50代 ソーシャルワーカーです。 元々、修験道に興味があって、山伏・写経・修行・読経体験などを何度か行っています。 毎朝、お香を焚いて読経をしてから出社する様にしています。 そういう生活を続けている中で、自分の掛けた言葉によって「どん底にいたけど希望が見えた」などの感謝の気持ちを利用者様から受ける事があり、より理解を深めたいと感じました。 将来的には自身でお寺を持ちたいと考えていますが、とりあえず定年までは数ヶ月の休みを取る事は現実的では無い感じです。 出家・得度をしたいと思って菩提寺(真言宗)に相談しましたが「坊主は儲からないし辞めた方が良い。私自身も兼業なので得度を与える事は出来てもその後の面倒は見れない。」という事で断られてしまいました。 費用面は当然負担するし、そちらの都合に合わせると食い下がりましたがダメでした。 何件かお知り合いの真言宗のお寺にも連絡して頂きましたが「日々の業務が忙しくてお弟子さんを取る程の余裕が無い」という感じで断られました。 何件かは直接訪問して想いを伝えましたが、手厚く持て成してはくれたものの結局は断られるという感じでした。 出家ビジネスとかの「出家する事だけが目的」という人ならば門前払いされても仕方ないのかな?と思いますが、将来的に寺を持ちたいという程の本気度であっても、菩提寺すらもダメ・他もダメという状況に困惑しています。 ここ数ヶ月で自宅周辺の真言宗寺院には全て訪問して相談しましたが、全滅でした。 話は聞いてくれて親身に対応してくれたという事は救いでしたが、数か月間休みを返上してお願いをしてまわったのに結果が出なかった事に対する失望感は大きいです。 不適切な言い方かもしれませんが、皆さん医師や経営者などの本業を持っていて、二足の草鞋でお寺の経営もしている様な感じでした。 本業が忙しいから弟子を取る余裕が無いという感じなのでしょうか? こういうのは本山とか分院とかの大規模な所に相談したら、そちらで引き受けてくれたり、どこかの寺院を紹介してくれたりするのでしょうか? 最悪は定年退職後に大学に進学という方法も検討していますが、早くから出家・得度を受けて仏道に進みたいという想いもあります。 長くなってしまいましたが、宜しくお願い致します。
重度重複障害者施設にて直接支援・相談支援を行っています。 同じ福祉職で僧侶の方がいて、その方の言葉を受けて安心して旅立てる・見送れるというケースを見て、その様な支援を提供出来る人間になりたいと思いました。 元々、神仏全般に興味があり研究・論文発表もしていて、お経を唱えたり山伏的な事をしたりしていたので、一定の知識はあると思っています。 人と比べる失礼を承知で言えば、前出の福祉職の僧侶の方は阿闍梨位ですが単立寺院の資格ビジネスに騙された様な存在なので、その方よりは知識が上だと思います。 ただ、相手が求めているのは「知識人からの言葉」では無く「僧侶からの言葉」なので、ニーズの不一致が生じている感じです。 師僧となってくれる方を探していて、自作の名刺を持って飛び込みで何件も廻っていましたが全滅。 しかし本日「私の知人で、社会人を続けたままでも良いと言ってくれている真言宗の住職さんがいる。」という連絡がありましたが、車で2時間程度離れた場所なのです。 得度を受けたら終わりという礼を欠いた事はしたくないので、自宅から通える範囲で考えていましたが、何十年も関わっていくには100kmという距離は遠すぎます。 紹介してくれた方には「あまりにも遠方だと週末にしか通えないので失礼にあたるのでは?今後のお付き合いの事も考えると近隣で探したい。」と伝えましたが「弟子を取るという事は戸籍に加えるのと同じ位に覚悟のいる行為だから、今回のご縁を流したら二度と得度を受けられないかもしれない。お寺の家系ならばまだしも、何の縁のない方が師僧を探すというのは、あなたが考えている以上に大変な事。ある意味では今後の修行よりも大変な事かもしれない。」と言われてしまいました。 「戸籍に加える程に…」というのは、宗教法人の規定にある「世襲の場合は血縁者…」という部分から来た言葉だと思いますが、本業を続けながら得度を受けたいという事からも、寺を継ぐという程の覚悟はありません。 得度を受ける事をそこまで重大に捉えていなかったのですが、住職さん側の立場として「弟子を取る・得度を授ける」というのは「戸籍に加える程に重大な決断」なのでしょうか? 正直なところ「社会人を続けながら…」という部分から「住職になる程の覚悟は無い」という様に汲み取ってくれないかな?と思っていました。
大般若経唱えれますか?また大般若経に限らず推しお経やフレーズはありますか?
