こればかりは自分の力ではどうしようもないとわかっています。 しかしながら、いつか来るであろう大地震について調べれば調べるほど恐怖を感じてしまい、 それが仇になり不安が募って今では身体にまで影響を及ぼし始めています。 自分に出来ることはしなきゃと考えて防災グッズなどを購入したりしました。 ですが、いつ来るか分からない恐怖感から逃れられず、夫にも正直に話してみましたが結局また不安が満ちてきてしまい、どうしたらよいものかと考えています。 切り替えていこう思っていますが、なかなかうまくいかず、このままでは子育てにも影響が出てしまうのではないかと思い、こちらに相談させて頂きました。
昨日出産し、1ヶ月の長女がいます。 上の子は男の子。 待ちに待った女の子で、妊娠前から次女の子とだったらこの名前にしたいね、と主人や母と名前を決めていました。 そして妊娠、性別発覚し、ずっとその名前でお腹にも呼びかけていたのですが、軽い気持ちで姓名判断をしたところ(本やネット)悪い結果ばかり… 思い直して違う名前を考えたのですが、思いや願い、意味等、姓名判断以外は全てもとの名前以上の名前が出て来ず… 主人や周りは姓名判断は気にしないタイプなので、もう姓名判断は切り捨てようと元の名前に決めました。私も、知らない誰かが判断したことより、信頼する周りの意見を信じよう、と決めました。 ですが、いまだにこれで良かったのか、重いものを背負わせてしまったのではないかと後悔し、不安や罪悪感に押しつぶされ、鬱になりかけています。 どうすればこの問題が解決出来るか悩んでいます。
よろしくお願いいたします。 元旦那から再度息子を引き取るにはどうしたら良いですか? 姉の子供(3歳)の話ですが、最近父親に引き取られることになりました。父親は子供の頃から霊感があり、姉や家族に不幸なことがあると除霊後、気を失って倒れたりしてるぐらいです。 姉側の環境が良くないやこのままだと息子が不幸になるなどと言い引き取られることになってしまいました。 息子がどうも家族のために悪いものを自ら吸い込んでしまうらしく、その度に父親(元旦那)が来て除霊してを最近まで繰り返してました。 その度に姉は怒られて、しかも何も言い返せず、厳密にいうと元旦那のことを先生みたいに思ってるところがあるので逆らうとかはないです。 姉のことを信者と思ってしまう反面、息子との距離を引き裂かられしまうところを見ると可哀想でなりません。 どんなことでも良いのでアドバイスをお願いいたします。
この前大阪で地震がありましたよね。 SNSで「東日本大震災の17倍になるかもしれないと国から出ている」 という投稿を見ました。 死ぬかもしれないと思うと怖いです。 私は中学生のうちに死んでしまうのでしょうか。
いつもありがとうございます。 私は体調を崩し、6月いっぱい仕事を休職しております。ストレスでいっぱいになっていたようです。どうき、漠然とした不安、胸のざわざ感。 薬を飲むようになり落ち着いてきました。 来月から元の職場に戻ります。 ふと思ったのですが、今回の体調不良、休職等々 もう別の道を選びなさいということのように思えてなりません。 しかし、ここで違う道に進むにしろ今の仕事を投げ出していくような感じでスッキリしません。 人生の転換期、こういった前兆や感じ方が出てくるものですか? わかりづらい文章ですみません、宜しくおねがいします。
いつもお世話になり誠にありがとうございます。また疑問に感じることがありまして、質問をさせていただきます。 良きアドバイスを頂けたら幸いに思います。 ニュースなどで無差別殺傷事件や大きな自然災害のニュースなどが報道されており、テレビを見るたびに暗い悲しい気持ちになる今日この頃ですが、、、。 そういった悲惨な出来事に、仏様のお慈悲は届かないものなのでしょうか? もし神様や仏様が本当にいらっしゃるならば、そういった悲しい出来事は起こらないようにも思うのですが。 良きアドバイスを頂けたら幸いに思います。よろしくお願いいたします。
