父が先日、66歳で亡くなりました。 末期がんでした。4年間の闘病中も愚痴も言わず、髪がなくなっても明るく頑張ってくれました。 亡くなってから、睡眠薬がたくさん出てきました。ここ数年どれほどつらくて眠れない夜を過ごしたんだろう、もっと寄り添ってあげれば良かった。隣で寝てあげたら良かったと思います。 わたしは2年前に結婚して転勤で隣県に住んでいるのですが月に一度か、帰っていない月もありました。 もっと会いに行っていたら、父とたくさん話していたら。そして、一番の後悔は孫の顔を見せられなかったことです。 結婚して2年、不妊治療しようか、どうしようかと言っている間に父が逝ってしまいました。 20代は仕事が楽しく、結婚妊娠はゆっくりでいいやと思って過ごしていました。 わたしがのんびりしていたせいで、と思って後悔が尽きません。 自分自身は祖父にたくさん可愛がられて育ったのに、自分の子にそんな思いもさせてあげられません。 自分がもっと早く結婚して子供を産んでいたら、と考えると、悔やまれて仕方ありません。 読みにくい文章で申し訳ありません。
3回目の相談になります。 8月20日に65歳という若さで父が睡眠中に突然死しました。 父は母と兄で3人で暮らしていました。 母は数年前にヘルニアにかかり、しばらく介護が必要な状態で、去年あたりから、家事などが自分で出来る様になり、やっと老後を満喫できると喜んでいました。 その矢先に父が突然死しました。 今日の夕方まで母と兄と共に過ごしてましたが、明日から仕事があり、私には家庭があるので、家に帰ってきました。 帰ってきた途端、凄まじい不安にかられました。 母は大丈夫だろうか? 今悲しみの渦の中で号泣していないだろうか? 下手したら自死しないだろうか? 不安です。 家は近いので、少なくとも四十九日が終わるまで、仕事帰りに母の元にいき、週末は子供たちと泊まりに行こうかと思っています。 正直、仕事にも行きたくありません。 出来ることなら母の側にいてあげたい。 でも仕事をしないといけない。 不安に押し潰されそうです。 今後、時間がたてば気は晴れてくるのでしょうか? 拙い文章で申し訳ありませんが、どなたか答えを下さい。 お願いします。
先日85歳の父が亡くなりました。 私は男三人兄弟の三男で父と二人暮らしでした。母は去年暮れ5年施設にいて亡くなりました。17年前両親のために35年ローンで家を購入しました。当時私の収入は月20万で家に14万渡してました、のこりのお金で10年かけて、300万ためて家の頭金にしました。父は48歳で早く会社をやめたので母が頑張ってました。家計は苦しかったと思います。 会社をやめた理由は当時両親仲がわるく母が家に帰らない日があったりで家のことは父がしてました。 父は大企業にいたので年金をもらうようになって、私の収入もあり借金をかえし、生活も楽になりました。長い間くらした父は私の全てでした。父は私のためにがんばってました。長男の住宅ローンの連帯保証人に私がなったのですが、1500万返さず逃げてます。8年間父が返済し、残り700万あります。私が将来自己破産する事は当然としりながら、家を守るために頑張ってました。次男も借金の返済月半分以上出してくれてます。 私は5年前に会社都合で退職し、アルバイトです。 父が死んでしまって、悲しくどうしょうもないです。歳をとれば自然なことでしょうが、自分だって同じことだとわかってますが、悲しみに耐えられません。残りの人生まえに向けて歩いけるでしょか。
2回目の相談になります。 8月20日に65歳の父が突然死しました。 初めは突然の別れに愕然とし、涙が止まりませんでした。 父の死因は「心タンポナーデ」と診断されました。 ネット等で色々調べました。 初めは寝ている時に亡くなったので、本当に突然に、死んだと思っていました。 しかし調べていくうちに予兆があることを知りました。 徐々に進行していくタイプだと、だるさや息苦しさ等が症状としてあるようです。 母が亡くなる2日前ぐらいから体調が悪くなってきていたと言っていました。 たらればを言えばきりがありませんが、しっかり検査をしてもらえば助かったのではないか? なぜなぜ?と、繰り返し後悔しています。 今さら考えても遅いですが、近くにいてやれば、前日に会いにいけていればと、後悔が押し寄せてきました。 後悔をしても遅いと分かっていますが、胸が締め付けられそうで、死んだ父に思わずバカと言ってしまいました。 これから精神的にどの様にして過ごしていけばいいのかわかりません。 どなたか教えて下さい。 お願いします。
