hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

「身近な人の死」を含む問答(Q&A)一覧

自死した父からのサインでしょうか

初めまして。 どこに相談すれば良いか分からず、こちらでお聞きすることにりました。 私の父は数ヶ月前に自宅にて自死しました。 亡くなる一年程前から体調不良を繰り返し、内科を転々とする日々でした。 亡くなってから、日記を読み返したところひどく精神的にも追い詰められていたことが分かりました。 家族にも理解してもらえず、それでも元気なふりをして、病を直そうと最後の最後まで精一杯生きた父を結果的に独りで旅立たせてしまったことは後悔してもしきれません。 もっと父の発言に耳を傾けていたら、その絶望感から救えたのでは。。とばかり思います。 せめて今までの感謝を伝えたかったし、ちゃんと言葉にして大好きだよと会う度に言えば良かったと。 先日、息子と父のお墓詣りをしてから実家へ泊まりに行きました。 その夜、4時間程度、父が亡くなった場所の辺りからバン、トントン、パキッという音が定期的に繰り返されました。 木造家屋ですので、これまでも夜中に家が軋む音は聞き慣れていますが、今回の物音はあまりに長く続いたため、父がまだ苦しんでいるのかと不安になった次第です。 父の魂は亡くなった場所から離れられず苦しんでいるのでしょうか。 または父から私たち家族へのサインなのでしょうか。 そうでしたら、私には何が出来ますでしょうか。 なお、物音が母に聞こえていたかは分かりません。現在、実家で1人で暮らしている母を不安にさせないよう敢えてこの話はしていません。 ご回答頂けたら幸いです。

有り難し有り難し 16
回答数回答 1

親が死ぬのが怖いです。

私は今大学4年生です。親や祖母がいつか死んでしまうという事実が恐ろしく、不安で仕方ありません。ずっと思っていたことなのですが、今日両親と会って余計にその思いが強く、辛くなって相談致しました。 親は高齢出産だったもので、平均まで生きたとしてもあと20数年です。しかし、母は大病をしていて、1年や2年で死んでしまうというわけではないのですが、そう長くも生きられない可能性が高いそうです。父も生活習慣の面から長生きは難しいだろう、という感じです。 私は両親が大好きで、心の支えであり、いなくなってしまうことを考えると涙が止まりません。祖母に関しても同じで、恐らく両親よりも早く死んでしまうのだと思うと悲しくて仕方がありません。最近は、「私を置いていかないで。一緒に連れて行って」とまで思ってしまったり、いずれ来る別れが辛く、もういっそ自殺してしまおうかとも考えるのですが、その考えが最も親不孝なのは分かってはいるのです。 大学4年生つまり22才で、良い大人になって何を言っているんだ、弱い奴だ。と思われるかもしれません。しかし恐ろしいものは恐ろしくて堪らないのです。どのように考えていけば良いのでしょうか。

