最近、仕事でトラブルが続いて います。 スタッフのミスから、トラブルに 繋がるケースがあります。 今の空気・運気を変える方があれば 是非、アドバイスをお願いします
仏道、と言うべきなのか、 仏教の話や御坊さんのお話を聞くのに興味がありまして。 御坊さんの友人が欲しいなーと思う今日この頃。 お寺の御坊さんと仲良くなる、または友人になるにはどうしたらいいでしょうかね?
CADの仕事が好きでした。残りの人生を仕事に捧げる勢いなほど好きでした。 7月15日付け退職ですが、7月14日に大量の仕事が舞い込むとかで1ヶ月、退職を延期するように言われました。命令だ、と。その命令には従いませんでしたが、会議の資料も全部は貰えない笑い者にしたくせに、あんたらの勝手なんか知ったことか!が私の本心です。 いつしか、大好きな事が給料のためだけのツールになっていました。 それが、そんな自分が情けない。 ただ、線を引くことに喜びを感じていた私はいません。 どうせ、また利用しようとしてるんでしょ⁉︎ 駒なんでしょ⁉︎ 最近、そんな事ばかり考える私にフィードバックしています。 も〜嫌だ!!
初めて質問させていただきます。 もう8年ほど前の話です。 母が妻子ある方とお付き合いをしていました。 母は離婚して独身、相手は離婚調停中で別居中。 その時私はもう成人して家を出ていましたし、元々母ともいい関係ではなかったので、いい歳をした男女のイザコザに興味もなく好きにしてくださいと思っていました。 しかし、ある日突然、母の彼が自殺をしました。 その日から地獄のような日々が始まりました。 内縁の関係ながら本妻ではないので、彼の死に目にも会えず、葬式にも参列を許されず、精神不安定になった母の側に側にいなくてはならず仕事を何日も休む日々。。 よく知らない男が練炭自殺した車を掃除させられ、世間体があるからとクビにさせられた母の上司に頭を下げ、彼が飼っていた犬の貰い手を探し、毎日情緒不安定な母の話に付き合う日々。 仕送りをしながら、母の働き口を私が探しました。 そんなある日、彼の本妻が、亡くなった後に籍を抜き、遺骨を母に渡してきました。 きっとめんどくさくなったのでしょう。 もらうものだけもらう手続きをし、籍を抜き、邪魔な遺骨を母に押し付けてきたのです。 死に目にも会えなかった母は、後先考えず喜んで受け取ってしまいました。 この先母が亡くなった後、その遺骨を私にどうしろというのでしょうか。 母と、よく知らない男に振り回された私の大事な20代を返して欲しい。 本当なら母と一緒に骨もその辺に捨ててやりたい。 くだらない話を長々と申し訳ありません。 残った遺骨をどうしたらいいのか教えていただけませんか。
こんばんは。 今日(月)は気疲れしたので就労支援は休みましたがスタッフさんとの面談だけ行ってきました。 スタッフさんはすごく力を貸してくださいます。 別のセンターへの移動を希望しましたが空きがなく、ゆっくりの時間から個人作業をするためにまた再開することになりました。 困ったことがあったらいつでも言ってくださいと言ってくれます。 もうちょっと休みたいけど休んでいる暇もないし休んだらまた家から出られなくなる気もするしと思いました。 火曜日から時間を縮めて遅めから再開です。 頑張りすぎだと思えたらまた休みをとって回り道しながら進もうと思います。
初めまして この度、仏様を預かって頂いてますお寺様より、『檀家の整理をしたいので、預けてる仏様をお墓に入れるかして欲しい』と言われました。 確かに、預かって頂いてから10年程経ちますので、こちらも何とかしなくてはと、ずっと頑張って来たのですが、お恥ずかしい話、家はその日暮らしの様な貧困家庭の為、お墓は勿論永代供養の費用をどうしても用意出来ない状態です。 仏様は両親と妹の3人です。 この先、いつ引き取るなどの目処もつけられず、仏様に肩身の狭い思いをさせてしまってると思うと、とても辛く自宅に連れて帰って来ようかと思っているのですが、仏様にとってはどの様なものかとも悩んでおります。 本来のお務め、沢山の方々からのご質問もあり、お忙しいかとは思いましたが、何処に、誰に相談して良いものかと悩みこちら様に相談させて頂きました。 お手隙の時で構いませんので、ご回答頂けましたら幸いです。
中央仏教学院の通信の、専修課程を受講したいのですが、浄土真宗本願寺派のお坊さんの承認がいるそうです。私は浄土真宗について詳しく学びたいので、門徒ではないのですがhasunohaのお坊さんに後見になっていただきたいのですが……やはり無理でしょうか。よろしくお願いいたします。