つい先日の8月20日に65歳の父が突然死しました。 私はいつも通り仕事をして、昼御飯を食べ始めようとしていた時に、母から電話が鳴っているのに気付き電話にでました。 母からは「お父さんが息をしていない」の内容でした。 一瞬理解が出来ず、今すぐ行くと言い、実家に駆けつけました。 向かっている途中、母に何度も電話をかけ、出たのは兄でした。 内容を詳しく聞いていると、心肺停止の状態でした。 数日前に私の家族と母と父でご飯を楽しく食べ、父とは一緒にお酒を飲んだばかりだったので、何かの間違いだと自然と涙がでてきました。 実家に着くと救急車が発進するところでした。 母が助手席に乗っており、私が来たことに気づいてないのか、ずっと無表情で遠くをみていました。 その後、病院にすぐ向かい、母と兄と合流しましたが、医者からは「心臓マッサージを続けていますが、非常に反応が鈍いです」「これ以上蘇生を行っても身体を傷つけるだけです」と言われ、兄は止めてくださいと言おうとしましたが、私は父がこれで死んでしまうのが信じられなくて、「あと少し頑張ってください」と言いました。 頭ではもうダメだとわかっていましたが、、、 結局父は戻ってこず、そのまま死を宣告されました。 その後、家族だけの席を設けてくれた時に母が泣き崩れました。 その後はよく覚えていませんが、通夜と葬儀を頭が真っ白になりながら時間だけが進んでいきました。 途中何度も涙が流れて、一番悲しんでいるのは母なので、声をだして泣くことを我慢してきましたが、最後の出棺の時に4歳の子供を抱っこしたまま泣き崩れてしまいました。 もう家に戻ってこないと思った時にさすがに我慢できませんでした。 父とは子供時代の楽しい思い出があまりないですが、私に子供が出来てからは、父との会話も増え、寡黙で頑固な父が「じぃじ」と言ってくる孫と楽しそうに遊び、知らないうちに子供のおもちゃを買ってきてくれたり、もっと生きたいと言っていました。 今は仕事も休み、実家で寝ています。 夜寝るのが恐くて、1日三時間ほどしか寝れていません。突然すぎて、まだ父が近くにいる様な気もします。 ハッキリいって仕事にも行きたくないし、子供と遊んでいても、自然と笑顔になれません。震災が起きて、家族みんな死んでくれたらいいのに、一週間前に戻りたいと思っています。 この気持ちはいつか晴れるものでしょうか?
二日前ペットを亡くしました。15歳でした。とても好きだったのですが結婚してから逢いにいくことを避けていました。理由は母の実家が汚すぎること、老いていく姿を見るのがこわかったこと、自分のやりたいことを優先してきたこと。 亡くなって、気がつきました。 自分がやりたいと思っていたことは、あの子の命と比べたら何にもならないこと。音楽や芸術が好きでそれらに夢中になりましたが、心の底では音楽も芸術も私をやすらげてはくれません。 会いに行けば喜んで飛び跳ねるあの子の姿こそが私が愛すべきものでした。 あの時、会いに行っていれば。 毎日会いに行っていれば。 そのことばかり考え、 自分の選択は何もかも間違っていた。 芸術も音楽も文学も私を救ってくれない。 目の前にあることを大事にできなかった。 なんて愚かなのかと思います。 愛犬と向き合うことに逃げてきました。逃げてきたツケの大きさがあまりにも大きすぎ、自殺を考えます。 今まで自分なりに一生懸命自分を愛そうと思って生きてきましたが他人も愛せず、友人もおらず、 旦那が落ち込んでいても共感してあげられず、 つまらないだのくだらないだの心中思い、 そんな旦那は、愛犬を亡くした私を心配してくれます。 私は本当に生きるということがわからないどうしようもないやつで、 自分自身に吐き気がします。 生きていたいような気もしますが、 死んだ方がいいだろうという気がします。 もうあの子に会えない、 なぜあんなくだらない友好関係を優先したのか、 なぜくだらない読書を優先したのか、そのことばかり考えてしまいます。 どうか助けてください。
