お世話になってます いつもお答えありがとうございます。 おかげさまで母との関係がよくなった気がします。 先日、旧友にメッセージを送る夢を見ました。その子は、女の子で結婚もし子供もいます。 その子に、今更ながらメッセージを実際に送りたい気持ちになっています。 しかし、前回も同じようなことがあり、夢を見たから行動した結果、母と喧嘩になりました。 お告げではないですが、最近夢を見るとその行動をしたくなる衝動に駆られます。 どうしたらこの気持ちと付き合えるのでしょうか? 実際に旧友に手紙書くのはいい事なのでしょうか?
こんばんは。 私は親元を離れて以来、ずっとひとりで生きてきました。 最初の頃は将来への希望があり、漠然と親と同じような人生を送るものだと思っていました。 しかし、会社に入って仕事をすること以外は親と同じようにはなれませんでした。 周囲の人は知らないうちに結婚してたり、あるいはその報告をしてくれる人もいます。 もう、愛すべき子供のいる人もいます。 自分を取り巻く現状を見ると、とても自分が劣っているように思ってなりません。 今まで、全く努力をしてこなかった訳ではないのですが、全く縁はなく、ことごとく失敗しています。 いつも私は見送る側で、見送られる側にはなれそうもありません。 周囲からもお世辞かも知れませんが不思議がられます。 ここまで来ると、なんらかの目に見えない力が働いているのかと思いたくなります。 つきましては以下の2つについてお尋ねしたく思います。 1.この先、劣等感(特に過去に気になっていた人の結婚報告を聞いた時)のような、なんとも言えない心苦しさを和らげるにはどうしたら良いですか? 2.過去に家族が生死の境目にいたことがあり、そのときに自分の幸せと引き換えに助けて欲しいと願い、それが万事かなって元気になったのですが、一度引き換えた自分の幸福は諦めた方が良いのでしょうか? 長くなりましたが、どうかよろしくお願いします。
質問をお読みいただきありがとうございます。 私は特にどこかの宗教に入信しているわけではありません。しかし神社やお寺が好きです。仏教について知ることも好きです。辛い時仏教の本を読んでとても楽になりました。 しかしずっと小さい頃から気になっていることがあります。それは神や仏をどうやって信じたらいいのかということです。 諸行無常や瞑想、四苦八苦、縁など心の働きや実際に起こる現象に関することは納得することができるのですが、極楽浄土や地獄、阿弥陀様など目に見えないものはどうやって信じたらいいのでしょうか。 神様や、非人間的な仏様を「存在しない」とは思いたくないです。いつも神様や阿弥陀様が見守ってくださると思うから今日も安心して過ごすことができました。ですが「じゃあ証拠はどこにあるのか。」「誰か会ったことはあるのか?」と疑問に思ってしまいます。 僧侶の皆様は、神仏をどのように解釈していますか。
また地獄に関する質問です。 地獄って最短でも一兆年位居なきゃいけないですよね? 流石に一兆年経ったら人類滅んでるんじゃないかと思うのですが、、、。 既に地獄に堕ちてる人はどれだけ改心しても2度と人間に生まれ変わる事はない、つまり仏教を学べないから救われないって事になりますよね?