有り難し有り難し 82
回答数回答 3

わんこの死がただただ悲しいです。

先日、15年一緒に居たわんこが亡くなりました。あと少しで16歳でした。 妹のような姉のような存在で私の人生の半分以上を一緒に居てくれました。 3年前、お腹の半分ほどの腫瘍ができて危ない状態だったにもかかわらず大きな手術を3回頑張って回復し先日まで側に居てくれました。 当時は毎週、血液検査があり足に痛々しい注射痕が沢山出来てとても痛かっただろうに頑張り屋さんでした。 私に似て食い意地が張っていたのにさいごの方は食べる事ができなくなり、それでも私がお芋を食べていると側にきて一緒に少し食べてくれました。 家でも職場でも、何をしてなくてもただ生きてるだけで涙が出てきて仕方ないです。 周りの人はとても心配してくださってます。 夜中に「朝までもたないかもしれない」と母に起こされた時のこと。その24時間後に、母とわんこと3人でリビングで寝てた時に「もうだめだ」と母に起こされた時のこと。その時すでに居なくなってしまっていたけどまだ温かかったことが忘れられないです。何回もフラッシュバックします。 最後に抱っこした時、とても軽くて「もうあと少ししか居られない」と悟ってしまった時の事も忘れられないです。 私の家庭環境はあまりよくなく、両親は喧嘩ばかりしているしその際父は物を投げたり壊したりするのでわんこはよく怖がっていました。それでも私が泣いていると側に駆けつけてくれる優しい子でした。 3年前のもしかしたら死んでしまうかもという状態の時も「こんな家に引き取られて、わんこは幸せだったのだろうか」と一人部屋でドアを閉めて静かに泣いていたところ、ドアを開けて駆けつけてくれた本当に優しい子です。 さいごらへんは立つのもやっとだったのに私の仕事のお見送りは欠かさずふらふらと玄関まで来てくれました。 最後の日は身体が動けなくなってしまいましたが、母に抱っこされてお見送りしてくれました。 急変した前日は休みの日で、私は1日家にいたのに用事があり部屋に引きこもって一緒に居られなかったことを悔やんでいます。 その用事は必ずしもその日でなくても良かったのに。 いつのまにか私の部屋で我が物顔で寝るようになったわんこはもういないです。お風呂から出ても私の部屋にいないし、私が寝る時一緒に部屋にも来てくれないです。 もう私が泣いていても側には居ないです。 いい加減に涙が止まってほしいのです。

有り難し有り難し 34
回答数回答 2

夫の自死と自己嫌悪

はじめまして。 亡くなった夫と、その後の自分の気持ちの持ちようについてのご相談です。 約2ヶ月前に夫が自死しました。とても優しい人でした。私は親の愛を感じられずに抱えていた孤独を、夫は包み込んでくれました。私が好きなことを好きなようにできるよう、サポートしてくれました。私は親に言えなかったわがままを、夫に言ってしまって負担をかけていたのだと思います。 自死の少し前からネガティブなことを口にしていました。仕事のようなものでの悩みは本人から聞いていました。その中で自分が消えれば全て解決、とか、妻である私のためには自分はいなくなった方がいい、などです。私は大丈夫大丈夫と励ましていましたが、それが余計追い詰めたのではないかと思います。 病院に通院してなかったのですが、おそらく心を病んでいたのだと思います。元々精神的に強い人だったこともあり、私がそこまで重く考えずカウンセリングに行こうという発想が出来なかったこと、私の不適切な判断と、夫への甘えからこうなってしまったと自己嫌悪でいっぱいです。 泣いてばかりだと亡くなった人はは成仏出来ないと聞き、はやく前を向かなければと思うのですが、なかなか自己嫌悪から抜けられません。 また亡くなってからの日にちが経つのが遅く感じ、まだ2ヶ月か、いつになったらこの苦しみが落ち着くのか、と目の前が真っ暗です。 自己嫌悪と前を向くことへの狭間でとても苦しいです。 どうやすれば折り合いをつけて、早く夫が成仏できるように前を向くことができるのでしょうか? 心の持ちようを教えていただきたいです。

有り難し有り難し 18
回答数回答 1

親の死

現在、週末期を迎えている父がいます。 父は10年以上前に病気が発覚し、すでに末期だったので現状維持を目的とした治療をしてきました。 完治はない事からずっと覚悟はしてきたつもりですが、8月に入って急激に悪化し、あっという間に動けなくなりました。 両親は横浜、私は東京で一人暮らしです。 姉夫婦が近くに住んでいて、頻繁に様子を見に行ってくれていますが、基本的に母が一人で不安と戦いながら面倒を見ていると思うとそれも辛いです。 職場の理解もあり、隔週で休みを多めにもらい実家に帰っていますが、帰る度に弱っていく姿を見るのが辛くて怖いです。 東京へ戻ると、急変したらどうしようと考えて眠れなくなる日も。 父がその時を迎えるのを直視できる自信がありません。 それなのに、全てが終わったら長期休暇を取って10年間支えてきた母の疲れを取るため、一緒ににゆっくり過ごそうか。と今から不謹慎な事を考えてしまう自分もいます。 でも、その為には父との別れを経験しなければいけません。 いつ来るかわからない、そう遠くない別れを待つ日々が辛いです。 穏やかに、静かに迎えたい気持ちと、 早くラクにしてあげたい気持ちと、 やっぱり怖いと思う気持ちと。 心がゆらゆらしています。 どのような気持ちを、どのように保てば良いのか教えてください。

