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「仏教・お坊さん」を含む問答(Q&A)一覧

2022/11/08

亡き母親の今後

私の母親が54歳で自ら命を絶ちました。 母親は約25年統合失調症と戦いました。 最近は精神症状は昔ほどひどくないかわりに、手足のシビレや脱力に悩まされ。 排便や移動などを父親が介護する場面も多々あったようです。 本人は父親や周りの方に迷惑をかけてしまっていることや、自分で自分のことができないことで精神的に落ちていたようでした。その日は父親が仕事に出かけるため訪問看護の方がくる予定でしたが、訪問看護の方がきたときにはベッド柵にベルトをかけ亡くなっていたようです。まだ暖かっかったとの状況も聞きました。 手足のしびれと戦い、25年間も精神的な病と闘い。家族としてはとても頑張って生きていたと思っています。亡くなっていたその顔も窒息とゆう要因ながら、とても穏やかだったそうです。本人も辛さからも解放されたのかなと考えることしかできません。 ですがネットなどを調べていると、自害した人はあの世にいってもとてつもない苦しみを与えられる、いわゆる天国?という場所には行けないなどという情報がたくさんあり、今後の母親のことがとても心配です。 残された遺族が、49日までの7日ごとの供養以外できることはありますでしょうか? この世で苦しんだ分、少しでも楽にしてあげたいです。 読みずらい文法、文脈で申し訳ありません。お時間がありましたらお答えください。

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2022/06/08

自ら命を絶たれた方の行く末

とても迷ったのですが、どうしてもお坊様方のご意見が聞きたく御相談をさせていただきます。 近年より相次いでおります、自ら命を絶つ行為。 学生時代の自分も、現世から逃れたくて何度も命を絶つ決意、そして行動を行っておりました。あれから時が経ち、大切な家族・神様、仏様方との出会いで改心し、今は大好きな神様・仏様方、家族と共に今を生きております。 それはさておき、今は見なくなりましたがこのご時世の始まりの当初はよくニュースを見ていました。感染者数を知りたくテレビを付け、情報を収集していたのですが、それ以外である人が自らの命を絶たれたとのニュースを見ました。関連のニュースを見る度、ふと思いまして、亡くなられた方の魂が何処に向かわれるのか疑問になりました。ちなみに私の祖母は、輪廻の一番下に行くと話していました。ですが、仏教を勉強する内に祖母の話が本当なのか微妙です。数々の本にも触れられてなく、疑問が膨らむばかりです。そこで、各お坊様にお聞きしたいのですが、自ら命を絶たれた方の魂は、どちらへ向かわれるのでしょうか? 命を絶たれる決意をされている方々に対して刺激が強い内容になってるのではと心配で、利用規約にも反していないか不安ですが、どうしても気になり質問させていただきました。

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2022/04/06

配信アプリの読経枠で

私は、お経を聞くのが好きなんです。 ある配信アプリで、読経枠をよく聞いていたのですが、なぜか、私へのあたりが強くて思い余ってそんなに私が嫌ならブロックしてくださいと、枠主のお坊さまへDMを送りました。すると、ブロックされた後に、枠内で私の名前を晒したようで、その枠主のファンと思われる人達から続々と罵詈雑言を私のアカウントへ書き込まれてしまいました。心が折れてしまった私は思わずアカウントを消しました。中には阿弥陀さまから、罰があるとまで。 アカウントを消したので、直接は聞いていませんが、今日の配信では、私の事をメンヘラと発言があったと教えてくれる知人もいて、涙が止まりません。 その枠主のお坊さまにそんなに嫌われる理由を私なりに考えました。思いあたるのは、浄土宗と日蓮宗の読経枠もファンになっていたからかなぁと。(このアプリは、アカウントからどんな枠のファンか見る事が可能) 浄土真宗のお坊さまは、他宗派のお坊さまのファンになっているリスナーは嫌なのでしょうか? 私がファンになっている浄土宗と日蓮宗のお坊さまも、内心は嫌なのでしょうか? 私は、仏教の事をよく知らずに地雷でも踏んでしまったのでしょうか。

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2022/03/02

生老病死

 数年前、願誉浄史ご住職様から「阿含経典」を勧められましたが、驚いたことに此処にすべて仏教の真髄が集約されていました。  ご住職様には、深甚な感謝と共に厚く御礼申し上げます。  そこには、仏教の目的である「輪廻転生からの解脱」が唯一仏教の教えに尽きることが書かれていました。  般若心経に「照見五蘊皆空度一切苦厄」とありますが、「一切苦厄」の主体が生老病死の事でありましょう。  生老病死は仏教の専売であると思っていましたが、阿含経には仏教に関係なく「自然の摂理」で釈尊以前から定まったものであると述べられています。  「自然の摂理」に対しては、釈尊も手の施しようがなく只管死を待つほかありません。  即ち、生きている総ての生物には生老病死はつきもので、仏教の救いは何もないという事です。  従って仏教の救いは死後にあることになります。  しかし死ねば生老病死は消えますから何も問題はありませんので、仏教の救いは必要ない筈ですが、再び誕生することを釈尊は悟りで明らかにしました(過去世)。  それが輪廻転生です。そこから解脱することが仏教の救いであり、仏教の存在価値です。  そのことを阿含経は下記のように述べています。 城邑(南伝 相応部経典 12.65. 城邑)  前略  その時、世尊はかように仰せられた。  比丘たちよ、わたしは、まだ正覚をえなかった修行者であったころ、このように考えた。(この世間はまったく苦の中に陥っている。生まれては老い衰え、死してはまた再生する。しかもわたしどもは、この老いと死の苦しみを出離するすべを知らない。  まったく、どうしたならばこの老いと死の苦しみを出離することを知ることができようか)と。  後略

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2021/12/16

死後の世界は本当にあるんでしょうか?