こんにちは。 質問、よろしくお願い致します。 先日、長く暮らした愛犬を亡くしました。 現在は手元供養で、骨壺に入れて自宅に安置していますが、遺骨アクセサリーにも少し遺骨を保管してあります。 私事の素朴な疑問ですが、遺骨アクセサリーを持ち歩くことにより、神社やお寺などで授与していただくお守りのような効果はありますか? 教えていただければ幸いです。 よろしくお願い致します。
スターデイリーのようにキリストに愛の眼差しを受け生まれ変わった方がいる、天使に会い病気の治った人がいる。一方真逆の方もいる。個人個人差があるのはなぜか?お寺にはよくネコがいます。ネコは魔を追い払うのか?うちのニャーは可愛いくて追っ払らわないみたい。私はお化けをみるので。閉塞感閉塞感狭い閉塞感は社会に染みついてる。笑顔をむけて笑顔をむけてまず笑顔をむけてみて、一人から私から楽になろう。眠れない夜中はお坊さんはお経をあげますか?ほんとの朝は4時でしょうか?。私にとって母は天女父はお地蔵様です。幸せは素直に今の環境を受け入れて喜ぶことだと思います。振り返るとできてなかった。今もそんな私もまっいっかとそうしないと歩けない。自分の足下は見えにくい。ネコは膝に乗ってきて可愛い。自分にしてほしくないことを人にするな。戦争始めなくてよいです。習った事がないのがな。痛々しいのをニュース当たり前に流れている観点がズレてます。利益損得は度外視して痛みを分かち合いましょうよ。同じ人間でしょ。どうしたの?私もフラットにいれるときもあり、いれないときもありますね。フラットにいれないときに安心して任せることはなかなかないです。こないだコンビニに行って買い物をするときレジの方がぜんぶしてくれた。ブツブツ言われていたのに愛で支え受けてくれたと思いました。そんなこんなのまいにちです。いまの文章明るい。いまフラットになってる証拠。福祉仏教に助けられると思います。ネコちゃん犬たちもありがとうね(=^_^=)🐺。
母の姉と姉の旦那は数年前に他界してます。 夢の中で母の姉が夢に出てきて『1月24日に旦那が亡くなった。探してる』と話してました。 母は変わっており姉が亡くなった際、葬式にも行きませんでした。 私もほとんど会った事がないので行ってません。 日付を言っており困った顔をしていたので色々これから不安になります。 夢占いを見ていたら余計不安になりました。 故人は何を伝えたかったのでしょう? 回答宜しくお願い致します。
プロフィール後半に少し書かせていただきました。 脳腫瘍があるかも知れないと病院で言われる数日前に昼間家事をしている時に「大丈夫」や別の日に「お焚き上げ」と聞こえてきました。その時は気のせいかと思っていましたが、大丈夫はこの事だったのかと思いました。しかし、お焚き上げが何をお焚き上げするのか全くわかりません。何か考えられる事はございますか。 ちなみに、前の家は飛び出したので45年前に亡くなった父の形見のカメラしか故人の物は持っていません。姉のも母のも写真すらもありません。父のカメラも45年も経っていますし、私は父とは1ヶ月程しか一緒では無かったので違う様な気がしています。 ちなみに、父方の血縁者は39才までで亡くなっています。祖父はわからないのですが、父、おじ、姉は39才で亡くなっています。 私も39才の時に交通事故に遭いましたが足を19針縫うだけで済みました。姓が変わっていた事と亡くなった家族が助けてくれたんではと思っています。 私はとにかく頭部と足の怪我は異常に多いです。物が降ってきたり、ぶつかってきたり。こんなに何事もなく生きているなとも思います。怪我はしますが復活してるので。 5年前に酒に酔いこけた時に前にこけたのですが、右足のふくらはぎに人に掴まれた様な手形みたいな、指のあとみたいなのがついてなかなか消えず最近やっと薄くなってきました。 書いていると今までの不思議をたくさん書いてしまいましたが、わかる部分や思われる部分だけで構いません。 私は子どもの為にまだまだ元気でいなければいけないし、無理かもと思う事も度々ありますが、目に見えない何かには負けたくないと思っています。 よろしくお願い致します。