約2ヶ月前、母が自殺してしまいました。 その経緯ですが、亡くなる数日前、私の家に彼氏が遊びに来ました。 彼氏の帰り際に気づいたのですが、母が前使っていた携帯で、私が彼氏を外まで迎えに行っている間から録音されているのを見つけてしまいました。 嫌だったので隠しておくことにしました。 なので、私が気づいていることに母も気づいていたと思います。 それから様子がおかしくて、何だかいつもの明るさがないように感じました。 亡くなる前日、私はもうやらないと約束してくれればいい思っていたのですが、逆に傷つけてやるという思いもあり、きつく言ってしまいました。 その話をふったら、「知らない」と言われてカチンときて、「軽蔑した」「もう彼氏は家に来ないかもね」と去り際に言って、夜だったので寝てしまいました。 その時の母の顔が忘れられません。 次の日の朝、母は自殺していて、救急車を呼んでも間に合いませんでした。 遺書もありませんでした。 普通とは思えない感情の起伏の大きさや、父や姉が離れていること、職場でのストレスなど、たくさんの理由があったと思いますが、それを一番近くで支えてあげるべきだったのは私だったのに、それどころか苦しめて自殺まで追い込んでしまいました。 母は私が話をする直前まで、今晩は冷えるだろうからと毛布を出しておいてくれたり、私の部屋の観葉植物に水をやってくれていたり、次の日のお弁当用のご飯を炊いてくれたりしていました。 今辛いことは、 ・母がいなくなってしまったこと。 ・1番私の身近で頼りにしていた人が自分のせいで自殺してしまったこと。 ・自分が感じていることを全て話せる人がいなくなってしまったこと。 ・亡くなっている姿を見つけてすぐの景色、様子が忘れられないこと。 ・周りの環境が変わること。 ・お金の問題などの現実的な問題もあること。 ・感情の波があり、周りに迷惑をかけてしまうこと。 ・自分の進路について考える余裕が減ってしまったこと。 ・人に強く言えなくなってしまい、勢いで言ったとしても自殺してしまうのではないかと強い不安を感じること。 ・これからどう生きていけばいいのだろうという漠然とした不安があること。 です。 前向きになれたり、これから生きていく上でのアドバイス、できれば励ましのお言葉が欲しいです。 抽象的ですみません… よろしくお願いします。
祖母が亡くなり4ヶ月。初めてのお盆を迎え、普段会えない家族も集まりお墓参りへ行ってまいりました。 やはり車内で祖母の話になり、皆まだ悲しみを抱えたままなんだなと感じました。 夢の中に出てくるとか、病院での苦しい表情を思い出すだとか。 こちらで私自身の悩みはいくつか相談させていただいたのですが、 そんな同じ悲しみを抱いた身内に対して私は何ができるでしょうか? 私は家族の中で一番歳下なのですが、心強く存在していた親世代や祖父の今を見ることが辛くて。 ご回答よろしくお願い致します。 (余談ですがお墓参りへ行った際、お墓に蜂の巣が作られてしまい、掃除が出来ずお供えだけして泣く泣く帰ってきました。こんな状況でしたので、皆余計悶々としてしまいました…)
7月19日に母が突然命を絶ってしまいました 73年間風邪すら引かない元気で明るい母でした この2ヶ月で父が突然具合が悪くなり 気の小さい母にはその現実が受け入れられなかったのでしょう… 毎晩介助で睡眠も思う様に取れず疲れきっていました 私はそんな母を心配し毎日通い出来る限りの事をしてきました 難しい手術をしてくれる病院も見つけ、 父も母の為に前向きに頑張ってきました なのに、まさか父の通院中に逝ってしまうなんて… 私たちを見送る母の辛そうな顔が忘れられません あの姿が最後になるなんて… もっともっと励ましてあげれば良かった 現実的な話をし過ぎ母を益々怖がらせてしまった、、 最後の日も母に少しきつい事を言ってしまって… それが最期の会話になるなんて 悔やんでも悔やみきれません 私のせいで母は、、 辛くてしんどくて怖くてどうにもならなかったのかもしれない、、 もっともっと私が気付いてあげれば良かった 毎日傍に居たのに 心配で毎日通っていたのに 私は母を救えなかったんです それどころかあんな広い家で一人ぼっちで逝かせてしまった どんな思いで、、 どんなに寂しかったか… 後悔と喪失感と自責の念でおかしくなりそうです… また50年も仲良く寄り添って来た父を悲しませ、こんな形で傷つけた母を許せない気持ちにもなるんです 辛くて悔しくて哀しくて寂しくて会いたくて 毎日が苦しいです 母は一度も逢いに来てくれません… 今何処にいるんでしょうか、、 何を思っているんでしょうか、、 母のお母さんも同じく自死です… あんなに辛い思いを身をもって経験したのに 何故同じ事を… もう少し頑張って生きて欲しかった 私はどうしたら良かったのか… 気持ちのやり場がなくて地獄のような毎日です、、 母は今どんな気持ちでいるのでしょうか 苦しんではいませんか?