有り難し有り難し 35
回答数回答 2

父の死

先日85歳の父が亡くなりました。 私は男三人兄弟の三男で父と二人暮らしでした。母は去年暮れ5年施設にいて亡くなりました。17年前両親のために35年ローンで家を購入しました。当時私の収入は月20万で家に14万渡してました、のこりのお金で10年かけて、300万ためて家の頭金にしました。父は48歳で早く会社をやめたので母が頑張ってました。家計は苦しかったと思います。 会社をやめた理由は当時両親仲がわるく母が家に帰らない日があったりで家のことは父がしてました。 父は大企業にいたので年金をもらうようになって、私の収入もあり借金をかえし、生活も楽になりました。長い間くらした父は私の全てでした。父は私のためにがんばってました。長男の住宅ローンの連帯保証人に私がなったのですが、1500万返さず逃げてます。8年間父が返済し、残り700万あります。私が将来自己破産する事は当然としりながら、家を守るために頑張ってました。次男も借金の返済月半分以上出してくれてます。 私は5年前に会社都合で退職し、アルバイトです。 父が死んでしまって、悲しくどうしょうもないです。歳をとれば自然なことでしょうが、自分だって同じことだとわかってますが、悲しみに耐えられません。残りの人生まえに向けて歩いけるでしょか。

有り難し有り難し 26
回答数回答 2

父の突然死

つい先日の8月20日に65歳の父が突然死しました。 私はいつも通り仕事をして、昼御飯を食べ始めようとしていた時に、母から電話が鳴っているのに気付き電話にでました。 母からは「お父さんが息をしていない」の内容でした。 一瞬理解が出来ず、今すぐ行くと言い、実家に駆けつけました。 向かっている途中、母に何度も電話をかけ、出たのは兄でした。 内容を詳しく聞いていると、心肺停止の状態でした。 数日前に私の家族と母と父でご飯を楽しく食べ、父とは一緒にお酒を飲んだばかりだったので、何かの間違いだと自然と涙がでてきました。 実家に着くと救急車が発進するところでした。 母が助手席に乗っており、私が来たことに気づいてないのか、ずっと無表情で遠くをみていました。 その後、病院にすぐ向かい、母と兄と合流しましたが、医者からは「心臓マッサージを続けていますが、非常に反応が鈍いです」「これ以上蘇生を行っても身体を傷つけるだけです」と言われ、兄は止めてくださいと言おうとしましたが、私は父がこれで死んでしまうのが信じられなくて、「あと少し頑張ってください」と言いました。 頭ではもうダメだとわかっていましたが、、、 結局父は戻ってこず、そのまま死を宣告されました。 その後、家族だけの席を設けてくれた時に母が泣き崩れました。 その後はよく覚えていませんが、通夜と葬儀を頭が真っ白になりながら時間だけが進んでいきました。 途中何度も涙が流れて、一番悲しんでいるのは母なので、声をだして泣くことを我慢してきましたが、最後の出棺の時に4歳の子供を抱っこしたまま泣き崩れてしまいました。 もう家に戻ってこないと思った時にさすがに我慢できませんでした。 父とは子供時代の楽しい思い出があまりないですが、私に子供が出来てからは、父との会話も増え、寡黙で頑固な父が「じぃじ」と言ってくる孫と楽しそうに遊び、知らないうちに子供のおもちゃを買ってきてくれたり、もっと生きたいと言っていました。 今は仕事も休み、実家で寝ています。 夜寝るのが恐くて、1日三時間ほどしか寝れていません。突然すぎて、まだ父が近くにいる様な気もします。 ハッキリいって仕事にも行きたくないし、子供と遊んでいても、自然と笑顔になれません。震災が起きて、家族みんな死んでくれたらいいのに、一週間前に戻りたいと思っています。 この気持ちはいつか晴れるものでしょうか?