宗教の創始者もしくは教えに否定されたらこれから生きていくには皆様ならどうすると思いますか?神様は霊なんでしょうか?分かりにくくてごめんなさい。
自分は極悪人の様なので死後、地獄に堕ちます。 今も苦しいですがネット情報によると地獄はそれ以上の苦しみを最短でも1兆年以上服役しなきゃならないらしいですね。 途方もない時間ですが自分は人間界に相応しくない生き物なので頑張って地獄で生活しようと思ってます。 これは余談ですが昨日、地獄の夢を見ました。 自分は薄暗い洞窟の様な場所に居て目の前には魔物さえも近づく事を恐れる線路(恐ろしい何かが通過する所)に立ってました。 自分は地獄から抜け出す為に線路の先にあるトンネルに走ろうとしますが中々辿り着けず恐ろしい何かが警笛を鳴らして走ってくるので素早く安全な所まで逃げました。 逃げ遅れた人達が居たのですが彼らは恐ろしい呻き声を挙げて苦しみ出します。 夢はここで終わりました。 以前から自分は人からよく嫌われるし憎まれ口も叩かれるので薄々、極悪人の自覚はありました。 虫も沢山殺したし、嘘もついたし、悪口も言ったし、今思い返せば人が嫌がる様なちょっかいも出しました。 他にも恐らく自覚してないだけで悪い事をしてるでしょう。 そんな極悪人の私が地獄に堕ちるのですが地獄で生活する際の心得、或いは模範的な生活の仕方があれば教えて下さい。
母は、どうして自ら命を絶ったのでしょうか 例えば人間関係とかお金の問題とか、そういう具体的な理由ではなくて… どんな困難にもへこたれない人もいる中、母はどうして死を選んだのでしょう 強くて優しい母だったのに 私は希死念慮があるので… 死にたい気持ちはわかるのです 自死は、理由ではなく衝動的なものだとも思います だけど 母にあてはめるのはとても難しいというか… 「まさか」としか言いようがなくて… 母は私に希死念慮があるのを知っていたから、 少なからず私が引っ張ってしまったのかもしれない ただ、本当に言えるのは 母はそんなに弱い人じゃなかったから 悩みの理由 ではなくて 死を選んだ理由 が知りたい 100%わからなくてもいい(わかるわけもないのですが…) そこへ向かってしまう気持ちに、皆様の意見によって近づけたら少し救われるような気がします 本当にうまく言えないのですが… 私の抱く「希死念慮」とは違う気がして 理解できなくて 苦しいのです…
6年前に迎えた1羽のうさぎについてです。 先週、体に腫れている部分があり受診した所、癌かもしれないとのことで去勢手術をすることになりました。事前にリスクの説明はありましたが、まあ大丈夫だろうと手術当日も特に声をかけることなく頭を撫でて送り出しました。 その後手術自体は成功したものの、麻酔から目覚めることができず、蘇生も叶わず亡くなりました。 思わぬ別れに涙が溢れて止まりません。 思い出しては泣き、泣き止んでも不意に涙が出ます。 魂は49日まではお家にいるということですが、今もあの子は傍にいるんでしょうか?また、49日を過ぎてしまったら、傍にはいないのでしょうか? お答えいただけますと幸いです。 よろしくお願い致します。
例え何かを為そうとしても、何か努力をしようとしても、自分の人生を生きようとしても、いずれ戦争ですべて奪われます。だから、何を感じるのも苦しい。ずっと泣きながら生きています。 そして、死んでもまたこの世界に生まれてしまいます。自我とは物質的肉体に付随するものでしかありませんし、極楽浄土なんてフィクションの産物にしかすぎません。確かなものは死と絶望と残酷な営みだけです。もしも極楽浄土が本当に存在するならば、この世界中で起こっているありとあらゆる残酷な環境の中に生み出される命に説明がつきません。どうして、戦地や過酷な独裁国家の中に、まだ人は生まれ続けるのでしょう。いつかの自分がファーストペンギンとしてシャチに食い殺される可能性は、この世界が終わるまで永遠に付きまとい続けます。 