お盆前になり、色んな方が母に会いに訪ねてくれています。 初盆ではありませんがまだお墓はありませんので母は家にいます。 皆さん「そろそろ遺影だけじゃなくほかの写真も飾ったら?」や 「お墓に入れてあげたら?」などとアドバイスをくれます。 もちろんずっと家にいるのもかわそうだと思うので、和尚さんに相談してみようと考えています。が私が一人っ子ですのでお墓は建てても将来的に面倒を見きれないと思っています(まだ20代前半で結婚はしていませんが将来結婚しても子供を持つ予定はありません) もしお墓を建てない場合、お骨はどうしたらいいか教えてください。 後、私は今仏壇にいる母が母だと思えません。 でも写真を見ると思い出すと未だに泣いてしまうので母だとは分かっています。写真を変えたら、昔の写真を飾ったら?という母のお友達の意見も分かります。もし私が親友の立場だったら元気な頃の写真を見たいと思います。(母は病死でした) ですが私はもう何年も経っているのにおかしいですが元気な頃の写真でさえ直視できません。ずっと玄関に飾っている写真は見られる程度です。 昔のアルバムなどは辛くて一切見られません。 今年もお盆の季節に母の親友の方が帰られて一緒に過ごす日があるのですが、の際にどの写真がいいか選んでもらえばいいのでしょうか。 「もう何年になるね、」と言われた時、来てくれた方が歳をとって体の不調がではじめたよ、なんて聞く時に私はまだ母の死で止まったまんまなんだ、と感じてしまいます。きっと同じような経験をされても皆さん前に進んでいらっしゃると思います。 ずっとこのような気持ちは持っていくと思いますが、 いつか母に向き合えるのでしょうか。
最近、父が突然亡くなりました。生きる気満々だったのに、色々話すこともできず苦しみながら天国に行ってしまいました。もっともっと話しがしたかったし、一緒に時間を過ごしたかったです。父も多分そうとう悔しく、心残りだったと思います。父は頭がよくて正義感が強く、優しく、我慢強い性格で、家族思いのとても立派な人間でした。こんなに早く、しかも苦しみながら死ぬなんて、可哀想で仕方がなかったです。せめてもっと楽しんで、幸せな老後を満喫していってほしかったです。どうしたら気持ちの整理がつきますか?