最近死後の世界が存在せず、ただ意識も無い『無』の世界が永遠に続いたら嫌だな、と思っています。 もちろん世の中で死んだ事のある人なんていないのですから、悩んでいたって死ぬまでそんな事は分からない事は承知しています。それでも怖くて泣いてしまう事もあります。怖くて仕方がありません。 今年は親戚が亡くなってしまったり、身内が病気になって状況が悪くなっていく一方で、そう言う雰囲気にも影響されつつあると感じます。 死後の世界がある可能性も無い可能性も否定できません。私はあってほしいですし、亡くなった方がそこで幸せな気持ちになってほしいとも思っています。 この生涯で幸せになった分を大切な人に与え、最期を迎えた後は天国などでその人達を見守っていたい、とも願っています。 良ければ、 ①死後の世界について不安や恐怖を感じた事はあるか ②あった場合、どのようにして克服したか ③死後の世界や生まれ変わりについての考え ④死後の世界があるとして、そこで何をしたいか 教えてくださると嬉しいです。 このような事で悩んだ事は初めてではなく、前回は小5の時、そして今は中3です。悩んで怖くて勉強が手につかないほどなので、不安を軽減したいです。 よろしくお願いいたします。

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お経をあげないと不幸になりますか。

昔から家は仏教徒で、私も産まれてから仏教を信じなさいと育てられてきました。 小学生の頃、学校環境になれず拒食症になってしまい、食べ物を見ると吐き気を催すようになりました。 その時に母が、「先祖が苦しんでいる。それがあなたに出てきてしまっている。きちんとお経をあげないから、ものが食べられなくなってしまったの」と教えられました。 その時は真に受止めお経を上げました。ですが、考えてみると、ストレスによるものではなかったのかと思うようになりました。 月日が流れ社会人になった時、やっかいな病気にかかり、毎日不安で泣いていました。 他の兄弟は、病気になることも無く、ごく普通にすごせているのに、私だけなぜこんなにも不幸が降りかかるのかと。 母に聞くとやはり、「先祖が苦しんでいるからだ」の一点張り。 私はただ不安な気持ちを聞いて欲しいだけなのに、私のせい、私のせいと言われ続け、仏教とは私を苦しめるものなのか?と思ってしまうようになりました。 確かに、先祖があってこその自分ではあるが、もし仮に母が言っていることが本当だとして、私ばかり苦しい思いになる理由も分からないです。 私ばかりお経をあげて、時間を使わなくてはならないのかと、疑問に思ってしまいます。 他の兄弟は、お経はおろか、仏教を信じていません。ですが、結婚もし、子供も生まれ、幸せな家庭環境を築いています。 このような場で、仏教やお経に対して罰当たりな事を書くのをどうぞお許しください。 私はどうやって生きていけば、普通に生きられるのでしょうか。お経を上げなくては私は幸せになれないのでしょうか。

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納経所にいるお坊さん

皆様がこの不安な世の中を生きるために苦しい胸の内をご相談されているなか、このような質問をするのは忍びないですが、是非ともお教え願いたいです。     最近、神社やお寺をお参りしていて、四国に住んでいるのもあり、四国霊場のお寺を順番は関係ないですが行ける時に行ける範囲の所へ足を運んでいます。       昨日、子供たちを旦那が見ていてくれるというので、少し距離はありましたが香川のお寺にお参りにいきました。 14時を少し過ぎて到着し、御朱印帳を用意して納経所へ行ったのですが誰もいらっしゃらず、インターホンがあったので鳴らしました。 次にお寺に行った時はお線香をあげさせてもらいたいな、と思っていたので、初めてだし質問してみようかなとワクワクしながら待っていました。 すると別の建物から若め?のお坊さんが出てきてくれたのですが、あからさまにめんどくさそうな顔をされ、会釈をしても、お願いしますと声に出して言ってみても無視され、御朱印帳もぱっと取られ、お釣りの小銭も御朱印帳の上に置いて返されました。 お礼はなんとか言えたのですが、内心すごくショックで、お線香のことも聞くに聞けずでした。 自分なりに大事にしている御朱印帳なので、小銭置きにされたのは正直腹が立ちましたし、それなりの時間をかけて子供たちも旦那に預けてお参りに行っていたので本当に残念でなりませんでした。       しかし家に帰る途中、ひょっとすると神社とお寺の御朱印を一緒にしていたのがいけなかったのかな、それとも緊急事態宣言が解除されたとはいえ、このご時世の中来ないでほしかったのかな、と頭によぎりました。     今まで行ったお寺では、特に何を言われるでもなく、ようお参りくださいました、とまで言ってくれる方もいたので、謎です。   もしかして、14時くらいからお坊さんのお昼ご飯は始まるのでしょうか。   なにか私に悪いところがあれば、納得もいきますので、どうかお教え頂きたいです。

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