社会人として働きながら得度を受けたいと考えています。 福祉関係で働いていて、終末期の方や精神病の方・家族を支援しています。 死という恐怖・生き辛さの問題に対し、僧籍を得ることで専門的で手厚い支援が出来るのでは?と考えています。 双方の実家は遠方で、居住地域の寺院には縁がありません。 登山が趣味であること・自力本願という考えが自分に合っていると思い。自宅周辺の真言宗のお寺に相談しましたが「お弟子さんを取る余裕がない」という様な理由で断られました。 お寺でのお勤めやボランティア的な事には参加できますが、何日も連続して休んで得度を受ける事や加行を行うことは難しいと思います。 そういう部分を見透かされているのかな?とも感じています。 単立寺院以外で社会、人が仕事を継続しながら得度を受けることを歓迎している寺院って無いのでしょうか? 人から拒否されると落ち込むタイプなので、得度を拒否され続けて結構メンタル沈んでいます。 真言宗で「ここならば社会人として働きながらの得度に相談乗ってくれるよ!」という所はありませんか? よろしくお願い致します。
質問失礼します。 私は最近、仏教について興味を持っております。まだ、何も知識はありませんので失礼な発言がありましたらご容赦ください。 本題に入りますが、仏教に興味を持った理由としては私がとある活動をしていてその際に偶然仏教について考える機会がありました。それから興味深いものだと感じAIが紹介してくれたため「お坊さんがこたえるお悩み相談サイト」に出会うことが出来ました。相談内容については信仰や宗教等についての考えをお聞きしたいです。お手数お掛けしますがご回答お待ちしております。よろしくお願いいたします。
いつも相談に載ってくださりありがとうございます。 我が家は高野山真言宗なのですが、仏様に手を合わせる際、ふと気になったことがあります。 祖父の戒名は1行で書かれているのですが、祖母の戒名は2行に分かれて書かれています。私は二人が亡くなった後に生まれたので、当時の詳しい経緯を知りません。 同じ家、同じ宗派でも、人によって戒名の列数が変わることはあるのでしょうか?何か特別な意味や理由があるのか知りたくて質問させていただきました。 ご回答お願いします。
いつもお世話になっております。認知行動療法、 進んでいます。 本題です。 https://hasunoha.jp/questions/22063 こちらの問答で、お釈迦様は「私の弟子は占いをしない」 と言っているとお答えがあります。 ですが現実は、様々な寺院で、占いの代表格ともいえる おみくじおみくじおみくじ……矛盾を感じています。 またこちらの問答でも https://hasunoha.jp/questions/27507 「スピリチュアルや不思議パワーに頼ってはいけない」 とお坊様が説かれています。 私の菩提寺の住職も、 「現実の出来事とオカルト的な結び付けをしてはいけない。 そういった認識を取り払うのが仏教」 と教えてくれました。 ですがやはり現実は、無宗教や信心始まって間もない人々 から、スピリチュアル的な誤解をされています。 中には僧侶でも、私の夫の名を騙り 「あなたの未来を占います」 「悪霊を祓います」 などと宣っている者もおり、「てめぇぶっ飛ばしてやろうか」 と思ったこともあります。 また、医科学を敵とみなし、精神科に行くなとか、ワクチンを 打つなとか、公衆衛生に悪影響を及ぼす流言飛語を宣う僧侶や 仏教徒もおり、嘆かわしい限りです。 医療や科学は、失敗もありましたがそれを反省し、 特に我が国では息苦しさすら感じるほどの規制の下、 とかく安全性重視、薬を作るにも幾重にも試験や実験を 重ね、尊い動物たちの犠牲の下、私たちの衛生がある のです。 実際に、製薬会社や理系大学では、実験動物や献体者の 慰霊法要も行います。 そういった邪教徒のせいで 「宗教やってる人って怖いよね」 と思われるのが許せません。 あるお坊さんから、 「正しく治療を受けるのも仏教徒として正しいこと」 と言われ、菩提寺の住職からも 「仏教は医療や科学を否定しない。むしろデマや感情論による 正しい治療や文明に対する偏見を戒める」 と教わりました。 この多方面からの誤解に悩んでいます。
気になったので質問させてください。 日本のお坊さんは、世界中のお寺のお坊さん方と集まって交流会を開く事ってありますか?(オンラインとか) もう一つ、各々の神社の神職さん方とお坊さん方の交流もあるのでしょうか? お寺、神社によって違うと思いますが、差し支えなければ、ウチはこうだよー!と教えていただけたら嬉しいです。