有り難し有り難し 13
回答数回答 1

ペットを失ってから気づいた

二日前ペットを亡くしました。15歳でした。とても好きだったのですが結婚してから逢いにいくことを避けていました。理由は母の実家が汚すぎること、老いていく姿を見るのがこわかったこと、自分のやりたいことを優先してきたこと。 亡くなって、気がつきました。 自分がやりたいと思っていたことは、あの子の命と比べたら何にもならないこと。音楽や芸術が好きでそれらに夢中になりましたが、心の底では音楽も芸術も私をやすらげてはくれません。 会いに行けば喜んで飛び跳ねるあの子の姿こそが私が愛すべきものでした。 あの時、会いに行っていれば。 毎日会いに行っていれば。 そのことばかり考え、 自分の選択は何もかも間違っていた。 芸術も音楽も文学も私を救ってくれない。 目の前にあることを大事にできなかった。 なんて愚かなのかと思います。 愛犬と向き合うことに逃げてきました。逃げてきたツケの大きさがあまりにも大きすぎ、自殺を考えます。 今まで自分なりに一生懸命自分を愛そうと思って生きてきましたが他人も愛せず、友人もおらず、 旦那が落ち込んでいても共感してあげられず、 つまらないだのくだらないだの心中思い、 そんな旦那は、愛犬を亡くした私を心配してくれます。 私は本当に生きるということがわからないどうしようもないやつで、 自分自身に吐き気がします。 生きていたいような気もしますが、 死んだ方がいいだろうという気がします。 もうあの子に会えない、 なぜあんなくだらない友好関係を優先したのか、 なぜくだらない読書を優先したのか、そのことばかり考えてしまいます。 どうか助けてください。

有り難し有り難し 14
回答数回答 1

母が自殺してしまいました

約2ヶ月前、母が自殺してしまいました。 その経緯ですが、亡くなる数日前、私の家に彼氏が遊びに来ました。 彼氏の帰り際に気づいたのですが、母が前使っていた携帯で、私が彼氏を外まで迎えに行っている間から録音されているのを見つけてしまいました。 嫌だったので隠しておくことにしました。 なので、私が気づいていることに母も気づいていたと思います。 それから様子がおかしくて、何だかいつもの明るさがないように感じました。 亡くなる前日、私はもうやらないと約束してくれればいい思っていたのですが、逆に傷つけてやるという思いもあり、きつく言ってしまいました。 その話をふったら、「知らない」と言われてカチンときて、「軽蔑した」「もう彼氏は家に来ないかもね」と去り際に言って、夜だったので寝てしまいました。 その時の母の顔が忘れられません。 次の日の朝、母は自殺していて、救急車を呼んでも間に合いませんでした。 遺書もありませんでした。 普通とは思えない感情の起伏の大きさや、父や姉が離れていること、職場でのストレスなど、たくさんの理由があったと思いますが、それを一番近くで支えてあげるべきだったのは私だったのに、それどころか苦しめて自殺まで追い込んでしまいました。 母は私が話をする直前まで、今晩は冷えるだろうからと毛布を出しておいてくれたり、私の部屋の観葉植物に水をやってくれていたり、次の日のお弁当用のご飯を炊いてくれたりしていました。 今辛いことは、 ・母がいなくなってしまったこと。 ・1番私の身近で頼りにしていた人が自分のせいで自殺してしまったこと。 ・自分が感じていることを全て話せる人がいなくなってしまったこと。 ・亡くなっている姿を見つけてすぐの景色、様子が忘れられないこと。 ・周りの環境が変わること。 ・お金の問題などの現実的な問題もあること。 ・感情の波があり、周りに迷惑をかけてしまうこと。 ・自分の進路について考える余裕が減ってしまったこと。 ・人に強く言えなくなってしまい、勢いで言ったとしても自殺してしまうのではないかと強い不安を感じること。 ・これからどう生きていけばいいのだろうという漠然とした不安があること。 です。 前向きになれたり、これから生きていく上でのアドバイス、できれば励ましのお言葉が欲しいです。 抽象的ですみません… よろしくお願いします。