先日、東海道新幹線の車内で勇敢な男性が亡くなりました。 私は全くの他人ですが、とても悲しくなりました。 逃げれば恐らく助かったでしょう。でもそうすれば、目の前の女性は亡くなってしまうという状況のなかで、咄嗟に犯人に立ち向かっていける強さは崇高なものだと思います。 それと同時にこのような気高い人物が命を奪われてしまうという現実の恐ろしさに打ちのめされています。 しっかりとまじめに生きてきて、楽しみもやりたいこともたくさんあったはずなのに、死ななくちゃいけなかった理由はなんですか。 自分の命より人の命を守ることは素晴らしいことですか。 私の夫が被害者の方と同世代なので、奥様の気持ちを考えてしまって苦しいです。 情けなくても、みっともなくても生きて帰ってほしかったと思ってしまうのは、身勝手なのでしょうか。
私の父親は、私が幼い頃他の女性の所に行ってしまいました。 私の母親は、妻子のある方と不倫をしていましたが、相手の男性に突然自殺をされてしまいました。 そして私は今、1人で子供を産んで育てています。 なぜか、家庭に、家族に恵まれません。 幼い頃から孤独でした。 ただただ、普通の家族に憧れていました。 一つ屋根の下、家族でご飯を食べる。 たったそれだけの事に憧れていました。 贅沢な暮らしをしたいわけじゃない。 ただ家族が欲しかった。 なぜ私の元には寂しいことばかり起こるのでしょうか。 私の子供もまた、私と同じ運命をたどっている気がしてゾッとします。 これは何かの力が働いているのでしょうか。 私がそう思わなければ心が保てなくて、そう思いたいだけなのでしょうか。 孤独だった私に唯一できた家族。 愛しい子供。 せめてこの子だけは私とは違う人生を歩んでほしい。 私はもう何も望むことはないので、この先私に起こるはずだった幸せ全てを子供にあげたい。 家庭や家族に恵まれない連鎖を私で断ち切ることができるのでしょうか。 何か知恵をお貸しください。 お願いします。
生きた方が 幽体離脱のまま 好きな場所に移動したり できるんですか? 亡くなられた方ではないと思うんですが 誰かによく 背中を叩き起こされます。 そんな事ってあるわけないじゃん って思いたいんですが 絶対死んでない方なんだと思うんです ある意味 亡くなられた方の方がまだいいと思うんですが 誰かわからないので 怖いです。 笑うしかないような でも嘘じゃなく人の手の感覚が あるんです。
おはようございます。 相談というかお礼です。 最近、1週間ぐらい職場の近くのお寺さんに通ってます。 入口の所に阿吽仁王像があって それを見てると、とても癒しになります。 仕事に行く前と休憩中に見に行ってます。 とても落ち着いて嫌なことを忘れられます。 ありがとう。感謝です。
約10年前に妹から紹介され、名前と生年月日を見るだけでその人のことが見えるという評判のスピリチュアルの方のところに行きました。 当時妹は子供が欲しいと相談に行った所、もうすぐにでも妊娠しますよ。と言われ翌週に本当に妊娠が発覚しました。また子供は3人できると言われ、本当に3人産みました。その他にも当たっていることが多々あります。 そして私がその方に言われたことですが、将来パートナーはできるけど子供は…いない。見えない。と言われました。当時はまだ結婚願望もなく子供が欲しいとも考えていなかったので、何も思いませんでした。 しかし昨年結婚し、子供が欲しいと思うようになりました。幸い妊娠することができたのですが、ふと10年前に言われたことを思い出してしまいました。その方はできないとは言いませんでした。いないと言いました。確かに妊娠はしました。しかし今現在まだ妊娠6周目で、流産の可能性も高い時期です。 妹のことがピタリと合っていたので、どうしても子供はいないと言われたことが頭をよぎり、不安になってしまいます。 気にしないことが1番だとわかっているのに、考えてしまい、お腹の赤ちゃんに申し訳ないです… どうすれば余計なことを考えずに済みますでしょうか? よろしくお願い致します。
