生きてる時の未来にはワクワクしません。 死後の世界を想像するとワクワクします。 きっと私は生きることには向いてないんだと思います。 お坊さん、ごめんなさい。
いつしかココでも自分を作るようになりました。 心底、辛い事、話したい事は言い出せなくなりました。
最近ですが、何でか参拝お友達におごっていただいたり 沢山 お茶やおにぎりまで カイロまで買って来て 本当に こんなに頂いていいのか いつどのような形で お返しを させて頂いたらいいのか 本当に悩んでます。要らないとは言えないし ありがとうございますと 受け取らせていただいてますが もう私くしもいい年なのに、、、とも思い 今後どうしたらいいでしょうか
カラスはインコを食べるのでしょうか。 悲鳴が聞こえました。 黒いカラスのつやつやした嘴につつかれて ぐったりしている青いきれいな羽のセキセイインコがいました。 ぴいぴい鳴いていました。 助けてと言っていたのでしょうか。 痛いって言っていたのでしょうか。 ただ、苦しみから解放されたかっただけなのか。 みんな、誰かの悲鳴を聞き取れるのでしょうか。 私はいつも、私の悲鳴でいっぱいです。 そのうち、カラスと同じことをしているのかもしれません。
こんにちは、元旦が終わって3日目が来ました。 明日は、部活が午前あります。もう、三年間続けると自分で決めましたが行きたくない。休みたいです。明日だけでも休みたかったのに……行っても意味ない気がします。今年で男子のみになってから女子が三人やめてしまったし、私ともう一人で女子二人だけ。同級生の男子はそのまま残ってます。あとは、後輩男子十人と11人くらい。 さておき、今のお父さんは、実の親ではないです。う~ん。。。あんまりです。やっぱり、義理の親って冷たいのですね。そんなイメージがあるそうです。 母は、自分の娘(妹)が暴力を奮われて嫌だったことを話してましたが、どの人の答えも離婚したらの意見が一致しました。お坊さんにも話したら、その答えとまったく一緒でした。今は、なんとか落ち着きました。 柔らかくいうと言い方がひどいので柔らかくいってほしいとか、何回も母が行っても直らないので諦めると。 家族がストレスという母にたいしてはじゃあなんでかぞくを作ったんだと思うのです。ストレスなら私なんて生まなきゃいいのだ!と思いました……… 早く出ていけるだけの力があればいいのですがありません(T-T)文章長くてすみません(T-T) 言語化するには、時間がかかります。
私は中学生の頃から親の看病や介護、死などを常に経験してきました。 きょうだいとしては6歳はなれた兄がいます。普段は一緒には暮らしていません。私が高校生のとき父方の祖母が亡くなり、その時も母は長男の嫁なので私たち子どもも、それなりに自分の事は自分でしながら父母のサポートをしなきゃ、と思っていましたが兄はゲーム。注意してもゲーム。結局、真っ暗な中、物置から自転車を出し夕飯を高校生のお小遣いからひとり買いに行ったのを覚えています。 今年のお正月は母も私も風邪をひいて体がしんどいですが、ひとつひとつ、ご飯を食べてください、みたいに何々をしてください、と言わないと兄は何もできません。兄は急に、「う〜ぅ、ニャンニャン」とか「ちゅっ ちゅっ ちゅ〜」とかアニメチックな事を言い出したかと思うと、ガソリンスタンドとかに行くと「皆殺しだ〜。死ね〜」とか言いだします。このお正月も朝から晩までゲーム。 母も年をとり、今後、先、看病や介護になった時、兄には頼れません。行政は「あなたの家は貧乏だから仕方がない」そう言われます。ひとりで考え、ひとりで行動しなければいけません。いつかのご回答の中でケアマネに相談とありましたが、私の住んでいる地域では、ケアマネは、とある病院の独占で金次第です。 私の仕事も今はエンジニア派遣。正社員を探していますが、この歳ではなかなかと。それに時給や契約社員です。それに、やはりエンジニアとして働きたい。 だけど、私のレベルでは…というところと、勉強していく気力が少しずつ低下していってる現実。 食べてくために頑張らなきゃ、そう思いながらも自分の老いに勝てない現実。 自分の仕事、母のこと、兄のこと、荷が重く押しつぶされそうです。 母に何かあったとき、ひとりで考えひとりで行動せざるを得ません。兄の面倒をみながら。 兄は「母の遺骨も捨てる。そしたら何にもしなくて済む〜。」そう言います。 涙が出ます。