いつもお世話になっております。 仏教、特に日蓮宗、真言宗の方がいればお伺いしたいです。 他宗派の方でももちろん問題ございません。 前提として最近祖父が亡くなり、供養のため実家に帰った際には檀家として所属(?)、信仰している日蓮宗の開経偈、方便品、自我偈、お題目等を仏間でお唱えしています。 ただ個人的にお世話になっているお坊さんがいて、その方は真言宗の醍醐派の方です。 私の吉方や人生相談、お守りの作成など大変お世話になっており、身近に起こる不可思議な体験などの対処もしてくれます。 ここからが本題なのですが、真言宗の方から「身を守るためにも毎日真言を唱えるように」と言われており、一人暮らしの自宅では真言宗の作法に倣ったお経を毎日お唱えしています。 そのため実態としては私個人は真言宗の信徒、私の実家としては日蓮宗の信徒というちぐはぐな状態になっています。 こういった多宗派ごちゃまぜで、状況によって唱えるお経を変える。 言ってしまえば信仰の対象を変えるといったことは許されるのでしょうか。 真言宗で統一しようにも実家の仏壇の前、日蓮大聖人の御前で御真言をお唱えするのはおかしいですし、自宅でお題目を唱えるのもお世話になっているお坊さんの教えとは異なります。 こういった状況は仏教の教えとして許されるのでしょうか。 どちらかに統一したほうがいいのでしょうか。 どのような形であったとしてもご先祖様や仏様に無礼のないような形にしたいのですが。 ・場所、場合によって唱えるお経を変えるごちゃまぜは許されるのか ・仏教の教えとして何かいい方法はないか(あるいはこのままでいいのか) こちら2点お伺いしたいです。 お手数をおかけしますが何卒よろしくお願い申し上げます。
こんにちは。私は曹洞宗の修行者ですが、宗派を問わず皆さまにお尋ねしたいと思います。 大乗仏教において、菩薩の心は慈悲に満ちている、という理解で合っていますか?僧侶の方々が、「植物と動物を区別するのは間違っている。どちらも命だからだ」と述べているのをよく目にします。その点は理解しています。しかし、食用となる動物の多くは、集約的な畜産施設で飼育されており、飼育下で生まれ、ごく狭い空間に閉じ込められ、幼い頃に殺されています。牛乳の場合も、牛は絶えず人工授精されています。卵の場合、雄のひよこは生きたまま殺されています。 「三種の浄肉」の説明も、私にはかなり説得力に欠けるように思えます。動物は明らかに、それを購入する人々のために殺されています。そうでなければ、養殖場の運営費を何で賄うというのでしょうか?さらに、これは、ある人が他の誰かの代わりに動物を殺さなければならないというシステムを支持することになりませんか?ちなみに、動物が容赦なく殺されるまでに飼育するために必要な水や植物などの資源の量は、人間を直接養うために必要な量よりもはるかに多いのです。 これらはすべて、慈悲の教えや、すべての生き物を救いたいという願いに反するものではありませんか?私たちは、苦しみを可能な限り減らすような選択をするべきではないでしょうか? お読みいただきありがとうございます。ご返信をお待ちしております。
こんばんわ。 地元の観音霊場を巡礼しているのですが、輪袈裟と金剛杖と御朱印帳だけでも問題ないでしょうか? お坊様のご意見を頂きたいです。
いつもご丁寧にアドバイスいただきありがとうございます。 本日は、仏壇へのお供えについてご質問させてください。まずは毎日お供えするお水についてです。 最近はYoutubeなどで情報が溢れており、実際の真偽について知り、日々の行動を改めたいと思っています。 1)朝一番にお供えするのは良いとして、本来はいつお下げすればよいでしょうか? 私は翌朝までそのままにしてしまっていましたが、Youtubeでは悪い気が増えれいくので長時間置きっぱなしにしないとありました。 例えば、午前中のうち、もしくは実際平日は仕事もあるので帰宅後できるだけ早くお下げするのが良いでしょうか? また、下げたあとも植物などにあげ循環させた方がよいとなっていました(流し台にポイでなく) 2)水道水を直にではなく、一旦沸騰させ、冷ましてからお供え? こちらも気の観点で、火を入れてカルキなどの不純物を飛ばし、人肌くらいに冷ましてからが良いとありました。実際どうなのでしょうか? 3)茶碗を洗う時、同じスポンジで洗って良いでしょうか? 先のようなことを見聞きすると、細かいことも気になってしまいます。仏飯の容器もそうですが、神仏様用に自分たちとは分けた綺麗なスポンジで洗った方が良いかと気になりました。 毎朝せわしなく半ばルーティンのようにお水をお供えしていましが、ご先祖様への作法などこれを機会に正式な作法や考え方をご教授頂きたく、よろしくお願い申し上げます。その他、水に関して補足がございましたら是非よろしくお願いします。