初めて質問させていただきます よろしくお願いいたします 私は集合住宅に住んで居ます 高い建物のせいか 飛び降り自殺が後を絶ちません 住民であったり ただ死に場所を求めて来られた方だったり 年に1度かそれ以上おきています 家はリラックスする場所 仕事から帰って安心できる場所なのですが そんな自宅が自殺の名所のようになっています これまでも 遺体を見てしまうことが数回ありました 見ていなくとも 「また死んだんだって」と親切な方が教えてくれて知らされることも多々あります その度に とても重苦しい、嫌な気持ちになります 友人と遊びに出かけ夜に帰宅すると やはり転落した現場を歩くことや 最期に掴んだ手型をのこして 飛び降りた手すりの横を歩くことが苦痛です 同じ建物の住人で 人となりを知っていたら少しは どう生きて悩み命を絶ったのだと思うことができるのですが 全く見ず知らずの どこのどなたかわからない方がやって来て 自宅の玄関前から飛び降りて その下で身体が壊れ飛び散っている姿を目の当たりにするのは とても嫌なのです 電車の人身事故で 運転見合わせの度に怒り 舌打ちする人に冷酷さや嫌悪感を抱くくせに 自宅の前で自殺されると 「なんで家の前から飛び降りるの」だとか 「死にたいなら自分の家で…」などと思ってしまい そんな自分にも非情さを感じます とても薄気味悪い 嫌な気持ちでいます 落ち着くはずの家で 色々な出かける予定があっても 自殺の起きたあとは夜の外出が嫌で断ったこともあります 数年前に母が亡くなったときや 仏壇を選ぶときに 死とは忌み嫌うことではないと 住職さまのお話を聴きました その直後に起きた自殺のときは 何故か 怖いだとか気味が悪いという感情がなく 「あの方は精一杯生き、自分を守りたいがゆえに命を絶った、それほど苦しみながら生ききったのだ」という感覚でした 挨拶を交わしていた住民の方だったからかもしれません それなのに この度の 自宅前からの頭の無いご遺体の姿が 焼き付いてはなれません 迷惑だという憤りより 地縛霊などと噂され心を乱されること 夜の外出が嫌になる感覚や恐怖心 生活や日常があるのに ままならなくなることが苦痛です この先も それを止めることはできないでしょうが 心がざわつくのを どうしたら良いでしょうか
今まで、イジメ、パワハラなどを他者から虐げられる日をすごし、 結果、心の病として現在静養しております。 しかし、静養するうちに、ふと気になったことがあり、悶々としていることがございます。 「今まで他人からいじめやパワハラで虐げられてきたのに、 自分と同じ、またはそれ以上の苦しみを持つ人を救いたい。 そのためにも神仏に手を合わせ拝み、請い願い、些細なことでも善行を積もうとすべく、功徳を積もうとする」のは、 己のエゴなのしょうか? よろしくお願いいたします。
わたしは、もともと運のある人間だと思っていました。これまで、大した苦労もしていなかったですし、細々としたことですが、危ない目にあっても、ちょっとの差で切り抜けて、「あー、よかった」と思うことが多かったです。 小さいころから祖父母の家には仏壇と神棚、庭には社があります。祖父母の家に行った際や、行事ごとにお祈りをしていました。そのため、神仏は生活の一部で、深く考えることもなく大人になりました。 そんな中、1年ほど前、図書館で神仏についての本を借りました。キリスト教と仏教についての本でした。私はそれを読み、神仏というものは、人が造り出したもので、実際に存在はしないのだろうと解釈しました。その時に、神仏を自分の中で否定しました。 ただ、それを信じているひとたちを否定するとかではなく、自分の考えとして、神仏はないのだろうなと思いました。人は死ねば「無」だろう。