ハスノハのお坊さん、ま。さん、あけましておめでとうとございます。 ま。さん生きててくれて有難う。良かったぁ。安心しました。 初夢で、ま。さんの夢をみました。ハスノハに、こんな楽しい事があったと投稿されていましたよ。 だから、今年は楽しい事がある気がします。 生きてると辛い事苦しい事が、たくさんあります。 でもハスノハのお坊さんや、ま。さんという、かけがえのない仲間がいるから、どうにかこうにか頑張れます。 いつも有難うございます。 今年もぼちぼち頑張りましょ。
色々あった30年でした。平らな30年ではありませんでした。それでも色々あるから人生なんだと思います。 はすのはのぼんさん、ドキンさん、今年も1年ありがとうございました。生きてます。 来年も色々あると思います。はすのはのぼんさん、ドキンさん、みなさんにとって良き年となるよう祈念いたします。
明けましておめでとうございます。 昨年は、何度も相談させていただいて、お世話になりましたm(__)m 毎回忙しい中回答してもらい、参考になり、救われています。 とても感謝しています。 お忙しいと思いますが、体調崩されぬようご自愛ください。 本年もよろしくお願いいたします。
もう死にたいのに死ねません。 私の死を両親に背負わせたくありません。 でも、本音はもう楽になりたい。 生き抜く力がないのに、死ぬことが出来ません。 生きていたくないのに、死んではいけません。 また新しい年を迎えなければならない我が身に絶望します。 私はあと何年、何十年、苦しまなければいけないのでしょうか。 そうまでして生きることに、何の意味があるのか。 私はこれ以上、無意味なことを繰り返したくない。 しかし、現実はただ虚しさを繰り返しています。
こんな生き方しかできなくて、ごめんなさい。 ちゃんと世の中、泳げずにごめんなさい。 よいお年をお迎えください。 さよなら。
この前、今月、退職した派遣会社(1週間くらいで退職したとこ)から連絡がありました。内容は、社保に入る手続きをしています。との事。 退職した日に派遣会社の営業から、健康保険証は送らないようにしても良いか?と連絡がきましたので了承したにもかかわらず、1週間ほどしてから健康保険証が郵送されてきたので、問い合わせました。送り返してほしい、と言われて送り返し。ほぼ入社から1ヶ月経った28日の日に、派遣会社から、社保に入る手続きしてます電話。 困るのが愉快愉快、そう言っています。 私は病院にかかっています。その1ヶ月の中で2通の健康保険証を発行するというのです。 健康保険組合に連絡したら、派遣会社が入社そのものをしてない事にする、と言い張っているとの事。そうなると私の働いた給料を出さないつもりではないか?と健康保険組合が困惑していました。 再度、社保に加入するとなると来年1月半ば以降にしか社保の保険証が届かないため、1ヶ月半の病院代を自費でとりあえず支払う事になるので困っています。 病院にもめちゃくちゃ嫌味を言われますよ。きっと。だって末日でレセプトを締め切りますから。 非常に困ったので労働基準監督署に電話をしたら、うちとは関係ないと一蹴されました。 お役所は金に弱い。前にも他の会社で賃金未払いがあった時、会社に金を積まれて寝返えられた過去があるので、今回もきっとそうなんだと思います。もしくは死なないと動かない。 困り果てました。
