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「運命・見えない力」を含む問答(Q&A)一覧

スピリチュアルの方に言われたことについて

約10年前に妹から紹介され、名前と生年月日を見るだけでその人のことが見えるという評判のスピリチュアルの方のところに行きました。 当時妹は子供が欲しいと相談に行った所、もうすぐにでも妊娠しますよ。と言われ翌週に本当に妊娠が発覚しました。また子供は3人できると言われ、本当に3人産みました。その他にも当たっていることが多々あります。 そして私がその方に言われたことですが、将来パートナーはできるけど子供は…いない。見えない。と言われました。当時はまだ結婚願望もなく子供が欲しいとも考えていなかったので、何も思いませんでした。 しかし昨年結婚し、子供が欲しいと思うようになりました。幸い妊娠することができたのですが、ふと10年前に言われたことを思い出してしまいました。その方はできないとは言いませんでした。いないと言いました。確かに妊娠はしました。しかし今現在まだ妊娠6周目で、流産の可能性も高い時期です。 妹のことがピタリと合っていたので、どうしても子供はいないと言われたことが頭をよぎり、不安になってしまいます。 気にしないことが1番だとわかっているのに、考えてしまい、お腹の赤ちゃんに申し訳ないです… どうすれば余計なことを考えずに済みますでしょうか? よろしくお願い致します。

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面識の無い方の自殺を目撃しました

初めて質問させていただきます よろしくお願いいたします 私は集合住宅に住んで居ます 高い建物のせいか 飛び降り自殺が後を絶ちません 住民であったり ただ死に場所を求めて来られた方だったり 年に1度かそれ以上おきています 家はリラックスする場所 仕事から帰って安心できる場所なのですが そんな自宅が自殺の名所のようになっています これまでも 遺体を見てしまうことが数回ありました 見ていなくとも 「また死んだんだって」と親切な方が教えてくれて知らされることも多々あります その度に とても重苦しい、嫌な気持ちになります 友人と遊びに出かけ夜に帰宅すると やはり転落した現場を歩くことや 最期に掴んだ手型をのこして 飛び降りた手すりの横を歩くことが苦痛です 同じ建物の住人で 人となりを知っていたら少しは どう生きて悩み命を絶ったのだと思うことができるのですが 全く見ず知らずの どこのどなたかわからない方がやって来て 自宅の玄関前から飛び降りて その下で身体が壊れ飛び散っている姿を目の当たりにするのは とても嫌なのです 電車の人身事故で 運転見合わせの度に怒り 舌打ちする人に冷酷さや嫌悪感を抱くくせに 自宅の前で自殺されると 「なんで家の前から飛び降りるの」だとか 「死にたいなら自分の家で…」などと思ってしまい そんな自分にも非情さを感じます とても薄気味悪い 嫌な気持ちでいます 落ち着くはずの家で 色々な出かける予定があっても 自殺の起きたあとは夜の外出が嫌で断ったこともあります 数年前に母が亡くなったときや 仏壇を選ぶときに 死とは忌み嫌うことではないと 住職さまのお話を聴きました その直後に起きた自殺のときは 何故か 怖いだとか気味が悪いという感情がなく 「あの方は精一杯生き、自分を守りたいがゆえに命を絶った、それほど苦しみながら生ききったのだ」という感覚でした 挨拶を交わしていた住民の方だったからかもしれません それなのに この度の 自宅前からの頭の無いご遺体の姿が 焼き付いてはなれません 迷惑だという憤りより 地縛霊などと噂され心を乱されること 夜の外出が嫌になる感覚や恐怖心 生活や日常があるのに ままならなくなることが苦痛です この先も それを止めることはできないでしょうが 心がざわつくのを どうしたら良いでしょうか

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一度神仏を否定しました。こんな私に・・・

わたしは、もともと運のある人間だと思っていました。これまで、大した苦労もしていなかったですし、細々としたことですが、危ない目にあっても、ちょっとの差で切り抜けて、「あー、よかった」と思うことが多かったです。  小さいころから祖父母の家には仏壇と神棚、庭には社があります。祖父母の家に行った際や、行事ごとにお祈りをしていました。そのため、神仏は生活の一部で、深く考えることもなく大人になりました。  そんな中、1年ほど前、図書館で神仏についての本を借りました。キリスト教と仏教についての本でした。私はそれを読み、神仏というものは、人が造り出したもので、実際に存在はしないのだろうと解釈しました。その時に、神仏を自分の中で否定しました。  ただ、それを信じているひとたちを否定するとかではなく、自分の考えとして、神仏はないのだろうなと思いました。人は死ねば「無」だろう。お墓もいらない。ご先祖様に祈りはしますが、実際に届いているのかは・・どうなのだろう。といった感じです。 お墓参りやお仏壇、社、神棚へのお参りは生活の一部のため、ずっと してきてはいます。ただ、祈っていても、気持ちにブレがありました。  それから、なんとも思わず生活していたのですが、1年後の今、振り返ってみると、散々な年でした。流産を含む入院手術2回、旦那のうつ、旦那の仕事の不振、私の為替不信、父母の病気の発覚などです。  神仏否定でそのようなことになったのかと言えば、そうではないかもしれませんが、人生を振り返ってみたら、「目に見えない何かに絶対に守られていた自覚はあるのです」私が間違っていたのだなと今、自覚しています。  こんな私でも、今からでも神さま、仏さまは受け入れてくれるのでしょうか。 よろしくお願いします。

