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はじめて質問させていただきます。こんにちは。げんげんと申します。 私は昔、おじいちゃん・おばあちゃんっ子で、自分でいうのも何ですが、小さいうちから蝶よ花よと大事に大事に可愛がられていました。 そんな祖父母も、私がまだ学生だったうちに3か月程度の間をおいて相次いで亡くなり、昨年7回忌を迎えたばかりです。 とくに祖父は92歳で亡くなる前、90歳くらいまでは元気いっぱいで畑まで一人で作り、何を言っても怒らないような、人に慕われる好々爺を画に描いたような人でした。 亡くなる前、本当は大好きなのに、あれだけ元気だった人が弱っていくところを見るのはなかなかに怖くて、ベッドの上の手を握れなかったのをよく覚えています。 亡くなった後から、じいちゃんはこんな人で、ばあちゃんはあんな人で、と、もう何年も経つ今でも、少なくとも月一回は食卓の笑い話に上がります。 夢にも見ます。なんだか取り留めのないような話をして、そういえばじいちゃんはばあちゃんはもういないんだったっけなぁと思い出しながら目が覚めます。 さて、私は仏教徒ではないのですが、私が入っている宗教では、亡くなった人は現世に写真があったりすると、それだけでとらわれたりするから、棚の中に裏を見せて隠せとか、そんなことを言うのです。 でも、私はじいちゃんのこともばあちゃんのことも、忘れたくない。じいちゃんのお化け沼の話とか、もっとたくさんしたい。 いやいやでも、向こうに行ってから、何年たっても私たちにとらわれつづけていたら、じいちゃんもばあちゃんも可哀そうだ。亡くなる前に手も握ってくれなかった孫に、笑い話にされるなんて、迷惑かもしれないし。 私たちがこちらで何か、祖父母について語るたびに、写真を動画を見るたびに、宗教のせいか、それとも自分の中にあるなにやら決まりかで、祖父母に要らぬ引き留めをしているのかも? …と、思ってしまうわけです。 亡くなった後の世界は、私にはわかりません。お坊さんなら、わかるかなぁ。そんな願いを込めて質問させてください。 おじいちゃんとおばあちゃんは、向こうで今、昔みたいに夫婦仲よく、楽しくやれていますか?私は迷惑をかけていないですか?
初めて質問致します。 よく先祖供養やご祈祷などで「ご先祖様にお願いします」「仏様にお願いします」と言いますが 私の供養をご先祖様は受け取り 私のお願いを 仏様は本当に聞いて下さっているのだろうか…と思います。 と いうのも私は 生前の両親とは 仲はあまり良くなかったし、怒られていた記憶しかありません。 そんな私がお彼岸やお盆などに「先祖供養」しても その思いは亡くなった両親やご先祖様は受け取って下さっているのかどうか、気になります。 否、多分私が本当に真心込めて供養したとしても 「何を今更 ゴマすっているんだ?」と嫌がっているように思います。 仏様へのご祈祷でも 穂特様側から見れば 「はぁ?お前 普段 信心も何もしてないくせに”ご利益を下さい”なんて 図々しいにも程がある!」と思っていらっしゃっるのではないかと思い ご祈祷をためらってしまった事もあります。 やはり ご先祖様や仏様から見守って頂き またお願いなどを聞いてもらうには お坊さん方のように 欲を断ち切り善行を行うしか 他に方法は無いのでしょうか? 例え純粋な思いで供養しても ご先祖様から疎んじられ 純粋な気持ちでご祈祷をお願いしても 仏様に門前払いされてるような気がしてなりません。 やはり お坊さんのような修行をしないと 仏様はご利益を与えて下さらないし、両親や親戚縁者と 仲が悪かったら どんなに供養しても受け取ってもらえない…と思うと悲しくなります。
初めまして。 私はすごく仏教に興味があります。 お寺・神社・仏像等々、前々から興味はありまして「ぶっちゃけ寺」の影響だったりここ何年かの悩みもあり、仏様に救いを求めたいという事なのかもしれません。 ただどのようにして足を踏み入れて良いのか分からず、まずは何か仏教関係の本を読みたいなと思っているのですが、色々な種類の本がたくさんありどれから手をつけて良いのか分かりません。 初心者が読んでも分かる入門書の様なものはありますでしょうか?? よろしくお願い致します。
悟りを得るのに最低限知っておかねばならない知識を教えてください。 仏教には膨大な教えや経典がありますが、私は仏教学者になりたいわけではないので、悟りを得るために最低限必要な知識を教えてください。 例えば、カップラーメンを食べるにはお湯を注いで指定された時間待てばいいということだけ知っていれば十分で、お湯がなぜ沸騰するのかといった物理的な知識やどういう製造工程でカップラーメンができるかといった知識は不要です。 なので悟りを得るに最低限知っておかなければならない知識を教えてください。 この経典だ!とか三法印を知っておかなければならない!とか具体的なことを教えてください。
