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「仏教・お坊さん」を含む問答(Q&A)一覧

2026/04/27回答受付中

肉を食べるのが本当にいい?

こんにちは。私は曹洞宗の修行者ですが、宗派を問わず皆さまにお尋ねしたいと思います。 大乗仏教において、菩薩の心は慈悲に満ちている、という理解で合っていますか?僧侶の方々が、「植物と動物を区別するのは間違っている。どちらも命だからだ」と述べているのをよく目にします。その点は理解しています。しかし、食用となる動物の多くは、集約的な畜産施設で飼育されており、飼育下で生まれ、ごく狭い空間に閉じ込められ、幼い頃に殺されています。牛乳の場合も、牛は絶えず人工授精されています。卵の場合、雄のひよこは生きたまま殺されています。 「三種の浄肉」の説明も、私にはかなり説得力に欠けるように思えます。動物は明らかに、それを購入する人々のために殺されています。そうでなければ、養殖場の運営費を何で賄うというのでしょうか?さらに、これは、ある人が他の誰かの代わりに動物を殺さなければならないというシステムを支持することになりませんか?ちなみに、動物が容赦なく殺されるまでに飼育するために必要な水や植物などの資源の量は、人間を直接養うために必要な量よりもはるかに多いのです。 これらはすべて、慈悲の教えや、すべての生き物を救いたいという願いに反するものではありませんか?私たちは、苦しみを可能な限り減らすような選択をするべきではないでしょうか? お読みいただきありがとうございます。ご返信をお待ちしております。

有り難し有り難し 12
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2026/04/24回答受付中

仏壇へのお供え(水)について

いつもご丁寧にアドバイスいただきありがとうございます。 本日は、仏壇へのお供えについてご質問させてください。まずは毎日お供えするお水についてです。 最近はYoutubeなどで情報が溢れており、実際の真偽について知り、日々の行動を改めたいと思っています。 1)朝一番にお供えするのは良いとして、本来はいつお下げすればよいでしょうか? 私は翌朝までそのままにしてしまっていましたが、Youtubeでは悪い気が増えれいくので長時間置きっぱなしにしないとありました。 例えば、午前中のうち、もしくは実際平日は仕事もあるので帰宅後できるだけ早くお下げするのが良いでしょうか? また、下げたあとも植物などにあげ循環させた方がよいとなっていました(流し台にポイでなく) 2)水道水を直にではなく、一旦沸騰させ、冷ましてからお供え? こちらも気の観点で、火を入れてカルキなどの不純物を飛ばし、人肌くらいに冷ましてからが良いとありました。実際どうなのでしょうか? 3)茶碗を洗う時、同じスポンジで洗って良いでしょうか? 先のようなことを見聞きすると、細かいことも気になってしまいます。仏飯の容器もそうですが、神仏様用に自分たちとは分けた綺麗なスポンジで洗った方が良いかと気になりました。 毎朝せわしなく半ばルーティンのようにお水をお供えしていましが、ご先祖様への作法などこれを機会に正式な作法や考え方をご教授頂きたく、よろしくお願い申し上げます。その他、水に関して補足がございましたら是非よろしくお願いします。

有り難し有り難し 22
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2026/04/24回答受付中

日本仏教の概観を知れる入門書について

 日本仏教の概観を学びたいのですが、お勧めの書籍があれば教えてください。 いわゆる教科書的な「何年に誰が何をした」という事実の羅列ではなく、「なぜその時代にその思想が必要とされたのか」という歴史的背景と、「前の時代の思想をどう継承・否定して発展したか」という連続性を重視した本を探しています。  具体的には、以下のような文脈で理解したいと考えています:   ・社会情勢との関わり: 例えば、戦乱や飢饉という絶望的な状況下で、なぜ浄土真宗が衆生の救済として爆発的に受け入れられたのか、といった「需要と供給」の視点。   ・思想のアップデート: 師匠の教えをどう修正したのか、あるいはあえて古い時代の思想を掘り起こした際、そこにどのような時代的要請があったのか。  「点」としての知識ではなく、古代から中世、近世へと至る「線」としての日本仏教史が俯瞰できる、初学者向けの(できれば文体も読みやすい)本があれば、ぜひご教示いただけると嬉しいです。よろしくお願いします。 (AIに書いてもらいました汗) --- 日本の仏教史ではないですが、佐々木閑先生の「仏教の誕生」はとてもわかり易かったです。 あれくらいわかりやすいといいな、と思ってます。

有り難し有り難し 23
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2026/04/03

輪廻転生

 仏教で最も重要なファクターである「輪廻転生」が世界で信じられて、日本で否定されているのは残念です。  太平洋戦争以前には日本も信じられていたことは、楠木正成の「七生報国」で明らかです。  戦後アメリカ文化が流入して、仏教界で輪廻転生が否定されたのです。  阿含経につぎのような話があります。   城邑(南伝 相応部経典 12.65. 城邑)  前略  その時、世尊はかように仰せられた。  比丘たちよ、わたしは、まだ正覚をえなかった修行者であったころ、このように考えた。(この世間はまったく苦の中に陥っている。生まれては老い衰え、死してはまた再生する。しかもわたしどもは、この老いと死の苦しみを出離するすべを知らない。  まったく、どうしたならばこの老いと死の苦しみを出離することを知ることができようか)と。  後略    ここで釈尊は何のために修行を始めたかが明確です。  即ち「生まれては老い衰え、死してはまた再生する。しかもわたしどもは、この老いと死の苦しみを出離するすべを知らない」  「死してはまた再生する」ので次の「生まれては老い衰え」を繰り返すことになります。  即ち「輪廻転生」です。  悟りを得て如来となり、その解決方法を「涅槃(無明を滅すること)」と言う形で解決したのです。  「輪廻転生」が否定されては仏教そのものが不要になるのです。

有り難し有り難し 8
回答数回答 1
2026/03/14

「理解する」とはどういうことか?

いつもご回答ありがとうございます。 漠然とした質問なのですが、「理解する」とはどういうことでしょうか?仕事や日常の中で、自分が何かを理解しているかどうか、と考えることが多いのですが、そもそも、その「理解」って一体何だろう、と最近とても気になっており、質問させていただきました。 私は文学を研究しており、大学でも授業を担当しているのですが、自分が研究するうえでよく、「自分はこの作者の真意が理解できているだろうか」とか考えますし、学生が出してくれたレポート対して、偉そうに「あなたは、まだ○○に対する理解が浅いですね」とコメントしたりすることがあります。でも、そういうふうに言っている自分は本当は何を理解しているんだろうか・・・と考えると、自分は何もわかってなくて、本当のバカは自分ではないか?と思ったりします。 世の中には色々なエキスパートがいます。私も、学会に所属していて、この分野では著名な先生方の研究発表を聞いたりすることがあります。その人たちは、自分の専門分野の話題については、ペラペラと饒舌に喋るのですが、時々、「この人たちって、本当に自分が話していることを理解しているんだろうか?知識があるだけでは?」と思ってしまうことがあります。 今の自分に一つ言えることは、何かを本当に理解するというのは、ただ知識があったり、理屈がわかったり、理論を使いこなせたりすることではないだろう、ということだけです。 お坊さんは経典を読んだり、仏教に関する理論を勉強したり、こうしてハスノハで私たちの悩みに回答して下さっています。お坊さんが何かを「理解した!」と思うのは、どういう時ですか?どういう状態が、「理解している」と言えますか? 差し迫った質問ではないのですが、ぜひ色々なご意見をお聞かせいただけると幸いです。

有り難し有り難し 16
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