だから、この人生も、今の平和も、「人類」という営みも、何もかも束の間の嘘でしかありません。この世界の本質は、破壊と暴力と残酷な営みだけです。私達は死んだ後、更に過酷な環境の中に産み落とされる覚悟をしなければなりません。そして、強制的にもたらされる死はもう目前にまで迫っています。 存在しているのが辛い。物質的存在から逃れられない自我が辛い。脳科学的に言えば極楽浄土なんて信じるのも難しい。なぜなら、超常的上位存在なんて本当は居ないからです。あるのは残酷な物質的営みだけ。 ・物質的世界や自我や人類の営みなどといったものは、全てが偶然の産物でしかない ・必然性や何かの意図が介入していないということは、どこまでも無秩序で残酷になるということ ・それでいながら、結局は物質世界から逃れることなどできない。死んでもまた他の生き物の感覚器官が「自分」になるだけ だから、ありとあらゆる平和や慈悲やぬくもりが嘘のように感じられ、「どうしてこんな世界じゃないんだ」と苦しくなります。愚かにも、嘘っぱちな温かいものを望み、「これらが尊ばれる世界であるべき」などと思ってしまいます。その度に、残酷な真実との落差に苦しくなります。何を為すのも、希望を持つのも苦しい。死ぬことで物質的世界から「本当に」解放されるなら、安心して生きられるのに。 どうして極楽浄土を信じられるのですか。こんな残酷な世界で。私は悪くない。世界が悪い。だってこの世界は本当に残酷だから。慈悲や幸福よりも破壊や暴力や不幸の方がずっと大きくて強い世界。
こんにちは。質問お願いいたします。 うちの父は、10年以上前に亡くなっています。 墓はあるのですが、魂入れをしていないので、そうなると現在、魂はどうしているのでしょうか? 今さらですが位牌を作ろうとは思っているのですが、今さら刺激するより、そっとしておいた方がいいでしょうか? (ちなみに、墓守りは私以外に守る人がいません。) お答え頂けましたら幸いです。 よろしくお願いいたします。
神様は、人を嫌いになったりするのですか?シンプルな質問ですが、人を嫌いになったり諸々あったら怖いですどうぞ教えて下さい。
どちらかというと貧しい家庭ですが、きちんとしたお仏壇がありました 父は、毎日朝夕食前には正座をして線香をつけてご先祖様に手を合わせていました 母も毎日お水と炊きたてのお米をお供えし、父に倣って手を合わせていました なのに先日、母は自死を選んでしまいました 父は第一発見者 ご先祖様や仏様が全てを守ってくれるわけではないとわかっているけれど 父も母もあまりに報われないと思いました あんなに真摯に手を合わせていたのにこの仕打ちなのか… 私は、神も仏もご先祖様もないと確信しました このまま父は報われずに死ぬのかな なんだか気の毒だな… 私もずーっと生きてるのがつらい 未来も見えないし、いいことがあるわけないと確信してしまっている だって今までも私も報われなかったから そういう虚しい一家なのです 母は自死 父は母に自死され きっと私にもそんな過酷な運命が訪れるに決まっている 育ってきた環境がそこだし、血筋ですもの もうこれ以上つらい思いを重ねて生きていたくない 報われないのなら
小さい頃、自分はおばあちゃんおじいちゃんと お坊さんが好きだとずっと言っていた記憶を 何気なく思い出したんですが 現在、真言宗様で信心しながら そう言えば介護施設で働いてるなぁと。。。 自分の未来を自分で わかっていた様な。。。たまたまなんでしょうが 少し 自分で不思議に思って 私の昔の言葉は 未来の自分へのメッセージだったんでしょうか? 世の中 白黒つく事ばかりではなく 目に見えない不思議な事がたくさんありますし おきています。 この世はそういう 場所なのかもしれないですね。目に見える事だけが全てではなくて、、、そう思う事がたくさんあります。
