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「運命・見えない力」を含む問答(Q&A)一覧

ヌミノース体験について

私は、今スペインの大学院で、宗教学について学んでおります。 お恥ずかしい事に、日本に住んでいるときはあまり仏教について考えた事がなかったのですが、今自分が海外にいる事で、改めて日本が仏教国であり、数々の素晴らしい文化、そしてそれにともなう言語・思想等を生み出してきたという事に気付きました。 そこで、今仏教について、スペインで本格的に研究しているのですが、どうしてもスペインにある仏教に関する本ではわからない事がございまして、ぜひお坊さんたちに答えて頂きたい質問がございます。 ドイツの宗教学者であるルドルフ・オットーが、「ヌミノース」という言葉で表している、言葉では言い表す事のできない他者では経験不可能な不思議体験・神秘体験(?)が一体どのようなものであるのかを、教えて頂きたいのです。 恐らく日本語で表すと、『見性体験』というものだと思います。ルドルフ・オットーも「聖なるもの」という著書の中で、この経験の内容に関しては体験者の唇は固く閉ざされると言っておりますが、仏教を研究している以上、私はどうしてもこの体験がどのような物なのかが知りたいのです。 もし言葉で深く説明できないのであれば、本当にキーワードだけでも良いので、どのようなものなのかを教えて頂きたいです。 難しい質問かもしれませんが、どうぞ宜しくお願い致します。

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特別な力とは

こんにちは。長くなるかも知れませんが、簡潔に話しますのでお付き合いお願い致します。 プロフィールを読んで多少ピンとくる方もいらっしゃるかもしれませんが、私には不思議な力が備わってるようです。 その力を制御・高めるために修行を行ってきましたが、私には本当にその力が備わっているのか疑わしいのです。 もしその本当の力が備わっていれば、私は今体調も安定して、突然倒れる事もなくお仕事もしていると思うのです……。てんかんと判断されたのですが、その霊能者(と呼ばせて頂きます)の方からは力を制御出来なかったばかりに倒れたと言われました。 上記にも書いたとおり、その力を高める為に修行を行ってきてはいるのですが、果たして本当にその力が私にはあるのでしょうか? 修行内容とは、その場その時によって脳裏に浮かんだ「数」「言葉」「数字」を当てるものです…(皆さまもやってらっしゃるのでしょうか?)。 もし本当にその特別な力が備わっているとしたら、私は普段からどのような在り方をすれば良いのでしょうか? 信じることが大事、と言われましたが今の私は力については半信半疑です……こういう考えはいけないとは思うのですが、内容が内容だけに相談出来る方がおらず、皆さまのお言葉があればなと思い質問させて頂きました。 何か思うところがあればお願い致します。

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霊能者の言葉

こんにちは、息子が自死で亡くなり先日一周忌が終わりました。 この一年間の私の心は、毎日が嵐の中に居る様な苦しい日々を過ごして来ました。 亡くなった息子の今を知りたくて何人かの霊能者さんに見て貰いました。 なぜ皆さん言う事が違うのか、信じる宗教で違うのか、不思議ですが、そのたびに心が揺れ動いて安心したり、心配して心が折れそうになって来ていました。 亡くなって日も浅い頃にネットで霊能者さんのHPで無料の鑑定を見つけて藁にもすがる思いでメッセージをしました。 その方から返信が無かったので忘れていたのですが1年近く経って急にメールが届き『遅くなりました、無料の鑑定だったので多くの方の鑑定を順番にしていたので今になりました。 息子さんは、あの世とこの世の間でどうして良いか分からずに眠っている様な感じです。光に包まれています。 ただ、行き場が分からず眠ったままです。 呼びかけると返事はあります。 良かったら個人鑑定を受けてみませんか?家族が救ってあげましょう』 等、丁寧な言葉でメッセージが届きました。 行き場が分からず眠ったままなんて言われると心配でたまりません。 菩提寺のお坊様から、阿弥陀様のお浄土に行かれていますよと言われて、漸く少しずつ、少しずつ信じる思いが湧いて来ていた時に、この様に言われ崖から突き落とされた様な思いです。 本当に息子は、眠り込んだままなのでしょうか? 救ってやるべきなのでしょうか? 私のとるべき道を教えて下さい。 宜しくお願いします。