先日この場所を知り始めて質問をしました。 1つ回答をいただけたことで少しだけ心が軽くなった気がしました。 また一つ心を軽くできればと質問をさせていただけたらと思います(これも1つの煩悩なのでしょうか) 去年、小学校からの友人の訃報が届きました。私にとっては親友と言える友人でしたがこの20年はお互い環境も変わり年に1度年賀状を送り合い数年に一度メールか電話をするそんな繋がりでした。訃報は友人の奥様から手紙で知らされたため詳しい事はわかりませんでした。 訃報を知り半年以上がたちますが、普段は心に無くても、ふと、心に上がってきて辛く悲しくなる時があります。 いつ、どこで、何が原因で亡くなったのか、どこにお参りに行けばいいのかもわかりません。無くなった友人の知り合いには伝が無く、奥様とも直接の面識はありません。またそのような状況で悲しまれているだろう奥様に聞くのも躊躇ってしまっています。 どのようにして心の整理をつければ良いのでしょうか、詳しい事を訪ねる手紙を送っても良いものなのでしょうか。 話が少しずれてしまいますが、20年ほど昔に良くしてくださっていた叔父を亡くし、10年程前には父が亡くなりました、どちらも未だに思い出し悲しくなる事があります。 叔父、父、そして今回の友人それぞれ夢に出てきた事があります、言葉を交わせたことはありませんがどの夢の時も穏やかな状況で逢えていたので叔父も父も友人も向こうで安らかであってくれればと願っています。 取り留めの無い文になってしまいました、よろしくお願いします。
お坊様にはいつもお世話になっております。 やっと今、言えます。 父が亡くなり三回忌法要も終わり暫く経ちました。 実は父の危篤の知らせがあり、病院に駆けつけた時に父の妹も来ました。 父が息をひきとり、病室で私は父の妹に父が私にだけ言い残した、父の妹に対するマイナスの思い出を叔母(父の妹)にぶつけました。 私は仕返しのつもりでした。 実は祖母が老衰で87歳で亡くなった時に祖母の遺体にしがみつきながら叔母が何を言うかと思えば「おはあちゃんが亡くなったのは○○ちゃんがおばあちゃんに優しくしなかったせいよっ!!」と大声で言い放ったのです。 私は20歳でした。今でもその時の自分の様子を覚えています。キーンと耳鳴りがしました。 祖母はうそをついていて叔父と叔母に私から苛められていると言っていたのです。叔父と叔母は私がいくら「暴力を振るわれているのは私で苛められているのは私だ。」と言っても信じなかったのです。 最終的には人殺し扱いでした。 祖母は老衰で87歳の天寿を全うしたのです。しかも病院で亡くなりました。手厚い看護も受けています。 それから暫くして私は仕事のストレスと家庭での虐待が原因で病みました 中学生の時には祖母の言いがかりについ言い返してしまったらアルミ缶で顔を殴られ、眉間から血が流れました。それでも黙って耐え、一人で病院に行きました。夕食の時に父に「人に怪我をさせておいて謝らない年寄りを何とかしてくれ。」と言ったら父は「相手が年寄りなのによけられないお前がバカだ。」と言われました。 悔しくて涙も出ませんでした。 それでも学校には行かなくてはなりません。気持ちを切り替えて学校に行きました。 父が亡くなった時に叔母に仕返しをしましたが、、気分がスカッとした訳でもなく、落ち込む訳でもなく淡々としていました。 もうこれで叔母との決着はつきました。 お坊様、私は小学校低学年から家で泣くような出来事があっても学校に行くときには自分で自分をなだめて気持ちを切り替えて、学校に行っていました。普通は親が子どもをなだめるのですよね。一般的な人は大人になってから気持ちを自分で切り替えて、、をやると思うのですが、、。 乱文、長文失礼しました。
昨年の10月に私が小学2年生からお世話になって去年までずっと交流があった父のように慕っていた恩師が亡くなりました。 亡くなって半年ほど経ちますが、今だに恩師を思い出しては涙がでてきます。 意識しないように仕事をしようとしましたが、集中できなかったり、喪失感で以前のような踏ん張りややる気が無くなっており、最終的に仕事を辞めてしまいました。 それからは、体調を崩していたのもあってしばらく休んでいるのですが、なにに対してもやる気が出せず、身体が動きません。 無気力、喪失感で何もできません。 涙もふとした時にでてきます。 以前のように前向きになれるように立ち直りたいです。 文章がまとまらず失礼しました。 何かお言葉を頂けると有り難いです。
先日、4年前まで実家で一緒に暮らしていた祖父が癌だということがわかりました。そして今日、あと1ヶ月もつかどうかと宣告されました。 86歳の祖父は農作業が大好きで、殺しても死ななそうなガッチリとした体つきでした。あと、5年や10年はピンピンしていると思っていたので、とてもショックを受けました。 そこで、私は祖父に何かをしてあげたい。という思いが出てきました。しかし、私に何ができるのかわかりません。もっというと、何かをしてあげたいという思いは私のエゴなのではと思いました。 結局のところ、私がしたいようにすればいいのだと思うのですが、祖父の死に向き合うことができません。 祖父の死に向き合う勇気の出る言葉を頂けないでしょうか?
