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hasunoha 問答検索結果 : 「 罪悪感」
検索結果: 3177件

共働きではないことに罪悪感があります

相談させてください。 私は最近、転職をしました。 前職はとても人間関係が良い職場でしたが、他の部署の上司にパワハラにあっており結婚したことでその上司の元へ移動になる可能性があったことと、人間関係は良いが仕事が激務で今後の事を考えると続けるのがむずかしいと思ったのです。 しかし、転職先はよく考えたつもりでしたが入職すると様々なこと、契約内容や休日、仕事内容、残業量など含め面接や契約時に説明を受けたものと大きく異なり、休日は自己啓発系の勉強会を行い、上司は入って二日でミスのみを責めて自己啓発を促すなど、あまり詳しくは書けませんが友人、夫、実家の家族、誰に相談しても俗っぽい言葉で言うと「ヤバい」職場で、洗脳されていく自分が怖く、たった二週間で辞める事を決意、おそらく来週頭には退職の相談をすることになるでしょう。 問題はお金です。 失業保険はあれど、二馬力だった家計が苦しくなります。生活できないほどではないですが しかも私は愚かなことに、結婚前に組んでいた分割で支払っているローンがまだ残っており、なのに結婚式にむけて綺麗でいたいという思いからわずかにしかなかった貯金をエステの支払いの半分にあてており、残りの貯金はほぼ0でボーナスを使って分割の残りを払う予定でした。 計画の甘さに嫌気がさします。 夫は一旦家計の貯金から払って良いと言ってくれています。しかし私の無計画さに呆れているような気もします。 正社員にまたつくのは心がついていかず、子どもも希望してからことから扶養内パート勤務につきたいと考えましたが明らかに収入が落ちる事が不安で、しかも自分で作った支払いを工面するので精一杯の金額で情けなくて仕方ありません。今すぐ正社員をと思いますが私は転職も多く、見つかるかも不安です。 私のせいなのに、精神的におかしくなりかけているのか何度も同じ質問や不安を口にする私に夫も疲れてきているのがわかります。 世間の男性の本心は妻にしっかりと働いて欲しいのではないかと思ってしまっています。私が情けなく、愚かな事で夫に見限られてしまうが怖くて、正社員を無理にでも探すのが一番夫が喜ぶのではの思ってしまいます。 どうしたら良いのかまったくわからず、目の前が真っ暗です。 私はダメな妻です。 ダメではないと何度も夫は言いますがやはりダメな妻だと思います。 どうしたら良いのかわからなくなりました。

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罪悪感で死にたいです

前回の質問の続きのようなものです あの後、依存してしまった人へ謝罪メールを送りましたが既読もされていません。 ずっとその人が掛けてくれた優しい言葉と、それを素直に受け取らなかった自分がフラッシュバックして死んでしまいたくなります。 もし私があの人と仲直りできず、他のことで幸せになったら、あの人のことを踏み台にして幸せを掴むような気がして、やっぱり幸せになったらいけないんだ、死ねばいいという考えが堂々巡りです。 今までは無感情に人との縁を繋いだり切ったりで、そのことももっと向き合っていればと死にたい感情の材料になっています。 人を踏み台にした幸せを掴んでも死にたくなるなら幸せになりたくないです。 人を傷付けても幸せになっていいんですか。 いじめした奴が復讐されてスカッとする話が人々にウケるように、私も不幸になり死ねばいいとしか思えないです。 傷つけ合いながら成長するものとは知ってはいます。でも、その成長後のために、不完全な私をぶつけられた相手は何なんですか。物じゃなくて、人なのにそんな理不尽をぶつけるのは嫌だと、この件で心底そう思います。 私を成長させるための踏み台になんてしたくないです

有り難し有り難し 2
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2023/06/28

一方的に別れた罪悪感

現在は既婚子持ち主婦です。 これは昔の話ですが、今になって振り返って苦しみ悩んでおります。 学生時代、私をとても好きになってくれていた男性を振りました。その人は私より10以上年上でした。10代前半くらいから知り合い、好きとかは言わない人で、友達付き合いのように接してしまっていました。 18歳くらいになり、手を繋いで一度だけキスをしました。おそらくずっと年齢を待っていたのでしょう。ふれあいはそれくらいで、私もぼんやり好きになっており、もう少し甘えたかったですが。 会うペースがいつも向こうの都合で、行く場所も自分の意見も遠慮し言えず息苦しさを感じました。メールも普段無く、付き合ってるかもよくわからず不安でした。好きは好きなようで突然学校で待ち伏せられてご飯に行ったり。私は疲れててしまい振り回され困っていました。 私も困ると話せば良かったです。そして突然振りました。笑顔でやってきてくれたのにあまりにうなだれ無言の状態になられ、酷いことをしたと思いましたが私も勢いで去ってしまいました。 あのうなだれようで愛を知りました。それから一切会わず20年以上経ち未だ独身のようです。 私がきちんと問題を伝えれなかったから私がいけなかった。彼は私と結婚したかったのか?だから未だ独身なのか。わからぬ気持ちと、18歳だった私の判断は恐らく未熟で一時的な苦しみでダメなことをしたのかと。彼は不器用なりに精一杯やってくれていたとを思い出すのです。 今は子がいて平和に暮らしていますがそれが頭をよぎります。 もし彼に会おうと思えばとある場で会えますが、万が一もしお互い好きになっても相手を傷つけるだけ。良き仲間になれたら良いですがそれはわがままなのか。。 あのままお付き合いをしていればもっと恋愛ができていたのか?馬鹿な我慢ができない当時の自分とは変わっているせいで今になって苦しんで生活しています。苦しみながら死ぬまで気にせずふりをすればよいでしょうか。。馬鹿な私のような人は他にいるのでしょうか。すみません。