有り難し有り難し 48
回答数回答 1

母の突然の自殺 苦しい…

7月19日に母が突然命を絶ってしまいました 73年間風邪すら引かない元気で明るい母でした この2ヶ月で父が突然具合が悪くなり 気の小さい母にはその現実が受け入れられなかったのでしょう… 毎晩介助で睡眠も思う様に取れず疲れきっていました 私はそんな母を心配し毎日通い出来る限りの事をしてきました 難しい手術をしてくれる病院も見つけ、 父も母の為に前向きに頑張ってきました なのに、まさか父の通院中に逝ってしまうなんて… 私たちを見送る母の辛そうな顔が忘れられません あの姿が最後になるなんて… もっともっと励ましてあげれば良かった 現実的な話をし過ぎ母を益々怖がらせてしまった、、 最後の日も母に少しきつい事を言ってしまって… それが最期の会話になるなんて 悔やんでも悔やみきれません 私のせいで母は、、 辛くてしんどくて怖くてどうにもならなかったのかもしれない、、 もっともっと私が気付いてあげれば良かった 毎日傍に居たのに 心配で毎日通っていたのに 私は母を救えなかったんです それどころかあんな広い家で一人ぼっちで逝かせてしまった どんな思いで、、 どんなに寂しかったか… 後悔と喪失感と自責の念でおかしくなりそうです… また50年も仲良く寄り添って来た父を悲しませ、こんな形で傷つけた母を許せない気持ちにもなるんです 辛くて悔しくて哀しくて寂しくて会いたくて 毎日が苦しいです 母は一度も逢いに来てくれません… 今何処にいるんでしょうか、、 何を思っているんでしょうか、、 母のお母さんも同じく自死です… あんなに辛い思いを身をもって経験したのに 何故同じ事を… もう少し頑張って生きて欲しかった 私はどうしたら良かったのか… 気持ちのやり場がなくて地獄のような毎日です、、 母は今どんな気持ちでいるのでしょうか 苦しんではいませんか?

有り難し有り難し 21
回答数回答 1

仏壇にいる母が母だと思えない

お盆前になり、色んな方が母に会いに訪ねてくれています。 初盆ではありませんがまだお墓はありませんので母は家にいます。 皆さん「そろそろ遺影だけじゃなくほかの写真も飾ったら?」や 「お墓に入れてあげたら?」などとアドバイスをくれます。 もちろんずっと家にいるのもかわそうだと思うので、和尚さんに相談してみようと考えています。が私が一人っ子ですのでお墓は建てても将来的に面倒を見きれないと思っています(まだ20代前半で結婚はしていませんが将来結婚しても子供を持つ予定はありません) もしお墓を建てない場合、お骨はどうしたらいいか教えてください。 後、私は今仏壇にいる母が母だと思えません。 でも写真を見ると思い出すと未だに泣いてしまうので母だとは分かっています。写真を変えたら、昔の写真を飾ったら?という母のお友達の意見も分かります。もし私が親友の立場だったら元気な頃の写真を見たいと思います。(母は病死でした) ですが私はもう何年も経っているのにおかしいですが元気な頃の写真でさえ直視できません。ずっと玄関に飾っている写真は見られる程度です。 昔のアルバムなどは辛くて一切見られません。 今年もお盆の季節に母の親友の方が帰られて一緒に過ごす日があるのですが、の際にどの写真がいいか選んでもらえばいいのでしょうか。 「もう何年になるね、」と言われた時、来てくれた方が歳をとって体の不調がではじめたよ、なんて聞く時に私はまだ母の死で止まったまんまなんだ、と感じてしまいます。きっと同じような経験をされても皆さん前に進んでいらっしゃると思います。 ずっとこのような気持ちは持っていくと思いますが、 いつか母に向き合えるのでしょうか。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1