去年の夏、母が病気で亡くなりました。 最近、母が苦しんで倒れる夢や看取る瞬間の夢をよく見ます。 母の死の瞬間を鮮明に思い出してしまい、「人の呼吸が止まって死ぬ」という状況への恐怖や、「もっと早く病気に気付いてあげられたらよかった」「もっと話したかった」という後悔の気持ちなどが溢れてきて、起きた後は長時間泣いてしまいます。 自分の心がまだ混乱している感じがして、どう落ち着かせたら良いのかわかりません。 死とどのように向き合い受け入れていけば良いか、教えてください。
私は12年前に2つ年上の27歳の兄を病気で亡くして、先日十三回忌の法事を行いました。 12年経ってようやく、兄の遺品を片付けようかと実家の母から相談がありました。 しかし、遺品を捨てるということは兄の生きた証を消すこと、心の中の兄を自分の手で殺してしまうことになる気がして処分を決断することができません。 「物がなくても兄は心の中で生きている」とおっしゃってくれるかもしれませんが、私は忘れることが怖いのです。忘れてしまうかもしれない自分が恐ろしい。でもそこに物があれば、より鮮明に覚えておけると思うのです。 でも一方で、ずっと残していると過去に縛られて自分が前に進めない気がして、果たしてそれで幸せに生きられるのだろうかという思いもあります。 私は2歩先を歩いていた兄という道標を失ってから、12年間ずっと時間が止まったままのように感じています。 例えば私が結婚して新しい生活をはじめればその時には遺品を整理しようかな、ということを考えて12年間生きていましたが、 もしかしたら逆に遺品という古いデータを整理して、心にスペース・容量を作らないと新しい生活に進むことができないのかもしれない、と考えるようになりました。 本当はもっともっと具体的な内容で質問を書きたかったのですが(たった1000字しか書けない制限が残念です)、気持ちの整理が追いつかず、話がまとまっておらず申し訳ありません。 遺品の整理という、残された私の心の整理の仕方について、どう気持ちの折り合いをつければよいのか、心の中の兄とどうやって一緒に生きればよいのか、ぜひともお話をお聞かせいただきたいです。
初めて質問させていただきます。 拙い文章ですが読んでいただけると嬉しいです。 現在唯一存命の祖父が長くないと言われました。 最初にその話を聞いたのは3年前のちょうど今頃の時期でした。 当時、祖母が亡くなって2年。一人暮らしを始め、なかなかうまくいって楽しい生活を送っていると聞いていました。 そんな祖父も寄る年波には勝てずそれほど難しくなかったのですが心臓の手術をすることとなり。そしてわずかな確率で併発すると言われていた脳梗塞を発症しました。 あれから3年。 病状も徐々に回復し、リハビリを頑張りそれでも麻痺は残ったため 1人で生活はできなくなってしまいましたが、施設に入り それなりに楽しく生活していました。 しかし先月再度脳梗塞を発症し、今度こそ寝たきりになってしまいました。 そして2週間前。 母からもう余命3ヶ月と伝えられました。 でももしもう一度脳梗塞を発症したらそれより短くなってしまうこともあると言われました。 私は頭が真っ白になり久しぶりに大声で泣きました。 そして私は今祖父母の家にいます。 両親に生後半年の息子を預かってもらって1人で来ました。 幼い頃から休みになるとよく来て遊んだ思い出がたくさんあるこの家に。 寂しくて、悲しくて着いてからずっと涙が止まりません。 祖母の仏壇の前で連れて行かないでくれと泣き、ふとした瞬間に様々な思い出が蘇ってはまた涙しの繰り返しです。 まだ祖父には会えていません。 明日病院にお見舞いに行く予定ですが感情を抑えられる自信がありません。 でも今回の面会が最後になるのは確実です。 後悔がないように、そして最後は笑顔で。 そう考える度に終わりが近いんだと思い知らされまた涙が止まりません。 幼い頃から私達姉弟を文字通り溺愛して1番可愛がってくれた祖父。 大人になってからも会いに行けば昔と変わらず可愛がってくれる祖父でした。 私の結婚も心の底から喜んでくれ、息子の写真も施設の部屋に飾ってくれて。 お盆になったら息子を連れて会いに行こうと話していた矢先の余命宣告でした。 人はいつか亡くなるって分かっていても。 でもその覚悟と気持ちの整理ができません。 どうしたら良いのでしょうか。