小さい頃から何気なく、音楽に携わっています。 恥ずかしながら…少し前に"雲中供養菩薩"の存在を知りました。 実際にまだお会いした事はありませんが…一度足を運び、一目見てみたい…!と思っています。 楽器、音楽が昔昔から存在するなんて…不思議です。 仏教と音楽、もしくは楽器…深い繋がりがあるのでしょうか…? 音楽演ってる者としては、雲中供養菩薩…衝撃的です‼︎
誤字等あれば、ご容赦ください。 今回は、先日感じたことについて、色々なお坊さんの意見を聞いてみたいと思い、投稿しました。 聞きにくい事ですが、勇気をもって質問させて頂きます。 お付き合い頂けるお坊さんがいてくれたら幸いです。 自分は先日、菩提寺に行った時に、住職の車が外車なのを知りました。 よく回答して頂いているお坊さんなどはご存知だと思いますが、その時精神的に沈んでて、「外車かよ…」と悪く思ってしまいました。 というのも車整備のバイトをしたこともあり、日本の車道にはやはり日本車があっていること知っていて、実用面よりブランドで選んだ、執着しまくりじゃんと思ってしまいました。 今振り返ると、大人気ないです(-_-;) ただし、お坊さん達は、お坊さん達が上等なものを持つという事に対して、どういう考えをお持ちなのかは、ふと気になることがあります。 「お坊さんだって好きなもの欲しい」「お金があるならいいだろう」というお坊さんもいると思いますし、自分もある程度はいいと思います。 ですが仮に、全うに稼いだお金が潤沢にある一僧侶や一寺院が、ロールス・ロイスやリムジンを持ったとしても、同じことが言えますか?と考えてしまいます。 例えば、超貧乏な檀家さんを前にして。 テレビに良く出演されているある方は、ある宗派の本山の金文字入ったキャデラックに、追い越される際、全身土埃浴びせられ、追いついた際「あなた達の開祖は貧乏な人々に寄り添い、信仰を集め広めていったのに、弟子であるあなた達はなんなんですか、そのヤクザみたいな金文字入った高級車は必要なんですか」と問い詰めたそうです。 清貧であるべき、節度があれば、自身の金なら無問題など、それぞれに仏教的回答があると思いますし、正解があるのかもわかりません。 多分お坊さんによっても考えが違うのではと思います。 ただ、だからこそ現在に生きるお坊さん一人一人の考えを聞いてみたいと思いました。 そもそも、あなた人を金だけで見ないようにでも結構です。 可能な範囲で結構ですので、回答頂けると嬉しいです。 よろしくお願いします。
私は檀信徒ではありませんが、比較的近所に気になるお寺があります。 イベント(?)なども結構やっているようです。 hasunohaの回答僧でもあります。 そこで、そこのお寺のご住職に人生相談をちょっとしてみたいなぁ、と思ったのですが、やはり非常識でしょうか? よろしくお願い致します。
禅に興味を持ち始め、禅に関する本などを読んだり、このサイトにもよく見にきます。 こうして仏教と触れていくうちに、自分の雑念などそういったものに振り回されないような生き方を身に付けたいと思うようになりました。 しかし、だんだんとその雑念というものを振り払うというのが、自分の大切な感情を無視しているように思えてならなくなり、何か大事なものを見落としてしまいそうな気がしてしまうのです。 なんともまとまらない文章になってしまいすみません。一体どうしたら良いのでしょうか
グローバルという言葉が当たり前になった現代でも、宗教はいまだ閉鎖的であるように感じます。 中東をはじめ宗教を理由にした紛争はいつまでもなくならず、中世の時代から少しも変わっていません。 それぞれの宗教はいい教えだと思うのですが、なぜ対立という方向に走ってしまうのでしょうか。 宗教の教えはよくても、それを運用する人間に問題があるのでしょうか。 仏教会(?)は宗教を理由とした紛争について、どう考えているのですか? いまこそ一致団結し、世界平和に向けてなにか活動してもいいのではと思うのですが、人任せで無責任な考えでしょうか。 ちなみに私は神社の町で育ったので神道が好きですが、仏教も尊重しています。
大学で仏教の事を学んでいる真宗の信徒です。先生には質問しづらい内容ですのでここで質問させてください。 大学で四諦の教えや空の思想を知り、苦しみの生まれるプロセスを理解しました。 ただ私は意思が弱い凡夫ですので、渇愛煩悩を絶つために修行し自力で悟りを得られるような人間ではありません。 やはり阿弥陀仏の本願に縋るしかないと考えております。 しかしながら、偽経について学び、同時に観経が偽経である事を知ると疑いの心が生じてきました。 信じたいと思っているのですが、釈尊が説かれた教えではないものと知ってしまうと、阿弥陀仏は本当に自分を救ってくださるのかどうしても心配になってきます。 この心にどう折り合いをつければ良いでしょうか?