お墓もいらない。ご先祖様に祈りはしますが、実際に届いているのかは・・どうなのだろう。といった感じです。 お墓参りやお仏壇、社、神棚へのお参りは生活の一部のため、ずっと してきてはいます。ただ、祈っていても、気持ちにブレがありました。 それから、なんとも思わず生活していたのですが、1年後の今、振り返ってみると、散々な年でした。流産を含む入院手術2回、旦那のうつ、旦那の仕事の不振、私の為替不信、父母の病気の発覚などです。 神仏否定でそのようなことになったのかと言えば、そうではないかもしれませんが、人生を振り返ってみたら、「目に見えない何かに絶対に守られていた自覚はあるのです」私が間違っていたのだなと今、自覚しています。 こんな私でも、今からでも神さま、仏さまは受け入れてくれるのでしょうか。 よろしくお願いします。
縁結びのお守りが先週の金曜にひもがほどけて取れました。 これは何か守ってくれたとか願いが叶うということなんでしょうか? それとも不吉なことが起きる警告でしょうか?? 願いが叶ってくれれば良いのですが…
いつもありがとうございます。 今回の質問は差別や偏見だとお叱りを受けるのを覚悟でそれでも知りたいと思い、書かせて頂きます。 私は保育園の頃、知的に遅れのある子のサポート役を先生からお願いされ、運動会などの行事の時にその子の隣で見本を見せたり、歩くタイミングを教えたり、一緒に二人三脚をしたりした事があります。 それは関係ないのかもしれませんが、大人になってからは知的障害者や(偏見かもしれませんが)見た目や動きがちょっと怪しい人に、目をつけられる事が多々あります。 独身の時に働いていた会社では、軽度の知的障害者の方に気に入られたようで、退勤時間に待ち伏せされ後をつけられたり、私が休みの日に私の職場にわざわざ来て私のひざ掛けの匂いを嗅いでいたり、ストーカーまがいの事をされた事があります。 他には、お店などでそういった方に出会すと、何故かジーっと見られ、何をされるのか分からないという恐怖で、すかさず見えないところへ移動しても、何故か見つかってしまいずっと追いかけられたり、商品の棚越しにジーっと見られたりして買い物どころではなくなってしまいます。 今は一人でいても家族といても、そういった方に目をつけられてジーっと目を離さず見られたり、ついて来たりするので子供が怖がっている時もあります。 お店には他のお客さんもたくさんいるし、知り合いでもないのになぜピンポイントで私なのだろう?といつも不思議で仕方がありません。 身近に知的障害者の方がいないので、私にはその方達がどんな事を思ってそういった行動に出るのか、私には分かりません。それにいつも男性の方です。 私の何かがそういった方を引き寄せているのでしょうか?見えない物が見えているからジーっと見てついてくるのでしょうか? 今後またそういう方に出会った時に、どうしたらいいのでしょうか?
次の文章は、「シュタイナー 魂について」(ルドルフ・シュタイナー著 高橋巖 訳 春秋社)の一節です。 人間の魂は輝く月に似ている。しかしその輝く光を月は太陽から受け取っている。人間の魂は水に似ている。その水は、それ自身では冷たくも温かくもなく、熱を火から受け取っている。人間の魂は高次の動物魂に似ている。しかしそれが人間の魂でありうるのは、その光を人間の霊から受けとるからなのである。 シュタイナーは、シャタイナー教育を提唱した人で、読み進めるには難しいです。 この一節から、人間は影響を与え合うことで、魂を高めるということだと理解しました。前の文脈から引いてこないと分かりづらいとは思いますが・・・ いろいろな人がいていい。どんな光を受けとるか。そう考えると、技術が発展して、人間にとって都合のいいように外界世界を操作(著者の考えにあっていないかもしれませんが、霊を操作する)と、せっかくの魂の向上が妨げられるのではないかと考えました。 仏教では、どのように考えますか?