先月実母が急逝し、心の在り方、家族の在り方についての悩みです。 本当に突然亡くなってしまい、母を思い出す度に辛いです。 喪失感がいまだに埋められません。 聖人君子とまでは言えませんが、私にとってはかけがえのない優しい母でした。 私の結婚が遅く、孫をわずか一年しか抱かせてやれなかったことが悔しくてたまりません。 母を大切にしていたつもりでしたが、もっとしてあげられた事があったのではないか、なぜ病気の兆候に気付いてあげられなかったのか、と慚愧に耐えない思いです。 私は実家を出て、借家住まいです。(実家から車で30分の距離) 実家は田舎にあり、非常に保守的な地域・価値観で育ちました。 長男は実家を継ぐもの、という価値観が根強く残っています。 然しながら、実家が過疎地なこともあり、我々夫婦の老後や娘の学校を考えた場合、もう少し都市部で生活したく、家族で話し合った上、現在私のマイホームを建築中です(借家近く) 生前母は建築に賛成してくれていました。 資金援助までしてくれたほどです。 父は渋々ですが了承済です。 父は仕事は現役なので収入もあり、生活能力もありますが、やはり一人にすることが心配です。 内心寂しいのではと思います。 隠れて泣いているようです。 現代では一人暮らしの高齢者は沢山居られると頭では解っていますが、夜一人になってしまう父を思うといたたまれない気持ちになります。 私の勤務地と実家が近く、毎日様子を見に行く事は可能です。 丁度私に栄転の話もありましたが断り、せめて現在の勤務地を続けるつもりです。 実姉は独身ですが、激務で週一回の帰省が限界です。 父は予定通りマイホームは建てれば良いと言ってくれますが、父を1人にしたくないという気持ちも出て来てしまいます。 かと言って、実家の地域で暮らすことは、私達夫婦と娘の人生を長い目で考えれば、厳しいと言わざるを得ません。 堂々巡りです。 父は地元にしっかりと根付いており、近所づきあいも深く、友人も沢山いる為、我々の家に父を呼ぶことも難しいです。 私の描いていた未来は、全ては母のおかげで成り立つものだったのかも知れません。 私が母に甘えていたのだと痛感しています。 母のいない寂しさ、今後の家族を思うと不安でたまりません。 ご助言頂けますようお願い致します。
三人兄弟で長姉、次姉は既婚で私は独身です。 半年以上前に親が重病に罹患し余命宣告を受け入院しました。 入院中は、長姉の意向で面会時間中はずっと親に付き添うようになり、平日は長姉と次姉が交代で、土日は私が付き添うようになりました。 完全看護ですが、親が寂しがったり要望に直ぐに応えらように付き添いしているため、ほとんど部屋から出られません。 私も親と少しでも長く一緒に居られるように時間もお金も親優先で頑張ってきました。 幸い、親はまだ生きてくれており嬉しい気持ちでいっぱいです。 しかし、平日は仕事で忙しく帰宅は22時から23時くらいですし、休日は病院の付き添いのため肉体的にも精神的にも疲れてきました。 たまに息抜きしたい気もあるのですが、時間もないのでできません。 長姉に相談してもこんな状況なのに何を言っているのかと怒られます。 親には感謝しており、少しでも長生きして欲しいです。 それなのに休みたい、出かけたいという親不孝極まりない考えが浮かんでくる自分が嫌になってきます。 また、年齢も40歳に近づいてきているため婚活もしたいのですが、現在休止状態になっています。親と過ごせる時間は今しか無いから婚活なんて今するなと長姉にまた怒られます。 病院からの帰り道に遊んで帰って来る方を見かけると本当に辛くなりますし、なんで私はこんな目にと最悪なことを考えてしまいます。 こんな私にアドバイスを頂戴できますでしょうか。