無くしたものとの未練が断ち切れません
先日、買って一ヶ月ほどしか経っていないair pods pro(アップル製のノイズキャンセリングイヤホン)を無くしました。とは言ってもケースのみを無くしました。ほんとうに、居住スペース(ちなみに寮生活で、周りの人にも手伝ってもらいました)をくまなく探しても見つかりませんでした。最後に可能性としてあるのは、誤ってトイレに流したか、ゴミ箱(これも一応漁りましたが)に捨てたか、誰かが悪意で盗んだか、ぐらいのものです。無くした、というよりは消えた、神隠しに遭ったと言った方が自分にはしっくりくるぐらい、不思議でたまりません。
だいぶ日が経ち、探すのはとっくに諦めたのですが、それでも無くしたものに対する未練が断ち切れません。見つかったらどんなにいいだろう、あの日に戻って無くさないようにできたらと、つい考えが堂々巡りしてしまいます。せっかく買ったのになぁ、もったいないなぁと言う気持ちや、イヤホンのケースという目的を持って生まれたものに対する申しわけのなさ、間抜けていて、恥ずかしいという気持ち、誰かが悪意を持って、困らせるために盗んだんじゃないかと言う疑心暗鬼の気持ちが混ざりあい、困惑しています。どこを探しても、どこにもない。無くしたはずはないのに、無くした。まるで世界に拒絶されたような、不条理の狭間に迷い込んでしまったような感覚です。もちろんイヤホンのケースをなくしたぐらいのことは、周りから見ても、自分から見てもくだらない、どうでもいいことなのですが、「くだらない」、「どうでもいい」という風に体良く片付けられず、引きずっています。
どうしたら未練を断ち切れるかと悩んだ末に、「諸行無常」や「色即是空」の言葉が自然に思い浮かんできました。だからと言うわけではありませんが、この出口のない悩みの解消に仏教の専門家のお力添えを頂きたく存じます。
有り難し 23
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