私の父は僧侶をしていました。 真宗の小さなお寺で、職業とは別で兼業していました。 でも、父は酔うと人に暴言を吐いたり、よそで女の人つくったり、言えないくらい、家族に迷惑ばかりかけていました。 私は母と家を出て、今は嫁いで家庭を持っています。 そんな父が急に亡くなりました。 僧をしていたので、父は「仕事」としてお経はあげていました。 悪人正機というのは、悪人であることを自分で認めた凡夫だからこそ救われると聞きました。 悪人であることを最後まで認めなかった父も、救われて仏さまになっているのでしょうか。 でも『地獄と極楽』という絵本を小さい頃読みました。 あの絵本では、生前ひどい人は地獄で苦しんでいました。 もう一つ、仏さまになったとして、その後どのように生活?するのでしょうか。 よく、私たちを見守って導いてくださる、と言いますが、この世でのつながりが深かった人のところに行き導くのでしょうか。 もし私が往生したら、父と同じ世界に行き、また娘としてくらすことになるのでしょうか。 とりとめなくすみません。 父の死も、生前の行いも、もう昔のこととして受け入れていますが、仏教の教えでは、このあとどのように生きているのか気になりました。 よろしくお願いいたします。
既出の質問でしたら申し訳なく思います。 お坊様に拝聴したい タイトルの言いたいことは自分の宗教を決めて良かったと思うか ということになります。 私の実家では真言宗です(神道もやってます)。 私自身、信教することになんら不思議はないのですが、私は次男分家の立場で、自由にしなさいといわれております。 特に宗派、宗教を決めずに郷に入れば郷に従えで生きていました。 ただ、色々と話しを聴いたり勉強していく中で「なるほど先達の言うことにも一理あるな」と思っています 色々と悩み・障害・苦・反省を繰り返す今の自分の生き方に案内をお願いしたく存じます。 よろしくお願いします。
黄檗宗について調べているのですが、参考資料が少なく中々進みません。 寺院関係者ではない一般の人の書いた本で、黄檗宗についてのオススメの資料をいくつかご教示願えませんか。 手に入りにくいものでも構いません。高いものでも大丈夫です。ただ、20世紀以降に書かれたものでお願いいたします。
聞きかじりの知識なので正確さを大きく欠いている可能性が御座いますがご了承下さい。 仏教においては輪廻転生が唱えられてはおり、目指すべきは解脱であるため、本来仏教に天国や地獄といったあの世観は存在せず、日本内での布教の際に付随したという話を以前聞きました。 しかしいざ調べてみると、仏教にもあの世観(前世、来世での意味でなく、天国や地獄の意味で)は存在しているという記述を見つけました。 実際に仏教ではどのように考えられているのでしょうか? また、仏教の成り立ちや変遷について学べる読み物が御座いましたらお教えください。
昨年より般若心経を覚えようと、無理のない努力…しいて言うならば覚える過程を楽しみとして過ごしていました。 意味と漢字を意識しながら、通勤途中に「今日はここまで覚えれると良いな」とぼんやりとした目標を決め 仕事中に集中力が切れた際などは、覚えている箇所までを思い出しながら空想にふけり、頭のなかだけで気分転換の世界に入れる為ある意味生活のツールとしても勝手に役立てておりました。 「空」や宇宙のこと、そして色んな事に縛られない、とらわれないという事が仕事等の失敗を小さく感じさせてくれ、非常に日々のストレスを和らげてくれました。 しかしながら、順調に楽しく覚えていったのは良いものの どうしても引っかかるというか覚えられない、身につかない箇所があります。 無有恐怖 から 即説呪曰までがどうしても覚えられないのです。 冒頭から「無罣礙故」までは気が向いた日、時に楽しく覚えていたので1ヶ月半程でおぼえられたのですが、その後が詰まってからそろそろ1年が経過しようとしています。 その部分の意味の内容が自分にとって感銘を受ける度合いが低いのか、はたまた(自分の中で)読みのテンポの雰囲気が変わるからかは解りませんが 何か良い覚え方、考え方はないでしょうか? こんな事にとらわれている事自体がそもそも苦を産んでいるのかもしれませんが…
私は仏教系の学校に通っておりまして学校でいただいたブレスレットのように常につけておける数珠を常につけているのですがその一つが欠けていました そういうものがかけるというのは何かの予兆とかいろいろ聞いたことがありますがどうなんでしょうか? また、高校時代も同じ数珠をもらっていたのでそれを最近引き出しから見つけ2つ数珠をつけていたのですが数珠は1つにしておくべきでしょうか
よく、「お経や真言は修行してない人が唱えてはいけない」とあるのですが本当ですか?
お寺に興味があります。 お坊さんは、土日はお葬式、法事などで忙しいのでしょうか? それ以外の曜日は主にどのようなことをされているのでしょうか? よろしくお願い致します。
仏画や仏像によくある、仏菩薩の頭上にまた仏菩薩?がいる状態にを何と呼び、また何の意味があるのでしょうか?
お世話になります。 お題目の なむみょうほうれんげきょう と、 なんみょうほうれんげきょう の違いを教えてください。