有り難し有り難し 15
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2022/09/09

子供を産むことについての罪悪感

最近疑問に思っている事です。もしよろしければご意見をお聞かせください。 道徳的な視点から見ると、私は子供を産むべきではないと考えています。なぜなら、生まれた子供が幸せになる保証がないからです。 年間80万人が自殺をしているそうです。辛い思いをしている方はもっと多いと思います。自分は幸せだと胸を張って言える方はとても少ないのではないでしょうか。 多くの人にとって人生は苦しみの連続です。この世が天国のような場所ならどんどん産めば良いのですが、生憎そうではありません。多くの問題を抱えていると思います。 反抗期の子供はよく「産んでくれなんて頼んでない」と言いますよね。親は論破したり否定しようとしますが、私は正論だと思います。否定する意味が全く分かりません。自分で勝手に産んだのは事実です。謝る以外の選択肢はないように思います。 結局は愛する人との子供が欲しいとか、自分の子供を持ちたいとか、この限りではありませんが親のエゴで子供が生まれています。 エゴや愛を免罪符にしているとしか思えないのです。 人生は全て苦痛だと言ってるのではありません。もちろん幸せな事もあります。でも苦しい事の方が多いです。 絶対に幸せに出来る、生まれてきたことを後悔させないという保証がない限り、子供を産むことはとても無責任ではないでしょうか。

有り難し有り難し 57
回答数回答 3
2023/07/26

罪悪感と後悔の念から抜け出せない

2ヶ月ほど前に、彼の自死で相談させていただきました。 彼は、私を最後まで責める気持ちを持って亡くなりました。 はじめは、悲しくショックな気持ち、そしてそれを選ぶほど思い悩んでいた彼の心の辛さを思い自分も辛くなり、今は、はじめからある、話を聞いてあげれなかった、かけつけて側にいてあげなかった、助けてあげれなかった後悔と罪悪感がどうしても拭えません。 一時期は、生きてても辛いばかり、彼は辛かったのに私だけなんとか前向きに生きていくのは罪悪感があると、今でも人生終わりがくればと思う日々でした。 ここ数日は、半年先、来年5年後など、先のことは全く考えれないしなくてもいいとは思っているのは変わりないんですが、一日一日生かされているだけは生きるしかないか…と少しは思うようになってきました。 ですが、一人でいて思うのはやはり、彼を死なせてしまった、そんな私が今までの日常を生きていくのはいけないとの気持がどうしても拭えずにいます。 どうしたら、そのような考えを少しでも自分から遠ざけることができますでしょうか? あるいは、遠ざけずにそれでも前に進む気持ちになれるでしょうか?

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

罪悪感とどう付き合っていくか

たくさんのご相談が来ている中失礼いたします。 自分が頼んだことで、もしかしたら相手が怪我をする可能性があったのではないかと罪悪感を感じ、それをずっと考えてしまいます。 引っ越しの手伝いを申し出てくれた男性に、シーリングライトの取り付けを頼みました。 危なそうかなと思い、最初は頼む気はなかったのですが、会話の流れで取り付けもしようということになり、私も「まあ心配しすぎかな」と思い、頼んでしまいました。 思ったより天井が高かったので、脚立の上につま先立ちしたり、 ちょっとふらついたりした場面もあって、結果怪我無く終わったのですが 後々考えると「もしかしたら私の頼み事で彼が怪我をした可能性もあったのではないか?」と後悔しました。 この件を悶々と考えることでかなり時間を使い、気分的にも落ち込んでいました。 今回は「多少怪我をする可能性があったかもしれないけど、そこまで危険な作業ではない。(まわりにテーブルなどの固い障害物はなく、可能性としては床に倒れたときの打撲。どこかで頭を打ったり・・などということは無さそうなので)結果怪我なく終わったのだから、そのことに感謝して、今後はこういった類を人に頼むのはやめよう」と結論付けました。 それでも時々思い出して考えてしまう時があります。 学生の時から強迫の気があるため(戸締りやガス栓しめ等を何度も過剰に確認してしまう)、この罪悪感が行き過ぎたものなのか、正常なものなのか、よく分からなくなってしまいます。 私が神経質すぎるのでしょうか。 あれくらいは大丈夫だっただろうと思う自分と、あんなことを頼んでしまったと思う自分がいて、客観視できない状態です。 相手に、「危なかったかもしれないよね、あんなこと頼んでごめんね」と謝りたいですが、その謝罪も自分の気持ちを楽にしたいだけの謝罪な気もしてしまいます。 この気持ちをどう処理すればよいでしょうか。何か良いアドバイスがあればご教示いただきたいです。

有り難し有り難し 6
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