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「仏教・お坊さん」を含む問答(Q&A)一覧

嫌な言葉を受け取らない方法を知りたい

こんにちは、いつも楽しく拝見しております。 お釈迦様の話について一つ質問です。 お釈迦様は、お釈迦様の前で悪態をついて罵られた言葉を、一つとして受け取らなかった、というお話がありますよね。 罵りや悪口、批判の言葉は、受け取らなければ、その言葉を言った人のものになる。 この考え方はとても良いなと思っておりまして、実践したいなと常々思っています。 ところが、つい先日、親族から、要約すると「あなたのやり方では駄目よ!」と嫌な批判を言われてしまいました。 そのやり方は、その時の親族には心配させまいと言っていない事情があったことや…私がその方法をする上で、過去親族本人から了承を得ていたことを、おそらく忘れていることがあるのも気づいていながら… 心から「受け取りたくない批判だ」と思い、でもあまり口には出さず、その時はそうかーそうなのー、とだけふんわりと抑えて堪えました。 そしてさっさと忘れて過去より現在のことを考えようとしても、つい心にモヤモヤと、その言葉が刺さったままになってしまいます。 お釈迦様のように、「相手の言葉を受け取らない」とするには実際にはどうしたらよかったのでしょうか。 いざ実践としたときの、「嫌な言葉を受け取らない方法」は、私のやり方は無意識に受け取ってしまったのでは、と後程ふと思い、方法がどうもわからなくなってしまいました。 経験豊かな皆さんが具体的に実施されていることなど、ありますでしょうか。

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住職の方の人柄について

今日私がいつも行く集まりがありました。 今日は集まったのが私を含め3人で集まりの途中でロータリークラブに所属されている住職の方が参加される予定でしたが会の間は入ってこられませんでした。 その会が終わった途端いきなり部屋の中に入ってこられ私以外の二人に名刺を渡し私だけを無視し続けてお話を始められました。 話の内容は集まりのメンバーを増やす為にロータリーの週報に宣伝を載せることについてのお話でした。 私以外の二人は現会長と次期会長でその二人とお話をずっとされていました。 5分くらい話されていたのですが私だけずっと無視したまま話をされて話が終わり帰る時も私にだけ名刺も渡さず無視してかえられました。私自身は何の役職もないメンバーではあるのですが、今まで会にいらっしゃった他のロータリークラブの方も他の住職のロータリークラブの方も私のことを無視せずきちんと名刺もいただいていました。 なので今回の出来事は私にとってちょっと失礼な対応だなと感じましたが住職の方々からしたら用のない人は無視してもいいという見解なのでしょうか? 個人的にはまたらこういう間に合うのが嫌なのでこの集まりから抜けようかと考え始めました。

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白骨の御文章に思う

広島在住で、いわゆる安芸門徒と呼ばれている地域の者です。 葬儀と言えば導師による読経の後、定番となっている《白骨の御文章》の拝読があります。 拝聴している遺族、縁者にはこの御文章の言葉ひとつひとつが重く胸に突き刺さり 感極まって涙する姿は参列者の心をも締め付けるものがあります。 そこで以前から私には一つの疑問がありました。 法話を聴聞する為にお寺参りをした折、読経後に住職あるいは講師としてお招きした僧侶による御文章拝読がありますが  この御文章は数ある章の中から日替わりで読まれている様です。 しかし なぜか私の地域では《白骨の章》にだけは巡り合う事が殆どありません。 普段のお勤めの祭には意識的に避けて、葬式の時に用いる切り札として温存している様にさえ思えるのです。 (もし、他の地域あるいは他宗派では違うのであればごめんなさい) その理由として お寺参りと言えばどちらかと言えば余生短し老人が多いので 死を意識させる話題には触れないでおこう。 そして葬式に限り《白骨の章》で締めれば無難であろうといった僧侶の方々の思惑が働いているのでしょうか? “人の死 ” というものは日常においては誰だって考えたくはないし、忌み嫌われる事はわかりますが 死 という事ほど絶対的に決まっていることはありません。 なので 子供のうちから葬式以外の日常の中で《白骨の章》を耳にするチャンスをたくさん頂くとか 御文章に綴られた深い意味に気付かせて頂く機会が多い生活を送ることは決して悪いことではないと考えるのです。 いつか必ず自分の番が回ってくる死に対しては 若くて元気な時から真剣に考えておかなければならない大切な事だと思うのです。 そうすることが 今の人生を真面目に正しく生き抜く力になるのではないでしょうか。 とは申しましても 現実問題として 住職様の立場から言えば「お寺参りの度に《白骨の御文章》を聞かされたのではたまったものじゃない!」と門徒の方から批判を受け、お困りになるかも知れませんが 私の様な考を理解して頂ける方はおられないものでしょうか? また《白骨の章》を敬遠しないで日々の暮らしの中に活かせる良い工夫があれば お聞かせ頂きたいと思います。

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ありえない態度

先日、法事をおこないました。 曾祖父の代からずっとお世話になっているお寺で、先代の住職さんにはとても親切にしていただいてました。 その先代の住職さんが体調を崩されて、 2、3年ほど前に息子さんが住職になられたのですが、本当に失礼な態度で頭にきています。 無言で入ってきて、用意してあったお供え物も知らん顔だったので、祖母が 「お供え物置いてもらえますか?」 と聞くと、こちらを睨みつけて 「それ以上、入らないでください。」 と一言。結局お供え物は置いてもらえませんでした。 その後挨拶も何もなしに始まり、 小さい子供がいたのですが、子供が少し声を出す度にお経をよむのを止めてこちらを睨んでいました。それが3回ほどありました。 そして明らかに今までにはない短さで終わり、 何の挨拶もなしに部屋から出て行こうとしたので、 「あの...お焼香してもよろしいんですか?」 と聞くと 「こちらが合図したのに、そっちが拒否したんでしょ?」 と言われ、親戚一同呆気にとられていました。 合図なんてなにもなかったし、言葉も発してない。 たとえこちらが気づいてないにしても、その言い方。とてもじゃないけど、ありがたい気持ちなんて全くおきませんでした。 むしろ亡くなった祖父に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。 帰る時も一応挨拶を、と父と祖母が挨拶しに行ったのですが、 「お焼香のタイミングなんて、常識でしょ? それに最近は法事をお寺で行う人なんてめったにいませんよ。こっちが迷惑だ。」 と言われたそうです。 こんなことあっていいんでしょうか。 ただの愚痴ですいませんが、この行き場のない怒りをどうしたらいいのかわからなかったので、話を聞いていただきたくお話しました。

有り難し有り難し 32
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