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どうか皆様のお考えをご聞かせ下さい。

かなり長文です。良くわからなかったらごめんなさい。 私はたまに、何故自分がここにいるのかと考えることがあります。何か調べ事をしているときに、思考が飛んで考えることが多いのです。 普段生活していく中では別に死にたいとか、生きる価値がないとかはあまり思わないのですが、「何故この世界を感じることができるのか?」「どうして自分という存在がいるのか?」など、いわゆる社会で生きていくには不要なことを考えてしまいます。 私達が生きているこの場所は、よくわからないものが多すぎではないでしょうか。無知の知、ではないですが社会で生きていくためのことは生きる人それぞれが学んでいくのに、「人が生まれて、死んでいく」これについて全く知りません。 また、風水や占い、宗教といった「見えないもの」「よくわからないもの」について考えると、頭が痛くなってきます。(私だけかもしれませんが)そしてそのうちまあいいか、などと思えてきます。例えば、真理とか、人の本心とか、死後の世界とか。 考えるほどに何もわからない、知らないことが次々出てきます。勿論知らないことが良いこともある、という言葉がある様にそれを知らなくても一生を全うすることはできます。しかし、それではどうして人は、生物は生まれ続けるのか。技術や文明は発達しても人の心なんて同じ種族である限り中々変わらない。(個人レベルなら別ですが) それに、「どうして自分が存在しているのか」と書きましたが、仮に輪廻転生なりして記憶を消して新しい命になって生まれ変わるのだとして、何故そんな仕組みなのか、どうしてこの場所だったのか。知ることはできません。それならば何故、命は廻るのか。何度も繰り返すのか。 この様に、何か目の前の世界だけが全てではないと感じると、とても恐ろしく感じます。救われたいとか、そうゆうわけではないのですが、この命は、世界は、宇宙は一体どこへ向かっているのだろうと。命が手と手を取り合って生きているわけでもなく、短絡的ですが、いわゆる「ハッピーエンド」には程遠い気がするのです。 長くなってしまいましたが、自分一人で悩んでもしょうがないと思い、質問をさせていただきました。どうか皆さまのお考えをご聞かせ下さい。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 51
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娘の自殺について

娘が自殺しました。 学校の問題や勉強の悩みなどいろいろあることは知っていましたが、あっけらかんとした性格で、死ぬほどまでに悩んでいるというふうには考えておりませんでした。 何が原因だったのかと思い返すたびに考えが変わりますが、私が当日塾に行かないことを電話で叱ったのと、それまでに蓄積された悩み、学校でのよくない出来事などが重なったことが、直接の原因だったと思っております。 また、我が家は都会の共働きで、比較的裕福な生活を送ってきたと思いますが、私の仕事が忙しく、娘の話をここ最近よく聞いてやれなかったことが悔やまれ、また、それにより私が娘を必要としていないと思わせてしまったのではないかと感じております。 一方の主人は真面目で穏やかな性格ですが、自分のことを最優先に考えるところがあり、いつも自分の資格取得のための勉強に励み、娘とのコミュニケーションも上手ではなく、私と娘から距離のある存在でした。 亡くなった娘はもう帰ってきませんが、娘は私にこれからどのように生きることを望んでいるのでしょうか。なんだかんだ言ってもお母さん子だったので、私と一緒にいたいのではないでしょうか。それとも、私と主人がこれから向き合い、添い遂げることを望むのでしょうか。あるいは、分かれて暮らすことを望むのでしょうか。

有り難し有り難し 48
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