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「生きる意味」を含む問答(Q&A)一覧

人生は勝ち負けではないと思ってはいるのですが…。

はじめまして、晴香と申します。 私は小学校のころにいじめにあっていて、毎日学校に行くのが憂鬱でした。自分にも悪い部分があったのだと思いますが、だからといっていじめる人の気持ちは全くわかりません。 1度だけ母に「学校に行きたくない」と朝告げてみたのですが、「今日は金曜日だからとりあえず今日は学校に行って、また来週考えよう?」と言われ、それ以来母に言っても無駄だと思い、意地になって休まず学校へ通っていました。 そのとき担任だった先生は話を聞いてくれたり注意をしてくれたりしましたが、いじめは収まることがありませんでした。 友達みたいな人はいたのですが、その人は私が一緒にいるときは友達のふりをして、私がいないところでは他の人達と私の悪口を言っているような人達ばかりでした。 小学生の頃は気づきませんでしたが、今ははっきり友達面していただけなんだなと認識しています。 だからなのか、いまだに『本当の友達』というのが何なのか友達というのがどういうものなのかわかりません。 私が就職のときは就職難でひどい状況でしたがなんとか職につかなければと思いパートにつきましたがそこでも社長の奥さんとその娘さんに目をつけられてしまい毎日嫌みをいわれるのは当たり前、私には仕事は見て覚えろと言ったはずなのに他の人には丁寧に教える、そんなことばかりでした。 そのパートは結局クビにされ、他にもバイトや派遣の仕事で生きてきましたが、何だか調子がおかしいと思い病院で診てもらったところ、精神的にも限界がきていたのか、申請すれば精神障害者手帳がもらえる病気だと診断されました。 なんだか自分の人生を振り返って見ると悲惨だな…と思えてきます。 人生は勝ち負けじゃない、とは思っていますが同い年の人でも立派に社会に役立っている方もいるし、自分は負けどころか真っ暗闇の中にいるようです。 人間関係もうまくいかない、友達もどういうものかもわからない。仕事もうまくこなせない。 こんな私のような人間に何か希望はあるのでしょうか? ネガティブな内容と長文、誠に申し訳ありませんでした。 読んでいただいた方、本当にありがとうございました。

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自殺してはいけない理由

お世話になります。 今すぐに死にたい、ということではないのですが、 私は、かねてから「自殺してはいけない理由」が分かりません。 遺族や他人に迷惑をかけるから、というのは理解できます。 しかし、生きているほうが周りに迷惑をかけてしまう者もあると思うのです。 私は同性愛者で、家族や伴侶はおらず、 将来、いわゆる無縁死や孤独死を迎えるのは、 ほぼ間違いないと考えています。 交通事故に遭うなどすれば別ですが、 そうそう都合よく、ぽっくりとは死ねないでしょうから、 体力が衰え、あるいは何かしら病を患うようになった頃からは、 例えば地域の民生委員や、市の高齢福祉課などに、 多少なりとお世話になってしまうでしょう。 そのような方々の手を煩わせ、 また、一般の方々が収めた税金を費やすべき価値が、 私の死にあろうはずが無いのです。 さらに、私は低所得者で、蓄えもございません。 つまり、死を迎える年齢の頃には、 金は無いわ身寄りは無いわ、 ただただ扱いづらいだけの年寄りになるのは、目に見えています。 これで認知症を患おうものなら、さらに厄介な存在となるでしょう。 だから、まだ体や頭が動くうちに、 無価値な自分自身に、落とし前をつけたいと考えてきました。 こちらの相談サイトで、 自殺を肯定するアドバイスなど頂けないのだろうと思います。 では、こんなクズでも生きていかねばならない理由を、 私に教えて頂けますでしょうか。 宜しくお願いします。

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虚しいと感じる気持ち、どう対処すればよいでしょうか?

皆さまの問答を拝読し、いつもたくさん勉強をさせていただいております。 今回、自分の気持ちとの向き合い方をご指南いただけないかと思い、相談させていただきます。 私は、自分がとても充実した生活を送っていると思います。 やりたい仕事をさせてもらい、健康で家族にも恵まれ、何不自由なく過ごせていることに感謝をしています。 今以上のことを欲張って願ったりする気持ちはありませんし、自分がいまここに在ることを周囲の人たちにもご先祖さまにも感謝しています。 でも時折、本当に不意に、「虚しさ」が心の中に生まれます。 それまでなんの問題もなく歩んでいた足が突然動かなくなるようにして、心のなかに「空虚」が表れ、それに捕らわれてしまうことがあるのです。 そうなると、全てが後ろ向きに感じられ、自分の存在意義があるのか不安になり、立ち止まったまま途方に暮れてしまいます。 自分はどうして自分なのだろう。 どうしてここにいるのだろう。 なんのために生きているのだろう。 こういう疑問ばかりが、ぐるぐると頭の中を回ります。 なにもかもを投げ出してしまいたくなります。 終いには、それを考えることも放棄してしまいます。 そして、自分の中が空っぽになってしまったような、そういう恐怖を感じてしまうのです。 お坊さまの修行の中や、お釈迦様の教えの中に、そういう心と向き合うためのヒントはないでしょうか。 とても漠然とした質問で申し訳ないのですが、私もその原因不明の漠然とした虚しさに、何度も悩まされてまいりました。 虚しいと思う、空っぽになる心への対処方法、またそういう自分との付き合い方など、なにか参考になるようなことがありましたら、ぜひご教授くださいませ。 宜しくお願いいたします。

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