2022/02/21人への恐怖心。もう戦いたくないです。
いつもお世話になっております。支援者関係のご相談をした際、
「人を疑いすぎている。それゆえすぐに他責的になり、人を責めて
しまう傾向が強い」
とご指摘を受けました。
これを受け、訪問ナースと話し合った結果、
「どちらのお坊様かはわからないけれど、大変的確にご指摘くださって
いる。その通りではないか。もしかしたら、障害を持った方と関わった
ご経験がおありなのでは」
と言われました。
法句経にも、このような一節を見つけました。
「裸の行も、髷に結っても、断食も、露地に臥すのも、塵や泥を身に
塗るのも、蹲って動かないのも、疑いを離れていない人を浄めることは
できない」
今、訓練所で指導員に言われた事をあえて反芻して、
「一見冷酷な言葉だが、これはどういう言外の意図があるのだろうか」
と考えています。
(例:今回担当から外れた指導員について、私が「彼女は嘘をつくかも
しれない」と言った際に訓練所の指導員から「私たちは君を信頼している
が、噓をついているのは君の方かもしれないじゃないか」と言われた)
考えているうちに、辛くて涙が出てきました。六畳一間のアパート、
仏壇に向かって膝を抱えて座り泣いています。懸命に頭を使い
考えていますが、全くと言っていいほど意図が掴めないのです。
言葉の表面的な表現に反応し、
「私を信頼しているなんて嘘だ。恨んでいるに違いない。だからそんな
言葉が出るんだ。施設の人たちは皆私を恨んでいる」
と思ってしまいます。
疑い、切り捨てることは私にとって容易かつ必要な事でした。
私のこれまでの人生の中、とくに家庭や親戚関係で小さな自分の身を
自分で守るために培われた技術だからです。安心、信頼、敬愛などという
言葉は、私の辞書にはありませんでした。
しかし、今はこれが大きな障害になってしまっています。この高い
囲壁を越えなければいつまで経っても次に進めません。
どうすれば、人が怖くなくなりますか?疑わなくなりますか?
疑ったほうがよいケースもあるとは思いますが、多くの方はその時に
初めて身構えるものだと思います。(勧誘や詐欺師、スカウトなど)
戦わなくて済むものなら、戦いたくないです。もう疲れました。
有り難し 17
回答 1