スポーツをしている息子なので、ケガをするのは仕方ないというのは、人からも言われるし、頭でも理解はしているつもりです。 ただ、高3の1日でも大事なこの時期に、またケガをしてしまい、ネットで検索していると、スピリチュアルな意味があると。 自分の先に不安があるとか、自信がないとか。 そんな時にケガをするとも記載されているのですが、今までのケガは、むしろ自信がもてたり、頑張ろうと、前向きな時のが多いので、あてはまらないかなと。 毎朝、神棚に手を合わせて、息子は出掛けますし、私も息子がケガをしないように、神棚に手を合わせています。 試合の時は、以前何かでみたので、実行していて、玄関の掃き掃除をして、トイレ掃除もします。 早朝の場合も、行っています。 なんだか、いろんな事が無意味なのかとすら思ってしまうし、神様は聞き届けてくれないのかとも思ってしまいます。 大きな望みでもなく、『ケガをしないように、痛みがでないように、努力した分だけ結果がでますように』と、それだけなのですが。 ケガをしないで、活躍も出来ている子の親と話しても何が悪いか、よくは分かりません。 なにが、よくないのでしょうか。 また、どう考えたらいいのでしょうか。 またこの先、ケガ完治まで辛い日々を考えると。 親がしっかりしなければ、息子はもっと辛いと。 それも頭ではわかります。 ただ、それでそうですねと、切り替えられる強さもなく、ケガの頻度も少ない訳ではなく、時間もないのです。 1、2週間で完治の怪我であれば、なにも思いませんが、今回もそれでは済まないだろうと。 高校生活まだ終わっていませんが、ケガでの中断時期を合わせると、半年になるのではと。 ふまえて、どう考えたら、前向きになれるのか、ご教示ください。
いつもお世話になっております。 お大師様の逸話や様々な歴史的資料を読んでいると、 「ある行者さんが滝行で意識不明になるも、矜羯羅童子と 制咜迦童子に介抱されて蘇生した」 「お大師様が邪僧から逃れていた善女龍王を保護、また水瓶に監禁 されていた他の龍神を救出」 「あるお坊様が道を歩いていた時に自分の前を歩いていた のが実は阿弥陀様で、『遅いぞ〇〇』と声をかけられた」 など、あたかも太古の昔に神や仏が生きていたかのような描写を 見受けることがあります。 また、直近の話では、ある動画配信者の方が幼い頃川で溺れ、 もう駄目だと思っていた刹那、何者かに岸に放り出され謝礼を しようと周りを見ても足跡すらなく、水中にも何者の影も 見えなかった。 これは個人的にはその川には龍神様がお住まいになっていて その方を助けてくださったのでは?と考えています。 実際のところはどうなのでしょうか?神様仏様はこの世に 実際にいたのでしょうか? ふと気になりました、ご意見お待ちしております。
先日、同居していた父が突然死しました。 前日まで畑仕事を元気に楽しみ、医者からもどこも悪いとこないし、健康だと言われてました。75歳です。 しかも、亡くなる前日、母方の祖母が亡くなったと連絡があり、葬儀に行く準備をしてました。その翌朝に、父が起きてこなくて冷たくなっていました。 祖母は、いつも私達の幸せを願っていてくれる優しい祖母でした。父を連れてったとは、とても思えませんが、なぜ?次の日に?? いつかは父も死ぬ。お別れが来る日があることを常に考えたりもしはじめてはいましたが。 なぜ?なぜに、祖母の次の日?? これは、どういう意味なんでしょうか?? もちろん、父も母方の祖母の死はショックではあったようですが、祖母は91歳で、体調も良くなかったから、ある程度の覚悟はあったはず。 そして、私の母は、実母と旦那を連日亡くし、かなり衰弱しております。 どうか、母のためにも、お言葉を下さいませ。