日本仏教の概観を学びたいのですが、お勧めの書籍があれば教えてください。 いわゆる教科書的な「何年に誰が何をした」という事実の羅列ではなく、「なぜその時代にその思想が必要とされたのか」という歴史的背景と、「前の時代の思想をどう継承・否定して発展したか」という連続性を重視した本を探しています。 具体的には、以下のような文脈で理解したいと考えています: ・社会情勢との関わり: 例えば、戦乱や飢饉という絶望的な状況下で、なぜ浄土真宗が衆生の救済として爆発的に受け入れられたのか、といった「需要と供給」の視点。 ・思想のアップデート: 師匠の教えをどう修正したのか、あるいはあえて古い時代の思想を掘り起こした際、そこにどのような時代的要請があったのか。 「点」としての知識ではなく、古代から中世、近世へと至る「線」としての日本仏教史が俯瞰できる、初学者向けの(できれば文体も読みやすい)本があれば、ぜひご教示いただけると嬉しいです。よろしくお願いします。 (AIに書いてもらいました汗) --- 日本の仏教史ではないですが、佐々木閑先生の「仏教の誕生」はとてもわかり易かったです。 あれくらいわかりやすいといいな、と思ってます。
昔、「地獄」という本を読んで自殺をしたら地獄で罰せられるという話を見ました。 自殺をして地獄に行かないようにするにはどれだけの徳を積めばよいでしょうか。 これまで家族に優しくしたり、努力はしたつもりです。 それでも今までの行いはすべて水泡に帰すのでしょうか。
こんにちは。 現在、国際学部に在籍している大学1年生です。高校時代には仏教系の学校で宗教を専攻し、その中で特に密教に強い関心を持つようになりました。実際に僧侶の方から直接お話を伺い、理解を深めたいと考えているのですが、そのような機会をいただくことは可能でしょうか。ご教授のほどよろしくお願い申し上げます。
高校2年生です。僕は「お東さん」の僧侶になりたいと考えています。 昨日、その思いを母に伝えたところ、「いきなり宗教者になるのはやめたほうがいいのではないか」と言われました。理由としては、先に社会経験を積んだほうがよいのではないか、ということでした。 僕としては、できる限り親の意見も尊重したいと考えています。一方で、自分の将来や夢を決める権利は自分にあるとも思っています。そのため、まずは教師資格だけでも取得しておくという道もあるのではないかと考えています(所属寺の意向にもよるとは思いますが)。 また、別院の事務員として働くことで、一般社会で働きながらお寺にも関わるという形もあるのではないかと考えています。ただ、別院の事務員は採用が難しいとも聞いています。 個人的には、大学進学の機会を逃してしまうと、所属寺を見つけるのにかなり時間がかかるのではないかとも感じています。 このような状況について、どのように考えるべきか、ご意見をいただければ幸いです。
お世話になっています。今現在、世界情勢、環境的、経済的その他、何をとっても明るい要素がありません。いつ戦争が起こっても不思議ではない状況です。ノストラダムスの予言の1999年の時より現在の方がよっぽど終末感があります。仏教には末法思想があると聞きました。ずばり今現在は、末法の世なのでしょうか?また仏教で語り継がれている末法の世とは具体的にどんな状態なのでしょうか?回答おねがいいたします。
いつもお世話になっております。 この度、法然上人の救いの仏教の一考察の草稿を書くこととなりました。 しかしながら、卒業論文を書いたことがないのでどのようにすればよいのかが分かりません。 アドバイスをお願いします。
宗教に入っていもす霊聴がある体質でして、あの指導霊の悪口はきつかったな。ハスノハのお坊様でそのような体験をされた方はいらっしゃいますか?ある場合のそのあとの対応はいかがなさいましたか?おしえて下さい。数年前の道場でのことですが脳裏に焼きついて残念です。しかしまだ辞めてはいません。がっかりしました。
仏教で最も重要なファクターである「輪廻転生」が世界で信じられて、日本で否定されているのは残念です。 太平洋戦争以前には日本も信じられていたことは、楠木正成の「七生報国」で明らかです。 戦後アメリカ文化が流入して、仏教界で輪廻転生が否定されたのです。 阿含経につぎのような話があります。 城邑(南伝 相応部経典 12.65. 城邑) 前略 その時、世尊はかように仰せられた。 比丘たちよ、わたしは、まだ正覚をえなかった修行者であったころ、このように考えた。(この世間はまったく苦の中に陥っている。生まれては老い衰え、死してはまた再生する。しかもわたしどもは、この老いと死の苦しみを出離するすべを知らない。 まったく、どうしたならばこの老いと死の苦しみを出離することを知ることができようか)と。 後略 ここで釈尊は何のために修行を始めたかが明確です。 即ち「生まれては老い衰え、死してはまた再生する。しかもわたしどもは、この老いと死の苦しみを出離するすべを知らない」 「死してはまた再生する」ので次の「生まれては老い衰え」を繰り返すことになります。 即ち「輪廻転生」です。 悟りを得て如来となり、その解決方法を「涅槃(無明を滅すること)」と言う形で解決したのです。 「輪廻転生」が否定されては仏教そのものが不要になるのです。