客先を来月で辞めます。 営業を通して発表しました。 残業は正義!みたく言うグループ長と体や心もギリギリの私たち。 そんな中、うちの班長がグループ長に逆らいました。うちの部下を守る!って。 だけど、その時はすでに客先退職の連絡がグループ長にいっていて、班長は知りませんでした。 客先でグループ長が言わない限り派遣の私が、いくら班長にでも退職の旨を言えないのが辛かった。 だから、自宅に帰ってから個人ケータイのメールで退職の事を打ちあけました。 グループ長から、さっき聞いた。話すことに勇気がいっただろう。話してくれた事に感謝。 こんな内容と長い長いメールがありました。 どんなに仕事をしてもグループ長から、認められる事はなかった。のけ者にされたり辛かった。 だけど、認めてくれたひとがいた。それも、かけがえのない事実で。幸せな事なんだと思います。 だから残りの1ヶ月、この客先にきて良かった!そう思う1ヶ月にします。
4月に初めてハムスターを飼いました。 生後2ヵ月の男の子で名前はソラ君とてもかわいくて頭がよく大切な家族でした。 亡くなる2週間前から回し車をあまり回さなくなりました。 1週間前からは寝てばかりでずっと耳がペタンとおれていました、大好きなパイプの中でも遊ばなくなりました。 2日前からは耳の寝かせかたが変で動きもゆっくりでした、水も飲んでいなかったのかもしれません。 前日の晩は掃除をしている時にスプーンをゆっくり追いかけて来たりしましたが動作がとても遅かったです。 翌日の夕方にやはり体調不良かも知れないから体重を量ろうと思い小屋から出そうとしました。 いつもなら入り口を指先で軽くノックすると出てくるのですがいくら呼んでもノックしても出てきませんでした。 中に指をいれるといつもはふわふわと温かい体が冷たく固くなっていました。 納得出来なくて何度も名前を呼びました。 冬眠かもしれないと朝まで手で包んで温めました。 何度呼ぼうが起きてはくれず沢山のご飯と大好きなお菓子を持たせて畑の無花果の木の下に埋めました。 変化の兆候が少しでも有ればインターネットで沢山調べてやはり病気では無い、ただ眠いだけだと納得したりしていました。 やはり本当は明らかに体調不良であると気づいていたのかたもしれません。 自分の事が自分で解かりません。 ソラは自由に動かない、どこかがとても痛い体が凄く嫌になって捨てペットショップに帰ったのだと信じました。 そうしたら辛さはあまり感じなくなりました。 午後からペットショップにいって同じ種類のハムスターを購入して連れて帰りました。 翌日までは平気でした。 元気に遊ぶ姿を見てやはり前の体が嫌だったのだと納得したつもりでした。 なのにその子がソラの小屋に入るのを見て ソラのなのに と口からポツリと出てしまいました。 この子はソラではない私がソラを殺したソラは二度と帰って来ないと凄く悲しくて何度も冷たく固くなったソラの感触を思いだします。 もしも早く病院に連れて行けばこんな事にはならなかったはずです。 私がソラを殺した 私の残りの生きる時間を全部あげても良いのでソラに帰ってきて欲しいです。 元気だったソラ、冷たく固く白っぽくなったソラが繰り返し頭に浮かび涙が止まりません。 この子をどうすれば良いのか解りません。 ソラと同じだけ大切に思うのは無理そうです
現在、母は中度の認知症で施設暮らしをしています。 その母が、口を開く毎に 家(今までの住まい、持ち家)に帰りたい と言います できることならそうしたいのですが、わたくし独身現在実家(母の言う、家)に一人暮らしです その状態で母を実家暮らしさせるとなると、仕事を辞めて母の面倒を見ることになり、いずれ金銭的にショートします 仮に私が働いたとしても、各種の介護サービスを昼間利用しなくてはならなくなり、この場合も金銭的にショートするのは必然的です。 生活保護を受けるとしても 母が戻りたいという家(持ち家)を処分しなくては生活保護を受けられません。 家を手放しては、母の望む「家に帰りたい」にはなりません。 また実姉からの金銭的援助も無理な状態です。 そのことを母に話しても理解してもらえません ただ一言、 「自分の家に帰るのがなぜいけない、金がなくなりゃ役所に相談しろ、財産(家)を手放した後でなければ生活保護を受けられないなんてはなし聞いたことがない」と言って現実を理解しません そのような状況を母に何と言って説明して、家に帰ってそのまま住み続けることは難しいことだと納得してもらえるのか悩んでいます ご指導ください。 母は、普段の会話は支離滅裂ですが、家に帰る話だけははっきりと会話をします。 ですので相当、自宅願望がああると思います。望みをかなえてやれない自分にも腹が立ちます。 役所に行った相談したところ、財産である家を処分してからでないと生活保護は受けられないとのことでした