素敵な人に支えられながら、うっとうしい人ばかりに目が行く。 喜びや感謝の世界に出会いながら、闇の世界が、大きくなり、居心地の良い場所から引き裂かれれていく。 地道にいきることが大切なのに、派手に転んでしまう。 気づけば本当に大切な物事を、 勝手に排除してしまっている。 大丈夫、大丈夫 いつかは 此処を抜け出せる日が来る。 そう思って、支えてくれる人に頼り過ぎないようにと自分なりに頑張っているものの、時々もうだめだってなるときがあって、何にも手につかなくて、息するのもやめちゃう。 でも『助けて❗』と中々言えなかったりして、ようやく言えた時には、もう限界で、身動きとれない状態。 お坊さんに頼り過ぎてる自分が、嫌い。 前向き思考になりたいけど、子供の頃から、培ったものが、簡単に変えられるわけもなく、生きるのって難しいです
自分がやられて嫌なことをしない 跳ね返ってくるようなことをしない 当たり前のことですが できてなかったみたいです 気をつけたいです
この夏、ネットでのお知り合いの方から、突然電話がかかってきて、身体を壊して動けない、どうしたらいいのか?とひどく心細い状況で相談を受けました。遠方ですので、駆けつけるわけにもいかず、電話で介護タクシーのことやその他、自分でわかる限りのアドバイスはしたと思います。 こちら地元の痛めた箇所のご利益があるという神社に代参してお守りをお送りしたりしていました。雑談やら何やら話しているうちにやっと相手の方の体調もよくなったようです。 お礼がしたいと言ってくださったので、私へではなくて、この時期ちょうど辛い思いをされている方々のために寄付してあげてください、とお願いしました。恩送りというやつですね。 で、先日その方から突然、「もうメールもコメントもしないで欲しい」と言われました。その人の話だと私が自慢話をしているように思われるそうです。自信過剰だとも言われました。 でも自分では全くそういう意識はありません。もともと私は優越感も劣等感もほとんどなくて、価値観は多様だからその人がいいと思われることを尊重する人間です。自己肯定感は強いほうですが。自慢したことなどないと思います。自信過剰でもありませんし。 SNSなどでどなたかのリア充だという投稿を見ても特に羨ましいとも感じたことはありません。唯一健康面は生まれつき弱いのでちょっとだけ羨ましいですが、それを人に言ったりしたこともありません。極端な話、国家元首でもホームレスの人でも対等に同じように話せるんじゃないかと思います。 もう両親はおりませんが、家族の仲はよかったです。もしかすると機能不全家族の中にいた人に、普通の家族の話をすると、普通のことを話してもそういうのが自慢に聞こえてしまうのかな?と考えたりしています。 どうも釈然としませんが、私が悪いのか、もしくは相手の方の受け取り方によるものなのか悩んでいます。あまり価値観が違うと、無理に付き合わないほうがいいだろうな、とは思いますが。これはおそらく埋められないものなんでしょうね。
1カ月、昼夜問わず咳ばかり。病院に行くと肺炎予防にと抗生物質が大量に出されて胃が荒れ放題。 かわいそうな事に母にもうつってしまいました。 ぼけ〜っと毎日、過ごしています。 今日はお墓に行ってきます。明日は雪だし。 お坊さんは今ごろ、走り回っているんでしょうね。 風邪、ひかないようにね。
私は中2の頃からインターネットで素人が書いた小説を読むのが好きです。 3日前、「人生でこんなに面白いストーリーは読んだことないわ、作者天才かよ!!」て思うくらい面白い小説を見つけて最終話まで夢中になって読みました。他のと比べて、大河ドラマかよ!ってくらい長編だったので、物凄く感情移入しましたし、好きなキャラクターもいました。たまにストレス展開もありましたが、10話に2回は「まじ作者天才かよ!」って悶えてました。(あ、言い忘れてましたが恋愛です) その3日間は凄く幸せでした。冬休みだったので一日中ずっとスマホと向き合っていました笑。 ついに、最終話でした。お風呂に入る前に全話読みたかったのでだいぶ夜遅くになってしまいました。主人公の運命はどうなるんだろう……という八方ふさがりでした。作者はどんでん返しが凄い上手くて、伏線も巧妙だったので、きっと主人公は救われるに違いないと信じていました。そして主人公はいつも主人公のことを土壇場助けてくれるキャラクターに助けられるんです。(嫌な奴ですが、主人公の為に動くいい奴で、つい最近はじめて感情を露わにしてそれはもう悶えに悶えました。