本日、背中をさーっと一瞬触れられる感覚がありました。突かれた訳でも叩かれたわけでもなく、さーっと背中に触れる感じです。 霊感はなく、そのような経験も初めてです。 びっくりして振り返ると勿論何もなく、背中側の服が少し捲れてる感じでした。 霊的なものに身に覚えもありません ちょうどその時ある事を悩んでおり、行動に移すかやめておくか考えていたときでした。 どちらを選んでもデメリットがある可能性がゼロでないことで、大体答えは出ていますが、自分の中では100%まで決められず なにかそのことに対するメッセージなのではないかと思ってしまいました。 メッセージだとしたら背中を触れられるのは、その決め事をやめたほうがいいのか、行動していいのかどちらの可能性があるでしょうか。 その瞬間はびっくりしたことで少し怖いと思いましたがすごく嫌な感じまではしなかった気がします。 少し落ち込み気味なので、ただ励ましてくれただけなのでしょうか。 ストレスなどで霊的なものは関係なく、気の所為でしょうか
不思議なことが続いたので、質問します。 私は、有名な稲荷神社の鈴を持っています。厄除けのために買いました。 毎日、一日の終わりに、【今日も平和に健康に、安全に過ごせてありがとうございました】とお礼を言っています。 で、ある日、行ったこともない神社にお参りをする夢を見ました。そこには巨大な白い狐の像があって、不思議だなーと思いながらお参りしました。 そして先日、パソコンのキーボードに200ml以上の水をこぼしてしまいました。絶対にやばい状態だったのに、次の日にはウソみたいに元通りになったんです、。確かにお稲荷さんの鈴に[パソコンを直してください🙏]と、お願いはしましたが、本当になおってしまうなんて…。 この鈴のおかけで危険なことから守ってもらえたことが他にもあります。 不思議な気がしてなりません。やっぱり、お稲荷さんの力でしょうか?
生きていると殺生を完全に避けるのは難しいかと思います。 現在、動物達に生きている間も苦しみをもたらす構造への反対の意味を込めて、食べるものだけでなく身につけるものも含めてヴィーガンの生活をしています。 だけど植物ももちろん生きています。苦痛というテーマに対処するにはヴィーガニズムは妥当だと思われるのですが、殺生への対応が悩ましいのです。 私が精神的に参っていた時に、周囲の人々に私を個人として尊重して貰えたことがとても嬉しくて、自分も愛情ということを大切に生きていきたいと強くおもいました。 だけど集約畜産の話題を通じて日々の避けられない殺生について考えた時、大きな矛盾を感じるようになりました。 私には帰依してる宗教はありませんし、霊能力もありませんが、スピリチュアリティのことは大切に思っています。 なので、私の願いとしては、殺してしまうという、あまりにも莫大で取り返しのつかないように思われることについて、殺されたいのちも助かるようなことがしたいのです。 殺されたいのちにも救済はあると、実感出来る瞬間に出会いたいのです。そのような世界であって欲しいし、そうでないなら近づいて欲しいです。(煩悩でしょうが、諦めたくないのです) 年末に神社の大祓式にも行きましたが、木を切り倒して作っている切麻を振りかけるところが自分に合わず、自分で儀式を設けて定期的に行えばいいのではとも思うようになりました。 季節の変わり目ごとに自分で身を清めてから献血に行くなどしてそれを行うつもりです。 でも、上のことも全部自己保身なのかなとか、殺されたいのちに救済があると考えること自体事態を軽く見てて、甘いのかな、ということも考えてしまいます。 でもこのままは辛いです。いのち達についてそんなのあんまりじゃないかという気持ちもあるし、夥しいほどの殺生を死ぬまで避けられない自分も汚れてるのかななどと思ってしまいます。 ベストを尽くしたいですし、誇りを持てる自分でありたいです。 殺されたいのちと、自分自身に対して、どう向き合うのが誠実で、愛なのか、ご助言を頂きたいです。 建設的なものに集中したいので、できれば、厳し目のお言葉は控えていただければありがたいです。 また、もし霊の見える方がいらっしゃって、日常的な殺生について何か視えたことやお考えなどありましたら、どうぞお聞かせください。