今日、会議がありました。 事前にメールで会議資料が送られてきました。何部かある資料のうち2部は私だけ送られてこなかった事がわかり何人かに笑われました。 会議が終わったあと「いるの? 」とまた笑いながら言われました。 悲しいやら腹立たしいやら。 お坊さん方だったら、どんな言葉をかけてくれるの?って考えていました。 そうね、その資料いるわね。とニコリと笑って言えば…。これが私のこたえで実行。 私のデスクに資料を叩きつけていきましたよ、後輩の女性。 何のスキルにもらならない仕事をする女はいらんわね、ざまぁみろ。 そうも言われました。 振りまわされる事なく、自分らしく。 そんなエンジニアには本当に良いものは作れない。私は会った事はない誰かが「助かった!」そう思ってもらえる仕事なんだ! だけど来週から彼女たちを教育しなくてはならないと班長に言われたので、こういう事があったと伝えました。 少しの反逆に出た私でした。
今日の仕事帰りのことです。坂道のUP & DOWNを車ではしるのですが、歩道を、足のない障害をお持ちの方が電動車椅子で坂道を難なくクリアしていらっしゃいました。 その方は、足がなくても電動車椅子というパートナーと共に坂道というハードルも超えたんだなぁ、障害があっても力強いなぁ、少なくとも私より…そんな思いでした。 悩んで苦しくても、だから何? 苦しいからこそ人の苦しみが分かる! そう思える日は必ず来る気がします。 そうだ! 今日は満月ですって! 辛い時は下を見たら余計に辛い。 空を見上げたら、きれいな満月が見えました!
いつもありがとうございます。 今回は、最近とても感じることを相談させていただきます。 私は車通勤なのですが、最近、自分の運転する車にピッタリとくっつけて右に半分ほどでて煽ってくる車と遭遇します。 私は事務員ですが、ディーラー勤務なので、安全運転を心がけております。 後続車は法定速度なのでイライラするのでしょうね(・・;) 営業さんと違い、運転する時間も短いためか、ピッタリつけられるとドキドキしてイライラさえしてしまいます。 最近はハザードを点滅させて抜かさせるようにしてますが、嫌な気持ちがおさまらないときもちらほら。 お坊さん方も、檀家さんの家に行ったりするときにそんな経験はありませんか? スピード強のお坊さんはいなそうなので、相談させていただきました。。 こんなときはどのように心を落ち着かせていますか? 煽られるのが続きすぎて本当に困っています。 仕事上、運転しないわけには行かず、、、 どうかおしえてください。 よろしくお願いいたします。
私は趣味で漫画を描いています。もちろん質はプロには遠く及ばないのですが、一種の自己表現のようなもので、描くと満足感が得られ楽しいです。そこで最近、ブログやSNSなどに載せてみたいな、という願望が出てきました。 ただ、知らない方にも読んでみて欲しい反面、無反応かも、酷評を受けるかもという恐怖が勝ってしまいます。「まーたSNS特有の、中途半端な漫画家気取りが出てきた」みたいなことを言われたら凹んで起き上がれなさそうです。※私自身は、Twitterなどでイラストを描いている方は好きです。 実際、先日恋人に見せて「こうした方が良いんじゃない」と言われた際、その意見に納得できず、かなり険悪なムードになってしまいました。事実その指摘には疑問が残るものの、私もかなり大人気なかったなと反省しています。 昔から周りに馴染むのが下手だったせいなのか、割と否定的に育てられたせいなのか、他人のアドバイスや批評をしっかり受け止めることができません...。精神疾患というほどではありませんが、指摘を受けると変な汗が出てきて焦ってしまいます。 何にせよ、「もっと広く読んでもらう」という一歩を踏み出すには、行動を起こすほかないのは理解しています。ただその勇気が出ず二の足を踏み続けている現状です。どんな偉大な人でさえも、批判的な意見も当たり前に受けているのに、情けない限りです。どうかこんな臆病な私に喝を入れて下さい!
