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「心構え・生きる智慧」を含む問答(Q&A)一覧

悪口

毎回ありがとうございます。  小学五年生のこうです。  僕は心の中で悪口とかを思ってしまう癖があります。  似たような質問でごめんなさい、気になった事をがあるとずーと怖くなる性格でごめんなさい🙏 前、神様の像を見て(多分仏教です)気持ち悪いとか怖いとか思ってしまいました。他にも何故か沢山出てきましたバカとか、ブスとか、死ねとか、ハゲとか髪型面白いとか、うざいとか、他にも沢山出てきました。  あと、悪魔やサタンとかにも言ってしまいました神様に言った悪口の悪口+クソとか意地悪そうとか他にも沢山思ってしまいました。(多分髪生えてますよね?それかバイキンマンみたいな感じですか?)あとそれに『もう〜まだ小さくてかわいい子供に怖がらせちゃっていいの?』とか、『もうサタちゃん(サタンでもどっちでもいいです)子供の食欲奪っちゃっていいの?たまにあまり食欲が出ないとき時があります。(たしか) あと、ちょっともしかしたら仏様や神様に会って優しくなってるのかなぁと少し期待しています。そのことを優しくなっていなかったら愚かだなぁとか、愚か者だなぁとか思ってしまいました。(僕はサタンのこと悪魔としか知りません。マンガで出てきました。)(悪魔って何する人ですか?)許してもらえるでしょうか? よく人間の分際で言えたなあ💢(でももしかしたら、仏様は皆んな平等ですっていってたから)と言われたら怖いです、死んだらボコボコにされそうで怖いです。  あといろんな人の悪口も思ってしまいます。  許してもらえるでしょうか? そうえばさっきこれ打ち込んでたら赤い目みたいのが、一瞬見えた気がします(見間違いだといいんですが) 怖いです。  どうすればいいですか? あと僕に他の人の悪口を言ってくる友達をどうすればいいですか?  僕に言われてもと、おもいます  回答お願いします。

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これで最後にします。

ハスノハさんでの質問はこれで最後にしようと思います。 沢山話を聞いて頂き、すべての質問に真摯にお言葉を掛けてくださり本当にありがとうございました。 まだ自分の中で、消化しきれていない悩みもあるのですが、 やはりこの状況に頼り、質問を続けることは 自分の成長に繋がらないのではないかと思ったからです。 きっとここで質問を繰り返すことで私はこの先もずっと甘えてしまうと思いました。 それでも最後にお言葉を頂きたいなと思ったのは 人間は生きているうちは過ちを犯さずにはいられない。 過ちを犯したことのない人はいない。 その言葉に出会い、救われつつも やはり私は他の人よりも過ち、ミス、失敗、罪悪感を感じる行為が今まで生きてきた中で多いような気がします。 今ここで気づけたのだから、成長だと思いたいです。 過去のすべての過ちを懺悔し、反省して またここから笑って過ごしてもいいでしょうか? 人を幸せにする人生を歩みたいです。 今ここにある罪悪感を忘れて(日々生活する上で)そうやって生きていっても良いでしょうか? 最後に頂いた言葉は絶対に忘れずに生きていきます。 もう振り返りません。前に進みます。 短い間でしたが、ありがとうございました。

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常識人すぎて面白い小説が書けない

以前、作家になりたくて文芸誌の新人賞に投稿して入選したり地元の同人誌に投稿したり合評会に出たりしていました。 やがて普通に社会人になり、非正規ですが仕事にありつき、しばらく小説を書くのを止めていました。 それから音楽に目覚め、貯金ができたこともあり仕事もリタイアして音楽活動を始めました。 そして時間ができたので小説の方にも取り掛かり数篇書いたのですが、自分は小説を書くには狂気へのマインドブロックが強く、常識人すぎるというかバランス感覚が取れすぎていることに気がついたのです。 夏目漱石や芥川龍之介は統合失調症だったらしいし、太宰治や武者小路実篤はADHDだったらしいのですが、私は彼らほど病んでいないし異常でもないのです。 文学は人間の実存を豊かにする役割もありますが、作り手の実存は破綻しています。 私にそういう要素がないので、物語を書いたとしても、常識的な予定調和の部分が出てしまうし、人間の内心の描写がいまいち深みが足りないのです。狂気へのマインドブロックを外せば人間の心象の機微を掬いとる細やかな感性を手に入れ名作が書けるかもしれませんが、確実に実生活は破綻し太宰治みたいに酒や薬物や女に溺れるとか芥川龍之介みたいに自殺とかしかねません。 どうもそのあたり、自我の防衛のためのホメオスタシス機能が働いているのかもしれません。 私小説というジャンル自体、私事を作品という形で公衆の面前に暴露する行為ですが、私は自分の実存をさらけ出すのが大の苦手で私の内にある妄想で紙幅を埋めてしまいます。 よく商業文芸誌の選考委員の作家が「作文ではなくて文学で応募してくれ」みたいなコメントを新人賞を目指す作家に向けて出していますが、私の作品は彼らが言う作文の範疇から出ていない気がします。 鋭敏な感性は狂気と隣り合わせですが、常識人である私はそういう修羅の境地にわざわざ足を踏み入れる必要はないのでしょうか? 表現活動として音楽をやっていますが、こちらは狂気を表現してても観客の前で披露するので文学ほどではないとは思います(それでも薬物に走るミュージシャンは枚挙にいとまがないのですが…)。

有り難し有り難し 7
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