだ」と怒ってるかな。 なんて考えてしまいます。 生きてる姿しか見えません。 こんな経験は初めてです。 今までは、誰が死んでも葬儀が終わるまでには実感が湧いてきて涙が出てくることばかりでした。 なぜこうも思い入れの深い人に限って受け入れられてないのでしょう。 そもそもこれは現実逃避なのでしょうか むしろすべて受け入れた結果のようにも思えます。 実感のない死との向き合い方 ご助言いただければ幸いです。 よろしくおねがいいたします。

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祖父の死について

先日、父方の祖父が急に亡くなりました。朝食中の事故だったようです。 前日にも会って話をしており、当日も朝に父が会っているので本当に急なお別れでした。 もし僕が前日に会った際に別の行動を取っていればバタフライエフェクトか何かで運命が変わっていたのかもしれないなどとも思い、悔しい気持ちでいっぱいです。 4年前の祖母の死後、僕も買い物等で色々と手伝いをしており、足腰は弱っているものの元気な祖父の姿を見ていたのでかなりショックです。 「もうだいぶ長いこと生きた、いつ向こうに行ってもいい」と話す祖父でしたが、まだまだ生きられたはずです。 なにより、両親を続けて亡くした父の悲しみはどのくらいかと、心配です。 孫の僕ですらこんなに悔やんでいるのに、子である父はどれだけ苦しんでいるのかと思うと、やりきれない思いです。 今は「そういう運命だった」と自分に言い聞かせるしか納得の方法がありませんが、そうはいっても急なお別れというのは避けられたかもしれないと思ってしまいます。 どうすれば心を落ち着かせられるでしょうか。また、どのように父を見守れば良いでしょうか。アドバイスをいただければ幸いです。

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