自社で講師をしている男性を好きだったと思います。ただ、客先が辛くて頼りたかっただけかもしれません。 お相手の男性の会社携帯のSMSでやり取りをしていました。SMSだから別途お金がかかるのよ、こっちは!と思いながらメールを。 そのうち、講師から「僕の事が好きですか?」と。たぶん好きだった私は認めました。 1ヶ月前に1度、休日にランチに行き、先週お酒でもという事になりましたが私は仕事に行くのも辛かったためアルコールの席を数日前にキャンセルを。 そしたら講師、えらい態度。 「僕の事が好きなら僕の言う事を必ず全部きいてください。その約束を守るなら会います。」ってメールがきました。 以前にもメールきていました。 「貴女の想いに甘えて酷い事をお願いしてしまいそうです。」と。 正直にそのメールを見たときの私の感想です↓ 「ええ歳こいてアホらしい…。」 その講師に返事を書かなくてはいけなかったので、「常識のある範囲内なら考えます」って返信したら何もこなくなりました、やっと。 くだらない、やり取りを話しましたが結論は、 以前の私なら「何でも言う事を聞きます」だったかもしれません。 だけど、跳ね除けたんです。ホイホイついて行かなかった。自分の意思が保てた。 少しだけ強くなった気がしました。 仕事の件などで、どん底だけど薄日がさした気がしました。
こんにちは。 hasunohaの扉を最初にノックしてから90回以上になりました。 お世話になりっぱなしです。 有難うございます。 悩みながら、戸惑いながら。文字でしか伝えられないので文章能力が…の私にとってある意味、悩み。 だけど、最近はどうしたら自分の思いを伝えられる?と考えながらメールを書いています。 「伝える」って生きていく上でも大事な手段。 「誰とも話したくない」そう思う事もあるけど、hasunohaのお坊さん方には伝えたい、助けてほしい。そういう思いから自然に伝える訓練がされていってる気がしました。 根拠はないのですが、hasunohaで悩んでる現実をお坊さん方に伝えられたら、この先も生きていける気がします。
こんばんは。 今日就労支援に出席する予定だったのですが、急遽予定を変更し明日お話を聞いてくださいと電話でお願いしました。 事情を話すと担当のスタッフさんも今日は休んだ方がいいねと言っていただけました。 ここには書き辛いですが悪い理由ではなく私の個人事情です。 明日はちゃんと相談しなくちゃと思うのですが気が重いです。 土曜日に性格診断してもらったときに言われたことの一つが溜め込みやすい性格です。 これを何とかしたいので明日は頑張ってみます。 良い方向に向くとは限らないのでしんどいですが、溜め込みすぎるといきなり吹き出して止まらなくなってしまうのもこまりものなので。 とりあえず挨拶は必須ですね。
母が1年ちょっと前に亡くなりました。。 母の親、おばあちゃんは今も元気です。 おばあちゃんは息子と同居していますが、嫁がクソきちがい意地悪な奴です。 廊下でおばあちゃんとすれ違う時にわざと押してきたりするような奴です。。 母がいなくなってからオバ(嫁)は更に調子に乗り出して私がおばあちゃんに会いに行ったら、挨拶ぐらいしなさいよ‼︎っと怒鳴ってきました。。(オバが別部屋にいたとはしりませんでした。) もちろん、嫌いですがすれ違ったりしたら挨拶はするつもりでしたが、なんでおばあちゃんに良くしてくれない奴にわざわざ挨拶しに行かないといけないのか???だし、今まで挨拶なんてしてなかったし、そもそも別部屋にいたの知らなかったし。って感じです。 オバにその後、怒鳴りながらの説教されました。 妊娠中の時の話です。。 言いたいこといっぱいあったのですが、おばあちゃんと同居しているためおばあちゃんに何か嫌がらせされたら嫌なので素直に話を聞いていました、、 母のお葬式にそのオバが来てほしくないと。叔父に言ったので、その事が気に食わなかったみたいです。その事について言われました。 