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hasunoha 問答検索結果 : 「名付け」
検索結果: 185件
2024/11/08

名づけについてのもやもやが消えない

同じ悩みで2回目の質問になるのですが、もしできましたら、いろいろなお坊さん方のお言葉をいただけますとありがたく存じありませんます。 プロフィールと前回の質問をご参照いただきたいのですが(お手数をおかけして申し訳ありません)、その後も気持ちを立て直すことが難しく、苦しい時間を過ごしています。 毎朝起きると、「なんでこの名前にしてしまったのだろう」というもやもやの中で一日がはじまり、一日かけて「でも、こういう解釈もできるのだし、この名前で社会人として働かれている方や学生の方もいるのだし、何より生まれた時にはこの子に一番合っている名前だと感じたのだから」と思い直すようにして、なんとか心を立て直して過ごしているのですが、次の日になるとまた「どうしてこの名前に?」と同じことの繰り返しになってしまいます。 産後は、一字一字はよく名前に使われる漢字なのだし、今は見慣れなくてもそのうち馴染んでくるだろうと思っていたのですが、日増しに違和感が大きくなって、最近では名前の漢字を見るのがつらくなってきてしまいました。(響きは本人に合っていると感じており、普段は前半の二音のニックネームで読んでいることもあって、そこまで気にならないのですが…。) 多少違和感があっても、良い意味しかない名前であれば、そのうちに慣れてきて受け入れられるのだと思いますが、「人名にふさわしくない意味がある」という事実が変わらないために、それをわかっていて名づけた過去の自分の愚かさへの怒りが強く、乗り越えることができそうにありません。 このような気持ちのまま子どもと向き合わなければならないことが申し訳なく、毎日とてもつらく、この思いが一生続くと思うと耐えられそうにありません。 夫にも相談したのですが、もう決まったこと、取り返しがつかないことなので、私自身の捉え方を変えるしかないのだと思います。 皆様お忙しいところ本当に申し訳ありませんが、何かお言葉をいただけますととてもありがたいです。

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お坊さん達ではどう実態の話をしてますか

私は般若心経に影響を受けています。 ここに机があります。私達はこれが無いと知っています。誰かが、それは机でそこにあって、木で出来ていて茶色で硬いと言います。 私にも茶色に見えるし、ぶつければ私は痛いです。 でも、やっぱり茶色は無いし、机もないし、私も無いです。 それでも痛いのは嫌で、そこに机があると考えて生活します。でも、あらためて眺めると、やっぱり無いです。 強いて言えば、さっきまであった、と言うかなと思います。でも、無いから『さっき』と言うのもいま言ったけど変だと思っていて、さっきも無いんだけど強いて言えばにすぎず、とにかくいま、机は無いよ、と思います。 私達はそこに水色のティーカップが見えていて、私にも見えています。でも、無いし、としか言いようがないく、水色もない。強いて言えば、その子が自分を水色と思っているでしょう、私もそれを水色と思っています。でも、そこに水色は無いと私達は知っています。 私達は、と言ったのは、きっと同じ話をしていると思っていますが、お坊さん達の間では違うのか、聞きたいと思いました。どこかは違うと思います。 その子の水色が無いと知っていますが、その子が「私、水色でかわいいの」と言ったら、ああ、水色だよ、それにかわいいよ、と言うと思います。 私は無いです。神も無いと思っています。私がいたら神もいる、私が無いなら神も無いと考えています。両方ある、と両方ないのどっちかしかないと思い、ところで実際どっちも無いよねえ、と思います。お坊さんはこう言っていないと思いました。 目の前に、机があり、傍らにまた水色のティーカップが見える、でも私達はこれが無いとしか見えないと思います。 私は、ひょっとして自分は時間の話をしているのかなとよく思います。 時間の話であれば、さっきと呼ぶものもなく、今机があるという事も起きていません。 今そこにあるという概念がなく、この机に対して机があると言える事実はなく、とにかくえんえん無いんだが、と思ったり仏陀は荒唐無稽で精神世界に限った話をしたのでは無さそうに思ったりします。 あると思っていて、としか言いようがない机をまた見て、もう無いとしか見えないし、ところであらためてそこに机があると言ってみる必要あるんだろうか、言わなくていいと思う、と考えたりします。私は時間の話をしているのでしょうか。 お坊さん達は違う話をしていますか?

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