ちなみに推しキャラでs(以下略)) でも主人公はその救いの手を払って、推しキャラを眠らせてしまい……。 主人公はもともと生まれながらにして生贄になる運命だったんですよね。そのまま主人公は大切な人たちを守るために生贄になるんです。せめてそこに推しキャラがいたらまだ良かったんですけど眠らせたまま主人公は生贄になっちゃったんです。 え?どんでん返しないの?うそでしょ? まさかのバットエンドに頭が真っ白になり、昨日の夜は頭痛ど不安が止まりませんでした。 主人公を愛している人は沢山いましたし、主人公が生贄になったあと、周りの人たちがどうなってしまうのかが不安でした。でもエピローグも後日談もないんです。最後に更新されたのは確か4年前でした。 こうやって書いている今は平気なんですけど、テレビから流れる言葉や目に入る文字で小説の内容をいちいち思い起こしてしまったり、午前中はずっと泣いてて本当に疲れました。 自分でも馬鹿だなと思うんですけど、胃痛と頭痛がするし、食欲が全然ないです。親にも「架空の話なんだから」と相手にしてもらえません。 どうやったらこの心の痛みを直すことはできるでしょうか……。
よく、死にたいと言う人がいます。何故なんでしょう。世の中には生きたくても生きられない人が沢山いるのに、健康で生きていて何でも出来て、贅沢だと思います。理由は色々あるんでしょうけど、私も死にたいと思う事は何度もありました。今も思います。娘が死んで火葬される時私も一緒に焼いて欲しいと思いました。病気になって、自由に歩けなくなって、目も見えなくなって、車椅子の生活で不自由になっても死にたくないと言ってた娘、助からなかった娘、なのに五体満足に生きている人達の死にたいと言う思い、私には理解出来ませんが、ちゃんと生きて欲しい。哀しむ人が必ずいるから、気付いてあげられなかった事を後悔して苦しむ人が必ずいると思うんです。残された者は一生苦しい。死んだら楽になるなんて思わないで欲しい。 そう願わずにはいられません。 私がまだ20代の頃、友達が不倫の果てに捨てられて自殺してしまった時もそう思っていました。馬鹿な奴だと…男なんてまた見つけたらいいのにって。死んでしまったら命勿体ない。お金じゃ買えないから…。と思います。
昨年のクリスマスは身も心も弱っていて、初めてhasunohaでご相談させていただきました。転落院様と亀山様から回答をいただいた時は、涙が止まりませんでした。暗記できるほど読み返したことを覚えております。 それから一年間、日々の悩みや辛さを吐き出させていただき、たくさんのお坊様方に助けていただきました。本当に感謝しています。読み返すと情けない事ばかりで恥ずかしいですが、暖かいお言葉に励まされてきました。 今年のクリスマスは…と言いますと、昨年よりも体調はすぐれないかもしれません。退院はしたものの自宅療養中で、今日はほとんど横になって過ごした一日でした。 ですが、気持ちは落ち着いています。とにかく生きていこうという思いが強くなったからです。 病気の進行と老いを食い止めることは出来ませんし、病気と共存できるほど私は強くもありません。具合が悪いと気持ちが乱れますし、死の恐怖に怯えてしまいます。 ですが良い意味で少し諦められ、覚悟のようなものが出来ました。どんな状態でも 生きることを考えていこうと思います。 ここまで私の気持ちを導いてくださったのはこのhasunohaです。お坊様方、運営の皆様、本当にありがとうございました。 来年もまた もがき苦しむ日があると思います。その時はまたよろしくお願いいたします。 今日はお礼にて失礼いたします。お忙しい時ですので、ご回答は結構です。おやすみなさい。
お坊さんの修行の世界でも、パワハラ、モラハラ、イジメがあるなら娑婆の世界は、そんなんあって当たり前ですね。 パワハラ坊主がビシバシ後輩を痛めつけといて、なんか行事があろう時には「お釈迦様の教えは〜」なんて説法しているのを想像すると、チャンチャラおかしいわ、そう思ってしまいます。 ハスノハのお坊さんは大丈夫とは思うけど、パワハラ坊主じゃないですよね?