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何が彼らを引き寄せるのでしょうか

いつもありがとうございます。 今回の質問は差別や偏見だとお叱りを受けるのを覚悟でそれでも知りたいと思い、書かせて頂きます。 私は保育園の頃、知的に遅れのある子のサポート役を先生からお願いされ、運動会などの行事の時にその子の隣で見本を見せたり、歩くタイミングを教えたり、一緒に二人三脚をしたりした事があります。 それは関係ないのかもしれませんが、大人になってからは知的障害者や(偏見かもしれませんが)見た目や動きがちょっと怪しい人に、目をつけられる事が多々あります。 独身の時に働いていた会社では、軽度の知的障害者の方に気に入られたようで、退勤時間に待ち伏せされ後をつけられたり、私が休みの日に私の職場にわざわざ来て私のひざ掛けの匂いを嗅いでいたり、ストーカーまがいの事をされた事があります。 他には、お店などでそういった方に出会すと、何故かジーっと見られ、何をされるのか分からないという恐怖で、すかさず見えないところへ移動しても、何故か見つかってしまいずっと追いかけられたり、商品の棚越しにジーっと見られたりして買い物どころではなくなってしまいます。 今は一人でいても家族といても、そういった方に目をつけられてジーっと目を離さず見られたり、ついて来たりするので子供が怖がっている時もあります。 お店には他のお客さんもたくさんいるし、知り合いでもないのになぜピンポイントで私なのだろう?といつも不思議で仕方がありません。 身近に知的障害者の方がいないので、私にはその方達がどんな事を思ってそういった行動に出るのか、私には分かりません。それにいつも男性の方です。 私の何かがそういった方を引き寄せているのでしょうか?見えない物が見えているからジーっと見てついてくるのでしょうか? 今後またそういう方に出会った時に、どうしたらいいのでしょうか?

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ケガの意味

スポーツをしている息子なので、ケガをするのは仕方ないというのは、人からも言われるし、頭でも理解はしているつもりです。 ただ、高3の1日でも大事なこの時期に、またケガをしてしまい、ネットで検索していると、スピリチュアルな意味があると。 自分の先に不安があるとか、自信がないとか。 そんな時にケガをするとも記載されているのですが、今までのケガは、むしろ自信がもてたり、頑張ろうと、前向きな時のが多いので、あてはまらないかなと。 毎朝、神棚に手を合わせて、息子は出掛けますし、私も息子がケガをしないように、神棚に手を合わせています。 試合の時は、以前何かでみたので、実行していて、玄関の掃き掃除をして、トイレ掃除もします。 早朝の場合も、行っています。 なんだか、いろんな事が無意味なのかとすら思ってしまうし、神様は聞き届けてくれないのかとも思ってしまいます。 大きな望みでもなく、『ケガをしないように、痛みがでないように、努力した分だけ結果がでますように』と、それだけなのですが。 ケガをしないで、活躍も出来ている子の親と話しても何が悪いか、よくは分かりません。 なにが、よくないのでしょうか。 また、どう考えたらいいのでしょうか。 またこの先、ケガ完治まで辛い日々を考えると。 親がしっかりしなければ、息子はもっと辛いと。 それも頭ではわかります。 ただ、それでそうですねと、切り替えられる強さもなく、ケガの頻度も少ない訳ではなく、時間もないのです。 1、2週間で完治の怪我であれば、なにも思いませんが、今回もそれでは済まないだろうと。 高校生活まだ終わっていませんが、ケガでの中断時期を合わせると、半年になるのではと。 ふまえて、どう考えたら、前向きになれるのか、ご教示ください。

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家系の因縁に囚われ、家庭を築いてはいけないのでしょうか?

私は家庭を持ちたいなと思っていますが、諸条件を考慮して現在は諦めています。 ・自分自身が原因不明の体調不良であること(お医者さんが原因不明と言っているだけで、私の中では何となく原因は分かっています)で、パートナーをはじめ、家庭を守れないと思うから。 ・祖母が母に嫌がらせ(嫁姑問題)があり、未だに母の中で気持ちの整理ができていない。同じことを繰り返すかもしれないから。祖母は、祖母の兄妹や姪にも嫌がらせをしていました。 (世の中に対して思うこと) いろいろな本を読んだり、仕事上様々な家庭を見たり、私自身の家系から学んだりしたことです。より正確な真偽を見極めるためには、社会科学から自然科学まで幅広い分野の文献に当たる必要があります。現在の一個人の意見として書かせていただきます。 ある本で、「嫁姑問題は家運を下げる」というのを見ました。これは、昔の家制度や家長制度があった時代に先人が導き出した教えだと思いますが、男女平等社会になりつつある現代では、婿舅争いや夫婦喧嘩も含まれると個人的には考えています。 争いはストレスになります。家系内で、様々な争いが起きるほど、子どもがストレスを感じます。家系内の子どもが少なければ少ないほど、一人の子どもが抱えるストレスは大きくなります。家系の価値観による認知の仕方によっては、本人の中から生じるストレスもあります。 生体内には、ストレスに対処する仕組みは様々あります。ただ、生体が処理できる量には限界があります。仮に、その量に個体差がないとした時、家系内に生じるストレス量が大きければ大きいほど、社会から受けられるストレス量は少なくなります。社会からのストレスも大きいです。上の立場になればなおさらです。よって、子どもが健康で社会で活躍できることを望むなら、まずは大人の人間関係を考えるべきだと思います。 皆が人権を保証された生活を送ることができるようにするなら、より良い考え方にするための治療を個人に、必要があれば家系に専門家が提供する必要があるかと思います。 家系の責任にするなら、もしストレスにより犯罪者になったり、精神疾患者になったりした家系は、必要があれば避妊手術をするという優性思想が生じるのかなと思います。誰が判断するかという問題はありますが。 不幸になる人を減らしたいという思いで、現在の考えを書かせていただきました。

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