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「仏教・お坊さん」を含む問答(Q&A)一覧

お坊さんはどんな人と結婚したいですか?

2回の質問への回答ありがとうございます。 私はお坊さんと結婚したいと考えています。 精神科の薬を飲んでいてもお坊さんと結婚することは可能ですか? 日常生活には支障のないレベルです。 また、わたしは健常者ですが、障害を持っていてもお坊さんと結婚することは可能ですか? さて、本題です。私は親を殺そうとしたことを警察の方に報告して保護されたことがあります。 そのときチャッパーという骨を切る包丁を持っていたので(チョッパーと検索した方が出てきやすいかもしれません。)措置入院となりました。 薬は措置入院したせいで飲むことになりました。 家が汚かったのと、母親が痩せてくれなかったのと、父親が毎日母親をどなっていたのがいやだったからです。 加えて、私が無職だったので金銭的にこれからうちは破産する!と、 思ったからです。 母親は私を妊娠しているときにケーキやポテチを食べて急激に太ったことにより、椎間板ヘルニアになりました。 いまでは太りすぎで、脊髄の2か所目が潰れてもう車いすです。 私は、結局母が太って不幸になったのが受け入れられなかったんです。 今幸せ?と聞くと、母は、不幸だ。といいます 今では半年間の入院を経て、母や少し怒鳴らなくなった父を受け入れて介護できるようになりました。 あたらしく、尊敬できるお坊さんという家族を迎えて、妊娠して人生をやり直そうと思っています。 また、障害のある母と健常者の父とで、お寺に引っ越して新婚生活を歩むことは、お寺の規模によっては不可能なのでしょうか? こんなわたしでも受け入れてくださるお坊さんはいるでしょうか? 回答よろしくお願いします(´◉◞౪◟◉)

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得度・出家、単立寺院について

はじめてこちらに質問させていただきます、菩提心です。 現在、一切衆生の救済の為、また困っておられる方、悩みを抱えている方をお救いしたく、僧侶の道を志している者です。在家の者なのでなかなか師僧に巡り合えず難儀しております。いくつかの寺院の御住職に相談にのっていただいたりはしているのですが、基本的には「またいつでも参りにおいで」という感じでなかなか師弟関係を結べずにいます。まだ機が熟していないのかはたまた縁が巡ってこないのか、とにかく現在はそんな感じです。とにかく師僧の方と巡り合いたく、現在自分に行をかして(近所の寺院に100日間毎日参拝して一回15分程度読経しております)おります。また、これから先の人生、縁がなく師に巡り合えなかった場合、最終手段として単立寺院で得度出家を考えているのですが単立寺院での得度・出家には問題が(意味が)あるのでしょうか?もちろんその場合はいいかげんなところではなく、きっちりとした修行をさせていただける寺院様を探すつもりです。一応2件ほど常時得度・出家・伝法灌頂まで受けさせて戴けるお寺は見つけています。 ちなみに得度から伝法灌頂の最後まで諸々の費用は40万から50万程かかります。私自身、まだ20代後半とまだまだ人生経験の浅い青二才ですが、これまで様々な苦労や苦痛にさいなまれながらも生きてきました。なので、自分と同じように苦しんでいる方々を仏教を通してお救いして差し上げたいのです。また仏教の尊い教えを一人でも多くの方にお伝えしたいです。 なので、どうしても僧侶になりたいのです。ちなみに自分は真言密教が大好きなので、真言宗の僧侶になりたいです。とりあえずは単立寺院での得度出家に関してアドバイスをいただきたく存じます。長文になり誠に恐縮ですが、どうかよろしくお願いいたします。

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仏教の理解と学び方

初めて、お便りさせて頂きます。 最近、仏教の教えを知り教えを学ぼうと考えています。 現状の仏教の理解や考え方の方向性が正しいのか確認をさせて 下さい。 現在、深刻な悩みはなく本件のご相談は、急ぎではありません ので悩みごとのご相談の皆様を優先させて下さい。 ■現状の理解内容(超要約して記載します) 1)仏教の目的:涅槃(解脱)に至ること。幸せを説くこと。 2)涅槃(解脱)への到達の方法として「四聖諦」があり、日々の  実践として「八正道」がある。 3)最初に苦諦の理解の為に、無常・無我、因縁を理解することが必要  以下は、私の解釈した定義です。  無常:この世の全ては移り変わるもの  無我:全ては繋がりの中で変化している現象である  因縁:原因+条件(環境等)があって結果がある 4)今後の方向性(考え方や実践内容)について ・目的:   日々の生活や仕事で、怒りなく、平穏で周りの役立つ人生を送る ・行動や思考の指針  日常生活では、八正道、慈悲喜捨、五戒などを意識し、正しい判断  基準で行動する。 ・貪瞋痴に支配されない為の手段として、ヴィパッサナー冥想があり  今の瞬間に気付けるようにする。これにより、無常・無我、因縁が  頭でなく、身体で理解(体験・体感)できるようになる。  常に、今の瞬間の自分に気付くようにし、正見・正念・正定の向上  を図ることにより、煩悩が湧いてこないようにする。 以上の認識や方向性で、大きな誤りや重大な認識漏れがないか、 ご指導を頂けましたら幸いです。

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日本人の食べるということに対する意識

私の食べ物に対する感覚は日本的な考えなんでしょうか? 仏教的な考え方なのでしょうか? それとも少数派なんでしょうか? 世界共通の認識だと思っていたのですが、そうではないようだと思うようになりました。 一般的に日本人の食べ物に対する感謝はいくつかの意味があると思います。 ①命を頂くことに対する感謝 ②食材を育ててくださった農家の方に対する感謝 ③食材を育んだ地球の恵みに対する感謝 ④調理人の方に対する感謝 ⑤食材を入手するための代金を稼ぐ労働に対する感謝 これらが一言で表されるのが「いただきます」という言葉だと思っていますが、特に①を強く意識していると思います。 そして食べ残すことは、奪った命をないがしろにすることだとして、食べ残さないようにします。 動物だけでなく植物に対しても同様に命を頂いていると考え、米粒一つでも無駄にしてはいけないと子供のころに教わりました。 私は「殺すのは出来るだけ少なく。食べ残すことは死ぬ必要のない生物まで殺す行為だ」「食べるために命を奪ったのだから、食べなくては無駄死にだ。」と考え、 そして動物はもちろん、植物も命を頂くと考えています。 欧米諸国では、日本とは比べ物にならないほど家畜の福祉に対する意識が高いです。 可能な限り家畜の苦しみを軽減しなければならないと考え、苦痛の少ない方法で飼育し、苦痛の少ない方法で屠殺しなければならないと考えています。 ですが、どうもそれは生きている時だけのようなのです。 食肉を食べ残すことに対しての意識がとても違うと感じています。 もちろん、もったいないとは思っているようですが、「死ななくていい分まで殺した」という風には思ってないようです。 「食べても食べなくても、いずれにしろもう死んでいる。」と考えているようです。 動物福祉に熱心な方でもです。 大乗仏教には精進料理がありますよね? 出来る限り殺生を避けるために動物性のものは取らず、植物にも命があるが感謝して無駄にしない、という考え方だと思います。 そして上座部仏教では「托鉢で頂いたら肉魚も食べてよい。食べ残してはいけない。」と聞きました。 このことから私の考え方は仏教的なのかな?と感じたのですが、仏教的でもなければ日本人の共通認識でもない、という意見の人がいて、疑問に感じ質問いたしました。 どうぞよろしくお願い致します。

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