何でそんなにヒロちゃんに嫌われないといけないの?っと言われました。 はぁん?って感じです。 お母さんがおばあちゃん家に行ったら靴を蹴っ飛ばされていたり嫌がらせをしてきておいてしかもおばあちゃんにも色んな嫌がらせをしていて、何でそんな奴をお葬式に呼ばないといけないのか? ここからも話は長くなるので省略しますが、おばあちゃんのためにうまーくオバに話してオバも少し落ち着き私の事を許す?的な感じになり私をおばあちゃんではなく自分(オバ)の味方につけようとし始めました。。 なので急にフレンドリーです。 赤ちゃんが生まれたら見せにおいで。っと言われましたが行っていませんし息子を会わせくないし触られたくないです。 なので行くつもりなんてなかったのですが、おばあちゃんが体調を崩してしまい出掛けれない状態なのでおばあちゃんに会うには行くしかないのですが、でもおばあちゃん家に行ったらあのくそオバがいて息子に触ってくると思います。 オバは仕事をしていますが何曜日休みかがわかりません。 オバには子供がいて、(私のいとこ)とは連絡する事ができます。 いとこにうまーくオバの仕事休みの日を聞き出す良い言葉ないでしょうか?
贅沢な悩みだと思われるかもしれません。 自慢したいのかと言われるかもしれません。 でも、私には凄く重く、重すぎて苦しいのです。 見えない鎖で縛られている感じがします。 私の母は67才で亡くなりました。 苦しいほど、心底、優しい女性でした。 私は母親が心配するから、母親の前では咳はしませんでした。 そんな母だから、 私が嫁いでから強迫性障害で死ぬほど苦しんだことや、 また、強迫性障害であることさえ伝えずにいました。 そして、 母が亡くなってから初めて「墓前」で 「黙っていてごめんね。だって、お母さんは切ないほど心配性だから言えなかった」と伝えました。 母の遺影の表情が「なんで言ってくれなかったの?」と 怒っているようにも見えた時期もありました。 そして、ここからが「重い本題」に入ります。 私が嫁ぐ時、もの凄く高級な桐の箪笥を二つ、 そして桐の箪笥の中には、 全て高級な、喪服(夏用・冬用)・黒留袖・色留袖・訪問着・ いろいろな帯・着物用バッグ・草履・その他いろいろ・・・・・・・ 嫁入り道具に、いったい、いくらかかったのか分かりません。 私は、欲しいとも言ってないし、全く望んでもいませんでした。 私は、自分で着物は着れないし、少しは着物の良さは分かっているけど、「めんどくさい」としか思いません。 まさに「豚に真珠」なのです。 私には重過ぎるのです。だから苦しいんです。 この気持ちは、墓前でも、とても言えません。 今、母は、私の根底を見抜いているのでしょうか? たとえ、墓前で「桐の箪笥をありがとう」と言ったとしても、 本当は負担に思っていることを分かっているのでしょうか? (あちらの世界へ行った人には、こちらの世界の人が本心を 言わなかったとしても、きちんと本心が分かるものなのでしょうか?) でも、あちらの世界に行った母に、 「良かれと思ってしたことが、本当は娘の心に負担をかけてしまった」と悲しんだり、苦しんだり絶対にしてほしくないんです。 だって、 お母さんの気持ちは分かっているし、 お母さんのことが大好きだから。 いつか、桐の箪笥と着物を欲しいという人に出会えたら 貰ってほしいんです。 母は、私の根底にあるものを理解して許してくれるでしょうか?
タイトルのとおりです。 昨日、職場のリーダーからも言われました。 「楽しそうに仕事をしていたから取り上げた」 こんな職場を逃れたい。もちろん就活中です。でも自信がなくなってたのも事実。 家族からも逃れたい。 hasunohaに書いたり。お坊さん方がアドバイスしてくれても私自身が聞く耳を持っていないんだと思います、どこかで。 アドバイスをいただく→ひと考えする→実行 までの余裕がないのかもしれませんが。 辛い、苦しいの中でみつけた真っ黒な自分に一番、戸惑っている気がします。